狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載《 鉄道発祥の地・英国で生まれた国際標準軌 (4 ft 8 in) !と各国標準軌の歴史...》ー第10回ー

第10回 「Stephenson gauge & Broad gauge 」共に屈曲区間が多い mining railway には向かない!

屈曲区間が多いmining railway、forest railwayでは内輪差が大きなるStephenson gauge やより大きなRussian gaugeは不利となります!

第1項 例えばRussian gauge (1520mm)では

現在ロシアで標準的な電気機関車2ES4K は嘗てのEF66のような6軸(3bogie)ではなく、EH500金太郎のように4軸(2bogie)のES4Kx2unit /compositionなので、もとより(低速であれば)曲線部に対する通過能力は高いのですが、例えば現在主力の2ES4K電気機関車の通過できる本線最小曲線は125mRと公表されています。(つまりこの機関車が相応している本線区間の最小曲線は125mRと言う事です)

  • ●動輪径  1250 mm
  • ●軸重 24 t
  • ●全長 35m(2ES4K、)

日本のJRの場合の最小曲線半径は

鉄道導入当初は曲線の最小半径は最小160mとし一般的には 300mも限度が目安...明治33年の建設規程では本線の最小曲線半径は200m、分岐附帯では本線路が120m、その他が60m...

昭和4年の線路等級制定以前は本線は一律半径300m以上...同じ狭軌だったノルウェーと南アフリカの最小半径が150mと100m...、日本の場合はこれはのちに制定された線路等級で認められた一番程度が低い簡易線(本線半径160m以上)以下になる...《Wikipediaより引用》

実際に計算してみると

USAで広く用いられていたmining railway(鉱山鉄道) standard gaugeが3 ft (914mm)ですので、90度の直角カーブでは

Транссибирская магистральの山岳区間の最小半径が125mRとすると

カーブを通過する際には内側の線路と外側の線路で距離の差が生じます。

Транссибирская магистраль(シベリア横断鉄道)建設当時の一般的なSLの動輪径が4ft(≒1219mm)から4ft6in(≒1371mm)だったので、(前途したように現在でも主力電気機関車ES4Kの動輪径は 1250 mmです)

内側のレールが125Rの1/4(直角)コーナーを曲がる際、緩和曲線区間を考慮に入れないとすると...

基本となる内輪の軌跡は785.4m つまり205.9回転

外側の軌跡は夫々以下の通りなので、同じ回転(捩じれ無し)を実現するには

  • Russian gauge(1520mm)では約795m 外側の動輪径3.86m
  • Stephenson gauge(1435mm)では約794.4m  外側の動輪径3.14m
  • Empire of Japanease Standard gauge(1067mm)では約792.1m  外側の動輪径1.224m
  • USA mining railway standard  3 ft (914mm)では約791.14m  外側の動輪径1.223m
  • Russian mining railway standard (750,mm)では約1,19m 動輪径 4ftは適用不可!

動輪の inclination は

一般的には鉄道車両では、動輪の踏面形状のinclination(傾斜角)は1/20分の傾斜のtaper付とされています。

つまり、通常位置より10㎜偏ったとして2~4㎜程度の直系差が生じる訳です。

なので、Japanease Standard gaugeとUSA mining railway standardはOKとなりますが標準軌と広軌は踏面形状だけでは吸収しきれなくなり、線路と、動輪のフランジ部分にかなりの負担がかかるわけです。

つまり動輪径が同じならば、軌間が狭いほうが、カーブ通過は楽になるわけです!

つまりrail &Train wheel の摩耗、axleの耐久性にも響いてくるわけです。

嘗て、ロシアが、USAのSLをまねて5軸機関車を制作して、レール(※41)に損傷を与えたことは(Youtube動画などで揶揄されて)有名なお話ですが、中国も(嘗ての)東ドイツも長年多軸動輪のSLを問題なく運行していました。

参※41)旧ソ連では第2次大戦が終わった当時は幹線でさえ最早軽便鉄道でも使用されていない、鉱山の鉱内軌道で用いるようなR-43レール(43lb/ yd)、つまり21kg/ mと言うとんでもない低グレードの軽レールが(帝政ロシア時代から綿々と)使われ続けてきて、これでは5軸機関車が走れば、「軌道が破壊」されるのは当然だったわけです。

1948年になって、鉄道大臣になったボリス・ベシェフ(Бещев, Борис Павлович)という人物が、鉄道の近代化?を推進して、branch lineが鉄筋コンクリート枕木とR-65(65lb/ yd;32kg/m)、main lineがR-75レール(75lb/ yd:37kgレール)で整備されだして、やっと当時のヨーロッパの水準axle load 20tonに対応できるようになったわけです!

当時近代化に採用されたTE3形ディーゼル機関車は3axle bogieX2を用いた車両重量 126 tのDLで、

つまり6軸で平均axle loadは21ton、公称値は23tonでした!

つまり次項に示すように37kgレールでは相当厳しい値でした。

第2項 Gölsdorf axleとflange-less Train wheel による5軸機関車

重量級のレールが実用化するまでの鉄道では長らく75 lb/ydレール、つまり37kgレールがStandard rail として用いられ、axle load(軸重)は、通常20tonに制限されることが通常でした。

そこで100屯を超える重量級の高出力機関車を制作するための多軸化手法として、Gölsdorf axle(ゲルスドルフ車軸)機構機関車(ボイラー)メーカーのHenschel社で開発されました。 

一方、機構の簡単なflange-less Train wheel を用いたwheel set(輪軸)との組み合わせで多くの多軸機関車が開発されて。実用化されていたわけです。

第3項 一方鉱山鉄道ではマレー式が

一方鉱山鉄道ではマレー式による多軸化が行われたわけです。

山岳区間(屈曲区間)の多いUnion Pacific Railroadの1869年開通のFirst Transcontinental Railroad 区間に当たるPromontory Summit越えでも、急勾配と屈曲が多かったためにマレー式機関車の多軸機関車Big Boyが採用されたわけです。

急カーブと急勾配の連続したこの区間では"軸重を据え置いて"牽引力(動輪数)を増やそうとすると4軸以上となり、中間動輪をflange-less Train wheelとしてもカーブ通過でレールに過度の負担がかかります!

★第2次大戦とBig Boyの登場

地図中の赤い汽車マークのグリーンリバーからオグデンを経て、西端のMontello にあった機関庫までが主な守備範囲でした。

この間にあるワサッチ山系がいかに難所であったのかがうかがい知れます。

出来るだけユーインタ=ワサッチ=キャッシュ国有林近辺の高い峰々は避けてるために選択された迂回ルートですが、川筋(ブルーライン)が示すように、氷河の跡に形成された深い渓谷がつまり"シワ"が多く、しわ(渓流)を辿るようにルートが設定されていますが、カーブの連続だったことがわかります。

特にエコー川の流れるエコーキャニオンでは、エコー川沿いに最初にPioneer(開拓者)が分け入ったwagon Trail (荷馬車轍)沿いに建設されたUP roadと、wagon TrailをほぼtraceしたLincoln Highway(※42)

と、戦後建設されたDwight David Eisenhower National System of Interstate and Defense Highways(一部一般道Lincoln Highwayと共用区間有り)が狭い渓谷に寄り添って建設されています。

この区間の東向き(シャイアン方面)が急勾配区間で、最大11.4‰となっています。

Big Boy登場以前は補機を連結した重連でこの区間を運行していましたが...

1939年に第二次世界大戦がはじまりヨーロッパ戦線に出兵して緊張が高まり、1941年(昭和16年)12月に大東亜戦線(太平洋戦争)も始まり、物資輸送が増大する反面、鉄道員の出征(徴兵)で乗務員不足ともなり、開発が終了したBig Boyが投入されたわけです!

登場時の1941年 から引退した1959までの活躍時は、USAでも前途した75lb/yd,つまり37kgレールであり、現在のUSA幹線レール60kgレール(一部80kgレール!)に比べるとかなり非力で、しかも枕木&犬釘の時代ですから、直線部の多い、ペンシルバニア鉄道などのinter-city roadとは異なり、多軸化は困難だったわけです。

それでもこの区間の最大許容軸重は30,800 kg(※43)でヨーロッパの一般的な20,000㎏に比べると1.5倍を許容していました。多分山岳区間は当時製鉄所などでのみ使用されていた当時(圧延)可能な最大サイズの50㎏レールを敷設していたのかもしれません。(※44)

勿論Big Boyの軸重も、この値以下になるように設計されています。

♥カーブ通過シーン

参※42)Lincoln Highwayと言っても"高速道路の意味ではなく!"、"幹線道路"と言う意味合いで、更に国道でも無く、"未舗装のdirt road(州道やPrivate road;Driveway)"を Lincoln Highway Association (リンカーン・ハイウェイ協会)と言う「有志で結成された」非営利団体が、route(経路)を認定したCorseにすぎず、1本の連続した道路ではありませんでした。

参※43)但しアメリカ合衆国(アメリカ鉄道技術協会)基準ではAxle load limitationは22.5 t とされています。

つまり、鉄道各社のmain line(幹線)以外のregional line(地方交通線)やcolliery railway(炭鉱鉄道)などのbranch line(支線)、企業所有のspur track(引き込み線)などはこの基準が適用(maintenance)されている可能性があり、車両限界(建築限界)も含めて、USA全土で重量物輸送が可能なわけではありません。更に International Union of Railwaysの技術基準でも国際貨物車両のaxle loadは22.5 t以下とされています!

参※44)現在国際規格では80kgレール迄ありますが、実際に圧延出来る技術は"日本にしかなく!"この超ド級のレールは日本が市場独占しています!

そして、このレールを製鉄所以外の一般鉄道で使用しているのはDouble-stack rail transportを行っているUSAだけで、後は前途した製鉄所のTorpedo Carなどの超重量物を扱うindustry track(企業構内独立路線)のみです。

 

公開:2011年11月16日
更新:2024年3月21日

投稿者:デジタヌ

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