狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載 Epic 『 九州北部"筑紫国・火国・豊国"での渡来・弥生人 vs 縄文人の壮絶な戦いの歴史 』ー第2回ー

ここをクリックするとこの Content の Opening に戻れます!

★プロローグ 筑紫島西海道3国(筑紫・肥・豊)

某有名鉄道傾タレントが"JR九州にとって都合の良い解釈"を披瀝しましたが...

筑紫島(九州)北部の西海道3国(筑紫・肥・豊)を細分化した筑紫国(筑前・筑後)(肥)(肥前・肥後)、(豊前・豊後)間では、険しい九州山地(阿蘇連山)にさえぎられて、「民の交流がなかった???」かの様に吹聴していますが、そんな事実科学的(考古学)的論拠はありません!

第1項 古代倭国連合成立の一方の立役者九州北部

弥生人による元祖「那の倭国JA?」の立役者・幹事? Community(地域共同体)の本拠地となった、筑後川流域の筑紫平野、阿蘇、豊予海峡・豊後水道、周防灘沿いの西海道3国(筑紫・肥・豊)ですが...

筑豊(遠賀川流域)は古代から栄えていた

文明開化後の炭鉱開発で名をはせた筑豊(遠賀川流域)ですが、筑豊の名が示す通り、古代から栄えていた要衝!だったわけです。

※南九州薩麻(薩摩)国は大宝2年(702年)に侵略決定!(律令構想!)されて、当初大和政権の筑紫島の侵略先 Region(※001)とはみなされていませんでした。

参※001)尚、文書(もんじょ)化されたのは、が刊行された後のことで、論拠となる木簡・竹簡は残って(発見されて)いません!

西暦の前に"伝"と記した項目は、日本史???とされている最古の日本昔話集『日本書紀720年刊行)に記された、伝説(寄稿時に捏造された虚構!で、科学的(考古学的)な論拠はありません!Fake!です。

つまり、伝720年以前の古代史は全て根拠のない Fake 御伽噺の可能性大です。

第1項 筑肥線の由来ともなった筑・肥とは...

共に、律令制でprefecture(令制国)としてして定められたDistrict(行政区)を示しますが...

第1目 全ては oral tradition言い伝え!)による虚構?!

oral tradition(口承伝説)を後の世に明文化した御伽噺集『日本書紀』(720年完成?)によれば、

646年の大化の改新により、中華王朝(618年 - 907年)の傀儡政権!大和王権による、日本制覇"構想図"(絵に描いた餅)!)として、(701年?)大宝律令で(侵略統治予定!国郡里制として決定されたと、伝承!されています!(※00)

当サイト関連記事 "邪馬台国"は部族の連合体!卑弥呼は歴代"総代"の称号!"都"など無かった! はこちら。

第2目 当時の傀儡政権が都合よくでっち上げたFake!?

♥考古学上は『中国で漢字が体系化されたのが3世紀末~4世紀ごろ』とされており、

『日本へ伝わったのは、遣隋使(600年→618年)が始まった7世紀以降定説となっています。

遣隋使と共に日本にもたらされた"紙"(紀元前140年~西暦87年頃に中国で発明)は、

それ以前には、輸入もされておらず!

それ以前の「文書は木簡・竹簡(ちっかん)」でした。

つまり、日本の古代史とされて『義務教育で暗記させられている(720年以前の)年号には論拠が無い!』のです。

肥国伝説

火国(ひのくに))、火国別(ひのくにわけ)肥国...は、筑紫島(九州)にあった国の一つ。火国の範囲については、肥前国(長崎県、佐賀県)と肥後国(熊本県)を合わせたものであるという説と、肥後国は阿蘇国のあとであり火国とは必ずしも関連がないとする説など諸説ある。《日本語ウィキペディアより引用

豊国伝説

豊国(とよのくに、とよくに)...は、古墳時代にあった律令制以前の国の一つ。旧国名を豊日別(とよひわけ)と言い、現在の福岡県東部および大分県全域に相当する九州の北東部地域に存在した。律令制の時代には豊前国と豊後国に分かれた(???)日本語ウィキペディアより引用

豊国伝説の起源となっているのも、日本最古の御伽噺集・叙事詩(712年編纂)古事記に記されていた口承伝説が元で、科学的(考古学的)な論拠はありません!

第2項 江戸時代まで人の往来・交易は自由で栄えた

『律令制で線引き(国割)された後も、重要な往還路として人の交流・物流は途絶えていませんでした!』(数々の発掘品の年代測定で証明されています!)

『江戸時代までは3国(筑紫・肥・豊)間でも「民の営み・暮らし向き」に欠かせない「Salt road」(塩の道)による交易・交流は盛んに行われていた』わけです。

久大本線、豊肥本線、旧筑豊本線(原田線)は古代から重要な Salt Road だった

つまり久大本線、豊肥本線、旧筑豊本線(原田線)などは、殖産(colliery (炭鉱))のためのexploitation railway(開拓鉄道)"殖産鉄道"では無く!「古代からの重要路」に沿って敷設された重要なtraffic(往還路)、 railroad(鉄道)だったわけです。

※南九州薩麻(薩摩)国は大宝2年(702年)に侵略決定!(律令構想!)されて、当初大和政権の筑紫島の侵略先 Regionとはみなされていませんでした。

尚、文書(もんじょ)化されたのは、日本昔話集『日本書紀』(720年完成?)が刊行された後のことで、論拠となる木簡・竹簡は残って(発見されて)いません!

続きはこちら

ここをクリックするとこの Content の Opening に戻れます!

 

公開:2023年2月21日
更新:2024年2月21日

投稿者:デジタヌ

連載 Epic 『 九州北部"筑紫国・火国・豊国"での渡来・弥生人 vs 縄文人の壮絶な戦いの歴史 』ー第1回ーTOP連載 Epic 『 九州北部"筑紫国・火国・豊国"での渡来・弥生人 vs 縄文人の壮絶な戦いの歴史 』ー第3回ー


 

 



▲Historia,Geopolitics & logistics 研究室へ戻る

 

ページ先頭に戻る