連載『 大廻り迂回路・廃線の歴史は "軍部"と" 政治ゴロ! "によって画策された!...』ー第4回ー
第1項 肥前山口⇔諫早間
当初は佐世保線・大村線周りが長崎本線として使用されていた!
早岐回り(佐世保線・大村線ルート)87.5㎞
- ●開通 1898年(明治31年)11月27日
- ●本線時代 36年間
大村線ルートが九州鉄道の元祖・長崎線として敷設されたのは...
勿論佐世保・長崎の2大海軍の要衝を結ぶ目的もありましたが...
最大の要因は、
軍部が『有明線ルートでは、有事の際に湾内に侵入した敵の艦隊から砲撃(※44)を受ける可能性があり、国防上問題がある!』
という強い反対!で、有明線ルートは見送られた!のです。
参※44)当時は、航空機による爆撃は想定されていません!でした。
1895年(明治28年)5月5日 佐賀⇔山口⇔武雄 間九州鉄道・佐賀線として延伸開業!
1897年7月10日 武雄⇔早岐 間延伸開業
同年7月22日 長与⇔初代長崎(現浦上)間開業
1898年1月20日 早岐⇔大村間 九州鉄道長崎線として延伸開業。
同年11月27日 大村 ⇔諫早 ⇔ 長与間延伸開業で鳥栖⇔初代長崎(浦上)間全通!
1905年4月5日 浦上 ⇔長崎(2代目) 間延伸開業 初代長崎駅を→浦上に改称
1907年7月1日 九州鉄道が国有化されて官設鉄道となる
1909年10月12日 国有鉄道線路名称制定により 鳥栖 ⇔早岐⇔長崎間が長崎本線となる。
1934年(昭和9年)12月1日:多良駅 ⇔湯江駅 間延伸開業して新・長崎本線として全通。
同日 早岐駅⇔諫早駅間が大村線、山口⇔早岐(佐世保)間が佐世保線として分離独立!
なのでつい最近(20世紀後半)まで、夜行列車、寝台急行などは佐世保回りと有明線回りがあったのです。
現行(旧有明線)ルート(肥前鹿島経由)60.8km
- ●全通 1934年
- ●短縮距離 26.7km 約2/3の距離に短縮!
1930年(昭和5年)3月9日 有明線として 肥前山口 ⇔ 肥前竜王 間開業
1934年3月24日 諫早 ⇔湯江間 有明西線として開業(肥前山口 ⇔ 肥前竜王 間を有明東線に改称)
1934年4月16日 肥前浜 ⇔ 多良間 有明東線 延伸開業
同年12月1日 有明線全線を長崎本線に編入!
つまり長崎本線の座を佐世保線・大村線から奪い取った!のです。
第2項 長崎本線新線区間 喜々津⇔浦上間
長与支線 23.5km
- ●開通 1898年(明治31年)11月27日
- ●本線時代 74年間
新線(市布経由)16.8km
直線化により速達列車の大幅時間短縮!
- ●開通 1972年(昭和47年)10月2日
- ●短縮距離 6.7km 約5/7に短縮
デジタヌの思い出 3
小生も1967年に高校の修学旅行の時「佐世保線回りの」寝台急行で長崎を訪れたことがあります!
当然(市布経由)の新線などなかった時代でのんびりした時代でした。
帰りも別府からの寝台急行!でした! \(^_^ )( ^_^)/
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公開:2020年9月16日
更新:2024年3月14日
投稿者:デジタヌ
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