狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載『 勝田線廃線跡の"遊歩道もLRTとして復活 !できる...』ー第4回ー

第4回 勝田線と沿線自治体が辿った Road とは

第1項 『旧・国鉄勝田線廃止バス路線転換の喜劇?』は時代の流れに抗しきれなかっただけ!

誰が考えても「当時の旧国鉄勝田線」は不要不急路線の代表格?であり、旧国鉄勝田線は、テコ入れしてどうこうなる代物ではありませんでした!

元国労組組合身内を巻き込んでまで、赤字路線廃線反対キャンペーンを繰り広げる「Communist共」(※31)のプロパガンダに、"なんだか訳のわからない不気味さ"を感じるのは筆者だけでしょうか?

参※31)当サイト内関連記事 廃線か?存続か?極・赤字路線は生活の足と言えるか? はこちら。

第2項 "地方公共路線"ではなく殖産鉄道!"だった生い立ちが...

第1目 今となって見れば...

(※JRのnode station(結節駅)、西鉄のterminal station(終着駅)を中心にOmnibusを構築する現在の手法では)勝田線を残して、香椎線を廃線にすべきだったかもしれませんでしたが...

しかし1980年当時は、1968年5月25日 篠栗線(新線区間)篠栗 ⇔桂川が延伸開業して10年以上経過していたとは言うものの、1987年4月1日 国鉄分割民営で生まれたJR九州によって篠栗線が大躍進するなど、まだまだ未知数の状況でした。

同じ zone に2本の鉄道は不要だった

廃止当時は、同じ zone に2本の鉄道は不要であり、バス転換のほうが便利良い?ように思えた勝田線は、廃止しても問題なさそうだった?ので、第1次廃止対象に抜擢されたのでしょう。

しかしその後の状況は前途の通り...。

古塚⇔筑前勝田駅 13.8㎞ (全7駅)

開業1919年5月20日 全線開業(古町⇔柚須JC(信号所・現・柚須駅)間は篠栗線と共有)

1985年4月1日全線・全駅廃止廃線当時途中駅4駅

後述するように元々は沿線の粕屋炭田(※1)から産出される石炭輸送のために筑前参宮鉄道(ちくぜんさんぐうてつどう)が敷設した貨物専用鉄道。

つまり誕生当時、全国各地で「地域住人の足」として相次いで誕生した軽便鉄道(※2)とは異なり、北海道などと同様に"黒いダイヤの輸送路"として誕生した路線です。

つまり旅客輸送は目的ではなかった!のです。

元は沿線の粕屋炭田から産出される石炭輸送および宇美八幡宮参詣客の輸送のため筑前参宮鉄道(ちくぜんさんぐうてつどう)が敷設した鉄道路線で、1918年(大正7年)に末端部(宇美 - 筑前勝田間)が貨物線として開業、翌年5月20日に全線が開業し旅客営業を開始した。1942年(昭和17年)には、陸上交通事業調整法により九州電気軌道(現在の西日本鉄道)に合併され、同社の宇美線(うみせん)となったが、1944年(昭和19年)に戦時買収により同社の糟屋線(香椎線)とともに国有化され、勝田線となった。<Wikipediaより引用>

※参1)糟屋炭田は軍港に近かった関係から、艦船の燃料確保のため海軍が開発した...通称で海軍炭鉱と呼ばれた。1889年、須恵町に最初の...新原採炭所を設けた。その後、同組織は海軍燃料廠採炭部と名を変え、良質の無煙炭を多く産出したため国の奨励...。後に、糟屋炭田の主力となる第五坑の志免鉱業所を開発。ピーク時の1928年(昭和3年)には年産38万トンを産出する(全国19位)規模にまで発展した。...(敗戦後)軍部組織は解散したことで国鉄が事業を引き継ぐ ...、主として蒸気機関車の燃料確保 のため採炭...、エネルギー革命の影響によって1964年、国有志免炭鉱を最後に大小50を数えた炭田は、糟屋郡からすべて姿を消した ...<Wikipediaより引用>

第2目 志免町内にあった旧勝田線の駅

御手洗駅(3.4㎞)

1941年4月開業1985年4月1日廃止

上亀山駅(4.5㎞)

1919年(大正8年)5月20日 吉塚 - 新宇美間 (10.6 km) 貨物専用鉄道(1985年1月1日 旅石駅とともに廃止)を延伸開業とともに開業(開通当初旅客扱の無い貨物専用駅!)

※南里駅(5.4㎞)

1918年9月19日開業1944年廃止!

志免駅(7.3㎞)

1909年(明治42年)8月1日 - 博多湾鉄道(後の香椎線)酒殿駅 ⇔志免駅間香椎線貨物支線(通称旅石線)開設

第3目 宇美町内にあった旧勝田線の駅

田富駅(9.5㎞)

1918年9月19日開業1944年廃止!

下宇美駅(10.2㎞)

1919年(大正8年)10月12日開業(開通当初旅客扱の無い貨物専用駅!)1950年旅客営業開始

宇美駅(11㎞)

1918年(大正7年)9月19日 - 博多湾鉄道(現香椎線)の宇美駅から約150m離れた所に筑前参宮鉄道の貨物専用駅として開業 

1919年5月20日 - 筑前参宮鉄道(旧勝田線)の宇美駅を新宇美駅に改称して終点筑前勝田駅⇔新宇美間でのみ旅客営業開始。

同年12月1日 - 新宇美駅を上宇美駅に改称。

1942年9月19日 駅名を宇美駅に統合(場所は別)

筑前勝田駅(11.2km)

1918年9月19日 - 筑前参宮鉄道の貨物専用駅として開設。

1919年5月20日 - 上宇美駅⇔当駅間で旅客営業開始。

※参2、当サイト内関連記事 交通アクセスの変遷《 鉄道ヒストリア 》日本各地から森林鉄道・軽便鉄道・路面電車が消えた理由はこちら。

第3項 平行路線・篠栗線(福北ゆたか線)香椎線(かしいせん)3線の生い立ちとその後は

第1目 3線の関連

1889年(明治22年)7月 新原採炭所第一坑開坑 (現・新原)

1904年(明治37年)1月1日 博多湾鉄道(旧・西鉄糟屋線、現JR香椎線)が西戸崎 ⇔ 須恵を開業。

同年6月19日 九州鉄道(旧・国鉄、現JR篠栗線)が吉塚 -⇔篠栗を開業。

1905年(明治38年)2月16日 九州鉄道 鹿児島本線と並行する単線を併設して博多 ⇔吉塚を延伸開業

同年12月29日  博多湾鉄道 新原 ⇔宇美を延伸開業し全通。

1907年(明治40年)7月1日 鉄道国有法により九州鉄道が買収され官設鉄道となる

1909年(明治42年)10月12日 国有鉄道線路名称設定により博多⇔ 篠栗を篠栗線とする

1911年(明治44年)5月5日  篠栗線 博多 ⇔吉塚の単線を鹿児島本線の複線化に転用し、起点を吉塚に変更

1918年(大正7年)9月19日   筑前参宮鉄道(旧勝田線)が貨物線として宇美⇔ 筑前勝田間 (2.8 km) を開業、宇美・筑前勝田の各貨物駅を開設。

1919年5月20日   筑前参宮鉄道 吉塚⇔新宇美間 (10.6 km) を延伸開業し全通。新宇美⇔ 筑前勝田間 (2.8 km) で旅客営業を開始、上亀山・新志免の各駅を新設、宇美を新宇美に改称。
同年10月12日  筑前参宮鉄道 南里・下宇美の貨物取扱停留場を新設
同年12月1日  筑前参宮鉄道 新宇美を上宇美に改称。

1920年3月25日 博多湾鉄道を博多湾鉄道汽船に社名変更

1942年9月19日 筑前参宮鉄道と博多湾鉄道汽船が九州電気軌道に合併し宇美線 と 糟屋線(現香椎線)となる。

博多湾鉄道汽船糟屋線の志免駅を併合し、新志免駅を志免駅に改称

1942年9月22日 九州電気軌道が西日本鉄道に社名改称

1944年5月1日 戦時買収で国有化されて吉塚⇔ 筑前勝田間の宇美線が勝田線となり、糟屋線が国鉄香椎線と改称し。旧宇美線・上宇美駅を香椎線宇美駅と業務統合して勝田線・宇美駅と改称

敗戦後の1950年(昭和25年)1月10日 勝田線 下宇美信号場を駅に昇格

1964年(昭和39年) 6月30日 志免鉱業所閉山

1965年10月1日 勝田線 宇美 ⇔筑前勝田間 (2.8 km) の貨物営業を廃止

1968年(昭和43年)5月25日 篠栗線(新線区間)篠栗 ⇔桂川を延伸開業、筑豊本線と連絡。開通時は旅客営業のみ。筑前山手・城戸・九郎原・筑前大分の各駅を新設

※桂川延長後は福岡の近郊路線、また福岡と筑豊を従来の鹿児島本線・筑豊本線経由に比べ短距離で結ぶ路線として発展している!

1970年(昭和45年)4月15日 篠栗線 新線区間 篠栗 - 桂川の貨物営業を開始!

1981年7月30日 勝田線 志免 - 宇美間 (3.7 km) の貨物営業を廃止、香椎線  酒殿 ⇔宇美間の貨物営業を廃止。

1984年(昭和59年)2月1日 篠栗線 全線と香椎線 西戸崎 ⇔香椎間の貨物営業を廃止。

1985年1月1日 勝田線 吉塚 - 志免間 (7.3 km) 、香椎線 酒殿 ⇔ 志免の、香椎 ⇔酒殿の貨物取扱を廃止


同年4月1日 勝田線 全線 (13.8 km) を廃止し、西日本鉄道のバス路線へ転換

1987年4月1日 国鉄解体・分割特殊怪社化!

1988年3月13日 篠栗線 柚須駅を新設、香椎線・篠栗線 両線連絡駅長者原駅を新設

1991年(平成3年)3月16日  篠栗線 鹿児島本線の吉塚 - 博多間が三線化され、全列車が博多駅直通開始!「赤い快速」も転開始

2001年10月6日 篠栗線 全線電化し「福北ゆたか線の路線愛称」で運行開始

2019年(平成31年)3月16日 香椎線 蓄電池駆動電車BEC819系「DENCHA」運行開始。

 

公開:2019年10月22日
更新:2024年3月22日

投稿者:デジタヌ

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