中野サンプラザ 《ホール音響Navi》
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クラシックファンには縁の無い?、今時アイドル・熱狂文化の登竜門。
このホールの次はあこがれの「武道館」ライブが待っている。
PAガンガンで耳をつんざく大音量と反響渦巻く中、スタンディングで熱狂できれば、座り心地などどうでも良いし、見晴らしなんか気にならない!
そんな座席付き大型ライブハウスが中野サンプラザだ。
中野サンプラザのあらまし
Official Website https://www.sunplaza.jp/
アイドル歌手の晴れ舞台、若者・熱狂文化の象徴施設。
かつて 雇用促進事業団が全国に大盤振る舞いでまき散らかした勤労者福祉施設の一つでテルサではないが開館当初は「全国勤労青少年会館」という立派な名称がついていた。
地上20階、地下3階。大小2つの三角積木を合わせて置いたような、特徴的なデザインを有する中高層ビルの中にあり、1階から4階が椅子付きライブハウスになっている。
2003年(平成15年)に一旦閉鎖され、中野区と金融機関・企業等が出資して設立された「㈱まちづくり中野21」が52億9987万円という破格の安値!で取得し2004年12月より中野サンプラザとして営業されている。
「全国勤労青少年会館」開館当初は若者の就業相談を請け負う「サンプラザ相談センター」、図書室などを併設していたが、民営化で廃止され、現在は、ホール、ホテル、結婚式場、カルチャーセンター、レストランなどが営業している複合商業施設となっている。
音痴ぞろいの先生方が評議員であてにならないことで有名な「日本音響家協会」と「日本劇場技術者連盟」共同指定の優良ホール100選に選ばれているらしい。
中野サンプラザのロケーション
ところ 中野区中野四丁目1番1号
中野サンプラザへのアクセス
鉄道・バスなどの公共交通
東京メトロ東西線中野駅北口・JR中央線中野駅より徒歩約2分/230m
マイカー利用の場合
(※北口周辺には駐車設備(民間有料駐車場)も多くマイカー利用も可能?)
首都高速中央環状線中野長者橋ランプより中の通り経由約15分/3.2㎞。
中野サンプラザの施設データ
- 所属施設/所有者 中野サンプラザ/株式会社まちづくり中野21。
- 指定管理者/運営団体 株式会社中野サンプラザ/株式会社まちづくり中野21。
- 竣工・開館 1973年6月1日
- 設計 林昌二
リハーサル、練習室、音楽スタジオ
1室のリハーサル室、を備えている。
リハーサル室、;床面積約154.2㎡(約93.畳)
アップライトピアノヤマハU3を装備している。
中野サンプラザがお得意のジャンル
- ミュージカル、Jポップ関係のコンサートや、往年のアイドル・エンタテイナーのワンマンショウ、ジャズコンサート、演劇・伝統芸能、歌謡歌手の歌謡ショー、懐メロ歌手の歌謡ショー、トークショーなどジャンルに拘らないバラエティーに富んだイベントが行われている。
中野サンプラザで催されるコンサート・イベントチケット情報
※ご注意;以下※印は当サイト内の関連記事リンクです。
但し、その他のリンクは施設運営者・関連団体の公式サイト若しくはWikipediaへリンクされています。
ホールの音響デザイン
テルサは上質のホールが多いがこのホールは2222席となんだか語呂合わせのような収容人員以外はあまり取柄の無い巨大「エコーチャンバー」(※1)仕様でできている。
※1、エコールームに関する「音工房Z」さんの解説記事はこちら。※本物のエコールームでは定在波対策(平行壁面対策)はしっかり施されています。
フロアー構成
平土間(オーケストラピット部分)から連なる緩やかなメインフロアーと、映画館やレビュー劇場風にメインフロアーに大きくオーバーラップした2階バルコニー席からなる。
壁面デザイン
シューボックスホールにアンギュレーションを持たせた打ち放しコンクリートの垂直壁といったものすごい造り。
ホール後方壁面はもちろん(仕方なく?)音響グリルで表装した吸音壁になっている。
天井は
天井は何故か組格子ふうに仕上げた水平壁。
プロセニアムに当たる部分は天井まで至る大きな引割り幕、がステージとホール分かっている。
反響版は用意されてなく、オーケストラコンサートには対応していないがオーケストラピットは用意されており、ミュージカルには対応している。
つまり帝国劇場(※ガイド記事はこちら)や、東京宝塚劇場(※ガイド記事はこちら)のようなショー・レビュー専用劇場の造りである。
総評
元々、レビュー・ショーに特化したデザインなので、問題はないだろう、特に最近はPAの性能が向上しているので横幅一杯のステージを利して、大型のPAを特設すれば、アイドルショーやポップスコンサートでは問題が無い?(元々エレキサウンドが主だから響きなんて関係ない!)
但しくれぐれも、アコースティックサウンド主体のクラシック演奏家がリサイタルなどには挑戦しないこと!
定在波(※2)の影響による凸凹だらけの周波数特性と「過剰反響」の影響でいくら素晴らしい調律師にお願いしても聴衆からは「壊れたアップライトピアノの音」にしか聞こえないであろう!
参※2)当サイト関連記事 『 定在波 』 便覧... 閉ざされた空間で起こる "定在波"と"音響障害"に迫る!はこちら。
ホール音響評価点:39点(暫定値)
§1、「初期反射」対策評価点:10点/25点満点
- ※壁面の素材・形状、客席配置、その要素で減点算出。
§2,「定在波対」策評価点:15点/50点満点
- ※各フロアーの配置・形状、壁面形状、天井形状、天井高さ、等の要素をそれぞれ減点法で算出。
- ※客席側壁がプレーンな垂直壁で「完全平行・平面」の場合は、満点x0.5=25点をベースに算出。
§3,客席配置への評価点:12点/20点満
- ※壁際席、大向こう席、平土間部分の見通し(眺望)不良、それぞれ-1点/1箇所で減算。
- ※客席周辺壁材が硬質壁の場合は、満点x0.8=16点をベースに減点算出。
§4,残響その2「後期残響」への配慮評価点:3点/5点満点
- ※壁面形状、音響拡散体(相当要素)、テラス軒先形状、天井構成、その他の要素で減点算出。
※関連記事「後悔しないコンサート会場の見分け方」まとめ はこちら。
ホール施設データ
- ホール様式 プロセニアム型式セミオープン多目的ホール。
- 客席仕様A 最大幅約30.7mx最大奥行約37.85m、天井高さ(最高部)約18m 2スロープ2フロアー
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- 収容人員2222席、
- 1階固定席X1586席、1階(オーケストラピット部可動床 可動席X84席、車椅子用スペースX6人含む、)
- 2階席525席、
- Pタイル張り、通路部のみタイルカーペット張り
- 収容人員2222席、
- 舞台設備
- 基本仕様プロセニアム形式;有効幅約43.63m(ステージ最大幅約37.8m)x有効奥行き約12.7m(最大奥行き約12.7m)有効面積約554㎡(約334畳)、プロセニアムアーチ:間口約30.7m、高さ約16m、実効面積;約389.8.㎡(約235畳)ステージ高さ;FL+約?cm、ブドウ棚(すのこ)高さStL+約?m、バトン類
- 付属舞台;可動床・可動客席(床下収納システム)オーケストラピット&エプロンステージ迫り;最大幅約10.0m最大奥行約4.25m有効面積約60.5㎡;約36.5畳、演奏面レベル設定;Gl+約ー1m~+1m、
- 舞台設備(装置&設備);大迫り、
- 仮設資材;平台、上敷き、地絣、
- 大・小道具:、金屏風、
- 特殊効果照明器具;ミラーボール、ストロボ、ディスクマシン、箱波、星、他
- 洋式幕装備;緞帳、絞り緞帳、紗幕(白&黒)大黒幕、黒袖幕、引割り幕、
- スクリーン;移動スクリーン(6.1mX3.43m)、
- 投影設備;、映写室
- 専用備品 フルコンサートピアノ(スタインウェイD型445981、520650)、
- 舞台仕様・詳細寸法などに関する仕込み図面集等
- 専用施設
- 特別室(トイレ・シャワー・付き)洋室楽屋X8(内7室トイレ・シャワー・付き)、会議室
- リハーサル室、
- レジストレーションカウンター、ロビー、ホワイエ
付属施設・その他
- 施設利用(付帯施設利用料金等)案内 詳しくはこちら公式ガイドへ。
デジタヌの豆知識
中野サンプラザこれまでの歩み
1973年(昭和48年)6月1日開業。旧労働省所管の特殊法人であった 雇用促進事業団によって、雇用保険法に基づく勤労者福祉施設として建設された
2003年(平成15年)若者の職業相談を担当する「サンプラザ相談センター」は閉鎖された。その他、図書室などを併設していたが、民営化に伴い閉鎖された。
公益事業で営利を求めるものではなかったものの利益が見込める施設であったため、民間への譲渡が求められるようになった。
中野区と金融機関・企業等が出資して設立された所有会社「株式会社まちづくり中野21」に52億9987万円で売却された。
2004年(平成16年)12月「株式会社中野サンプラザ」が運営を開始。
2018年 1981年施行の新耐震基準に適合しておらず隣接する中野区役所との一体再開発のため、中野サンプラザを取り壊す方針であることが報じられた。
2022年閉館解体予定。中野区役所と揃って当施設を閉鎖・解体する計画となっている。
2025年 約1万人が収容できるアリーナとオフィス、ホテル、マンションなどが入居する複合施設が完成の予定。
中野サンプラザのある中野区とこれ迄の歩み
推計人口、336,639人/018年4月1日
中野駅―新宿 5分/160円/JR/4.4km
中野区のこれまでの主立った出来事
中野郷は杉並区、世田谷区の一部などと共に旧武蔵野国多摩郡に属していた。
令制国(律令国)
645年旧暦6月12日の「乙巳の変」以降 668年即位した天智天皇によって制定された令制国(律令国)による国分けにより704年の国割確定・国印鋳造を基本として明治初期の廃藩置県後も現在に至るまで行政区分の基本となっている.。
武蔵国の国府が置かれた府中にある総社大國魂神社もかつて多摩郡に属していた地域にある。
武蔵国の国府・国分寺および一宮(小野神社、現在の一ノ宮)と二宮(二宮神社)があった。郡衙は東京都府中市にあった。
12世紀半ば以降、多摩郡が東西に分けられて多東郡、多西郡と表記されていた歴史資料が多く見つかっており、中近世において多摩郡は多東郡、多西郡に事実上分かれていたと考えられている。
1591年(天正19年) - 中野郷で検地が行われた。江戸初期 徳川幕府の開府に至り、江戸近隣の郷は整備され、中野郷は、中野・本郷・雑色・江古田・片山・上高田・新井・上沼袋・下沼袋・上鷺宮・下鷺宮の11村に分割される
江戸幕府の「入組支配」
江戸幕府はかつて7世紀後半に天智天皇によって制定された令制国(律令国)の「団結による反乱」を極度に警戒し、1603年3月24日(慶長8年2月12日)、家康がはじめて将軍職に任じられ江戸幕府を開幕して以来、幕府安康の最善策として「令制国の解体政策」を推し進めた。
それが「入組支配」と呼ばれる政策で、地方の大名に対し頻繁に転封(国替 )・減封(領地召し上げ)を行い「地方の統一・団結」を阻もうとした。このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。
江戸時代、多くの村が幕府直轄領(天領)や旗本領とされたほか、多くの藩の飛び地が分散し、複数の領主による相給とされた村も少なくなかった。
1606年(慶長11年) - 成木街道(現青梅街道)が開かれ、中野村内に馬継場が置かれる。
廃藩置県後は現在の中野区・杉並区が東京府、以外が神奈川県の管轄となった。
多摩郡全体が東京府の管轄となったのは郡の分割により本郡が消滅して以降のことで、これは主に東京の上水道水源保全を理由にして、実際には自由党勢力の切り崩しを目的としたものといわれる。
1889年(明治22年)4月11日 - 甲武鉄道(現東日本旅客鉄道中央本線新宿〜八王子)開通。中野駅が設置される。
1904年(明治37年)8月 - 甲武鉄道飯田町〜中野で電車運転開始(日本初の電車営業運転)。
1906年(明治39年)6月14日 - 甲武鉄道に柏木駅(現東中野駅)開設。
1906年(明治39年)10月1日 - 甲武鉄道が国有化される。
1921年(大正10年)8月25日 - 西武軌道荻窪線淀橋町〜荻窪開通。
中野町内には淀橋・住友銀行前・宝仙寺前・中野警察署前・中野銀行前・登記所前・鍋屋横丁・追分・西町の各停留所が設置されていた。
1927年(昭和2年)4月16日 - 西武鉄道村山線(現西武新宿線高田馬場〜東村山)開通。野方町内に新井薬師前・沼袋・野方・鷺ノ宮の各駅が開設された。
1928年(昭和3年)5月 - 鉄道省(現東日本旅客鉄道)中央線新宿〜中野複々線化完成。
1951年(昭和26年)5月1日 - 西武鉄道新宿軌道線(旧西武軌道荻窪線)東京都に譲渡(東京都電14系統杉並線)。
1961年(昭和36年)2月8日 - 帝都高速度交通営団荻窪線(現東京地下鉄丸ノ内線)新宿〜新中野および中野坂上〜中野富士見町開通。
1961年(昭和36年)11月1日 - 荻窪線(現丸ノ内線)新中野〜南阿佐ヶ谷開通。
1963年(昭和38年)12月1日 - 東京都電14系統杉並線廃止。
1966年(昭和41年)3月16日 - 初の日本国有鉄道と地下鉄の相互乗り入れ、中野〜高田馬場開通/旧帝都高速度交通営団(現東京メトロ)東西線
1973年(昭和48年) - 中野サンプラザ(現サンプラザ)竣工、6月1日開業。
1997年(平成9年)12月19日 - 東京都交通局地下鉄12号線(現大江戸線)練馬〜新宿開通。
公開:2017年12月10日
更新:2022年9月27日
投稿者:デジタヌ
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