連載『 大廻り迂回路・廃線の歴史は "軍部"と" 政治ゴロ! "によって画策された!...』ー第7回ー
岩徳線(山陽本線旧線)
短縮距離21.7km 約2/3に距離短縮!
- ●岩国→ 櫛ケ浜駅 43.7㎞
- ●開通1934年
- ●新線幹線使用期間 10年
旧山陽本線(柳井線)
- ●岩国→ 櫛ケ浜駅 65.4km(幹線使用区間)
- ●1897年(明治30年)9月25日
- ●幹線使用期間 37年
1934年(柳井線)となり幹線から離れる
1944年に複線化完成で山陽本線に再編入
山陽本線の略歴
1897年(明治30年)9月25日:広島駅 - 徳山駅間 (68M41C≒110.26 km)が延伸開業
1901年(明治34年)5月27日:厚狭駅 - 馬関駅間 (21M60C≒35.00 km)が延伸開業し、神戸駅 - 馬関駅(現在の下関駅)間が全通。
岩徳線の本線使用は10年間に終わった
距離短縮というより本路線も軍部からの横やりで、内陸部に移された路線だったが、戦時中の物資の無い時期にこの区間の複線化が行われて、超大トンネルを避けて柳井線を複線化して再度本線として使用された。
距離は2/3に短縮されたが蒸気機関車の当時では急勾配区間が多くトンネル区間も多かったので幹線からは外されたことになっているが、当時貨物輸送主体だった山陽線としては明治の開通当初から通過していた柳井、光、下松の各都市をショートカットしたのが致命傷?であったのだろう。
現在の山陽新幹線はこの岩徳線とほぼ同じ経路を走って距離を短縮している!
※岩国⇔徳山間の運賃は岩徳線経由距離となっている。(つまりどちらの路線を経由しても同一料金、但し時間は大廻の柳井回りが早くなっている!)
公開:2020年9月16日
更新:2024年3月14日
投稿者:デジタヌ
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