狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

やられっぱなしの柏原市 ーシリーズ「何とかしようよ我が町柏原」2006-3

※<本記事は03/03/2006に旧サイトで初稿公開したレビューのお引っ越し記事です>

第1回 目覚めよ柏原市民

評論家とマスコミに踊らされている政府・与党 第1回 で大店立地法について筆者の考えを述べたが、今回は我が柏原市にご提案申し上げることにした。

前回は、筆者の関東在住時代に訪れた町々、例えば 熊谷、高崎、上尾...、等の東北線・高崎線沿線の町々を思い浮かべながらキーボードに向かった。

正にそれらの町々では駅前市街弛の空洞化が進行していた。

我が故郷に戻って早2年がたとうとしているが、数十年前と何ら変わっていない町並みに接し、当初懐かしくもあっが反面あまりの寂れように二の句もつげなかった。

前市長の数十年に渡る失政のおかげで、大正通商店街やオガタ通り商店街などかつて賑わった商店街が嘘のように静まりかえっていた。

この間、周辺都市では道路拡幅、市街地改造、区画整理、など共産党や一部住民の反対運動にも屈せず着々と実をあげていった。

その間我が柏原市は永い眠りについていた訳である。

お調子者?の前市長は私腹を肥やすため、そして住人の非難を交わすために役にも立たない箱物をせっせと作り続けた。

結果、ツケは確実に市民にまわり、いったん災害が発生したら逃げまどう人々で道はあふれ、大型消防車も入れないような危険な『人災都市』に成り果ててしまった。

彼一人が悪いとは言わない、問題意識も持たずに彼を再選し続けた我々市民の側にこそ問題があったのであろう。

眠りについた柏原市を尻目に、地元商店街に追い打ちをかけるがごとく、市境の隣接地に次々と大規模店が進出してきた。

マイカーが利用できないような不便な地元をさけ、市民は隣接市のスーパーで買い物をする様になった。

その間バスも入ってこれないような柏原駅周辺はどんどん寂れ、ダイエーも撤退をほのめかしだした。

前市長を支持し続けた"老人達"には日常生活の"不便"が、

若者達には"箱物行政"の付けとも言える莫大な"維持管理費"を捻出するための高額の税だけが残った。

今になってやっと、柏原駅前に"乗り合いバス"が乗り入れ出来る様な道が完成しようとしている。

<以下次回に続く。>

 

公開:2006年3月 3日
更新:2019年2月20日

投稿者:デジタヌ

【レビュー記事】柏原2006 第0回「柏原市の若者たちに告ぐ」TOP柏原市は気長に住人を説得してでも、まずは道路整備から手を付けるべきであったのでは?


 

 



▲河内・柏原レビューへ戻る

 

ページ先頭に戻る