タヌキがゆく《狸穴総研機関誌・狸穴ジャーナル》

豊中市《 タウンヒストリア 》

大阪府(摂津国)豊中市とこれ迄の歩み

大阪府

かつては、都道府県で東京都に次ぐ第2の人口だったが、2006年5月1日に神奈川県が大阪府の人口を上回ったため、現在の人口は第3位である。

府庁所在地大阪市
推計人口、8,819,416人/2018年4月1日

豊中市

元摂津国・豊島郡に属していた大阪北西部にある市。

推計人口、397,682人/2018年4月1日。

阪急・岡町駅(豊中)ー阪急・梅田(大阪市) 

廃藩置県と大阪府の変遷

一般的には1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の明治新政府の布告日が知られているが実際には1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の大政奉還からの廃藩置県布告を挟み1872年の 第1次府県統合終了まで明治新政府によって進められた行政改革で旧摂津国も幾多の行政変遷にさらされた。

1868年(慶応4年)1月22日大坂鎮台設置。

同年1月27日大坂鎮台を大坂裁判所と改称。

同年4月大坂裁判所に町地を除く周辺部を管轄する司農局設置。

同年5月2日大阪府設置。

大阪府発足当時の管轄地域は、摂津国東成郡61村、西成郡132村、住吉郡37村、河内国交野郡1村(加納藩預地)であった。

同年5月19日奈良県設置。

同年6月8日大阪府司農局が南北に分割。

同年6月22日 堺県設置。

同年5月10日摂津県を豊崎県に改称。

1869年10月25日(旧暦9月21日) 東成郡・西成郡が大阪府の管轄となる

1870年2月27日 堺県石川郡・錦部郡の一部を五條県に編入。

1871年8月29日(旧暦7月14日)廃藩置県布告。

1871年12月31日(旧暦11月20日)第1次府県統合により、島下郡・豊島郡・能勢郡・西成郡・東成郡・住吉郡および島上郡の大部分(山崎村を除く)が大阪府の管轄となる。

1873年10月5日 - 島上郡山崎村が大阪府の管轄となる。

1881年2月7日 堺県を大阪府に編入合併。

1887年11月4日 奈良県を分離再設置し現在の府域が完成。

律令体制化に制定された国割

摂津国

古代から瀬戸内海航路の起点で、淀川・大和川水系との結節点でもある難波津があり、津国(つのくに)と呼ばれた。

豊中市・池田市・箕面市西部などからなる豊島郡等の7郡と、現兵庫県の4郡、都合、11郡で構成されていた。

天平16年(744年)には恭仁京から難波京への遷都が実施された。聖武天皇は遷都の翌年再び平城京に遷ったが、その後も難波は副都として維持された。しかし、桓武朝の長岡京遷都に伴って難波宮が解体され、副都の実は失われたため、

延暦12年(793年)3月9日に摂津職を廃し、新たに摂津国を置いた

前身の摂津職から引き継いで「摂」の字を冠し、「せっつのくに」とも呼び、また元の津国の訓みそのままに「つのくに」とも呼んだと伝えられている。

難波津も土砂の堆積が進み、その機能は淀川分流にある神崎や江口などに移っていった。

1467年 ・1477年 の応仁の乱には、豊中市域も戦乱のちまたになった。

戦国時代には刀根山城・勝部城・原田城・西市場城・今在家城・穂積堡など、国人領主や土豪が相次いで居城を築いたが徐々に姿を消す。

1573年(天正元年) - 織田信長からその才を認められて荒木村重が摂津一国を与えられる。
1578年(天正6年)11月 - 荒木村重が織田信長に謀叛をおこす(有岡城の戦い)。
1579年(天正7年)6月 - 信長に攻められ、伊丹城落城。。

江戸幕府の「入組支配」

入組支配;江戸幕府が行った政策で、かつての律令国家の上に成り立つ、地方豪族・大名に対し頻繁に転封(国替 )・減封(領地召し上げ)を行い地方の統一・団結を阻む政策。このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。

慶長20年5月7日、大坂夏の陣以降の江戸時代には外様大名の青木氏(1万石)が麻田陣屋を築き、豊中市内の一部を統治した(麻田藩)。このほか、浜には飯野藩(現・千葉県富津市)の浜村陣屋(現豊中市浜)、桜井谷には岡部藩(現・埼玉県深谷市)の陣屋、上新田は淀藩領、そのほかに一橋徳川家領、代官支配地、公家領、旗本領、天領などが入りみ、独立した藩としては、麻田藩、のみであった

1626年(寛永3年) - 上新田・下新田の開発が行われる。

「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り(416,236石余)。太字意外は大名の飛び地。

豊島郡(31,640石余) - 麻田藩 及び代官支配地;、幕府領、旗本領、一橋徳川家領、、武蔵岡部藩、上総飯野藩、備中岡田藩

同年2月 - 豊島郡・川辺郡・西成郡・東成郡の幕府領・旗本領が大坂裁判所司農局の管轄となる。

以降3年後の1871年迄所轄が目まぐるしく変遷し、

1871年12月31日(旧暦11月20日) - 第1次府県統合により、島下郡・豊島郡・能勢郡・西成郡・東成郡・住吉郡および島上郡の大部分(山崎村を除く)が大阪府、川辺郡・有馬郡・武庫郡・菟原郡・八部郡が兵庫県の管轄となる。

豊中市のこれまでの主な出来事

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、岡町村他4村、が合併して豊島郡豊中村が発足。

「豊中」の地名が生まれたのはこのときで、豊島郡の中央にあることから名付けたと伝えられている。これらの「豊」の字は旧字体では「豐」であり、

1910年(明治43年)2月 - 箕面有馬電気軌道(現:阪急電鉄宝塚線)の開通。これを機に大阪の衛星都市として急激に発展する。
1927年(昭和2年)4月1日 - 町制を施行して、豊能郡豊中町となる。

1927年(昭和2年) - 府立豊中中学校から豊中駅までの市域最初のバスが運行開始。
1929年(昭和4年) - 十三 - 池田間に阪神合同バス(現:阪急バス)が運転を開始する。

1936年(昭和11年)10月15日 - 豊能郡豊中町・他3村が合併し、豊中市となる。以来1955年(昭和30年)1月1日 - 豊能郡庄内町を編入迄周辺町村の編入合併を繰り返し現在の市域となる。

1939年(昭和13年)8月 - 市役所旧庁舎落成。
1945年(昭和20年)6月7日 -の初空襲以来終戦まで6回にわたり米軍による空襲を受ける。

罹災面積96ha、罹災人口12,951人、死者575名、重軽傷者898人、罹災家屋3,540戸を数え、大阪府下では大阪市・堺市に次ぐ戦災都市となった。
1958年(昭和33年)3月 - 米軍伊丹基地が返還され、大阪空港(現:大阪国際空港)開港。
1958年(昭和33年)5月 - 千里ニュータウン開発を決定。
1959年(昭和34年)7月 - 大阪国際空港が第一種空港の指定を受ける。
1961年(昭和36年)7月 - 千里ニュータウン起工式。
1963年(昭和38年)7月16日 - 日本初の高速自動車国道として、名神高速道路の栗東 - 尼崎間が開通。豊中インターチェンジも同時に供用開始。

1964年(昭和39年)尊御堂筋地下鉄部分と、新淀川大橋の上流部分(南行車線)が開通。

1966年(昭和41年)4月 - 千里ニュータウン構想に基づき新千里北町が完成。
1967年(昭和42年)8月29日 - 阪神高速(現:11号池田線)福島 - 豊中北間が開通(同年10月に中之島 - 福島間、

1969年2月 阪神高速豊中北 - 大阪空港間、1970年3月に大阪空港 - 池田間が開通)

同年(昭和44年)新御堂筋新淀川大橋の残りの下流部分(北行車線)が供用開始。

大阪市(国道1号交点)から千里ニュータウンを経由し箕面市萱野(国道171号交点)を結ぶ大阪府道大阪箕面線が全面開通した。

1970年(昭和45年)2月5日 - 大阪国際空港ターミナルビルがオープン。
1970年(昭和45年)3月1日 - 中国自動車道の吹田 - 中国豊中間が開通(同年7月に中国豊中 - 宝塚間が開通)。
1970年(昭和45年)3月15日 - 日本万国博覧会開催(- 9月)。北大阪急行開通(江坂-万博中央口間)。
1990年(6月 - 大阪モノレールが千里中央 - 南茨木間で営業開始。

1994年9月に大阪モノレール柴原 - 千里中央間開通
1995年(平成7年)1月17日 - 阪神・淡路大震災で南部を中心に甚大な被害を受けた。

1997年4月 大阪モノレール 大阪空港 - 柴原間が開業。

2001年4月 - 豊中市が特例市に移行。
2012年)4月1日 - 豊中市が中核市に移行。

 

公開:2016年11月 4日
更新:2020年11月10日

投稿者:デジタヌ

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