連載《 東山線 は 銀座線 と並ぶハイテク・ミニ地下鉄 名古屋市交通局No1の稼ぎ頭!》ー第3回ー
敗戦後の1954年に着工して、1957年11月に名古屋駅 - 栄町駅間2.4km が開業して国内2番目の公営地下鉄となりました。
その後1969年には 中村公園駅⇔名古屋駅間 と星ヶ丘駅 ⇔ 藤ヶ丘駅間 が延伸開業してほぼ現在の路線が形成されて東山線の呼び名も使われだしました。
1971年12月20日 に名城線市役所 ⇔大曽根間 が延伸開業したことによりそれまで中央線千種駅で乗り換えていた人たちが大曾根駅で 乗り換えるようになって多少混雑は分散されましたが1975年当時は一日平均輸送人員520,408人もの人々を牛ぎゅう詰め状態で運んでいました。(※1)
1982年9月21日 中村公園駅間⇔高畑駅間 3.1kmが延伸開業して全線開通していまの姿になりました。
1989年9月に並行する中村区役所駅⇔ 今池駅間 に桜通り線が開業して、殺人的な混雑を敬遠した人たちが「不便を承知で」桜通り線に移り一日平均輸送人員は前年度比で一気に5万人!近く減り54万人代となて混雑は幾分緩和されました?
参※1)しかも後ほど詳述するように(40年ほど前の小生の居住実感!では)、当時は冷房も、網棚も無い!末期色の名古屋市交通局300形電車の全盛時代で、名東区の新興住宅地に居を構えて、中心部の栄迄通勤なさっていた団塊の世代のサラリーマンのお父さん方は大変だっただろうとお察っしします。
しかし名東区はまだまだ宅地開発の真っ最中で、沿線の住宅地にも空き地が目立ち、まさに人口爆発が起ころうとしていた直前の時期でもありました。
21世紀に入り
21世紀に入った2000年からは団塊の世代の一斉退職のあおりを受けて名東区沿線の住宅地から栄方面に通う通勤客が減りだして2001年には一日平均483,953人まで20世紀の1985年のピーク時の 593,282人 から8万人も乗客が減少して、朝晩の殺人的通勤時混雑!が多少は改善?されましたが...
21世紀に入った2004年3月 ATSが旧式の打子式から賢いCS-ATCに変更されました。
この年の一日平均輸送人員はCS-ATCのおかげで運行間隔が短くなったことを受けて輸送力も大幅に向上(列車運行間隔の短縮)しましたが...
この年10月6日 に4号線名古屋大学 ⇔新瑞橋間 が延伸開業して環状運転を開始して名城線となりましたが八事方面から栄方面に乗り換える人で前々年度の489,614人から一気に535,000人まで5万人近く増えてしまいました。
愛地球博では...
しかし、2005年に開催された愛知9泊?では、今も続くYouTuberの揶揄の原因となった「身なり相当の脆弱な輸送力」がクローズアップされることtなりました。
当時 一日平均輸送人員は前年度の535,000人から544,400に1万人近く跳ね上がり、CS-ATCで運行間隔をさらに切り詰めて増発するにも、車両不足!の状況となりました。
そして2015年9月可動式ホーム柵にも対応した全列車ATO運転が開始されました。
これで銀座線同様に「21世紀を名古屋市の希望の星スーパースター」に返り咲けました。
閉幕後は隣接長久手町の大躍進で...
お隣長久手町が宅地開発で急成長して長久手市(※99)となったおかげで、地球博閉幕後も乗客は伸び続け2011年には地球博特需の時と同じ54万人代に利用者が増えて、2016年には597,000人と前世紀!の1985年に樹立した記録593,282人を塗り替えました!
現在もさらに増え続けていて、公表されている最終年度の2018年の利用者数は60万人/日を突破して、名古屋市交通局の稼ぎ頭となています!
公開:2020年9月 6日
更新:2024年4月 3日
投稿者:デジタヌ
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