狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

1970年大阪万博に合わせた市内4大幹線の一方通行実施!は何だったのか?《 御堂筋 第3回 》

第3回 1970年大阪万博に合わせた市内4大幹線の一方通行実施!は何だったのか?

第1項 渋滞緩和を錦の御旗に御堂筋、四ツ橋筋、堺筋、松屋町筋を一方通行化!

この間、市営モンロー主義者(旧大阪3郷町衆)は、1970年大阪万博の年に渋滞緩和を錦の御旗に掲げて前途した御堂筋、四ツ橋筋、堺筋、松屋町筋の一方通行を市民に押し付けました!

第1目 西から...

  • 四ツ橋筋 北行
  • 御堂筋 南行
  • 堺筋 北行
  • 松屋町筋 南行

一方通行!?が実施されました!

第2項 "よとう(夜盗?)自民党大阪市議団は地下鉄建設を

さらに、当時日本の経済界を支えていた関西経団連、関西同友会、大阪商工会議所をバックに、

"よとう(夜盗?)自民党大阪市議団は、地上交通の渋滞を盾にとって地下鉄建設を猛進!させました。

その後、上記4大主要幹線(主要幹線は20m幅のまま!)を除く市内の南北幹線・東西幹線が次々と拡幅(新設)整備されて、

1975年以降は市内中心部では渋滞は見られなくなりました。

(※これは当時生意気にもマイカー通勤で市内を抜けていた小生の実感)

第3項 令和の今、新たに地下鉄建設を行う大義は無くなり...

そして令和の御代になった今、市内中心部では新たに地下鉄建設を行う大義は無くなっています。

  • 紫のラインが1964年以降新設・拡幅された道路です。
  • 黄色のラインは1964年以降も手を付けなかった?街路です。

つまりえんじ色の御堂筋はもともと44m幅の防災道路だったのです。

 

公開:2018年7月 9日
更新:2025年7月20日

投稿者:デジタヌ

御堂筋廃道!計画とは...《 御堂筋 第2回 》TOP北区(旧4大区)と"維新の会"の野望"大阪・梅田新都心"計画とは...《 御堂筋 第4回 》


 

 



▲市営モンロー主義 の系譜へ戻る

 

ページ先頭に戻る