狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

Epic『 四国は大和王権"連合"成立当初から重要メンバーだった 』ー第6回ー

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★第4節 秀吉侵略後封建制度!で再び分割統治・支配に戻された"四国"

秀吉・家康と続く、制極時代平定後の封建制の時代には、全島に譜代大名を配置して決起を抑え込んだ四国では、おおむね各令制国の全郡域を任された主要藩主がterritoryとしていましたが...

"寺社領"を特認することで、「実質入り組み支配(※30)」を行い、「地域勢力の団結を阻止!」していました。

更に、明治維新後は単に奈良時代(律令制)を懐かしむ、公家共(搾取階級!)が理想?とする、1000年前!の「絵に描いた餅」同様の国割り!に戻されて、いいように!され続けて今に至るわけです。

参※30)入り組み支配とは、旧反体制勢力(豊臣家臣団)の地領を国替えや廃藩で召し上げて、村単位!迄細かく細分化して。

徳川家の旗本や譜代大名に所領として分け与え!、Region(一帯)の団結(反乱!)を防止するための政策!です。

第1項 宇和島藩と大須藩

伊予国の宇和島藩・大須藩などは、大幸秀吉の四国平定?(征服)で四国(讃岐・伊予・阿波・土佐・)に分断されて、その後「家康の江戸幕府成立」後に地域(生活圏)分断!のために設けられた藩です。

第1目 宇和島藩は

1331年の、鎌倉時代末期に幕府が任命したGovernor(守護)として国入りした伊予宇都宮氏の宇都宮豊房により開城したといわれています。

豊房は子に恵まれず筑後宇の宇都宮宗泰を養子に迎えて、長曾我部などと同じ地元豪族(国人)として二百数十年間にわたって南伊予を中心に支配し続けました。

永禄の末期に毛利氏の伊予出兵によって毛利(安芸)のterritoryとなりますが、

1572年に家臣の大野直之の裏切りによって長宗我部元親の territory に組み入れられたことになっていますが...

国人(地元出身者)だった大野直之が領民の窮状を察して、長宗我部元親に助けを求めたのではないでしょうか?

第2目 大洲藩は

更に天正13年(1585年)には豊臣秀吉の四国侵攻!に出兵して城攻めを行った小早川隆景が伊予国を任されて、大洲城は Agent (城代)がいる単なる出城となりました。

その後は戸田勝隆が城主となり、文禄4年(1595年)に藤堂高虎が入城して近世の城郭として整備されました。江戸時代にいると景虎は国替えとなり慶長14年(1609年)には淡路の洲本から脇坂安治が国替えとなり、

従来の「大津」から現在の「大洲」に改名されたと伝えられています。

さらに(1617年)になると伯耆米子から国替えされた加藤氏が、明治維新まで12代に亘り大洲藩主を務めました。

坂本龍馬に藩の蒸気船を貸し与えたのも

加藤家には好学の気風があり、藩もこれに倣い好学・自己錬成を藩風としていました。

大洲藩は勤王の気風が強く、慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いでも参陣し、活躍しました。また、坂本龍馬が運用したいろは丸は大洲藩が海援隊に貸与した蒸気船です。

明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県により、大洲県が生まれましたが、同年11月15日、第1次府県統合、で大洲県が廃止されて、新たな宇和島県の支庁を経て神山県に組み入れられたのちに現在の愛媛県に編入されました。

つまり、明治新政府の主流派(旧公家連中)は、「民の営み暮らし向き」は無視して古き良き時代?だった律令制(法治国家、郡県制)の奈良時代(大和政権)に戻したかっただけです!

つまり、「自ら(特権階級)の利権確保!」だけに走ったわけです!

★第2項 溜池でわかる四国の水利問題!

南国の降雨気候と、瀬戸内海の地中海性気候の境目は、"溜池"の配置(数)でわかります!

沿岸部では、豊予海峡以北、つまり足摺岬以北で溜池(利水池)が置くなる訳ですが...

第1目 大須市と内子町の微妙な温度差?

例えば大須市と内子町の微妙な温度差?は、ため池配置に表れています!

大須市は西予市・内子町・伊予市!・砥部町!にまで広がる、広大な流域を誇る肱川の豊富な水量で、利水には事欠きません。

つまり、日照り(渇水)による飢饉心配はあまり無い!わけです。

対して溜池が目立つ内子町では...

なので、内子町は大須市とは袂を分かって、独自の自治を歩んでいるわけです。

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公開:2022年12月26日
更新:2024年2月21日

投稿者:デジタヌ

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