山形市《 タウンヒストリア 》
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山形市とこれ迄の歩み
山形県の中部東にある県庁所在地で人口約25万人の町。
山形盆地の南部3分の1ほどを占め、盆地の東南部に位置する扇状地の上に市街地が立地している
推計人口、251,021人/2018年4月1日。
山形-東京 2時間44分/11,000円/新幹線。
山形市のこれまでの主立った出来事
1356年(延文元年)に、斯波兼頼が羽州探題として山形に入部。子孫は、最上郡の名称をとって最上氏を名乗るようになり、最上氏11代目当主の最上義光が山形を拠点に最上・村山地方を統一。現在の基礎となる山形城と城下町の町割を整備した。
、鳥居忠政が領主となって、馬見ヶ崎川の改修などが行われた。以後、幕末まで、保科氏、松平氏など複数の領主の入れ変わりが続き、天保の改革に失敗した水野忠邦の子忠精が山形に転封され、版籍奉還まで水野氏5万石が続くことになった。山形市西部の須川沿いの船町は、最上川水運において、中流域で有数の港であった。
廃藩置県後は、村山郡山形が山形県の県庁所在地となり、その後、複数の県の統合を経て、現在の範囲の山形県でも県庁所在地となった。
1889年(明治22年)4月1日 - 山形城下31町が合併、市制施行し、山形市となる。
1901年(明治34年)4月11日 - 山形駅開設。
1911年(明治44年)5月8日 - 市北大火。済生館病院以北県庁、市役所ほか主要建造物全焼。
1915年(大正4年) - 山形県庁舎復旧(現文翔館)。
1956年(昭和31年)11月 - 大沼デパート、丸久デパート(後の山形松坂屋)開店(山形松坂屋は2000年(平成12年)8月閉店)。
1963年(昭和38年)8月 - 山形花笠まつり開催。
1975年(昭和50年)9月9日 - 山形県庁舎新築の上、現在地(山形市松波)に移転。
1983年(昭和58年)11月1日 - 山形市役所新庁舎落成。
1991年(平成3年)7月31日 : 関沢IC - 山形北IC開通により東北自動車経由で首都圏と高速道路で繋がる。
1992年(平成4年)7月1日 - 山形新幹線開業。山形橋上駅新築供用。
2012年(平成24年)2月1日 - 上山市との境界変更をもって1931年(昭和6年)4月1日 の小白川を編入て以来の周辺自治体辺由宇合併に一区切りし現市街区が確定した。
公開:2018年6月 8日
更新:2022年9月10日
投稿者:デジタヌ