狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

連載『 遠近分離と近鉄"ラビットカー"の生い立ち』ー第2回ー

第1節 日本初の 高加減速車 ラビットカーを必要とした理由とは

過日暇つぶしにYoutubeを見ていたら、「高加減速車両」阪神ジェットカーについての「迷列車シリーズ」投稿(と言うより珍説列車シリーズ!?)で、

『近鉄も「ラビットカー」と呼ばれる高加減速車両を南大阪線に投入したが、阪神以外では電力過食症?の非省エネ・高加減速車両は消えていった!?...』

と片付けられていましたが、実はそんな理由ではありません!

Youtuber は、よく「大人の事情(利害・思惑)」という表現でお茶を濁す風潮がありますが、この投稿もそのたぐい...

第1項 近鉄南大阪線が開業した頃

近鉄南大阪線は、1889年開業の(初代)大阪鉄道「柏原駅」を始発駅!としていた河陽鉄道(1898年開業の道明寺線の前身)が起源で、

1892年に(初代)大阪鉄道が湊町(現JR難波) ⇔奈良間が全通させると、単なる「支線・盲腸線」扱いとなってしまいました。

さらに1900年に初代大阪鉄道が関西鉄道(かんせいてつどう)に買い取られて、

名阪間を結ぶ幹線に昇格して、

更に1907年に国有化されると一層盲腸線化して不便になりました!

初代大阪鉄道当時には、毎年3月の道明寺天満宮菜種御供大祭開催時には湊町⇔道明寺間に臨時直通列車も運行されていました!

1919年2代目大阪鉄道を襲名して...

そこで1919年に大阪鉄道(2代目)に改称して、官営鉄道の呪縛から逃れてinterurban (都市近郊線)としての自立を目指しました。

1923年に国内初の直流1500V電化で道明寺→河内天美まで延伸

1923年にまずは道明寺駅から布忍駅(ぬのせ)とその先の車両基地(現河内天美駅)迄が先行部分開業して、同年中に現・阿部野橋駅の近くの大阪天王寺駅まで日本初の「直流1500V」電化の電気鉄道として延伸開業して南大阪線が開業しました。

近鉄南大阪線は遠近分離運行を採用している

現在(阿部野橋から7駅目の)布忍駅と大阪阿部野橋間は、先行開業した道明寺→布忍駅間に比べても駅間距離は極端に短くはありませんが、全駅 準急・急行などの優等列車はすべて通過して「各停」のみが停車する「急行通過駅」です。

第2項 戦後の高度成長期まで河内松原⇔阿部野橋間10㎞には追い越し駅がなかった!

戦後の高度成長期まで...

戦後の高度成長期(小生の幼少期)まで、準急停車駅の藤井寺駅・河内松原駅(小豆色のマーク)にしか待避線が無く!

河内松原ー阿部野橋間の10㎞8駅間には待避線が無い状況が続いていました!

為に、河内松原駅を発車した先行各停は(有名な"瀬戸電"の様に?)優等列車に追いつかれないよう、ひたすら"逃げ回っていた!"のです...

第3項  連続高架立体交差化事業と軌道改良

第1目 大阪阿部野橋⇔大和川間の♥連続立体交差化事業

近鉄線も後述するように1987年になって、やっと大和川⇔大阪阿部野橋間の連続立体交差化工事が完成しました!

そして同時に河内松原⇔大阪阿部野橋間の50kgN型レール更新(※21)も完了して、

この区間の最高運転速度は特急110㎞/h(急行以下100㎞/h)に向上しました!

その意味でも最高運転速度が低い高加減速車両の必要性はなくなったのです!

参※21)それ以前は、長年37㎏/mの普通レールが使われていました。

第2目 阪神線でも...

1961年に完成した野田駅周辺 連続高架化事業以来 、1968年の阪神本線西灘⇔石屋川間の連続高架化事業を経て、

1984年3月の日久寿川⇔甲子園間高架化事業を境に、

それまでの37kgレールを50kgN型レールへの設備更新が始まり、

最高運転速度106㎞/h運転(各停は91㎞/h)に対応させたようです?

現在全線が50kgN型レールの高規格軌道になったので、

阪神本線内は全種別最高運転速度106㎞/hとなり、80㎞/h以上の高速域でも加速を維持できる5700系に置き換わりつつあるのです!

 

公開:2019年4月28日
更新:2024年3月11日

投稿者:デジタヌ

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