青森市《 タウンヒストリア 》
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青森市のあらまし
2015年の国勢調査では人口287,648人県内トップで、2位八戸市(231,257人)、3位弘前市(177,411人)を抑え県庁所在地の面目を保っている。
推計人口、282,032人2017年10月1日。
青森-(新青森)ー東京 3時間42分/17,350円/在来線・新幹線乗り継ぎ/717.6km。
他の地方都市の例に漏れず、2000年の318,732人をピークに年々減少傾向に有り。
2010年には30万人の大台を割ってしまい,現在28万人代を低迷しなおも減少し続けている。
年令別人口比率では、就労層に当たる20歳から40歳までの所謂働き盛りが全国平均を下回り、40代から55歳の「働き盛りのベテラン」が逆に平均を大きく上回って嘗て20世紀末のバブル経済期に企業進出が多かったことを物語っている。
その影響か20歳未満の10代も若年層も全国平均を上回っており、現状、他の地方都市ほど小子高齢化の嵐に蹂躙されてはい無い。
青森市のこれまでの主立った出来事
室町時代は南部氏支族である堤氏の領地であったが堤氏は戦国時代末期に津軽氏に攻め滅ぼされ、外ヶ浜は弘前藩の領地となった。
青森は弘前藩(津軽藩)初代藩主津軽為信のときに開港が計画され、2代藩主津軽信枚とその家臣である森山弥七郎によって1624年(寛永元年)善知鳥村に港の建設が始められる。
1671年(寛文11年)7月 - 現・青森市に仮屋(津軽藩の出先施設)が設置される。
1865年(元治2年) - 幕府より蝦夷地(北海道)への渡海地に指定される。
1871年(明治4年)7月14日の廃藩置県で弘前藩(津軽藩)は弘前県となる。
同年9月4日、弘前県に七戸県(元南部藩→盛岡藩)、八戸県(元南部藩→八戸藩)、斗南県(元南部藩→斗南藩)、黒石県(元弘前藩支藩)、※館県(元松前藩)の周辺5県を併合。※つまり北海道が正式に独立するまでは、弘前県(現青森県)が北海道の道南地域も治めていた。
1872年9月5日津軽・南部の事情に通じていた野田豁通(熊本藩出身)が大参事
(知事)と成り同年9月23日 県知事の具申が通り県庁を青森町に置くことを定めて県名も青森県に改めた。同時に福島郡など四郡(旧館県)が青森県から開拓使に移管された。
1873年(明治6年)2月11日 - 開拓使、青森 - 函館間に定期航路を開設。
1889年(明治22年)4月1日 - 町制施行により東津軽郡青森町が成立。
1891年(明治24年)9月1日 - 青森 - 盛岡間開通により東北本線、青森 - 上野間全通。
1898年(明治31年)4月1日に市制を施行して青森市となる。
1908年(明治41年)3月7日 - 青函連絡船が就航。
1937年(昭和12年)4月1日 - 東京 - 仙台 - 青森 - 札幌間に日本航空輸送の定期航空便が就航。
1964年(昭和39年)11月5日 - 旧青森空港開港。
1987年(昭和62年)9月9日東北自動車道・青森 - 川口JCT間全通。
1988年(昭和63年)3月13日 - 青函トンネル・津軽海峡線が開業、青函連絡船が廃止。
1990年(平成2年)3月24日に新青森空港全面供用開始。
2005年(平成17年)4月1日 - 浪岡町と合併し、新・青森市となる。
2010年(平成22年)12月4日 - 東北新幹線新青森 - 八戸間開業により、東北新幹線全通。
2016年(平成28年)3月26日 - 北海道新幹線新青森 - 新函館北斗間開業。
公開:2020年6月 8日
更新:2022年9月10日
投稿者:デジタヌ