狸穴ジャーナル・別冊『旅するタヌキ』

私のバイク道   ーエッセイ2006ー

,

<本記事は03/05/2006'タヌキがゆく'に初稿公開した記事のお引っ越し記事です>

小生は現在ミニバイクを持っている


小生の通勤の足をつとめている中古で買ったヤマハのミニバイクである、それがどうしたかというと実は10年ぶりに久々に買ったバイクであった。

小生とバイクのつき合いはもう30年近くになろうとしている。

普通免許歴が33年だから車よりは短い、普通の人はここで「アレ,,,,?」と思うかも知れないたいていの人は2輪→4輪と免許歴が進むからである。

これには訳がある子供の頃から自動車が大好きで、小学校の高学年の頃より兄貴の買ってきた自動車雑誌を"盗み読み"し中学校2年からは「モーターマガジン」なる月刊誌を親にせがんで毎月買って貰って読んでいた。

アンダーステア?オーバーステア?シミー?,,,,,,最初の頃は記事を読んでいても、チンプンカンプン!それでも、次第に内容が理解できるようになり毎月20日が待ち遠しくてたまらないぐらいの熱烈な愛読者?に変貌していった。

時はまさに1964年東京オリンピックが開催された年でもあった。(と同時にデジタヌの連れ合いマミニャンの生まれた年でもある)
高度成長まっただ中のこの頃、各社が競って新車を発表し、新車が出るたびに胸をときめかせながえら記事をむさぼるように読んだ。

その辺の昔話は又別の機会に綴ることにして。

時を経て1978年小生27才の夏、理髪店で漫画雑誌の裏表紙の広告に釘付けになった。

HONDAのMB50と言うミニバイクの広告であった、当時そのデザインには衝撃的と言っても良いぐらいのインパクトがあった!

床屋に行くのに便利良いかも?と自分に言い訳を言い?夏のボーナスで衝動買いしてしまった。
8月のとある週末、来週から夏休みというその日に会社の近くのバイク屋で"ソレ"を引き取った。

生まれて初めて載るバイク、しかも前進5段バックギア無し!?のバリバリのスポーツバイクである。

信号に止まるたびに、エンストか、ウイリー?!途中"志紀"のあたりのガソリンスタンドの中に、前を走っていた家族連れのボンクラカローラに"無理矢理?"追い込まれるし?!
1時間半ほどかけて約25キロの行程を走覇、家にたどり着いた時には日が暮れかかっていた。
次の日からは毎朝6半起床夕方4時帰着の毎日、2週間ぶっ通しで葛城、吉野、大宇陀、橋本、河内長野,,,,,と家の近所を走り回った。

おかげで夏休みが終わる頃には、バイクは"ピカピカ"でも小生は"真っ,,,黒"に!?ドップリとバイクフリークに成ってしまっていた。

そうなるともう止まらない、後はまっしぐらに"バイク道(楽)?"を突き進むだけである。
自動車学校の2輪科に通い中型2輪を取得、MB50は会社のバイト君に譲り中古のHONDA・GL400を購入、それからは雨の日も風の日も2日酔いの朝も?1年間365日バイクで通勤!努力が実って10回目にして見事に"限定解除試験"合格、晴れて大型(2輪)ライダーに。

早速CB750Fの中古を購入、毎夜帰宅後はガレージにこもりっきりで隅から隅まで磨きまくりの日々!週末は"土・日の2日ともツーリング"の明け暮れ。

あれ程までに惚れ込んで買った我が愛車セリカXXは埃まみれ。

!36万でかったCB750Fも3ヶ月足らずで30万で手放し、憧れのCBX1000最終型を¥165万で新車購入した!当時フルオプション装備の大衆車が楽々買えた金額である、このバイクは3年近く車検寸前まで乗り続けた。

時、正にバブルになりかけの頃、高級逆輸入車の輸入量が増えだした頃のことであった。

<本記事は03/05/2006'タヌキがゆく'に初稿公開した記事のお引っ越し記事です>

とある土曜、フラッ~と一人で顔見知りである奈良のバイクショップに立ち寄った

「エエとこにきた、コイツを雑誌に貸し出すサカイ、チョット慣らしにイコ思とんねんけど、ついてケエヘンか?」と"ビモータ!"を前にバイク屋のオヤジが言う、「エエでエ~」とつき合うことに。

ガヴァ~、ドヒャ~、とヒトッ走りして、上野のドライブインへ、「チョット乗ってみるか?」の一言に「ええの?」、チョット乗せて貰うことにした。

ナ、ナ,,,、何だコリャ、スゲ~~エ!

次のパーキングでバイクやのオヤジ「ドヤ、これに乗ったらソイツは運搬車みたいやろ?」

小生「ホンマや,,,」後は無言。

いっぺんにCBXがイヤになった。さりとていくら小生でも400万円はかなり厳しい、そこで出たばかりのHONDA・VF750Fに買い換えることにした。この際ついでに買っておこうと、アメリカンのNV750、ストリートモトクロッサーのMTX200、と3台まとめ買い。

ガレージは満杯状態、週末は取っ替え引っ替え、乗り換えてのツーリング。
そうこうしているうちに名古屋に転勤になった、3台は連れて行けないので毎週1台づつ入れ替えることにし、ついでに洗濯物も満載して大阪に毎週帰阪。

20ヶ月で大阪に出戻り、そろそろ飽きてきたのでVTとNVは処分。出たばかりのYAMAHA・RZV500に買い換えた!これはその後結婚(1度目の)するまで乗り続けた。

この頃自家用4輪は、軽2台を乗り継いだ後ルーチェに変わっていた。

実は一時期出たばかりのRZ250をGLと2台同時所有していたことがあったから、2ストはMB、RZ、MTX、と数え4台目と言うことになる。

そして東京転勤を期に最後に残ったMTXともお別れ。

数年間の空白が続いたが3年ほど経ってから、同じ会社のバイク仲間が「中古の出物があるから、CB750ボルドールを買わないか?」と誘ってきた。

もとより"コノヤロー"は大阪在住時代小生がバイク道(楽)に誘い込んだ間柄、断る理由もなかったので37万円程で購入。

"おそろいのバイク"で連れだって良くツーリングに出かけた。

その連れ実は直属の上司に"リストラ"を通告され東京で退社、同じくリストラ組の"ハゲオヤジ"と青梅に会社を作った。

青梅に引っ越すので、このバイクとも泣く泣くお別れ?以後当分バイクとは無縁の毎日を送っていた。
"ハゲオヤジ"とも喧嘩別れ、食うにも困る生活が2年間ほど続いた。
ソンナある日、今の女房とバイト先で出会い、しばらくはそのまま大宮に住んでいたが引き払って大阪にUターンすることにした。
別段当てもなく半ば「着の身着のままの状態」で帰ってきた大阪だが、「昔取った杵柄」ではなく「何かのために」と取得しておいた大型(自動車)免許が役にたち長距離ドライバーに転身今に至っている。
バイクに話を戻すと、今の女房には内緒であるが正直本心ではもう一度必ず大型"バイク"に乗ってやる,,,!と思っている。

 

公開:2006年5月 3日
更新:2022年9月10日

投稿者:デジタヌ


TOP前略、USJ経営陣の皆様《レビュー2007》


 

 

 



▲このページのトップに戻る
▲旅のエッセイ・レビューへ戻る

 

ページ先頭に戻る