狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

祝?北陸新幹線敦賀延伸開業『 越美北線は廃線にしてオムニバスタウンを...』ー第2回ー

第2回 越美北線 とそれ以前からあった京福電鉄!の生い立ち

九頭竜ダム建設のために越美北線として九頭竜方面に延伸される以前から、福井と大野を結ぶ鉄道は京福電鉄として存在していました!

第1項 京福電鉄

京福電鉄の丸岡線(本丸岡⇔丸岡)、永平寺線(永平寺⇔金津)越前本線( 勝山⇔京福大野間)、三国芦原線(金津⇔芦原湯町間)

1914年4月10日 勝山 ⇔大野口間が延伸開業し、大野市が福井市と結ばれました!更に1918年9月1日 大野口 ⇔大野三番(後の京福大野)間が延伸開業して全線が開通しました!

京福電鉄は、旅客(観光)主体の旅客鉄道と思われがちですが...

電気機関車を所有していたように、実は貨物営業を営む立派な殖産鉄道でした!

沿線の、地場産業紡織、九頭竜川の建築骨材(川砂利・川砂)採掘業などから貨車輸送を行っていました。

つまり越美北線が開業する以前から越前大野の地場産業・旅客を支えていたわけです!

そして越美北線が1960年に開業と同時に貨物営業を始めたので、沿線の貨物需要が無くなった!わけです。

その越美北線も1982年11月15日に全線の貨物営業が廃止されました。

1974年に廃止されるまで大野市の大事なアクセス手段として越前本線がその役割をはたしていました。

残念なのは、芦原温泉駅で路線が分断されていたことで、もしも分断されてなかったら?

坂井市の丸岡城本丸!と芦原温泉、三国港を結ぶ重要路線!として生き残れたかもしれません?

立派な本格鉄道!

とくに京福電鉄はその名が示すように、京都と繋がることを目標に掲げた鉄道でした。

なので、他の地方鉄道よりは力が入った立派な設備を誇っていました!

特に永平寺線金津⇔永平寺間にある九頭竜川にかかる鉄橋は、当時の地方鉄道としては有数の規模を誇る立派な鉄橋でした!

第2項 北陸本線と越美北線の関係

第1目 全線開通の夢が絶たれて不要不急路線!となった越美北線

越美北線は1960年12月15日に南福井駅⇔勝原駅間 (43.1km) が開業した路線です!

つまり前途したように京福電鉄越前本線のほうが歴史が古いわけです!

さらに、1973年5月31日まで蒸気機関車運転による客車列車運行で、京福電鉄越前本線のほうが利便性は高かったわけです。

更に、九頭竜ダム建設の為の"こじつけ"として?敷設されたともいえる越美北線は、当初の全線開業の夢も消え失せて!

その役目を終えた今となっては、"ハピラインふくい(北陸本線)"の盲腸路線となり果てた不要不急路線と言い切れるでしょう!つまり路線を"意地"する意味合いが無くなったわけです!

 

公開:2022年7月10日
更新:2024年3月18日

投稿者:デジタヌ

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