Historia『 嘗て鉄道事業者は"鉄道派"vs"軌道派"に分かれて経営"哲学(鉄学)対決?を...』ー第3回ー
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『 旅客需要追従型 』"哲(道)学"派
幕末・明治初期を通じて広く産業界に係り、日本の富国強兵に貢献した渋沢栄一氏は、東急の基となった"田園都市開発"や"おけいはん"の創設にも係った人で、"合本主義"を唱えて「公共事業」としての鉄道事業を推し進めた偉人でもありました。
公益を追及するという使命や目的を達成するのに最も適した人材と資本を集め事業を推進させるという考え方。...私益のための資本の集中では無く、公益の追及、より良い社会の実現のために、資本や人材を合わせる事の重要性を説いた...《日本語ウィキペディアより引用》
「川崎市の浅野町」の埋め立て事業を行った浅野セメント創業者の浅野総一郎などの、
この頃の産業界の起業家の多くは、"合本主義"という言葉は使わないにしろ、
『私益のための資本の集中では無く、公益の追及、より良い社会の実現のために...』という共通した思想・理念・信念に基づいて事業を行っていった人たちのようです。
1910年9月16日に奈良軌道として設立され、直ぐに改称されて"大阪電気軌道"として創業した近鉄では...
創業者の一人金森 又一郎 (4代目の社長)もそういった流れをくむ人で、強い使命感を持って自ら火中?に飛び込んだ「鉄オタ」の一人といえるでしょう。
後の7代目の社長佐伯 勇 氏へと続く近鉄の企業理念は、正しく「公益・社会資産としての鐡道事業」に尽きるのではないでしょうか?
日本の"民営鐡道事業の父"といわれている東武鉄道の 根津 嘉一郎氏なども「鉄オタ」の一人といえるでしょう。
最初は、成長産業としての鉄道に興味を持ち、ほんの気まぐれ?で全国各地の鉄道会社に投資していた投資家にすぎなかったのですが...
東武鉄道に懇願されて、同社の経営を引き受けてからは、東武鉄道の経営に専心して同社の発展をささえ、更には関西の南海鉄道の取締役なども引き受けて、南海の経営改善に助言を与えていました。
投資家・実業家であると同時に「鉄道が」好きだったのでしょう!
ロマン(スカー)が好きな小田急
明治最後期の1910年に設立された 鬼怒川水力電気が大正11年(1923年)に設立した小田原急行鉄道も"明治期からの鐡道ロマン"を引き継いだ「ロマンスカー」といえるでしょう...
彼らは、「鉄道は社会資産!」という信条・哲学の下に"崇高な使命感!"に燃えて、"鉄道事業を稼業"として行ってきた人たちなのでしょう。
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公開:2021年2月24日
更新:2024年2月 8日
投稿者:デジタヌ
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