狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載《 見果てぬ夢 "大東亜縦貫鉄道"の擬態!SLB(欧亜鉄道貨物輸送)とは...》ー第2回ー

第2回 鐡道と嘗ての大日本帝国

明治維新以降の大日本帝国では、富国強兵策の柱となる exploitation railway(開拓鉄道・殖産鉄道)建設が奨励されました。

第1項 鉄道関連法!と鉄道事業者の変遷

明治初期、文明開化の時代に、全国に多くの殖産鉄道を目的とした鉄道が私鉄として生まれたのです。

(当時は)お手軽に敷設が出来て(※001)、大量の貨物を運ぶことができる、軽便鉄道・軽便軌道が日本各地の幹線(主要都市)と港や鉱山を結ぶ支線として、"人車鉄道"や馬車鉄道として開業したのです!

どの後、幹線にそのまま乗り入れられるように軌間 3 ft 6 in(1067mm)の日本標準軌(狭軌)に改軌されて(※002)、短軸貨車が港⇔主要都市間の生活物資輸送を担うようになったのです。

参※001)別項で記したように、敗戦後の復興期・高度成長期を通じて、アメリカから、大型土木機械が輸入されるまでは、道路建設は簡単には手が出せず、"人力"でRailway track(軌道)が敷設できる鉄道が、大量輸送手段としてもてはやされたわけです。

参)当サイト内関連記事 森林鉄道・軽便鉄道・路面電車が日本各地から消えた理由とは? はこちら

参※002)軽便鉄道と言えば、直ぐに思い浮かぶのが軌間762㎜を代表とするナローゲージの簡易鉄道を思い浮かべる方も多いでしょうが、軌間をうんぬんするものではなく、当初から1067㎜の狭軌路線として官設鉄道への貨物車両直通を狙った路線も多かったのです。

更に、1910年に軽便鉄道法として、立法化されてからは、西武鉄道のように、鉄道路線から軽便鉄道に態々登記変更する鉄道会社も現れたました。

第1目 鉄道黎明期

第2項 極東の"僻地"にある島国日本!

"シルクロードで繋がった"陸続きの中国・シベリアとは違い...

ユーラシア大陸の外れ"沖合"に浮かぶ島国日本は、西欧諸国から見れば正しく「異国人;エイリアン(alien)の暮らす辺境の地」だったわけです!

スエズ運河完成以前は

我が日乃本から見てもこれは同じで、遠く離れた"耶蘇の暮らす西欧"へ行くには、半年近くをかけて"喜望峰回りの船旅"をする以外は手立てがなかったわけです!

明治維新(1868年1月3日)以前の"幕末"当時はスエズ運河(1869年完成)が開削工事中で、まだ完成していませんでした。

大河ドラマでお馴染みの"新1万円札の顔"渋沢栄一翁が、江戸幕府の親善使節として仏国の貿易船(蒸気船)で"パリ"を訪れたのがこの航路です。

もっと以前を辿って16世紀には、(バチカンの記録によれば)1555年1月にローマ教皇パウルス4世が謁見した洗礼名ベルナルド(※01)という"日本人"に謁見したとあり「西欧社会初の日本人」として記録されていますが、彼も"喜望峰回りの海路"で渡ったわけです。

参※01)(フランシスコザビエルに同行して)イエズス会のアジア布教の本拠地インドのゴアに渡り修道僧となった(日本名不詳の)4人の一人で、多分ザビエルが日本での布教の拠点としたした大分が平戸の「農民か漁民」つまり一般民衆の一人。

西欧列強に虐めにあい「タカられて疲弊しきっていた"志那"」

アジア進出を計った西欧列強が、インドを含む亜細亜全域の植民地化に乗り出し、特に"盗難亜細亜"を拠点としたオランダと、3角貿易(アヘン貿易)で一儲けしたイギリス帝国が、清国を"アヘン漬け"にして"深刻"な状態へ導き...

ロシアが、最初のТранссибирская магистраль(シベリア横断鉄道)で、シベリアから南下して旧満州をterritory(実効支配地)として清国に割譲させて、日清戦争を契機に朝鮮半島に"挑戦"した大日本帝国と、ロシア帝国とで清国の属国であった朝鮮半島最後の統一王朝"李氏朝鮮"を"割譲"させて、大日本帝国が豊臣秀吉以来の朝鮮半島進出を成し遂げて?大陸進出の第一歩を築いたわけですが...

大日本帝国も虐めにあう前に虐める側に?...

明治維新後の"大日本帝国"も西欧列強の餌食になる前に先手必勝で"志那虐め"に加わり、大陸進出を計ったわけです!

そして満州・朝鮮半島をめぐる日露間の利権争い日清紛争の停戦条件で、大陸進出の足がかりを得た"大日本帝国"が、大国ロシアと「満州・朝鮮をめぐる覇権争い(日露紛争)」となり、

ロシア帝国海軍の(北海から遠征して疲れ切っていた?)バルチック艦隊を"日本海海戦"で撃破して、"有利な条件"での停戦に持ち込み、満州をせしめてterritoryとしたわけですが...

そして長年の夢であった、海路に依らないユーラシア大陸横断"大東亜縦貫鉄道の一部として満鉄東清鉄道も手中に収めたわけです!

当時は今のように貨物船が20kt(約37㎞/h)で航行する時代とは異なり、蒸気船では12kt(22㎞/h)程度の航行速度しかなく、日欧間が2カ月近くかかっていた時代に、半分近くの30日程度で日欧間のpassenger traffic(旅客輸送)が繋がったわけです。(※02)

参※02)但し、旧東清鉄道時代の5 feet(1524mm)のRussian gaugeとは異なり、線路迄取り払われていて荒廃しきっていた!東清鉄道を、満州国が満州国国鉄として4ft8.5in(1435mm)のStephenson gaugeで全く新しく敷設しなおしたので、満州里駅では乗り換えが必要でした。

当サイト内関連記事 鉄道における国家標準軌間と国際標準軌間?について はこちら。

第3項 進出(開拓)先を誤った大日本帝国!

大英帝国・フランス・プロイセン王国(ドイツ)の口車に乗った日本!

別項で記したように、この時停戦条約とは別に当時の李氏朝鮮の"実質宗主国・清国"から、朝鮮半島を領地譲渡条約(契約)で買い取っていれば、後日United Nations(ONU;対日戦!連合)から、"袋叩きの虐め"に合うようなことも無く、今になって韓国から「賠償金を払え」などと言う言いがかり・後腐れは生じなかったでしょう。

更に、言えば大陸進出を計る前に、当時日本の地質学者・鉱山技術者がもっと育っていて、樺太開拓をもっと積極的に行っていれば...

西欧社会からも「除け者」にはされず、大東亜戦争に突き進み、「イソップ童話」さながらに、樺太を失い、無尽蔵ともいえる「豊富な天然資源」を無くすことも無かった訳です。

今になって、冷静に歴史を振り返れば...

大陸進出はが発端になった、日清・日露両戦争は、英大英帝国・フランス・オランダ・ドイツ帝国など"西欧世界"の代理戦争を請け負わされたにすぎません!

漁夫の利を得たのは、戦わずして清国を"清国"な状況に導き、「目の上のたん瘤」だった露助共を、アムールに押し戻せた、西欧社会です(※03)。

参※03)当サイト内関連記事 日本人(日本国政府)には、理解しにくい"耶蘇"(西欧人)の"ご都合主義"とは はこちら。

大東亜戦争に突入させたのは西欧社会!

日本を追い詰めて、大東亜戦争に突入させたのは、日露戦争で、"打ち止め"にしておけばよかったのに調子づいた大日本帝国が、彼ら西欧社会の利権である"colony(植民地)"を荒ら(解放!)し始めたからです!

朝鮮のほんの一部の「怠け者根性が抜けなかった支配者(貴族)階級」だけが、「反日テロ活動」を画策しましたが、"大東亜共栄圏"の一般市民は大日本国帝国の、政策を喜んで受け入れていました!

樺太鉄道の現状

現在樺太開発は、「本土のハバロフスク地方よりも重要な極東エリア?"」として、開発されています。

宗谷海峡側の港Корсаков(コルサコフ)港から、北端の間宮海峡に近いОха(オハ)迄シベリアでも少ない"立派な舗装路"が整備されて、沿道には数多くの"鉱山"が開発されています。

更に、大日本帝国軍が戦前に敷設したEmpire of Japan Standard gauge(1067㎜)のNarrow gaugeでは、"重量貨物"には対応しきれない点もあります。

なので、現在樺太鉄道の北端となっているКорсаков(コルサコフ)⇔Ноглики(ノグリキ)間のCCCP標準軌(1520mm)への"改軌"工事が行われていたわけです。

2003年に、サハリン島の幹線をネットワーク全体の標準軌1520 mmに再構築するプロジェクトが開始され、1905年から1945年に人工構造物が置き換えられました。建物; 2019年までに、サハリン本線のメインコースの806 km全体に沿って広い線路が敷設され、70の橋が建設されました。《ロシア語版Википедия Сахалинский регион Дальневосточной железной дороги より引用》

嘗てあったbranch lineについて

嘗て、旧ソ連時代にはНоглики(ノグリキ)⇔Оха(オハ)間にもbranch line(支線)が敷設されていました、このbranch lineを使ってCCCP軍が樺太に侵攻したのでしょう。

支線が建設された経緯と、abandoned railroad (廃線)になった経緯

この区間約184㎞!は、旧ソ連時代に、樺太鉄道を延伸した区間ですが...

ロシア語版Википедияでは都合が悪いので一切触れていません。なので真実はわかりませんが(※01)...多分本土側のRussian Narrow gauge(750mm)のforest railway(森林鉄道・軽便鉄道)と同じ"仮線"が敷設されたのでしょう。

1972年3月!まであった北海道の有名な浜中町営軌道や、名神高速道路(1963年着工1965年完成)が出来た1960年代中期でもまだ新規路線が建設されていた殖民軌道同様に、「建設当時はお手軽なロジスティクス」だったわけです!

しかし、その後フルトレーラーなどの大型トラックが開発されて、保線に"膨大な経費が掛かる"鉱山⇔積出港間のmining railwayは必要なくなったわけです。

参※01)拉致されて、「行方不明」になる可能性はありますが、真実を知りたい"勇気のある方"は...

外務省(大使館)を通じてМоскваにあるАрхив(公文書館)を訪れてみてください。(∀`*ゞ)エヘヘ

樺太鉄道は嘗て大日本国帝国陸軍が3 ft 6 in (1067㎜)の Empire of Japan Standard gauge(大日本帝国標準機)で敷設した延長700㎞の鉄道路線ですが、

現在新ロシア帝国が1520㎜のSoviet Union gaugeに改軌完了しました!旧豊原からロシアンディーゼル機関車による客車列車が運行されています。

 

公開:2021年10月22日
更新:2024年3月21日

投稿者:デジタヌ

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