狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載『大阪市における市営モンロー主義(町衆利権!) の起源と変遷』ー第5回ー  

第4節 大阪市以外の市営モンロー主義とは

江戸幕府・明治新政府のとった町衆の『懐柔策?取り込み策』が切っ掛けとなり...

ある種「リベラル」陣営を装った革命政府・明治新政府は、徳川政権時代からあったリベラルな「町衆」勢力の取り込み策で保守勢力一掃に取り組んでいた。

元より「理念より実利」を貴ぶ町衆は、自治権と引き換えに新政府の打ち出した「富国強兵策」に協力し税収UPに貢献した!

大阪では京阪電車創設に尽力した渋沢栄一、佐分利一嗣らの理想家のインテリ連中とは肌が合わ無い彼ら「町衆」の自治体4大区が「京阪電車の路線計画」をことごとく妨害したのは有名な実話である。

第1項 市制特例と各市の公営交通

市制のうち、東京市・京都市・大阪市の3つの市(三都、三市)に、1889年(明治22年)から1898年(明治31年)までの間、導入した特例。<Wikipediaより引用>

...三市では「市会推薦市長」は置かず、府知事(内務省が任命)がその職務を執り行った(1条)。また、三市では、府知事が任命した書記官が助役の職務を行い(1条)、府庁の官吏が収入役・書記等の職務を行った(3条)。

すなわち三市では、市会の多数派意見が行政に必ずしも反映されなかった。市会と行政の各々が独立していたことで...<Wikipediaより引用>

「はんなり」とした京都市では共存共栄方針が

1879年4月10日に上京区と下京区が町衆の手により自治体として誕生した。

1889年 上京区と下京区が集結?して京都市が発足。

大阪市同様に1898年までは市制特例により府知事が名目上の市長を兼任した。

京都市電(きょうとしでん)は、京都市交通局が運営していた市電(路面電車)である。1895年に京都電気鉄道によって日本最初の一般営業用電気鉄道として開業され、1912年の市営路線開設、1918年の全面市営化を経た後、1978年9月30日限りで全廃された。<Wikipediaより引用>

1910年4月15日には京阪電気鉄道が最初の路線として京都・五条まで乗り入れ大阪・天満橋 との間を開通させ、

1912年12月14日 京阪京図千三条大橋 - 札ノ辻間10.0kmが一体化し、京津電気軌道株式会社(現京阪京津戦線)直通運転を開始。

1915年10月27日:鴨川線 五条 - 三条間1.5kmが開業。

1918年に路面電車の全面市営化を果たした後も、京都市では"りょうけんの狭い「市営モンロー主義」"はとらなかった!

それどころか

1928年には当時京阪系列であった奈良電気鉄道(現近鉄京都線)の京都駅乗り入れ開業を認め、

1931年には国内初の地下鉄道西院駅⇔大宮間を当時の第2京阪(現阪急京都線)が開業させ、敗戦後の1963年6月17日には大宮駅 ⇔河原町駅間の繁華街部の地下への延伸開業も認めている。

1978年9月30日 83年の長きにわたり京都市内を駆け抜けたチンチン電車が姿を消した。

御多分に漏れず、急激な「モータリゼーションの津波」に押し流さながらも、大阪・名古屋・京都の3市の中では一番最後まで頑張り通した。(※現在、京都鉄道博物館隣接地で乗客を乗せた動態保存まで続けている!)

1981年 北大路 ⇔京都間で開業した地下鉄烏丸線は当初より近鉄との相互乗り入れを前提に計画され1988年6月11日には烏丸線京都⇔竹田間が開業し8月28日からは烏丸線、近鉄京都線と新田辺駅までの相互直通運転(※6)を開始している!

1989年(平成元年)10月5日:京阪電気鉄道・鴨東線の三条⇔ 出町柳間開業が開通し叡山電鉄と出町柳で徒歩連絡接続

1997年(平成9年)10月12日には東西線醍醐 ⇔二条間が開業し京阪京津線の御陵から京都市役所前までの片方乗り入れ(※7)をも認めている!

同じ町衆発祥の自治体ではあるが、京都市は"がつがつ"しない「はんなりとした(上品な)」町衆気質で、1918年の市内軌道線全面市営化後も、"下品で露骨な権益主義"である「市営モンロー主義」は一貫して行っていない!

※参6、1997年6月3日に烏丸線国際会館 - 北山間が開業し2000年3月15日の近鉄のダイヤ改正でさらに乗り入れ区間は伸び、近鉄奈良駅⇔国際会館駅で急行の相互直通乗り入れが実施されている!近鉄奈良駅で京都市営地下鉄車両を見かけるのはこのため。

※参7 2008年1月16日京都市役所⇔太秦天神間の延伸開業と同時に乗り入れ区間も延長)

旧東京市では

1878年(明治11年)7月22日、東京府は府下を区と郡に分かち、府税収入の多い地域を吟味選定のうえ、郡区町村編制法第2条の定めるところに従って旧幕時代の地称を付し麹町区・神田区・浅草区以下の東京15区を設けた...

1889年(明治22年)5月1日、前月施行の「市制・町村制」に基づき東京府は府下に東京市を設け旧15区の区域をもって市域となして、区部の財産管理を移掌した。東京市の市制は、同3月公布法律12号「市制中東京市京都市大阪市二特例ヲ設クルノ件」(市制特例)によって一般市とは一部異なる変則的な市制だった。東京府知事および府書記官が市長を兼務しており、市役所も市職員も置かれなかった。その一方で従来の15区はそれぞれ単独で区会(議会)を持ち、東京市の下位の自治体とされた。同年12月には市章を制定した。<Wikipediaより引用>

つまり各市ともに経済力を持った「町衆・町民」によるリベラルな自治区として自由裁量権のある自治体資格をもっていた。

...が大阪町衆のみが"露骨で下品"な権利主義「市営モンロー主義」路線上を突っ走ってしまった!

第2項 ちょっと異質な名古屋市の市営モンロー主義?

名古屋市電(なごやしでん)は、...名古屋市交通局が事業を行っていた。 1898年(明治31年)に名古屋電気鉄道によって日本で2番目の電気鉄道として開業され、1974年(昭和49年)3月31日に全廃された。...

1914年(大正3年)9月、不況下における高額の運賃に不満を持っていた市民が「電車賃値下問題市民大会」を催し、大会終了後市民が暴徒化して電車・施設への焼き討ちを行って、...柳橋駅(名古屋駅のやや南東)が全焼、電車23両が損傷する事件が発生した。これを機に名古屋市でも市内電車の買収に動き、1922年(大正11年)に名古屋電気鉄道から市内線を買収して名古屋市電が誕生した。<Wikipediaより引用>

つまり大阪とはやや異なり、「市民の声で市電とモンロー主義?が誕生」したわけであるが...

戦後になるとまず、1946年(昭和21年)1月、高速鉄道網検討用基礎案...戦災復興のため将来人口を200万人と想定した都市計画...鉄道着工よりも鉄道用地を先行確保するのが主目的の計画であった。この計画では、平田橋、上飯田、守山、八事などで既存の鉄道との相互乗り入れが重視されていたため、現在の地下鉄路線とはかなり違う経路を通っているものが多い。<Wikipediaより引用>

当初は、帝都高速度交通営団同様に、名古屋市独走案?ではなく当時の国鉄・民鉄の既存路線との相互乗り入れで名古屋都市圏全体の交通網整備が第一に掲げられていた!

しかし当初の「崇高なコンセプト?」とはかけ離れた、銀座線並みの小型車両と「どぶ板工法?(オープンカット工法)」により1957年(昭和32年)11月15日に1号線(現:東山線)名古屋 ⇔ 栄町間が開業してから後は大阪市とほぼ同じ流れで順調に「路線をポイント切り替え?」し市営モンロー主義による"民活"事業の「名古屋城下乗り入れお断り路線に転線?」し現在に至っているわけである。

ただ大阪市交通局のような「露骨な鉄道事業者乗り入れ拒否」の嫌がらせである両端閉鎖の600v第3軌条集電(何れも軌間1435㎜標準軌、15m級の小型車両!)の単独路線!は1号東山線、名城線、名港線の3路線のみで、1977年3月18日開通の- 鶴舞線伏見 - 八事間以降からの新規路線1989年(平成元年)9月10日開業 桜通線中村区役所 - 今池間、2003年3月27日 開業の 上飯田線平安通 - 上飯田間はすべて軌間1067mm直流1500v架空線電化による「まともな電車線」として名鉄線との相互乗り入れを実施している。

 

公開:2019年7月29日
更新:2024年3月11日

投稿者:デジタヌ

連載『大阪市における市営モンロー主義(町衆利権!) の起源と変遷』ー第4回ー  TOP連載『大阪市における市営モンロー主義(町衆利権!) の起源と変遷』ー最終回ー  


 

 



▲市営モンロー主義 の系譜へ戻る

 

ページ先頭に戻る