タヌキがゆく

オリンピックて何なの?  ーコラム2008ー

※<本記事は008年4月23日に旧サイトで初稿公開したレビューのお引っ越し記事です>

第1章 オリンピックのあり方に疑問あり!

(安っぽいナショナリズムを煽(あお)るだけの今のオリンピックのあり方に疑問。)

チベット問題にからめて、聖火リレーに対する妨害活動が世界各地で起こり、連日マスコミを賑わしています。

しかしオリンピックのあり方その物については語られていない

『スポーツと政治は切り離して考えるべきだ』

とアマチュアスポーツの関係者は口をそろえておっしゃいますが、果たしてそう言えるのでしょうか?

国家丸抱えのオリンピック協会が参加者を仕切っている今のオリンピック、のあり方その物に問題があるのではないでしょうか?

ワールドカップにしても然りです、サポーターと称する人たちは、ニッポン、ニッポンを連呼して安っぽいナショナリズムに酔い知れている様にしか見えません。

しかしこの人達は一度でも『愛国心』とは何か?

などと考えたことがあるのでしょうか?

『クーベルタン男爵の理想』を具現化するのであれば、今のオリンピックの開催方法から考え直す必要が有るのではないでしょうか?

例えば、今の各国のオリンピック協会が『国家権力=金』 を傘に着て『代表選手』という訳の分からない選抜をし、これまた『既得権益の総帥』のような国際オリンピック協会に上申して行くやり方自体に問題が有るのではないでしょうか?

オリンピックと言う『一大ページェント』その物を、完全に『エンタテイメント・ショー』にしては?

今の様な『国家主義的オリンピック協会』を改め、国際オリンピック協会を『プロモート企業』として多国籍企業化し、各国からの補助を一切受け無い独立した形で『各国政府の紐付き開催』から脱却してはいかがでしょうか?

勿論、競技場などの施設建設には地方自治体・国などの協力を仰がねば成らないで部分はあるでしょう、

今後国内においても『選手強化費』などの名目の『不明朗な税金の無駄遣い』は一切やめるべきではないでしょうか? 

『スポーツに垣根は無い』と言いながら、オリンピックに選ばれた、種目とそうでないスポーツでは、政府が国内で待遇の垣根をこしらえているのは衆知の通りです。

雲泥の差どころか『助成金』名目の『国家からの紐銭?』が全くないスポーツ団体すらも多とききます。

メジャーなスポーツとしては、"ラグビー"がそうであるしゴルフ、FIーGP、Kー1GP、ゲートボール!?...数え上げればきりがない程です。

かつてのテコンドーも然り、野球ですら北京大会後は競技種目から外されるのはご存知の通りです。

『各国の選手団』などは存在しない仕組みを導入すべし!

例えば日本で言う『各種団体』や『NPO法人』等の母体となる普及促進団体が有って、世界大会を開けるだけの『普及』つまりは『観客動員』が見込めるスポーツであれば、国際企業の新生オリンピックプロダクションが世界各地で年一回の『オリンピックの商標を冠した世界大会』をプロモートし、『各国の支社』単位で主催して大会から得た『収益金』で会場のレンタル費、運営費などを全てまかなうような仕組みは考えられないのでしょうか?

スポーツクラブ後援の『個人エントリー』を基本とすべし

各国オリンピック委員会単位でのエントリー方法も大幅に見直し。

1)スポーツクラブに所属しエントリーフィーを払えば誰でも予選に参加出来るようにする。

2)予選を勝ち抜いた者が、メイン会場で開かれるオリンピック本大会に参加出来るようにする。

このようにすれば、

『政治とは切り離せない紐付きスポーツ団体』による『国家間の威信を掛けた戦い』

でなくなり、

『エンターテイメント・スポーツの祭典』として『真のスポーツマンシップを表現するイベント"』

に成れるのではないでしょうか?

そうなれば、

『聖火リレー』等は単なる『プリキャンペーン』

の一環にすぎず、『人権団体』や『環境保護団体』や、『テロリスト』の標的に成ることは無いでしょう。

現状のやり方でオリンピックを継続する限り、未来永劫とも『国威発揚(発情?)』や『プロパガンダ』の場となり、

『オリンピック大会』を政治から切り離して評価することは難しいでしょう!

オリンピックをプリパガンダの場としては成らない!

古くはナチスドイツの開催したベルリンオリンピック、最近では旧ソ連が開催したモスクワオリンピック、そして今回のレッドチャイナの開催する北京五輪等、

各国政府が直接後押しするプロパガンダの場としての現行の『各国選手団エントリー』方式オリンピックでは、『主義主張のために参加を辞退』する国が現れても致し方無いのでは無いでしょうか

第2章『貴方はオリンピック日本大会を必要と思いますか?それとも不要ですか?』

長野での聖火リレーが無事に?終わり、聖火は次の国に移動し連日のニュースでの取り上げ方も『他国の騒動に変わった』。

今、庶民の目は北京オリンピックの代表選手に選ばれるアスリート達に移ってしまいましたが、この機会にもう一度原点に立ち返り上記の問題を考える時ではないでしょうか?

もしもこの質問を、マスコミに街角でインタビューされたら、貴方ならどうおこたえになりますか?

筆者なら、即座に"不要"と答えるでしょう!

現状の、『国家の紐付きオリンピックの開催方式では、プロパガンダに利用され、政治の道具にされるのはアタリマエ。』ダカラです。

決してオリンピックのような、『アスリート達の祭典』が不要だと言っているのではありません!

その『開催の仕方』に問題がある、と言っているのです。

ご存知の通り近代オリンピックは、フランスのクーベルタン男爵の提唱により1896年(明治29年)アテネで第一回が開催されました。

途中2度の世界大戦(第一次大戦1914年(大正3年)~1918年(大正7年)、第2次大戦(1939年(昭和14年)~1945年(昭和20年))で中断されはしたものの、今日まで"列強各国"の国威発揚の場として利用され続けてきました。

つまり、第一次大戦前の"君主制の欧州列強"のなかで生まれ、人類のためではなく国(国王)間の威信を懸け"国威発揚(発情?)とプロパガンダの道具"にされてきたのです。

国家間のボーダーレスが標榜され、EU(ヨーロッパ連合)のように国境検問が廃止され、EU内を自由に往き来できるようになった今、

このような前時代的な封建体制が生んだ国粋主義に毒された近代オリンピックにどのような価値が有るというのでしょうか?

北京オリンピックを間近に控え、"法外な金額を払わされて放映権"を手に入れているNHKを初めとするマスメディア各社は、話題を聖火リレー問題にすり替えこの問題を取り上げようとはしません。

『いったい何の為に、莫大な税金を投入してまで長野聖火リレーを警護する必要が有ったのか?』

が大方のアナリスト仲間の辛口批評でもあります。

時の政府にしても国民の関心をもっと大事な問題、例えば『暫定税率問題』からそらせ、どさくさに乗じて衆議院で再可決しようとしているようにしか見えないのではないでしょうか。

前回述べたとおり、どうしてもオリンピックを続けたければ、IOC(国際オリンピック委員会)と称する前近代的な既得権益の温床団体を民営化し、各国のオリンピック委員会もオリンピック株式会社の各国支社に即刻事業転換して、 極限まで鍛え抜かれた一流アスリート達の為の

『一大エンターテイメント・スポーツショウ』として再出発すべきだと思います。

最終章 かつての"メダリストや大選手"が全て高潔な人たちとは限らない!

そう言う人たちが理事に名を連ね、牛耳っているスポーツ振興組織に、"強化費"名目で湯水の如く税金を垂れ流し理事達が『不明朗な使途不明金』をバラ蒔いている現状が果たして良いのでしょうか?

アスリート達にとっても現状の日本オリンピック協会が、スポンサーの選定・認可を牛耳っている状況には、不平不満が続出していると聞いています。

例えば、競泳の水着は、水泳連盟が、美津濃、とデサントしか認めず、ヨーロッパの強豪達が使用しているハイテク水着は使用を認められていなかったり。

この為に1/100秒を争う競泳では非常に日本の選手に不利に働いていると聞いたことがあります。

これが、"お上→下部組織"という"金の流れ"が無くなり、各アスリート達が、個人又は所属スポーツクラブ単位でスポンサーと契約出来るようなシステムに"『規制緩和?』されれば、アスリート達にとっても、自由度が増えるはずです!

毎年各スポーツジャンルの世界記録は更新されています

が、勘違いしてはならないのは一般庶民の平均的な走・跳・投・泳と言った能力が向上しているわけではない事実です。

世界記録が更新されているのは、"極限まで鍛え抜かれ研ぎ澄まされた肉体"を持つ"改造人間"と言っても良いような"、たぐいまれなタレントをもつトップアスリート達がたたき出しているにすぎません。  

彼らは、日々記録更新のためにだけ精進し、その結果としてすばらしい記録を作っているのです。

個人エントリー、スポーツクラブエントリーになっても、このようなすばらしいトップアスリート達には、全世界からスポンサーが集まるでしょう。

又、そうでないフツーのアスリート達でも、所属スポーツクラブや、各種団体、ボランティア等の支援組織からの援助は仰げるはずです。

湯水の如く国民の血税を貰っていて、世界レベルにも達しないような競技の代表選手達は恥じを知るべきです。

アスリート達は国の補助に頼るのではなく、自分達の"タレントと努力"で大会参加を目指すべきではないでしょうか。

これには、以下の改革が必要でしょう。

一つ、IOCの解体

一つ、個人エントリーを採用し、選手団(国)単位での参加の廃止。

一つ、表彰式での、"国旗掲揚""国歌斉唱"の廃止。

以上が達成されればボーダレスを目指す現在の地球人は、

"国境や民族の違いを超えて、アスリート達による真のスポーツの祭典" として諸手を挙げてオリンピックに賛同するでしょう。

<おしまい>

公開:2008年4月23日
更新:2018年10月25日

投稿者:デジタヌ

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