狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載《 親露派が唱えるSLB;Sibirskey Logistics by Broad gaugeからは戦禍を被る以外何も...》ー第2回ー

第2回 シベリア鉄道の本質は自国の exploitation railway!

帝政ロシア時外からシベリア横断鉄道敷設の目的はただ一つ、exploitation railway(開拓鉄道)"殖産鉄道"です!

「アムールトラ?とシベリア狼?」ぐらいしか"生き物"が暮らしていないシベリアでは...

つまり全土に、人民が溢れている中国とは異なり、「トラと狼」ぐらいしか"生き物"が生息していないような"不毛の大地"では...

High-speed railからbranch line(支線)を伸ばすより、有望なminingを直接結ぶmining railway(鉱山鉄道)のほうが適しているわけです!

別項で記したように、シベリア横断鉄道は、北海道同様に「アメリカの鉱山鉄道技術者」が計画に関与しています。

つまり水運が発達していた、嘗てのロシア(シベリア)でも、開拓は大河川沿いから始まりました。

第1項 passenger trafficなど"どうでもよい!"

その後に建設された鉄道でも、沿線には鉄道関係者、鉱山関係者しか居住者はおらず、しかも彼らは数百キロも離れた都市間を移動したりはしません!

ロシアの人口の平均移動距離(2011年)は、1人あたり年間約6300 kmです(西ヨーロッパでは15〜2万キロ、米国、カナダでは年間25〜3万キロ)。《ロシア語版Wikipedia ; Транспортная система России(ロシアの輸送システム)より引用》

更に、沿線にある集落の殆どが、建設時の拠点つまりはConstruction baseで既にabandoned town(廃墟)になっていたり、かろうじて存続していても「鉄道関係者しか暮らしていない超過疎エリア」ばかりです。

つまり生活するために必要な 生鮮食品、消費財などの生活物資輸送も、1週間に3往復!ぐらいの定期列車で近くの中核都市に買い出しに行ければ十分です。(と言っても100㎞近く離れていますが!)

なので、沿線の大都市ですら...衣料品などの"際物"を含む、生活物資はトラック輸送で間に合ってしまうわけです。

つまり、鉄道輸送は鮮度の要求されない「日持ちのする!」石炭・鉱産物・木材などの天然資源輸送が主体となるわけです。

そして、前途したように天然資源輸出を"対外政策(国防)の要"として利用しているわけです!

参※)当サイト内関連記事 ロシア鉄道の輸送密度とLabor productivity(生産性) はこちら。★

第2項 シベリア開発は木材伐採から始まった! 

forest railway(森林鉄道)の聖地?西シベリアタイガ地帯。

樹林地帯・タイガの木材開発から始まった西シベリア開発。

youtube動画に見られるようなRussian Narrow gauge(750㎜)の森林鉄道が、張り巡らされていました。

嘗ての北海道の武利森林鉄道同様に、軽便鉄道は路線の延伸・経路変更が容易で、しかも道路を建設するよりお手軽に敷設出来て、今も彼の地では「アメーバのように形(路線網)を刻々と変化させながら」生き続けているわけです。

第1目 シベリア鉄道とその支線が典型例

シベリアの場合は、森林開発(木材伐採)から始まり、「表土が露出」した休止林(放置)地区の部分で"炭田"やタール湖のような天然油井が発見されて、古くから資源開発が行われたので、夕張炭鉱のように「輸入炭」に押されて、生産コストの問題で「廃鉱」になったのではなく、(表層部に露出した鉱脈の)採掘を終えて、使命を全うして、abandoned town(廃村)になって"地名"だけが残った"カタカナ和製英語のゴーストタウン"となったplaceが各地に散在しています。

第3項 Yakutian Railwayも古くから

Кругобайкальская железная дорога(Circum-Baikal鉄道)から伸びるYakutian Railway(ヤクート鉄道)も...

元々、Транссибирская магистраль(シベリア横断鉄道)のБамовская(バモフスカヤ)からレナ川の港町ヤクーツクまでの区間が、750mmのRussian Narrow gaugeの"forest railway"として伸びていました!

そしてКругобайкальская железная дорога(Circum-Baikal鉄道)の建設資材運搬路線として活用された後に、

短絡路としてYakutian Railwayの起点?Нерюнгри(ネリュングリ)までに区間がCCCP Guage(1520mm)に改軌されて、Транссибирская магистральのbranch line(支線)として残り。

Нерюнгри(ネリュングリ)からстанция Томмот(トモット駅)間はそのまま、Russian Narrow gaugeの"forest railway"として残り、先の区間は「stopped the traffic(休止線)」として放置されました。

※、ロシア語版Железные дороги Якутии(ヤクート鉄道)とАмуро-Якутская железнодорожная магистраль(アムール・ヤクーツク鉄道)の説明によると...

Bering Strait(ベーリング海峡)横断 Alaska 連絡鉄道は、

1904年、フランスの起業家Loic de Lobelは、アメリカ人とともに、シベリア横断鉄道に参加する前に、チュクチとヤクートを通るシベリア -アラスカ鉄道を建設することをロシアに提案しました。年。この提案は、ロシアの部門間会議によって却下されました。《ロシア語版Википедия Амуро-Якутская железнодорожная магистральより引用》 

しかし、Alaskaは既に1867年3月30日にアメリカ合衆国に"売却"されていて、1912年5月11日にはアラスカ準州となるわけで、フランス人はともかく"アメリカ人"が、片棒を担ぐとは考えにくいのですが...。

 

公開:2021年12月19日
更新:2024年3月21日

投稿者:デジタヌ

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