狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

Historia『 アメリカ建国に重要な役割を果たした大河川と鉄道 』ー第5回ー

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★第5節 イギリス帝国のアメリカ大陸本格進出

ここまで読み進めていただければ先述した流れで、イギリス帝国最初のアメリカ大陸開拓地はNew Englandと呼称されていたことは想像できるでしょうが...

第1項 New England 開拓の始まり

具体的には現USA北東部の6つの州、コネチカット州、メイン州、マサチューセッツ州、ニューハンプシャー州、ロードアイランド州、バーモント州のエリアを指します。

1606年後半、イギリスの入植者たちはロンドン会社チャーター(許可)で出航し、新世界に植民地を設立しました...4か月の特に長い航海を行い...1607年4月26日、彼らが命名したヘンリー岬に上陸して、チェサピーク湾への探検を始めました...

1607年4月25日に統治評議会(自治組織)の議長に選出されたエドワード・マリア・ウィングフィールド大尉が、5月14日約40マイル(64 km)内陸部にジェームズタウンの建設地を定めてFortの建設を始めました...川のカーブのためにFrontierとして最適で...native peopleは居住していませんでした。てnしかし島は河口部の湿地帯にありに悩まされ...飲用水の確保も困難でした。

更に1606年から1612年間にかけて"大干ばつ"が起り...ジェームズタウンの入植者と周辺に住むnative peopleポウハタン族の生存に深刻な影響を及ぼしていました。英語版Wikipediaより引用

1607年、ロンドン会社はチェサピーク湾のジェームズタウンに恒久的な植民地を設立しましたが...ポッパム植民地は短命でした。

当時、この地域には約3万人のnative peopleアルゴンキン族が住んでいました...

1617年までにジェームズタウンの1700人の入植者のうち351人しか生存者はいませんでした...バージニアに入植人たちがタバコ栽培で成功して、1622年には入植者の人口は当初の400人から1240人に急増していました。

植民地経営を行っていたロンドン会社はnative peopleアルゴンキン族の激しい防衛戦に屈し敗退して、変わってイギリス王国のterritory(領有地)となったジェームズタウンやその周辺が知られるようになりました《英語版Wikipediaより引用》

つまり、1534年にヘンリー8世が、ローマ法王から独立したChurch of England(イギリス国教会)を設立して以降イギリス国王は、ローマ教皇の臣民ではなくなったので、先述した1494年のトルデシリャス条約1529年のサラゴサ条約など糞くらえ!だったわけですが、カソリックの教義は守っており!プロテスタントへの迫害は続いていたわけですが...

ジェームズ6世統治時代(1567年7月24日→1625年3月27日)になるとフェリペ2世(在位1556年 → 1598年)亡きあとのスペイン王国、神聖ローマ帝国(皇帝)の弱体化と共に、フランス同様に"民間貿易(会社)に名を借りた海外進出"が行われるようになったわけです。

つまりフランス、阿蘭陀、と殆ど同時期に民間主体で海外進出を開始したわけです。

第2項 USA建国のコンセプトを作ったメイフラワー号と清教徒

新暦1620年11月19日に現在のケープコッド(現Provincetown Harborを見つけ、そのまま開拓会社から入植許可を与えられたバージニア植民地に向かって南に航海しようとして数日を費やしましたが、強い冬の海は彼らをケープコッドフックの港に押し戻し!仕方なく11月21日に錨を下ろしました。

同行した プリマス植民地の軍事顧問マイルス・スタンディッシュは、彼らに

与えられたpermission(認可)条件である入植地の変更を同意して、上陸が許されました。

これで、USAの持つ2つの顔の大事な一面『自由、平等、博愛』を支えるPuritans(清教徒)のアメリカ大陸開拓の歴史が始まったわけです。

第3項 イギリス帝国による東海岸の開拓

ユトレヒト条約(1713年4月~)以降、イギリス人の入植者が大西洋に流れ込む河川を遡り河川沿いに次々fort(砦・交易所)とcolony(植民地)を建設して、新大陸?の開拓(占領)を開始しました。

そして、以後農耕で定住していた部族も、バッファロー狩りを行っていた狩猟部族も含め

native peopleのアメリカインディアン、アメリカ大陸進出に先行していたFrench、Dutch、との間でterritory(実効支配地)をめぐる壮絶な攻防戦が繰り広げられることとなりました。

South Carolina

最初にヨーロッパ人入植者として、イギリス人が入植する以前の1562年にフランスのHuguenots(プロテスタント)により始まりました、最初のイギリス人は1670年に現在のチャールズフォート-サンタエレナ遺跡に集落を築き、アシュリー川の西岸にチャールズタウンとして設立されましたが、1680年に現在地に移転しました。

1719年、カロライナ南部の開拓民はcolony(植民地)の総督から所有権を得ました。1729年、カロライナはノースカロライナとサウスカロライナの2つのイギリス帝国の王室領(海外領有地になりました。

以降アシュリー川、クーパー川の沿岸が開拓されて行きます。

North Carolina

1584年、エリザベス1世は、州都の名前が付けられたウォルターローリー卿に、現在のノースカロライナ州(当時はバージニア州の一部)の土地のCharter(憲章:認可状)を与えました。

アメリカ大陸でのイギリス人の2番目のterritory(領有地)獲得の試みでした。

ローリーは1580年代後半に海岸に2つのコロニーを設立しましたが、どちらも失敗しました。

1587年8月18日にロアノーク島で生まれれた北米で生まれた最初の英国人ヴァージニア・デアで、デア郡は彼女にちなんで名付けられました。

1712年、統治をめぐる論争により、カロライナ植民地はノースカロライナとサウスカロライナに分裂しました。ノースカロライナは1729年にイギリス帝国の(王室直轄領)植民地になりました。

Virginia  

Carolina同様にウォルターローリー卿が1584年4月の最初の入植を支援しました。

Virginiaはサウスカロライナからメインまでの沿岸地域全体とバミューダ島を含む広い領域を指すことになりました。

最初の入植は失敗しましたが、1606年にイギリスのジェームズ1世が、新しい遠征に資金を提供して、12月に企画をしたロンドン会社にファーストバージニア憲章を付与しました。彼らは1607年5月にバージニアに上陸して、入植地ジェームズタウンを開設しました。

そしてウィリアムズバーグは1699年から1780年までのあいだバージニア州の州都でした。

植民地での生活は危険であり、多くは1609年の大干ばつで命を落としました。1610年に始まったタバコ栽培の労働力としてのnative peopleポウハタ族6,000人の入植者のうち1624年までに生き延びれたのは約半数の3,400人だけでした。

しかしヨーロッパの旺盛なたばこ需要でPlantatioでは、より多くの入植者と"使用人"の入植を促進しました。

アメリカの闇歴史の象徴"奴隷制度"

コロンブスに代表されるポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランスの貿易商(奴隷商人)により、1619年にジェームズタウンにアフリカ系奴隷が所有物!として"輸入"されました。そして1661年と1662年に当時のバージニア州によって市民権(人権)を持たない所有物・財産の"奴隷"制度が"法制化"されました。

Maryland

都市名ボルチモアの由縁にもなったGeorge Calvert, 1st Baron Baltimore(1579-1632)は、北のマサチューセッツとすぐ南のバージニアの間の所領を認めるCharter(憲章:認可状)を申請しました。

彼の死後に跡目を継いだボルチモア男爵2世(1605-1675) の息子のセシリウスカルバートにCharter(憲章:認可状)が公布されて入植がはじまりました。

ボルチモア卿の最初の入植者は1634年3月に新しい植民地に入植し定住しました。

彼らは貿易を確立することを熱望していた?native peopleの種族から土地を購入しました?(※★)

セントメアリーズはメリーランド植民地の最初の首都になり、1695年まで60年間中心地であり続けました。

その後も多くの入植者が続き、彼らのタバコ作物は成功して、すぐに新しいプランテーションは収益性の高い事業yとなりました。ただし、マラリア、黄熱病、および腸チフスが蔓延して、当時の平均余命は他のニューイングランドよりも約10歳低くなっていました。

参※★)ニューヨーク同様に、native peopleには土地の売買習慣は無かったと思われ、売買契約が成立(履行)されたことを証明する論拠となるevidence(証拠)は残されていません!

Delaware

オランダ人は現在のデラウェア州に定住した最初のヨーロッパ人として、 1631年にルイスの近くのズワーネンダエルにfort(砦・交易所)を開設しましたが...

1年以内に、入植者全員がnative peopleのresistance(抵抗活動)にあい壊滅しました。

数年を経過した1638年にベルギー生まれのPeter Minuitが、Swedes、Finnish、Dutchのバルト海沿岸グループを率いてスウェーデン人のfort(砦・交易所)&colony(植民地)であるNew Swedenをウィルミントンに開設しました。

このcolonyはその後17年間続きました!

1651年、Dutchが、現在のニューキャッスルにfort(交易所)を開設し、

1655年にNew Swedenのcolonyを奪取して、前途したのNew Netherlandに併合しました。わずか9年後の1664年、イギリス艦隊がオランダ人を制圧しました。

その後ウィリアム・ペンが代表的な政府を設立し、ペンシルバニアとデラウェアを1682年に統合しました。その後両方の総督が同じ人物でした。

デラウェア植民地は、初期には本土からの年季奉公に依存していましたが、イギリスの経済状況が改善するにつれてイギリス人移民の数が減少したため、アフリカから"多くの黒人奴隷"を輸入しまじめました。

New Jersey

オランダ人が、ニュージャージーに入植した最初のヨーロッパ人です。

1630年にMichael Reyniersz PauwによってPavoniaが開設されて、後にBergenと呼ばれる街になりました。

前途したPeter Minuiのデラウェア川沿いへの入植地New Swedenイギリス艦隊が制圧して、州全体を併合した 後、1664年6月24日に地域全体がイギリス帝国のterritory(領有地)になりました。

北米の土地はチャールズ2世によって分割されました。チャールズ2世は、彼の兄弟であるヨーク公(後のジェームズ2世)に、 海外所領としてニューイングランドメリーランドの間のこのエリアを与えました

その後、ジェームズはハドソン川とデラウェア川の間の土地を、忠実である2人の臣下、ジョージ・カートレット卿とストラットンのバークレー卿に海外所領として与えました。そしてニュージャージー植民地と名付けられました。

Pennsylvania

1631年6月3日までに、オランダ人は現在のLewes towmにZwaanendael Colonyを開き入植を開始しました。

1638年、前途したNew Swedenをterritory(実効支配地)としました。

前途したように1664年3月12日、イギリス国王チャールズ2世がヨーク公ジェームズにバージニア会社に与えていた、Charter(憲章:認可状)を与えました。

しかし前途したオランダの主張するterritory(実効支配地)のNew Netherland と重複していました!

1664年6月24日、ヨーク公は、彼の大規模な所領の一部についてのCharter(権利)をジョンバークレージョージカートレットに売却しました。

土地はまだ完全にイギリスのterritory(実効支配地)にはなっていませんでしたが、デラウェア川の西側にある"New Netherland の一部エリア"でイギリス人入植者に対する分譲が始まりました

この後、1664年8月29日、にニューヨーク港でイギリス軍艦による威嚇で、New Amsterdam(現ニューヨーク)を奪取して、1664年10月にイギリス軍がFort Casimir(カシミーユ交易所)を占領してNew Netherland 奪取は完了しました。

1681年2月28日、チャールズ2世はウィリアムの父であるウィリアム提督に負っている16,000ポンド(2008年には約2,100,000ポンド、小売インフレ調整)の債務返済の代わりにウィリアムペンに領有地のCharter(憲章:認可状)を与えました!

王はペン提督に敬意を表してこの領地をPennsylvania(ペンの森)と名付けました。

そしてペンは、重移民自治組織「織郡政委員会」と「信教の自由」という、新世界で多くコピーされた2つの革新を備えた植民地政府を設けました。

]クエーカー教徒指導者だったウィリアムペンはnative peopleのデラウェア族のリーダーと長期間の友好関係を始めました。そしてクエーカー教徒と他のnative people部族との間の協定も生まれました。双方ともに協約を守り続けました。

●Georgia (U.S. state)

ユトレヒト条約(1713年4月から順次)以降1733年2月12日にサバンナに到達しました。州ではこの日を「ジョージアの日」と名付けて州の祝日としています。

以降サバンナ川を遡り内陸部に至りました。

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公開:2021年10月19日
更新:2024年2月21日

投稿者:デジタヌ

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