タヌキがゆく

大和郡山市《 タウンヒストリア 》

大和郡山市とこれ迄の歩み

奈良県北部に位置する市。
推計人口、85,678人/2018年4月1日。

近鉄・郡山ー(大和西大寺)ー近鉄・奈良駅 14分/260円/近鉄

近鉄・郡山ー(大和西大寺)ー(京都駅)ー品川 3時間24分/15,110円/近鉄-近鉄特急-新幹線 546.9km

奈良盆地北部に位置し、佐保川や富雄川が南流している。また市内には池が数多く見られるが、これはため池や金魚の養殖池として用いられていたもので当市は「観賞用・金魚の産地」として全国的に有名である。

古くからの細かな路地が入り組んでおり、佐保川の東側の稗田集落は、中世的な環濠集落の姿を留めていることで知られている。

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大和郡山の生い立ち

戦国時代末期に筒井順慶が郡山城に拠り、城下町が形成された。

1585年に豊臣秀長(当時羽柴秀長)が郡山城に入り、郡山はこの時期大和国の中心都市として栄えた。

奈良奉行所の管轄となった江戸時代に一時荒廃した。

大坂夏の陣後に同戦役で活躍した水野勝成が入り、以後松平家、本多家と続き、享保9年(1724年)には、甲府藩藩主であった柳沢吉里が転封(国替え)され明治維新まで郡山藩として一帯を統治した。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、添下郡郡山町他8村区で郡山町が発足
1897年(明治30年)4月1日 - 所属郡が生駒郡に変更。以後1953年12月10日まで周辺6村を編入し町域を拡大。
1954年1月1日 - 市制施行して大和郡山市が誕生。福島県の郡山市と区別するために「大和郡山市」と定められた。
1957年3月31日 - 生駒郡片桐町を編入し現在の市域となる。

 

公開:2016年11月 3日
更新:2019年8月 4日

投稿者:デジタヌ

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