音・道・楽・人 分室『旅するタヌキ』

ウィーンフィルが"どさ周り"する現代では大都市の巨大ホールは役目を終えた?...

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1950年代は高度成長期に差し掛かっていたとはいえ東京、大阪、名古屋、福岡以外の地方空港の整備も行き渡っていなかった...当時は娯楽も限られており、東京・大阪の2大都市には収容人員4000人を越す大劇場が多数有り、大衆娯楽の聖地「浪速」には「地方」から大挙してお上りさんが"夜行列車"で「舞台芸術の聖地巡礼」に訪れ大商業ホール・大芝居小屋は「我が世の春を謳歌」していた。

東京・大阪などの大都市から巨大ホールが消えたわけ

嘗て地方からのアクセスが「悪節句(あくせく)」であったころ

1950年代は高度成長期に差し掛かっていたとはいえ東京、大阪、名古屋、福岡以外の地方空港の整備も行き渡っていなかった。

さらに国道・幹線道路の整備も進んでおらず、大都市以外では、お天気が続くと「砂塵が舞い」一雨降ると泥濘む(ぬかるむ)ような「極道」状態の「如何(いかん)せん道路」がはびこり、東海道線の電気機関車が引っ張る超特急「つばめ」でさえ東京ー大阪間が8時間もかかっていた時代であった。

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白黒テレビも普及していなかったこの時代

当時は娯楽も限られており、東京・大阪の2大都市には収容人員4000人を越す大劇場が多数有り、大衆娯楽の聖地「浪速」には「地方」から大挙してお上りさんが"夜行列車"で「舞台芸術の聖地巡礼」に訪れ大商業ホール・大芝居小屋は「我が世の春を謳歌」していた。

そんな1950年当時は、帝都東京も含め日本各地には「クラシック音楽の殿堂」たり得る施設が存在しなかった!。

初代フェスティバルホール誕生秘話

クラシック音楽に傾注していた「当時の朝日新聞オーナー」の令夫人がそんな実情を嘆き、「世界に誇れる」コンサートホールとして「規模より藝術」を優先し「当時としては極控えめな規模」に当たる収容人員2700人で初代フェスティバルホールが1958年4月に開館した!

今や地方のプレミアムホールが脚光を浴びる時代に...

それから半世紀以上経ち、「世の中は一変」し全国に「痴呆空港」「高速道路網」が整備され、「新幹線網」も遂に北海道の大地を踏み、「藝術巡礼者が聖地巡礼」する時代は昔話となり「藝術が地方巡業」する時代に成った!

今や地方の観客が態々大都市にある「窮屈な大規模劇場」まで足を運ぶのでは無く、世界各国からやってくる一流芸術団体を、ゆったりとした地元の「プレミアムホール」に「呼び寄せ」地元で「ゆったり芸術鑑賞」する時代に成ったのである。

クラシックコンサートはすでに2700人規模の巨大ホールで興行する時代では無くなったわけである。

 

公開:2018年11月 4日
更新:2020年12月 6日

投稿者:デジタヌ


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