歴史探訪『 四国は大和王権"連合"成立当初から重要メンバーだった 』ー第2回ー
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四国はまるでサーカステントの屋根!
四国を訪れたことがある方は、お気づきだと思いますが、沿岸部にある主要都市は、海岸まで続く尾根で見事に区切られています!
21世紀の"車社会"の今でも中々気軽に『チョット隣町迄...』とはいかないわけです!
いわば、「うだつ」で区切られた、屋根を連ねた街並みの様なもので、「ねずみ小僧」も苦労させられる?わけです。
第1項 文科省体制下の狂育怪では"決して取り上げない"真"の日本 Historia
第1目 史実は権力者に都合よく改竄される!
更に、文字が定着した中世以降に寄稿された古文書も、私文書(書状・手紙)・公文書?にかかわらず、(勝者側の)支配者・起筆者・差出人に都合よく脚色(改竄)されているので、信憑性に欠ける古文書が多い訳です。
古代・中世日本史研究家は地政学に疎い!
さらに前途した様に、一部の古建築研究者・城郭研究者を除いて、ほとんどの「日本史研究の有識者」と祭り上げられている連中は、鉄オタ同様!に地理、文化人類学、経済学つまり「地政学」に疎い!連中です。
参)当サイト内関連記事 地政学・geopoliticsの"概念"とは... はこちら。
第2項 「大人の事情」の解読法?!
今に続く、律令制度による国引きは701年発令の大宝律令で示された綱領が起源となる訳ですが...
- ●旧来からの地元Chief(族長)の領地のTerritory(権益)のboundary(境界)は基本尾根(山峰)とする。
- ●各lord(領主)の開墾地・開拓地;後のmanor(荘園)のboundary(境界)は河川(小川)とする。
を基本とされています!
つまり、21世紀の令和の御代まで引きずる大宝律令による国引き(郡県制)では、新たに開墾された新田region(一帯)のほうが、複雑なboundary(境界)となっているわけです。
第1目 大河川の流域では...
特に、近年河川改修が実施されたzone(行政区)で、21世紀令和の御代の今もboundary(行政境)が、複雑に入り組んでいる処は、旧河川本流に従ってひかれたboundary(行政境)がそのまま受け継がれている!訳で、双方の自治体(旧勢力)の仲の悪さ!を象徴しています!
特に大河川流域では、降雨期には河川の氾濫で水害が起こり、渇水期には日照りになり、数十世代千年以上にも渡り!河川両岸の農民間で"血みどろの水争い!が演じられて遺恨がに起こっていることを表しています。
つまり意外や、新たに開削された新本流や、用水路に跨って、"飛び地"が散在するzoneにあるdistrict(自治体)同士のほうが仲が良く!、いまだに旧河川本流をboundary(行政境)として、複雑に入り組んでいる自治体同士は犬猿の仲!ということになります。
(平成の大合併が行われた際に、別々の自治体に分かれた河川両岸の旧町村は相当根深い遺恨を持ち続けている!ということです)
第2目 尾根にある山城は...
モニュメントマークは古墳
又モニュメントマークは、知られている代表的な古墳(王墓)を表し、瀬戸内海沿岸に多くのChief(首長・族長・酋長)が率いる、Community(部族・国家?)があったことを示しています。
多層塔マークは砦跡・城跡
そして多層塔マークは砦跡・城跡を示し、山城跡、砦跡、総曲輪(出城)跡が連tなっている尾根は、旧敵同士のFrontier(最前線)であったことを物語っています!
つまり、旧街道沿いに連なっている山城は、街道が重要な往還路であった証です。
第3項 領主にとっての重要な食い扶持・穀倉地帯を示す証は鎮守!の社
第1目 天満宮・水天宮・荒神さんは「治水の神」
後述する「天神さん」と同様に"暴れ川(大河・急流)"の流域にみられる「水天宮・荒神・龍神さん」は"治水の神"で、"鬼怒川!"などに代表される"暴れ川"の水害を"治める"治水の天守神として「在郷の民」が鎮守(祈禱所)として祭ったものです。
つまり、自然崇拝;shaman(祈禱師・霊能者!?)文化の一つです。
天満宮は豊作の神!
- ●さざ波印は(観光)棚田
- ●鳥居マークは、天満宮(天神さん)・稲荷など"豊穣"の神
- ●モニュメントマークは古墳(王族の墳墓)
- ●塔(天守)マークは、古城・砦跡
「天満宮を学問の神に仕立て上げた!」のは、「縄文人の倭国」を滅ぼした!後年の「弥生人の倭国!である日乃本連邦!」の指導者(搾取階級;公家)達が、「歴史を捻じ曲げる」ために、菅原道真の逸話!を利用して、"古代史改竄・捏造"をしただけです。
菅原道真は
菅原道真(845年8月1日〉→903年3月26日)は、平安時代の搾取階級・貴族・公家の出、で、政変に巻き込まれて九州の大宰府へ大宰員外帥(officer)として左遷?されて、現地で没したとされていますが...
大宰員Governor(chief executive officer)でありませんでしたが、大宰府の長官代理職(officer)であり、都(みやこ)で高い地位を得ていた道真にとっては左遷といえば左遷?ですが
...佐渡や隠岐へ流刑(島流し)に処せられた訳でもなく。
クーデター未遂事件の主犯?としては軽い処罰だったはずです。
つまり前途した様に政変に巻き込まれて失脚した!程度です。
但し、前途した様に平安中期の律令制(任官制度)が崩壊していたこの当時には、Governor(chief executive officer)でさえ目代を立てる時代に、単なるofficer(行政官)に就くためにわざわざ、都を離れて遠隔地に"ご本人"が赴く"仕来り"(制度)はもはやなくなっていたわけです!
そういう意味では、強制的に都落ち!させられて、防人の基地大宰府に、強制就任させられたのは、島送りに匹敵するくらいの"処分"だったでしょう!
更に、前途した様に中国唐王朝が滅亡する907年までは、「大宰府の防人の任務」は海外の侵略者から祖国を守るでもなく、中国唐王朝の冊封国(属国)として、九州南部の日向国・薩摩・隼人とのFrontier(冊)を南下させて、唐のTerritory拡大を担う"代理戦争"を行う任務だったわけです。
天満宮は道真着任以前から水の神として稲作耕作を行う各地にあった!
天満宮は道真以前の「ず~っと」昔の稲作が伝わった、縄文時代(紀元前!)から、「お稲荷」様とともに豊穣の天守神として、Chief(酋長・首長)の元に、shaman(祈禱師・霊能者!?)と民の信仰の対象となってきた鎮守です。
つまり天満宮のある地域には必ず!「田んぼ」が広がり、稲作が行われていたことがわかります!(※お稲荷さんも同様です、GoogleEarthモードでご覧ください。)
なので学問(文字文化)を広めるために"造営"された社(やしろ)ではありません!
つまり、後年の統治者(sovereign)が、shaman文化を駆逐?するために創作したfiction!にすぎません。
ついでに言えばこの時期(平安時代)に捏造された、各社寺の縁起には、fantasy(伝承・おとぎ話)をさらに改竄して、中央政権側(の特権階級;公家共)が、「民心をたぶらかす」ために、大胆に捏造!された神話が大多数を占めています!
第4目 恐れ多くも「お伊勢さん」も...
国粋主義者がよりどころとしている、天照坐皇大御神をお祭りしたとされる?伊勢神宮も、
天照坐皇大御神=邪馬台国の初代卑弥呼!であることは間違いないでしょうが...
元々卑弥呼自体が天守神に仕える自然崇拝の大巫女shaman(祈禱師・霊能者!?)であり!
「人を神格化」するのは、東照大権現(家康)等、仏教の影響が入った後年の風習!で、伊勢神宮創建のころにはなかった風習で、「天照坐皇大御神=邪馬台国の初代卑弥呼!をお祭りしている」というのは、出雲大社・鹿島神宮等の大社の縁起とともに平安時代に創作(捏造)された縁起でしょう!
つまり、お伊勢さんは古事記に始まる「神代の昔fantasy(おとぎ話)」に登場する現人神天照坐皇大御神をお祀りしたのではなく!
弥生人の「那の倭国」連合(邪馬台国)を構成していた小国(部族)の、shaman(祈禱師・霊能者!?)がお祀りした天守神の"御社(おやしろ)の総社"「日ノ本の鎮守"天守の神"」をお祀りしていると考えるのが妥当でしょう!
第4項 仏教・国教制定後の10世紀に入ってからも"式内社!?"が...
国分寺とともに新たな式内社(927年時点でも)が造営されて設置された訳は、全国各地の新たな占領地・令制国"にはまだまだ「自然崇拝・シャーマン文化」が強く残っていたことを示すものです。
そして(3世紀から6世紀にかけて各地で盛んに造営されていた)前方後円墳(王墓)の禁止令!後も、各地に「土着王族(豪族)の墳墓」が造営されたのもこのためです。
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公開:2022年12月26日
更新:2024年4月 5日
投稿者:デジタヌ
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