連載《 別府鉄道をLRTとして復活できれば山陽新幹線・新加古川駅も夢では...》ー第3回ー
別府鉄道は戦前・戦後を通じて殖産鉄道(貨物鉄道)として、日本の発展に貢献しました!
第1項 別府鉄道
1984年(昭和59年)に鉄道事業撤退後は、タクシー・貸切バス事業者として営業継続した...鉄道事業は貨物輸送が主体だったが、旅客営業も行っていた。輸送量減少により、1984年の国鉄ダイヤ改正を機に、貨物輸送の維持が出来なくなり、全線廃止された。《Wikipediaより引用》
とされているが、地図をご覧いただければ一目瞭然、もとをただせば地元大企業多木化学(元化学肥料工場)の専用線!として敷設された路線で、地元民の為に?旅客ボランティア営業をしていただけのお話。
自社製品の貨物輸送(出荷)がメインで、戦時中にセイカ(現住友化学)の製品輸送、1966年には土山線沿いに建設された川重の車両工場(鉄道貨車製造)の出荷路線にもなっていた。
創業
1915年(大正4年)7月5日!
営業路線
野口線 (国鉄高砂線)野口⇔港口 4.3㎞
土山線 別府港⇔JR土山駅 4.1㎞
主要株主 (2011年3月現在)
多木化学(株) 87.54%
その他株主 12.46%
つまり多木化学の子会社!
第2項 命運を共にした国鉄高砂線と命運を絶った!山陽本線
山陽本線加古川駅⇔野口駅⇔高砂北口(山電高砂駅隣接)⇔高砂駅⇔高砂港駅間8㎞を結んでいた。
1888年12月に山陽鉄道により兵庫駅⇔ 姫路駅間の路線が繋がった時に加古川駅・土山駅が開業した。
1913年8月10日:播州鉄道により加古川駅⇔ 西脇駅間が繋がって播但線が開業した、同じ年の12月に加古川町駅 ⇔ 高砂口駅間で開業した。
更に翌年の9月25日に高砂港まで全開業した。
1923年(大正12年)12月21日:播丹鉄道に譲渡。
1943年(昭和18年)6月1日:戦時買収により国鉄高砂線となる。
1984年2月1日:"貨物営業廃止" 高砂駅 - 高砂港駅間 (1.7km) 廃止。。
12月1日:加古川駅 - 高砂駅間 (6.3km) 完全廃止。
その後一部は遊歩道や・一般道に改修されたがバス路線は設定されなかった。
本線高砂駅からか分岐した専用線としては
臨港鉄道として貨物輸送をメインに建設されたので、多くの引き込み線(専用線)を有していた。
- ●三菱製紙高砂工場 専用線
- ●鐘紡高砂工場 専用線
- ●鐘淵化学 専用線
- ●MHI 高砂工場専用線
- ●国鉄高砂工場 専用線
- ●神戸製鋼 高砂工場専用線
- ●キッコーマン高砂工場専用線
等の引き込み線が敷設されていた!
第3項 デジタヌの思い出の中で走る別府鉄道
一番最初に巡り合ったのは1976年当時、立売堀のポンプ屋の丁稚奉公?をしているときでした。
(県道383号)の別府踏切だったと思うのですが、正にビデオの通りの気動車(ガソリンカー?)が通り過ぎて思わず「なんやこれは...」と叫んでしまいました!
隣にいた先輩も、『わしも初めて見たのでなんやろな?...』
当時は、小生の故郷柏原市でもD51の引く貨物列車が走っていましたが、さすがにこのガソリンカーは...
更に時代が下って、2003年頃務めていた堅気の計測器会社の"断捨離"にあい、仕方なく大型トラックのプロドライバーとして凌いでいた?当時、緑町にあった某紙販会社の倉庫に、印刷用の原紙を運搬していた、
早朝に到着して、倉庫が開くまで周囲を散策した際に、別府鉄道の線路跡が続いているのを発見した、確か当時はまだ完全には整備されておらず、踏切跡が残されていたように記憶しています!
公開:2021年8月 4日
更新:2024年3月22日
投稿者:デジタヌ
連載《 別府鉄道をLRTとして復活できれば山陽新幹線・新加古川駅も夢では...》ー第2回ー< TOP >連載《 別府鉄道をLRTとして復活できれば山陽新幹線・新加古川駅も夢では...》ー第4回ー
▲日本の鉄道史研究班へ戻る