狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

大阪市電 の走っていた頃 《 鉄タヌエッセー 2007》

※<本記事は11/03/2007に旧サイトで初稿公開したレビューのお引っ越し記事です>

ートラムタヌキのおもいでシリーズ2007ー

第1章 雑感と思い出

名将と呼ぶにふさわしいと思うが、当時の大阪市長 関一氏が勇気を持って市議団の猛烈な反対を押し切り始めた地下鉄事業を、その孫である關淳一現市長が同じく市議団の猛烈な反対を向こうに回し、幕を引こうとしている。

何とも皮肉な結末ではある。

しかし此処で幕を引ければ、關淳一氏も歴史に残る名市長となるであろう。

心に残る大阪市電の思い出

さて、大阪市電の路線の変遷(衰退編)と言う某個人のWEBページ http://page.freett.com/soundhis/shiden/rosenzu2.html  に(大阪市電が走ったことのある経路図)と言うのがあって、かつて総延長124.9Km にも及んでおり市内をくまなく網羅していた様子が伺える。

これらは、バスそして勿論地下鉄に転換されていっただけで軌道特許は活きている。

環状線も地下鉄中央線も開通していなかった頃、天保山に行くのは子供心にも大変であった。

確か上六から、市電に揺られて大阪港まで出かけたように記憶しているし、

懐かしくもある。

当時何となくぼんやりと覚えている想い出として 姉の高校の修学旅行先が九州であった、しかも往路は船!。

別府航路の関西汽船の客船、確か2000トンにも満たない小さな船であった様に記憶している。

この辺の話は姉本人に聞かないとハッキリしないが...。

何と言っても姉と小生は11才離れており、見送りに行った当時は小学校にも上がっていない5才の頃。

出航時にはドラが打ち鳴らされ、用意しておいた紙テープで別れを惜しんだ事はハッキリ覚えている。

天保山桟橋には親父の出張の時も見送りに出かけたので、その時の記憶と混同しているのかも知れないので定かではないが、当時を思い起こしてみると小生の印象では、チンチン電車はいつでもそれなりに混雑しており、座席に座れた記憶が無い。

中央大通りも開通しておらず、港通りをガッタンゴットン、グァーと騒音を撒き散らしながら走っていたように記憶している。

当時の大阪市電には最新のカルダン駆動の大型のボギー車もあったようだが、小生の記憶にあるのは吊り掛け駆動台車の小型車両で、良く揺れることと、けたたましい騒音が強く印象に残っている。

第2章 親父と市電

小生が幼い頃、中折れ帽に開襟シャツにダブダブの背広と言う出で立の親父と、

着物姿がよく似合う小柄で美人の母親と、これまた半ズボン姿の可愛い?小生が連れだって大阪の街に良く出かけた。

大阪に出かけた時は良く市電に乗ったことを覚えているし、千日前当たりの交差点の記憶も結構ある。

地下鉄は開通していたのだから天王寺からナンバへは地下鉄でも行けた、いや行ったはずなのだがこちらは余り記憶がない。

親父と出かけるときはたいてい市電であった。

市電の方が乗車賃が安かったと言う理由もあるのだが、それより何より親父は市電が好きであったようである。

ついでに言うと親父は汽車も好きで、わざわざ港町駅(現JRナンバ)から汽車に揺られて柏原まで帰り、一時間に2本ぐらいの不便な近鉄柏原線に揺られて家路についたのも良く覚えている。

第3章ー 全国都市交通初乗り料金対決? ー

※<本記事は2007年11月5日に旧サイトで初稿公開したレビューのお引っ越し記事で、料金は当時のものです。>

『高いか安いか? 貴方ご自身でご判断ください。』

と言っても、誰だって見れば判るよね?

北から

札幌市交通局¥200

仙台市交通局¥200

東京メトロ¥160

都営地下鉄¥170

横浜市交通局¥200

千葉モノレール¥190

名古屋市交通局¥200

京都市交通局¥210

大阪市交通局¥200

JR東西線(大阪市内)¥120

近鉄(市内地下部分も含む)¥150

京阪電車(市内地下部分も含む)¥150

神戸市交通局¥200

神戸高速鉄道¥120

福岡市交通局¥200(となりの駅なら¥100!!)

おまけ

長崎電気軌道¥100!!

大阪では有名なTVコマーシャルに

『光は高い、それ間違い、...』これをもじって 『地下鉄は高い、それ間違い...』

全国各地の『高~い地下鉄』をご利用の皆様、

貴方にとっての地下鉄とは?

そしてそのコストパフォーマンスをどう判断しますか?

『あ、あ、あ、あ~(わわわわ~)長崎はー(わわわわ~)今日も百円だったー』

地下鉄は、これからも市民そっちのけで、伸び続けるのか?

本シリーズで取り上げたように、現在市営地下鉄の総延長は129.9kmで市電当時の特許距離を超えている。

しかしこの距離129.9kmは市電当時には特許が降りていなかったニュートラム線や先頃開通した今里筋線・谷町線の阿倍野以南なども含まれている。

と言うことはいつでも地下鉄として復活できる路線は市内至る所に残されていることになる。

その昔一度でも「市電が走っていた沿線の住人」には、「おらが町にも地下鉄を引ける」可能性が残っている訳である。

自民党市議団には当分飯の種(業界からの政治献金と、選挙協力)に困らない位の、誘致ネタが残っているわけである。

ああ恐ろしや恐ろしや~。  -おしましー

 

公開:2007年11月 3日
更新:2020年12月19日

投稿者:デジタヌ

鬱病の妻に捧げる涙。 後編TOPスケベ・アスペルガー親父の恋愛論


 

 



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