狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載『 四万十国際空港!で幡多郡が"希望ある未来"に向けて飛翔!する時では...』ー第3回ー

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★第2節 つい最近まで秘境!だった四万十川流域の幡多郡と南宇和!

第1項 長年輸送路にもなった四万十川!

四万十川下流部は、豊富な水量とともに、流れ(勾配)が穏やか、で黒尊川などの支流部で産出される、木材資源を、いかだなどでえ河口部に運んだり、川船での水運が盛んでした(というよりほかになかった!)

長年予土線が「江川崎(支流広見川合流部標高32m)で途絶えていたもこのためです、

中流部にある四万十町の中心窪川ですら標高196m!しかもこの地点ですでに上流部の四国山地から集めた水で豊富な水Þ¥領に恵まれています。

つまり久保p川(土讃線)→江川崎駅(宇和島線)間も、四万十川を水運に利用出北!訳です。ただし、当初は国道56号ですら真面な交通路でなかった時代、国道381号などあるはずもなく!江川崎(支流広見川合流部)→窪川の登りは、川辺を船頭たちで、曳航していたわけです。

第1目 予土線に土佐大正駅(集落)がある理由は...

窪川船着き場(標高196m)⇔江川崎船着き場(標高33)約76㎞!落差163m、平均斜度2.1‰!現在の道路標示0.2%でほとんど勾配が無いようにも思われるでしょうが...

途中には早瀬もあり、帰路(登り)は早朝に出発したとしても1日で帰れるわけもなく、最低でも途中一泊で2日間はかかったでしょう!

その為に予土線の途中に、宿場(船頭宿)も兼ねた土佐大正の集落があるのでしょう!

下流部の江川崎⇔中村間はほぼ平!

「江川崎(支流広見川合流部標高33m)中村(標高7m)間は約38㎞で落差25m、平均勾配0.87‰!

でほとんど水平といってもよく、中村⇔江川崎間は「帆掛け船」の帆走も可能なくらいで、岸に降りて曳航しなければならない箇所は少なかったでしょう、

なので途中に大きな宿場(船頭宿)が無い!ないわけです。

第2項 四国西南部への鉄道アクセスの変遷

1910年には宇高航路 (宇野駅 ⇔ 高松桟橋駅・高松駅)が開業しています!が...

予讃線の全線(高松⇔宇和島)開業も敗戦後の1951年11月12日になってから!

第1目 予讃線(内子線)の歴史

※内子線

  • ●1889年(明治22年)5月23日:丸亀駅 -⇔多度津駅(のちの浜多度津駅)⇔ 琴平駅間が讃岐鉄道により開業。
  • ●1904年(明治37年)12月1日:山陽鉄道が讃岐鉄道を買収。
  • ●1906年(明治39年)12月1日:国有化
  • ●1913年(大正2年)12月20日:多度津駅 ⇔ 観音寺駅間延伸開業
  • ●1916年(大正5年)4月1日:観音寺駅 ⇔川之江駅間延伸開業。
  • ※1920年(大正9年)5月1日:愛媛鉄道により若宮連絡所(現在の伊予若宮信号場) ⇔内子間の内子線が軌間762mmの軽便鉄道として愛媛鉄道により開業。。
1927年4月3日:延伸を繰り返し伊予北条駅 ⇔松山駅間の延伸開業で高松⇔松山間が開通
  • ●1933年10月1日:国有化され愛媛線となる。
  • ●1939年2月6日:伊予平野駅 ⇔八幡浜駅間が延伸開業で松山と繋がる。
  • 1935年10月6日:1067mm軌間に改軌。五郎駅分岐となり内子線と改称。

●1945年6月20日:八幡浜駅 ⇔卯之町駅間延伸開業、で予讃本線、高松⇔宇和島間全通

つまり、敗線ぎりぎりで手前の戦時中にやっと全通!

1945年8月15日無条件降伏で大東亜戦争終結
  • ●1958年11月1日:この日の始発から全列車がディーゼルカーに置き換えられ無煙化。
  • ●1971年12月1日:貨物営業廃止。
  • 1985年11月25日:新谷⇔五十崎間(喜多山 - 五十崎間の一部を除く)で重軌条化・路盤強化及び曲線緩和工事に着手。全区間が翌年3月2日までバス代行輸送となる。
  • 1986年3月3日:予讃本線の向井原 ⇔内子間、新谷 ⇔伊予大洲間の開業により内子線が予讃の特急街道(観光幹線!)となる。

第1目 一番最初に「部分開業」した宇和島線(現予土線)と中村線の関係!

※旧宇和島藩は1889年(明治22年) - 町村制の施行で宇和島町となりましたが...

  • ●1914年(大正3年)10月18日:宇和島鉄道により宇和島駅⇔ 近永駅間開業!機関762㎜の軽便鉄道としてっ開業。
  • ●1923年(大正12年)12月12日:宇和島鉄道 近永駅 ⇔吉野駅(現・吉野生駅)延伸開業。
  • ●1933年(昭和8年)8月1日:宇和島鉄道・国有化!宇和島線となる。
  • 吉野駅を広見川対岸に移転し吉野生駅に改称。
  • ●1941年(昭和16年)7月2日:宇和島線 全線を1067mm軌間に改軌!
1945年8月15日無条件降伏で大東亜戦争終結
  • ●1951年(昭和26年)11月12日土讃線(影野駅 ⇔窪川駅間)延伸開業
  • ●1953年(昭和28年)3月26日:宇和島線 吉野生駅 ⇔江川崎駅間延伸開業。)
  • ● 1974年3月1日 予土線(宇和島線)江川崎駅 ⇔若井駅延伸開業で全通!

第3目 土佐くろしお鉄道(宿毛線)の謎?

  • ●1889年(明治22年)5月23日:讃岐鉄道が丸亀駅 ⇔多度津駅 ⇔琴平駅間を開業。
  • ●1904年12月1日:山陽鉄道が買収。
  • ●1906年12月1日:国有化。
  • ●1924年(大正13年)3月30日:高知線として須崎駅⇔ 日下駅間が部分開業。
  • 同年11月15日:日下⇔高知間延伸開業で高知⇔須崎駅間開通!
  • 1935年(昭和10年)11月28日:三縄駅 ⇔豊永駅間延伸開業で予讃線側と繋がり高知⇔高松間が開通
  • ●1939年(昭和14年)11月15日:須崎駅 ⇔土佐久礼駅間延伸開業
1945年8月15日無条件降伏で大東亜戦争終結
  • ●1947年10月20日:土佐久礼駅⇔ 影野駅間延伸開業
  • ●1951年(昭和26年)11月12日:影野駅 ⇔窪川駅間延伸開業で、全線開通
  • ●1963年(昭和38年)12月18日:中村線 窪川 ⇔ 土佐佐賀間 (20.7km)部分 開業
  • ● 1973年(昭和48年)4月23日 - 起工式
  • ● 1981年(昭和56年)10月 - 工事中断!
  • 1986年(昭和61年)5月1日 - 土佐くろしお鉄道設立。
  • 1987年(昭和62年)3月12日 - 工事再開!
  • ● 1997年(平成9年)10月1日 宿毛 - 中村間が土佐くろしお鉄道宿毛線として開業

なので、予土線を延伸する際には1963年12月18日開業の中村線中村と接続(四万十川下りルート)するか、現行ルート(四万十川遡りルート)かでもめて、中々ルート決定ができ無かったのでしょう。

つまりもめている内に、国鉄貨物輸送が危うくなり、皮肉にも予土線が全通した年に、予土線の貨物輸送も無くなった!わけです。

第3項 道路網整備による幡多郡の夜明け!はまだまだ先

土佐くろしお鉄道の工事が再開された1987年当時はまだ、高知空港も整備中でした!

高知空港は2000m(1983年より使用)滑走路で、大型ジェットには対応していませんでした、2004年に2500m延長されてやっと!小型ジェット機の運行が可能となりました

第1目 高知自動車道が部分開通していたが唯一の陸路?国道56号は...

1987年(昭和62年)10月8日 大豊⇔南国間が部分開通したばかりで、高松自動車道とも繋がっていませんでした。

戦後になってから!1953年(昭和28年)5月18日に二級国道197号松山高知線(愛媛県松山市⇔ 高知県高知市)として指定されるまでは...

昔からの、"お遍路道"のままの剣道(県道)で集落部分は大型バスのすれ違いはおろか通行すら困難!な狭い極道で、ラリー路のような「未舗装のラフロード」が続いていたわけです。

1963年(昭和38年)4月1日 - になってやっと一級国道56号(高知県高知市⇔ 愛媛県松山市)の指定を受けて、改良工事に着手!

しかし愛媛県北宇和郡吉田町 ⇔東宇和郡宇和町間(地法華トンネル区間) (5.7 km) 改良付け替え事業に着手したのがやっと1967年(昭和42年)12月23日!

つまり宇和島も松山へは予讃線以外には...

※印は高知県側

※1970年1月1日:焼坂トンネル966 mを含む、高知県須崎市安和 - 久礼地区間供用開始

●1971年3月:愛媛県東宇和郡宇和町鳥坂⇔大洲市札掛間鳥坂トンネル(鳥坂・札掛地区)区間開通。
●1976年3月22日:愛媛県内、城辺御荘バイパス(現愛南町役場区間)供用開始
※1978年3月25日:高知県内、窪川バイパス完成。
●1979年4月1日:(一本松ずい道、正木トンネル区間)松尾峠(県境)区間開通
●1986年)9月25日:愛媛県内、県境部完成。

●1992年(平成4年)12月18日:愛媛県内、内海トンネル完成。
※1994年11月10日:高知県内、桑田山局改完成。
※2002年3月29日:高知県内、春野拡幅完成。
※2007年3月24日:宿毛⇔本松改良完成。
※2009年1月10日:高知県内、須崎道路の一般道路部分が全線開通。

※1988年にの友人の誘いで八幡浜までロングツーリングしたことがあり、その時に、八幡浜から足摺岬を往復ツーリングしたことがあった、

更に鳥越隧道を含む内海工区(現愛南町に)着手したのが1969年(昭和44年)になってから!

嘗て、宇和島水軍?のサテライトとして利用され、その後は山間部の棚田と・漁業でひっそりと暮らし、

文明開化後は風間地湊としても忘れ去られ、漁業をしても、由良半島に邪魔をされて、宇和島への陸揚げもままならず、1966年になってやっと船越運河の完成で、宇和島に水揚げできるようになりましたが、

第3目 国道381号(江川崎⇔窪川)

四万十川沿いの国道381号線も...

  • ●1972年(昭和47年)3月 - 高知県が主要地方道2号宇和島窪川線として県道認定
  • この時点で高知県側はほぼ整備が終わっていた!つまり予土線延伸区間の貨物輸送(木材搬出はトラック輸送に切り替わっていた!)
  • ●1975年(昭和50年)4月1日 - 一般国道381号(高知県須崎市 - 愛媛県宇和島市)として指定
  • 国道441号(江川崎⇔中村)
  • ●1982年(昭和57年)4月1日 - 一般国道441号(大洲市 - 中村市)として指定(1981年4月30日公布の昭和56年政令第153号)。
  • 前身は愛媛県道31号野村広見線と愛媛県道233号大洲城川線の一部。
  • ●1993年(平成5年)4月1日 - 高知県側の経路を国道439号杓子峠経由から旧高知県道3号宇和島中村線経由に変更(1992年4月3日公布の平成4年政令第104号)。

第3項 1988年瀬戸大橋の開業でやっと四国にも高速道路・の夜明けが...

1988年(昭和63年)4月10日E30瀬戸中央自動車道(瀬戸大橋)本四備讃線が同時に開業しました。

1992年(平成4年)1月30日 : やっと川之江JCT⇔大豊IC間の暫定二車線での開通により高松自動車道・松山自動車道が接続され一体化!しました。

第1目 須崎西IC ⇔四万十中央IC間の延伸整備計画が決定したのは...

1986年(昭和61年)5月1日 - 土佐くろしお鉄道が設立されて延伸工事が再開された1987年3月12日 のほぼ10年後1996年(平成8年)12月27日になってからの事でした、

更に、R56も、城山トンネル(2008年度(平成20年10月)完成)、須江市のかわうそトンネル2006年度(平成18年7月)完成、黒潮町佐賀 横浜トンネル1997年度(平成9年6月)完成、逢坂トンネル1992年度(平成4年2月)完成とまだまだ道路網未整備の状況が続きました

第2目 E56四国横断道路(都市間連絡道西線)も同様

宇和島自動車道はおろか、松山自動車道ですら未開通で、 1997年(平成9年)2月26日になってやっと 川内IC⇔ 伊予IC間に」延伸開で開業した有様、

2015年(平成27年)3月21日 : 一般国道56号(高規格幹線道路)として 宇和島道路の津島高田IC⇔津島岩松IC間が延伸開業されたところで、そこから先の建設見通しは全く立っていませんでした

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公開:2022年12月 3日
更新:2024年2月21日

投稿者:デジタヌ

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