連載『 大廻り迂回路・廃線の歴史は "軍部"と" 政治ゴロ! "によって画策された!...』ー第9回ー
第9回 北陸本線の歩んだ鉄路とは
※以下開通年度順
第1項 北陸線敦賀⇔今庄間旧線 1896年開通
旧線 敦賀⇔杉津→今庄間 26.4km
- ●開通 1896年(明治29年7月15日)
- ●廃線!使用年数 90年!
北陸トンネル新線 敦賀⇔今庄間 19.3㎞
距離的には7.1kmの短縮にとどまっているが、単線非電化急勾配路線区間が、複線電化超大トンネルかされて1時間以上の時間短縮となった!
- ●開通 1962年(昭和37年)6月10日:北陸トンネル開通
- ●短縮距離 7.1㎞
概暦
1896年(明治29年)7月15日:北陸線 敦賀駅⇔福井駅間(38M40C≒61.96 km)が開業
1962年(昭和37年)6月2日:新線切り替えに先立ち、敦賀駅 ⇔今庄駅間の旧線区間廃線式を挙行。
同年6月9日:早朝上り216列車と下り225列車をもって、下り線線路付け替えのため敦賀駅 - 杉津駅 - 今庄駅間 (26.4 km) が廃止。以降終日新線を暫定使用。
同年6月10日:北陸トンネル正式開通。敦賀駅・福井駅にて祝賀式典が執り行われる。敦賀駅 ⇔今庄駅間が複線交流電化新線 (19.3 km) 開業。
第2項 1882年3月開業 京都⇔敦賀間 東海道・北陸ルート113.6km
第1目 1882年開業 米原⇔敦賀間
柳ケ瀬線(木ノ本⇔敦賀間26.1km)
- ●最急勾配25‰
- ●開業1882年3月開業
- ●1957年(昭和32年)10月1日 新線開通により柳ヶ瀬線として分離。
- ●本線供用期間 75年
- ●1964年5月 全線廃線!
現在の電車特急ならば何ら問題の無い!最急勾配25‰ですが...
●第1目 こう配・勾配に関して
鉄道に関する技術上の基準を定める省令では現在具体的な「こう配」数値規定は明記されていません!が...
鉄道に関する技術上の基準を定める省令等の解釈 ... /国土交通省 では
- ●旅客線区では 35‰以下。
- ●貨物線区 では25‰以下!
- ●新幹線では (貨物線同様に)25‰以下
とされています!
つまり在来線旅客線区では35‰以上は特認条項に当るわけです。
なので現状大阪市内・東京都区内のJR新線
- ●2015年3月14日に開通上野東京ライン(東京⇔上野間) 最急・こう配 34‰
- ●1995年7月開業中央線東京駅(東京駅⇔神田)最急・こう配 34‰
- ●1996年3月22日開業:大和路線・JR難波駅(地下ホーム)最大"こう配" 35‰
で建設されています。
下り坂が問題!
少々馬力不足?でも、登坂はできますが...
下り坂では、暴走!防止のために、抑速ブレーキ(発電ブレーキ)や、、リターダー、電磁吸着摩擦(レール)ブレーキ!、神鉄車両の様に緊急モーター短絡回路!などの"特殊装備"が必要となってきます!
なので全国パーミル会加盟の鉄道ではこれらの特殊装備を施した車両を運用しています。
第2目 整備新幹線技術基準で敷設すれば 在来線貨物列車も♥全く問題無し!
旧鉄建公団から引き継いだJRTTの整備新幹線技術基準では"勾配"は15‰以下!とされており、
この勾配で敷設すれば貨物列車走行も全く問題ありません!
※"勾配"と"こう配"について
在来線を想定した鉄道に関する技術上の基準を定める省令では"こう配"と表記され。
整備新幹線技術基準(JRTT・旧鉄建公団)では"勾配"と記されています!
つまり何方も間違いではありません!
ちなみに、道路構造令では、勾配と記されています!
最新型DLなら15‰はヘッチャラ!
更に、戦前戦後の旧国鉄時代のSL貨物輸送!華やかなりしころには、10‰以下の勾配緩和バイパス線が各幹線に設けられましたが、
現在の電気機関車(&高性能DL)を使用すれば15‰以下ではまったく問題ありません!
事実12‰!で建設されている青函トンネルでも、貨物列車も勾配に関する問題は生じていません!
※青函トンネル用 EH800型交流25Kv機関車
※参)国鉄SL貨物時代の貨物列車用勾配♥緩和線!の例
- ●1931年9月1日 上越線 水上駅⇔ 越後湯沢駅間延伸開業(現上り線:清水トンネル)水上駅 ⇔石打駅間にループ線設置
- ●1944年10月11日開業 東海道本線 大垣→関ケ原間 埀井新線 10‰
- ●1963年9月北陸本線上り敦賀→新疋田間の鳩原ループ線(11‰)
- ●現在貨物営業路線最急こう配22,6‰!のある山陽本線上り広島県内の八本松駅 →瀬野駅間(通称瀬野八越え)ではコンテナ貨物列車を後押しEL補助機で克服しています。
- ●現在もっとも有名な貨物列車急勾配区間は松本⇔長野を結ぶ篠ノ井線の稲荷山駅→冠着トンネル間の松本方面上り線は25‰の上り勾配がずっと続き、1988年に開通した明科駅→西条駅間の長野方面下り線が最大勾配23‰となっていますが、
♥高出力ELが頑張ってコンテナ列車を牽引して何とか克服しており、貨物フェチのテッチャン達のメッカとなっています。
整備新幹線の例外区間高崎⇔軽井沢間
特殊な例としては、北陸新幹線 高崎⇔軽井沢間は最急勾配30‰!で建設されていますが...
これは軽井沢が"高地"にある為で、高崎との高低差で仕方無かった?為です...
なので、将来的にもこの区間での logistics (兵站)運用は困難!です。
新線(木ノ本⇔敦賀間23.5km)
距離短縮は2.6㎞ですが、勾配緩和(10‰)により当時のSL急行が大幅に時間短縮!しました。
- ●開通 1957年(昭和32年)10月1日
- ●最急勾配上り線のみ10‰(下り線は25‰)
※北陸新幹線用車両ならば想定最大勾配25‰以下!の♥米原ルートでも問題は生じません!
お解り?!鉄坊主殿
★第2項 湖西線の誕生
1957年開通 山科⇔近江塩津間 93.6㎞
湖西線(山科⇔近江塩津間)74.1km
山科⇔米原⇔近江塩津間 93.6㎞を 19.5km短縮して京都⇔敦賀間を大幅に時間短縮。
- ●開通 1974年7月
- ●20XX年廃線予定?!※11(北陸新幹線小浜ルート完成のとばっちりで!)
参※11)当サイト関連記事 湖西線 サンダーバード が国際救助隊に帰還してしまう日 続編はこちら。
第3項 北陸線は名古屋方面と先に繋がっていた!
1883年(明治16年)5月1日:東海道線、関ヶ原駅 ⇔長浜駅間の直通ルートが完成(14M32C65L≒23.19 km)が開業。関ヶ原駅・春照駅が開業。長浜駅で官設鉄道金ヶ崎駅方面に接続。
※前年5月1日に開業した太湖汽船の長浜駅 - 大津駅間琵琶湖上航路を鉄道連絡船に利用して 新橋ー神戸間全線開業
1884年(明治17年)4月16日:柳ヶ瀬トンネル開通に伴い、柳ヶ瀬 - 洞道西口間(2M29C54L≒3.81 km)が延伸開業。長浜駅⇔・敦賀駅・金ヶ崎駅(後の敦賀港駅)全線開業。
同年1884年(明治17年)5月25日:大垣駅 ⇔関ヶ原駅間(8M35C32L≒13.59 km)現路線が延伸開業。
1889年(明治22年)7月1日 関ケ原駅⇔分岐点間は4M45C≒7.34 km)が延伸開業し、新橋駅 ⇔神戸駅間が全線開通
デジタヌの思い出 6
1978年当時、北陸のセールスを担当していたので、
大阪⇔福井⇔金沢⇔高岡⇔富山間はしょっちゅう特急雷鳥で行き来していました。
当時の雷鳥には食堂車がついており、帰路は殆ど食堂車で"晩酌"を楽しみながら過ごした!ものです!
ついでに言うと当時はのんびりしていて、食堂車で知り合った姫路の某食品会社の会長さんに誘われて、今庄⇔敦賀間のグリーン車に不正便乗!させていただいたこともありました...
(すでにもう時効ですが)JNRさんごめんなさい!
当時グリーン車はガラガラで、車掌さんも態々検札などに回ってこない時代でした?
(更に、このお方は超有名人!でJNR雷鳥の上(常)客だったみたいで...車掌さん共顔見知り!
のようで、恥をかかすようなことは控えた?のかもしれま線)
公開:2020年9月16日
更新:2024年3月14日
投稿者:デジタヌ
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