タヌキがゆく《狸穴総研機関誌・狸穴ジャーナル》

延岡市《 タウンレビュー 》

延岡市のあらまし

大分県との県境に接する人口約12万人の宮崎県の中核都市延岡市。

推計人口、122,372人/2017年10月1日

延岡-宮崎、1時間6分/JR特急/3,100円/83.7km

延岡-(宮崎空港)ー(羽田空港)ー東京駅/5時間45分(搭乗時間1時間35分)/44,740円/JR&ANA/1013.6km

延岡市の歩み

天正15年(1587年)、豊臣秀吉の九州征伐により高橋元種が日向縣藩(後の延岡藩)に縣城(延岡城)を築城(1603年)して近世城下町と成った。

江戸幕府の公文書で正式に延岡藩としての記述が見られるのは、2代目城主三浦明敬支配の元禄期以降。

明治期になり、宮崎県設置により県庁が宮崎市におかれたことから、延岡は県庁から最も離れた旧城下町となった。

1889年4月1日 - 新政府の町村制施行令に伴い、東臼杵郡延岡町が発足した

1922年当時 町政時期の人口は2万3千人ほどの田舎町に過ぎなかった。

1923年に野口遵が旧日本窒素肥料の工場を建設したのを機に、1930年代末にかけ日窒系の工場が次々と建設され、延岡は県内屈指の工業都市として発展した。

1930年4月1日 - 東臼杵郡延岡町・恒富村・岡富村が合併し、延岡町の町域が拡がり県北部の中核都市と成った。

1933年2月11日に市制施行し、延岡市となる。

1939年には9万1千人を数え、宮崎県内最大の人口を有する都市となった。

1945年の終戦後旧日窒コンツェルンは解体され、延岡の工場は旭化成として再出発した。1951年頃は市民の約半数、市税納入額の3分の2が旭化成関係であり文字通り「企業城下町」として栄えていた。

近年は大消費地から遠いことや化学工業が石油コンビナートに移ったことから旭化成における延岡の比重は小さくなり市全体の経済力はなくなり、1982年を境に人口も減少し2017年現在約12万人まで減少し、その他の地方都市同様減少し続けている。

 

公開:2016年10月31日
更新:2018年11月24日

投稿者:デジタヌ

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