狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

九州北部"筑紫国・火国・豊国"での渡来・弥生人 vs 縄文人の壮絶な戦いの歴史 《連載第3回》

ここをクリックするとこの Content の Opening に戻れます!

第3回 大宰府が大宰府にあるのは?...

第1項 弥生人と稲作の伝来

稲作の伝来は、石器時代(縄文時代)後期に弥生人と共に西海道(九州)に渡来したといわれています。(※10)

そして、卑弥呼と呼ばれる女性シャーマンが、中華王朝・後漢の初代皇帝光武帝から傀儡政権!「那の倭国」をcharter(憲章・認可)され、その証として金印を印綬されて、中華王朝の冊封国(さくほうこく;主権を持たない属国!)となって、虎の威を借りて日本列島制覇」に乗り出したのです。

参※10)当サイト内関連記事 卑弥呼は歴代 representative の称号!「邪馬台国」は首長国!?の連合体!で"都"などは無く!探しても... はこちら。

第2項 縄文海進と福岡市街地

弥生時代初期(奈良飛鳥時代)までは、縄文海進といって海面が今よりずっと高い位置にあり!

奈良時代の初めでも約20mも高い位置にありました!

弥生人が稲作を伝来させた、紀元前にはもっと高い位置に海面が、平地部がほとんどないので。

現在の"山麓"に当たるゾーンで、農耕(稲作)を始めたわけです。

つまり現在の福岡市内は、河内湖だった大阪平野同様にほとんどが海の底だったわけです。

第1目 福岡(博多)湾は小島が浮かぶ広大な入り江だった

弥生時代初期の博多湾は、現在の福岡市&粕屋郡を飲み込む「深く入り込んだ広大な湾」で、

"水城"辺りまで"入り江"があり、港になっていたわけです。

なので、弥生人の定住を示す、古墳(王墓)が少ないわけです。

余談として、福岡湾に流れ込む多々良川や、響き灘に流れ込ぬ遠賀川から離れたところ"三日月湖"(お魚マーク)がみられるのはこのためです。

つまり大古はの昔は多々良川」なの土河口部に当たり、当初は河内湖の様に汽水湖となり、堆積が進み蘆の生い茂る三角州・"湿地帯"となって、最後は三日月湖だけが取り残されたわけです。

第2目 稲作と弥生人のColony(入植地) 

天満宮は学問の神ではない!

天満宮は学問の神ではありません!

天満宮を菅原道真を祭る学問の神?に仕立て上げたのは、後年の神社庁の企みで...

天満宮・稲荷宮は五穀豊穣の鎮守

本来はお稲荷様同様井、五穀豊穣の鎮守だったわけです。

なので、稲作が盛んな(だった)と頃には必ずどちらかの鎮守が祭られています。

水天宮(天満神社)は治水の鎮守

更に、水天宮、天満神社、水神さんは治水の鎮守で、暴れ川で有名な筑後川の旧本流(現県境)沿いに多く点在しているわけです。

鎮守が多くある地帯は稲作地帯!の証

つまり、鎮守(が多く点在するRegion(地帯)は、稲作が盛んな穀倉地帯だったことを示しており、弥生人が最初にコColony(植民地・入植地)を築いたZone(地域)ともいえるわけです!

第3項 大宰府は難波宮と同じ高台?にあった

現在大宰府の標高は標高約38mですが、縄文海進が終わり、海面が下降しだした造営当時はまだ標高が20m程度だったわけです!

第1目 "水城"は入り江にある良港だった

難波宮の"難波津"同様に、大宰府にとっては水城が、宗主国!中国王朝との接点「天然の良港」となっていたわけです。

第2目 悪名高き大盗賊!藤原純友が大宰府を襲撃できたのは...

宇和島海賊の統領となった藤原純友が、941年5月上旬に大宰府を襲撃して、略奪行為を行えたのも、このためです。

つまり、まだ、博多は湿地帯が広がる河口の三角州地帯で、水城辺りまでは比較的大きな海賊船が乗り入れられる航路が存在していた!わけです。

なので、海賊船を率いた純友が大宰府を襲撃して"略奪"を行えたわけです。

第3目 長崎街道が筑豊本線(原田線)沿いにあるのも...

江戸時代・明治期を通じて重要交易路だった長崎街道・と筑豊本線(原田線)が、飯塚・桂川側を経由しているのも、筑豊炭田開発の為だけではありませ線(せん)!

飯塚辺りまで入り江になっていたので、当時の瀬戸内航路用の、小型船舶でも、飯塚辺りまで航行できたわけです!

つまり、特に冬場航行が制約される、玄界灘を航行して大宰府に至らなくても、飯塚の内航に安全に航海して、そこから、陸路(長崎街道)を辿ったほうが、リスクが少なかったわけです!

更には、上浦(西鉄小郡線)あたりまでは正しく「入り江」となっていて、穏やかな有明海を、航行して長崎に向った方が安全だったわけです!

続きはこちら

ここをクリックするとこの Content の Opening に戻れます!

 

公開:2023年2月21日
更新:2024年4月 5日

投稿者:デジタヌ

九州北部"筑紫国・火国・豊国"での渡来・弥生人 vs 縄文人の壮絶な戦いの歴史 《連載第2回》TOP九州北部"筑紫国・火国・豊国"での渡来・弥生人 vs 縄文人の壮絶な戦いの歴史 《連載第4回》


 

 



▲Historia,Geopolitics & logistics 研究室へ戻る

 

ページ先頭に戻る