狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載《 トラム・路面電車が走る LRT が Interurban として見直された背景とは...》ー第7回ー

第7回 今も大活躍しているLRT(鉄道線)⇔併用軌道直通運行の例

第1項 鉄道線⇔併用軌道直通方式

鉄オタYoutuberは曖昧にしか表現しませんが、以下の例はれっきとした"鉄道路線"と"市内併用軌道"線の相互直通であり、次項に掲げるライトレール(軽便軌道網)とは別の存在です!

第1目 福井鉄道&えちぜん鉄道

第2目 広電宮島線

第3目 京阪石山線本線

※この線は現在日本で唯一路面を走る直流1500v電化区間です!おまけに京都中心部では"京都地下鉄"に片方乗り入れしています!

第4目 京福電鉄嵐山線

第5目 富山ライトレール 嘗てのJR富山港線(旧富山地方鉄道線)がLRTとしてよみがえった例。

第6目 万葉線(富山県)

加越鉄道(現万葉線)は嘗ては1951年の高岡軌道線の開通で、1933年以来開通の越中鉄道(旧富山地鉄射水線)新湊ー富山北口と相互乗り入れで富山迄繋がっていた!

越中鉄道(旧富山地鉄射水線)の概略

1959年(昭和34年)4月1日 - 地鉄高岡 - 新湊間、米島口 - 伏木港間を加越能鉄道に譲渡し、西町 - 新富山 - 地鉄高岡間でおいて直通運転を開始!

1961年から始まった富山新港の建設工事に伴う富山新港港口「放生津潟」の港口拡幅工事で1966年(昭和41年)4月5日 に分断され地鉄射水線は新富山駅 - 新港東口駅間の14.4kmとなる。

1967年11月 - 富山新港港口「放生津潟」の港口拡幅工事が開始され、富山県営渡船の連絡となる。

1971年11月16日 - 地鉄射水線の廃止許可申請が行われる。

1980年(昭和55年)3月31日 - 射水線(新港東口駅ー新富山駅間14.4km全線廃止となる。

ここに富山ー高岡間の第2のアクセス路線がなくなった!

※この間1977年(昭和52年)8月31日 から 一部の電車が富山市内軌道線への乗り入れが再開さ新港東口ー富山駅前間で直通運転が再開されていた!

1980年射水線の一部区間がバス専用道路(私道)に転換され「日本版BRT」が走り出すが2012年3月31日限りで廃止され、一般道を走る路線バスに道を譲った!(※5)

※参5、当サイト内関連記事 日本型 BRT バス・レール・トランスフォーメーション?の問題点!とライトレール 擬き?都市型 BRT の違いと可能性 はこちら。

第7目 伊予鉄道(1887年創業)

伊予鉄と言えば現在「レプリカ坊ちゃん列車」が有名だが、民営鉄道としては日本で2番目の歴史(※10)を持つ老舗企業で鉄道線(環状線区間)にチンチン電車が走行していることでも有名である。

1888年(明治21年)10月28日: 伊予鉄道・松山(後の外側、再び松山、現在の松山市)⇔三津間で鉄道開業。四国初の鉄道として営業開始。

1895年(明治28年)8月22日 - 道後鉄道 一番町 ⇔道後、道後⇔ 三津口開業道後鉄道「坊ちゃん列車」が軌間762㎜!の軽便鉄道として開業。

1900年(明治33年)5月1日 - 伊予鉄道が買収し道後線となる。

1911年(明治44年)8月8日: 旧・道後鉄道・道後線 古町 ⇔道後間を1,067mm軌間に改軌、電化。

同年(明治44年)9月1日 松山電気軌道 住吉 - 本町、札ノ辻 - 道後(現在の道後温泉)間を軌間1,435mm(標準軌)で開業。

1921年(大正10年)4月1日: 松山電気軌道を合併。

1923年(大正12年)6月30日: 旧松山電気軌道線を標準軌(軌間1,435mm)から軌間1,067mmの狭軌に改軌。

※参10)日本最古の現存する私鉄は 1884年創業の初代阪堺鉄道(現南海電鉄)

第2項 市街地に長い"専用軌道"区間を持つLRTトラム路線

このタイプの軌道法に下づく、現存する軌道線の代表格は、都電荒川線、東急世田谷線、そして大阪の阪堺電気軌道があげられるでしょう。

第1目 阪堺電気軌道

路線延長18.5㎞ 標準軌1435㎜全線複線 全線直流600v電化

1900年(明治33年)9月20日  天王寺南詰(現在の天王寺駅前交差点付近) ⇔八弘社(現在の阿倍野) ⇔ 阿倍野(現在の東天下茶屋)間1.05マイル(1.7 km)を馬車鉄道として大阪馬車鉄道が開業。

1907年3月29日 社名をに変更し、資本金を50万円に増額。浅野総一郎や前島密が株主となり、浅野総一郎がその筆頭株主となる。
10月29日 大阪電車鉄道株式会社浪速電車軌道株式会社改称

1908年1月31日 天王寺 - 下住吉間の馬車鉄道による旅客営業を廃止。軌間1067mmから1435mmへの改軌および電化・複線化工事に着手。

1909年(明治42年)12月24日 浪速電気軌道株式会社が南海鉄道株式会社と合併。

1910年上町連絡線 天王寺 - 住吉神社前(現在の住吉)間の改軌および電化・複線化工事が完成。

1911年12月1日 初代・阪堺電気軌道 恵美須町⇔市之町(現在の大小路)間開業。

1912年3月5日 初代・阪堺電気軌道市之町⇔ 少林寺橋(現在の御陵前)間延伸開業。4月1日 少林寺橋 - 浜寺(現在の浜寺駅前)間延伸開業。大浜支線 宿院 ⇔ 大浜水族館前間開業、8月26日 大浜支線 大浜水族館前 - 大浜海岸間延伸開業、11月30日 浜寺 - 浜寺終点間0.2km延伸開業。

1914年4月26日 初代・阪堺電気軌道 平野支線 今池 ⇔ 平野間5.9km開業。

1915年6月21日  南海鉄道株式会社 阪堺電気軌道を合併。恵美須町 ⇔浜寺終点間が南海鉄道・阪堺線、平野支線 今池 -⇔平野間は平野線、大浜支線 宿院 ⇔大浜海岸間は大浜支線となる。

1917年3月15日 阪堺線 浜寺 - 浜寺終点間0.2km廃止。

1929年9月21日 )上町線と平野線とを阿倍野斎場前交差点(現在の阿倍野交差点)に渡り線を設置し直通運転を開始。

1955年6月 住吉交差点の改良工事(渡り線)が竣工。7月16日 住吉経由 上町線 天王寺駅前 - 阪堺線 浜寺駅前間の直通運転を開始。

1957年10月29日 堺市 の拡幅整備で阪堺線 綾ノ町 - 御陵前間2.5kmを道路中央へ移設。

※堺の先見性!を示す先人の大手柄『大道筋』整備事業!

1980年11月28日 大阪市営地下鉄谷町線の延伸に伴い平野線廃止。

1980年7月7日2代目 阪堺電気軌道株式会社設立。
12月1日 南海電気鉄道株式会社が上町線と阪堺線の軌道事業を阪堺電気軌道株式会社に営業譲渡。

2009年7月4日 36年ぶりに上町線 天王寺駅前 ⇔阪堺線 浜寺駅前間直通運転再開。阪堺線の恵美須町発着系統は昼間・恵美須町 ⇔我孫子道間の運行に短縮、朝・夕ラッシュ時のみ恵美須町 - 浜寺駅前間を運行。

2011年1月15日 旅客運賃を1回乗車、乗り換え・両市直通とも堺市の補助により200円に改定!

2013年2月2日 阪堺線恵美須町 - 浜寺駅前間直通を廃止。8月25日 1001形「堺トラム」の運行を堺市内区間にて開始。

2016年1月31日上町線 住吉 - 住吉公園間廃止。12月3日 上町線 天王寺駅前 ⇔阿倍野間の阿倍野筋拡幅により軌道を道路中央へ移設緑化しこの区間の渋滞を解消!

 

公開:2008年7月 5日
更新:2024年3月29日

投稿者:デジタヌ

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