『旅するタヌキ』狸穴ジャーナル別冊

サンアゼリア /和光市民文化センター 《ホール音響Navi》

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サンアゼリアについて、公式ガイドでは明かされていない、基本スペック(反響版設置時有効面積・拡張ステージ面積)と、"ホール音響評価"にポイントを絞り、利用者(出演者)サイドに立った"有効な情報"を主眼に置いて記事を構成した"実用ホールnavi"です。

サンアゼリアのあらまし

Official Website https://www.sunazalea.or.jp/

1993年4月旧大和町誕生50周年を記念して市役所とともに開館した複合文化施設。

和光市役所と同敷地内に仲良く並んで立っている。

サンアゼリアのロケーション

ところ   埼玉県和光市広沢1-5

旧・日本住宅公団が1965年に米軍から返還された旧陸軍予科士官学校跡地の一部東側に建設した「西大和団地」の中にあり、西は現陸上自営隊朝霞駐屯、北側は旧本田技研和光工場のあったエリアで今は本田技研基礎技術研究センターなどの施設と和光市図書館などを中心とする、高層住宅の建ち並ぶ市街地改造エリアとなっている。

サンアゼリアへのアクセス

鉄道・バスなどの公共交通

最寄り駅

東武東上線「和光市」駅から徒歩約16分/1.2㎞

バス

和光市駅から
和光市駅南口から東武バス 西大和団地経由 司法研修所循環 乗車
「和光市役所入口」(和光市駅南口から3つ目)下車徒歩1分
大泉学園方面から
西武バス 和光市駅南口行き 乗車 「広沢」下車徒歩3分

マイカー利用の場合

ご遠慮ください!

(※共用有料駐車設備が小さく周辺民間駐車施設も無いため公共交通機関利用がおすすめ。)

サンアゼリアの施設データ

(公式施設ガイドはこちら。)

※以下床面積は実用的な畳数(中京間)を併記しています。オーケストラ演奏会時概ねX2倍の人数まで舞台に上がることができ可能です。(※参考記事デジタヌのミシランガイドはこちら)

  1. 所属施設/所有者 和光市民文化センター/和光市。
  2. 指定管理者/運営団体 、公益財団法人和光市文化振興公社/和光市。
  3. 竣工・開館   1993年4月開館
  4. 設計  
  5. ゼネコン 
  6. 内装(音響マジック) 

付属施設・その他 

※ご注意;以下※印は当サイト内の関連記事リンクです。
但し、その他のリンクは施設運営者・関連団体の公式サイト若しくはWikipediaへリンクされています。

大ホールの音響デザイン

(公式施設ガイドはこちら。

ステージ反響板を設置すると、客席一体型のシューボックスコンサートホールとなる流行りのデザインのプロセニアム型多目的?ホール。

内装は塗装仕上げの打ち放しコンクリート壁と、木質パネル(デザインであってほしい)用いたハイブリッド?な内装。

平土間オーケストラピット部から続くゆるやかなスロープを持つメインフロアーと両サイドにホール前方まで伸びたスラント下高床テラスを配した2階バルコニー席を持つ異様なデザインのホール。

ステージ反響板と同意匠?の側壁は本体の軽量発砲コンクリートパネル前部をプレーンな木質パネルの装飾柱で縁取りし上部に装飾梁(軒)と山形の音響拡散体を配しその上部に装飾梁を巡らせたデザイン。

ホール後方大向うは、立て格子で表装した吸音壁らしい。

上層部バルコニーはホール後部の1階ホワイエに張り出した芝居小屋風のデザイン。

問題は

せっかくの高床サイドテラス席の床覆い(メインフロアー&2樫バルコニー側壁)が塗装仕上げのコンクリートである点!

全くこのデザイナーは音響的知識は持ち合わせていないようで?。

岡山シンフォニーホール(※ガイド記事はこちら)同様の内装をまねたみたいである。

硬質壁面に拘るなら、せめてスラントかアンギュレーションぐらいつけておきましょう!

この時点で嫌気がさしてきたのでその他の部分は割愛します。

総評

減点ポイント解説、1・2階大向う迄びっしり座席;-2点。

メインフロアー後部側壁迄びっしり座席;-2点

メインフロアーかぶりつき平土間中央部(12から23番)1から8列が千鳥配列座席になっていない:-1点

まだまだ減点ポイントだらけだが、あとは読者の皆さんで推理?してみましょう。

デジタヌの独り言

なんでこういうことになったのか...。

ホール音響評価点:45点

§.1、.「初期反射」対策評価点:5点/25点満点

  • ※壁面の素材・形状、客席配置、その要素で減点算出。
  • ※(コンクリート、人造大理石、タイル・陶器製などの)硬質材の客先周辺壁材仕様は、満点x0.5=10点をベースにして減点算出。

§2,「定在波対」策評価点:20点/50点満点

  • ※各フロアーの配置・形状、壁面形状、天井形状、天井高さ、等の要素をそれぞれ減点法で算出。
  • ※客席側壁がプレーンな垂直壁で「完全平行・平面」の場合は、満点x0.5=20点をベースに算出。

§3,客席配置への評価点:15点/20点満点

  • ※壁際席、大向こう席、平土間部分の見通し(眺望)不良、それぞれ-1点/1箇所で減算。
  • ※客席周辺壁材が硬質壁の場合は、満点x0.8=16点をベースに減点算出。

§4,残響その2「後期残響」への配慮評価点:5点/5点満点

  • ※壁面形状、音響拡散体(相当要素)、テラス軒先形状、天井構成、その他の要素で減点算出。

※関連記事「後悔しないコンサート会場の見分け方」まとめ  はこちら。

大ホールの施設データ

  1. ホール様式 『シューボックスタイプ』プロセニアム型式多目的ホール。
  1. 客席仕様   2スロープ2フロアー 
    • 収容人員1,286席、(車椅子用スペースX4人、親子室X2人、オーケストラピット部可動席164席含む、仮設本花道使用時ー10席
      (※公式客席配置図はこちら)
      • 1階固定席X842席、
      • 2階席X438席、
      • 木質パーケット床
  1. 舞台設備
    • 基本舞台仕様可動プロセニアム形式;有効幅約38m(ステージ最大幅約40m)x有効奥行き約15m(最大奥行き約17m)有効面積約570㎡(約344畳)2面舞台相当、プロセニアムアーチ:間口約18~23m、高さ約9~12.4m、実効面積;約270㎡(約163畳)ステージ高さ;FL+約?cm、ブドウ棚(すのこ)高さStL+約0.8m、バトン類高さStL+約?m、照明(ブリッジ);4本、美術バトン;10本
    • 反響板設置時(オープンステージ形式);間口約23m、高さ約12.4m、最大奥行き約13.8m、実効面積;約276㎡(約166畳)ステージ高さ;FL+約80cm、
    • 拡張舞台(オーケストラピット);可動床・可動客席(オーケストラピット迫り);最大幅約21.8m最大奥行約4.6m有効面積約94㎡;約56.5畳、演奏面レベル設定;StL ー約2m.
    • 大ホール専用ピアノ Bosendorfer290

  1. 舞台仕様・詳細寸法などに関するデータ及び仕込み図面集、等。

大ホールがお得意のジャンル

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団のオーケストラコンサート、オペラ・バレエ公演ソリストのリサイタル、アンサンブルの演奏会、小編成の室内楽コンサートなども行われミュージカル、Jポップ関係のコンサートや、往年のアイドル・エンタテイナーのワンマンショウ、ジャズコンサート、演劇・伝統芸能、歌謡歌手の歌謡ショー、懐メロ歌手の歌謡ショー、落語・演芸寄席、着ぐるみヒーローショー、などジャンルに拘らないバラエティーに富んだイベントが行われている。

またプロ演奏団体、以外にも数多くのアマチュア団体も利用している。

サンアゼリアで催されるコンサート・イベントチケット情報

チケットぴあ該当ページへのリンクはこちら。

小ホールの音響デザイン

(公式施設ガイドはこちら。)

申し訳程度のリハーサル室があるが、狭くて(64㎡)天井(約2.2m)Pタイル張りではバレエ・ダンスレッスン程度にしか使えず、年末の市民第九の総合練習ではこのホールが使用されているようである。

天井は高い(4.5m)が109㎡(約66畳)ほどしかない平土間多目的スペースなので、本来はリハーサルルームとしてデザインしたのであろう。

大ホール同様の設えで塗装仕上げの木質パネル(らしい)プレーンなパネルで表装され、3面に計13か所ダミー窓が切り欠いであり。窓の正体は発砲軽量コンクリートパネル、つまりホール本体壁になっている。

上層部は山形にアンギュレーションを設け上部に装飾梁を拝してさらに最上層部はそこから折り上げて、逆カーブす真理凸面形状のヴォールト天井反響板になっている。

全く素人音響設計である!

ヴォールト天井の効果を全く理解なさっていないようである。

(※ヴォールト天井をうまく使った例、旧東京音楽学校奏楽堂のガイド記事はこちら。)

総評

この部屋では、和太鼓、バスドラムは現金で、ピアノもロマン派以降の近現代曲は避けたほうが良い。

年末第9のリハーサルは大変であろう、ご同情申し上げます。

ルーム音響評価点:32点

※会議室、宴会場、展示会場などがメイン用途のためルーム音響評価を適用しました。

§1,「定在波対評価点:12点/50点満点

  • ※ルーム低層部に1対以上の並行したプレーンな垂直壁がある場合は、満点x0.5=25点をベースに減点算出。

§2、「初期反射」対策評価点:20点/50点満点

  • ※ルーム低層部3面以上がプレーンな垂直壁の場合は、満点x0.5=25点をベースに減点算出。

小ホールの施設データ

  1. ホール様式 プロセニアム型式舞台付き多目的イベントスペース、

  1. 客席仕様   プロセニアム本舞台使用時;最大幅約11mx最大奥行約18m、有効床面積約198㎡(約119.5畳)、天井高さ(最高部)約8.4mm 1フロアー 
    • 収容人員300席、(車椅子用スペースX人、親子室X人、含む、)(※公式客席配置図はこちら)
      • 、Pタイル張り、
  1. 舞台設備
    • 基本舞台仕様 プロセニアム形式;有効奥行き約6mプロセニアムアーチ:間口約10m、高さ約4.5m、実効面積;約109㎡(約★畳)ステージ高さ;FL+約80cm、ブドウ棚(すのこ)高さStL+約?m、バトン類高さStL+約?m、照明;?本、美術バトン;?本、
    • 拡張ステージ 巾9.6m*奥行2.4m 有効天井高さ8.4m

  1. 舞台仕様・詳細寸法などに関するデータ及び仕込み図面集、等。
  1. 専用施設;付帯施設利用料金案内 
    • 専用付帯設備・備品使用料金表はこちら。

小ホールがお得意のジャンル

主にセミナー、講演会、市民団体の集会、お稽古事の発表会などに用いられ、ソリストのリサイタル、アンサンブルの演奏会、小編成の室内楽コンサートなども行われ、ミュージカル、Jポップ関係のコンサートや、大衆演劇、落語・演芸寄席、着ぐるみヒーローショー、大道芸、パフォーマンス・ショーなどの色物などジャンルに拘らないバラエティーに富んだイベントが行われている。

またパーティー・レセプションなどの会場としてもつかわれている。

デジタヌの豆知識

和光市

埼玉県南東部にあるしで旧令制国武蔵国・新座郡に属していた。

推計人口、82,017人/2018年4月1日

和光市駅ー(朝霞台)ー(南浦和)ー浦和 /39分/¥370-/東武ー武蔵野線ー京浜東北線

和光市ー新宿 32分/¥240-/東京メトロ

令制国(律令国)

645年旧暦6月12日の「乙巳の変」以降 668年即位した天智天皇によって制定された令制国(律令国)による国分けにより704年の国割確定・国印鋳造を基本として明治初期の廃藩置県後も現在に至るまで行政区分の基本となっている.

武蔵国

埼玉県、東京都の殆どと神奈川県川崎市・横浜市などの一部地域を含む。新座市のある新座郡、など現・埼玉県域に14郡、神奈川県域に3郡、東京都域に4郡、東京都・神奈川県にまたがって1郡が広がっていた。

和光市の属していた新座郡

現埼玉県・和光市、朝霞市、新座市の各全域と志木市、戸田市の各一部、東京都の練馬区の一部、旧保土ヶ谷市(現西東京市)全域で成立していた。

室町時代、鎌倉には鎌倉府が置かれた。河越氏は武蔵平一揆の乱で力を失い、武蔵国の実権は関東管領上杉氏が握った。

その後関東では室町幕府と鎌倉府の対立で伝統的な豪族層が支配する北関東から武蔵国の国府である東京都府中市を通って鎌倉に抜ける鎌倉街道はしばしば戦場になった。

そのころ武蔵国は六浦や品川湊などの湊を抱え、西国や内陸部に広がる「内海」での交易を活発に行っていた。

戦国時代後期から後北条氏が大きな勢力を振るうようになり数多くの軍事拠点が置かれた。

1590年(天正18年)、豊臣秀吉による小田原征伐で後北条氏が滅亡。

以後徳川家康が関東に移り、山城では無く天守閣付きの居城を築城した。

江戸時代に入り

天領、旗本領、寺社領、 上野高崎藩飛び地、出羽長瀞藩飛び地の各代官支配地が複雑に入り組んでいた。

江戸幕府の「入組支配」

入組支配;江戸幕府が行った政策で、かつての律令国家の上に成り立つ、地方豪族・大名に対し頻繁に転封(国替 )・減封(領地召し上げ)を行い地方の統一・団結を阻む政策。このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。

「武蔵三藩」と呼ばれる川越藩、忍藩、岩槻藩が置かれ江戸の防衛として重臣が配されたが、複雑に入り組んだ支配で、各支配地(郷)間で待遇・処遇に大きな格差が生じていた。

1594年(文禄3年)に利根川東遷事業が始まった。

近世初期(1683年(貞享3年)また一説によれば寛永年間(1622年-1643年)に、下総国葛飾郡からその一部、すなわち隅田川から利根川(現在の江戸川下流)までの地域をあわせ、武蔵国の葛飾郡とした。

廃藩置県と明治新政府の行政改革

江戸時代、徳川政権の幕藩体制下で有名無地となった「令制国」の復活・修復と、入組支配の結果生じた近隣地区(村)同士の待遇(租税)格差をなくし、「地方創世の基本となる行政区分再編成」を行ったのが一連の廃藩置県政策であったともいえる。

教科書!では1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の明治新政府の布告日が知られているが実際には1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の大政奉還から版籍奉還 (1868年8月1日/旧暦6月24日)を挟み、1871年8月29日の廃藩置県布告を経て1872年の 第1次府県統合、1876年の第2次府県統合終了まで明治新政府によって進められた一連の行政改革でその後の離合も含め武蔵国も幾多の行政変遷にさらされた。



1868年8月27日(慶応4年旧暦7月10日) - 旧幕府代官の松村長為(忠四郎)が武蔵知県事に就任。

1869年2月23日(旧暦1月13日) - 武蔵知県事・古賀定雄の管轄区域に品川県を設置。

1871年8月29日(旧暦7月14日) - 廃藩置県布告により、藩領が高崎県、龍崎県となる。
同年12月25日(旧暦11月14日) - 第1次府県統合により、全域が入間県の管轄となる。

1873年(明治6年)1月1日(明治5年旧暦12月4日)新政府太陽暦を採用・告示

1873年(明治6年)6月15日 - 入間県が群馬県(第1期)と合併して熊谷県となる。

江戸時代、当市域は新座郡に属し、上新倉村(幕府領)・下新倉村(幕府領・旗本領)・白子村(幕府領・伊賀者給地)の3村が設置されていた。
1869年3月21日(旧暦明治2年2月9日) - 3村は品川県の所属となる。
1871年12月25日(旧暦明治4年11月14日) - 3村は品川県から入間県へ移管される。
1873年(明治6年)6月15日 - 入間県と群馬県合併により3村は熊谷県所属となる。
1876年(明治9年)8月21日 - 熊谷県が分割され、3村は埼玉県所属となる。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、上新倉村が白子村連合戸長役場の所属から離脱し新倉村となる。また、下新倉村・白子村は合併し(新)白子村が発足。

1896年(明治29年)3月29日 - 新座郡が北足立郡に編入

1914年5月1日: 東上鉄道(現東武東上線)、池袋駅 - 田面沢駅(現・川越市駅 - 霞ヶ関駅間)間開通。

1920年(大正9年)4月7日東上鉄道と東武鉄道とが合併。

1930年(昭和5年) - 朝霞駐屯地を含む一帯に、東京ゴルフ倶楽部が朝霞にゴルフ場を開設。

1940年(昭和15年) - 陸軍省により買収。東京ゴルフ倶楽部は狭山へ移転。

1941年(昭和16年) - 陸軍予科士官学校が東京都市ヶ谷(市ヶ谷台、現在の防衛省市ヶ谷地区(市ヶ谷駐屯地))から移転。

1943年(昭和18年)4月1日 - 新倉村と白子村が合併し、北足立郡大和町(やまとまち)となる。

1945年(昭和20年) - 第二次世界大戦敗戦のためアメリカ陸軍が接収(キャンプ・サウス・ドレイク)、第1騎兵師団司令部が進駐。

1951年(昭和26年) - 現在の埼玉県和光市に本田技研・白子工場(旧白子郷)を建設。

1960年(昭和35年)3月15日 - 自衛隊朝霞駐屯地を開設。

1965年に米軍から返還されたキャンプ・サウス・ドレイクの一部東側に「西大和団地」誕生。
1970年(昭和45年)10月31日 - 大和町が市制施行に伴い名称変更、和光市になる。

1971年10月20日:国道254号東京川越道路(有料道路名称「関越自動車道(東京川越区間)」)として練馬IC - 川越ICが開通

1987年(昭和62年)8月25日: 東武東上線・和光市駅 - 志木駅間複々線化。同日 -地下鉄有楽町線開業 和光市駅 - 営団成増駅(現・地下鉄成増駅)開業。東武東上線との相互乗り入れ開始(森林公園駅まで)。

1991年1月 旧白子工場閉鎖、以前からあった四輪R&Dセンターに加え基礎技術研究センター、などのホンダの技術開発の中心地となる(2004年7月より航空機エンジンR&Dセンターもあらあに開設。)

1992年(平成4年)11月27日 : 東京外環自動車道・和光IC - 三郷JCT間26.2km開通、川口JCTで東北自動車道・首都高速川口線、三郷JCTで常磐自動車道・首都高速6号三郷線と接続。

1993年(平成5年)10月26日 : 首都高5号池袋線・戸田南出入口 - 美女木JCT開通、全線開通。

2002年(平成14年)3月 - 陸上自衛隊広報センターを開設。

2008年(平成20年)6月14日 - 地下鉄副都心線開業に伴い、和光市駅 - 小竹向原駅間が副都心線との共用区間となり、有楽町線新線小竹向原駅 - 新線池袋駅間が副都心線に編入される。

同日 - 副都心線 池袋駅 - 渋谷間が開業。同時に有楽町新線を副都心線に編入、新線池袋駅を池袋駅に改称、東武東上線・西武有楽町線経由西武池袋線との相互直通運転開始。

2013年(平成25年)3月16日 - 東京メトロ副都心線渋谷駅改良工事完成により東急東横線・横浜高速鉄道みなとみらい線との相互直通運転開始。

サンアゼリアのこれまでの歩み

1941年(昭和16年) - 陸軍予科士官学校が東京都市ヶ谷から旧白子村に移転。

1945年終戦とともにキャンプ・サウス・ドレイクとして米陸軍が接収。

1965年 米軍から返還されたキャンプ・サウス・ドレイク跡地の一部東側に「西大和団地」が誕生。

1993年 市役所とともに西大和団地の一角に完成。

 

公開:2018年6月11日
更新:2022年9月30日

投稿者:デジタヌ


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