八戸市《 タウンヒストリア 》
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八戸市のこれ迄の歩み
推計人口、227,778人2017年10月1日。
本八戸ー(八戸)ー東京 3時間9分 16,290円/637.4km/在来線・新幹線乗り継ぎ。
1995年の249,358人をピークに人口減少傾向に有り、2017年現在23万人を割り人口減少に歯止めが掛からない事態に成っている。
2005年の国勢調査当時の年令別人口比率では、20歳から40歳の若年労働層が全国平均を大きく下回り、この層の転出者が多い事を物語っている。
40代から60代までは全国平均を上回り高度成長期にこの地区を支えた「団塊の世代」が多い事を物語っている。
当時70代前半が多少全国平均を上回っていたが、後期高齢者は全国平均とぴたり一致している。
40代から55歳までの所謂働き盛りが多い事で、20歳未満の若年層が全国平均を大幅に上回っており、若さあふれる活気のある街であるとも言える。
2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震被災で海岸部の地元産業が大打撃を受けた影響は、その他の被災地ほど人口流出に悪影響を及ぼしてはい無いようである。
但し、今後企業誘致を活発に行うなど、若者を引き留める努力が必要でもあると言える。
八戸市のこれまでの歩み
1191年(建久2年)奥州合戦後に甲斐国の南部氏が北東北一帯を源頼朝から賜ったとされている。
1334年(建武元年)、南部師行が根城を築き、根城南部氏(遠野南部氏)の祖となった。
1627年(寛永4年)、根城南部氏は三戸南部氏(後の盛岡南部氏)の命により遠野に居城を移した。
1664年(寛文4年)。江戸幕府は南部藩10万石を八戸2万石と盛岡8万石に分け、八戸南部氏の祖となる南部直房により八戸城が築かれ八戸藩が開藩。当時の八戸藩は岩手県北部の久慈市あたりまで拡がっていた。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制により三戸郡八戸町となる。
1929年(昭和4年)5月1日 - 三戸郡八戸町・小中野町・湊町・鮫村が合併し、八戸市誕生。
1949年(昭和24年)馬淵川の改修工事(河口付近の直線化)が軌道に乗る。1961年(昭和36年)新産業都市に指定され完成。これにより水害が無くなり、臨海地域を工業地帯として利用可能となった。
以降臨海部に火力発電所、製紙業、非鉄金属工業などの工場が相次いで進出し、工業港としての整備が本格化した。
2001年(平成13年)4月1日 - 特例市へ移行。
2005年(平成17年)3月31日 - 三戸郡南郷村を編入。新潟県上越市に次いで2例目となる地域自治区である南郷区を設置。
2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震に伴う津波により臨海部は大きな被害を受けた。
2017年(平成29年)1月1日 - 特例市から中核市へ移行(青森県内で2番目の中核市)。
公開:2017年6月 8日
更新:2022年9月10日
投稿者:デジタヌ
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