狸穴ジャーナル・別冊『旅するタヌキ』

博多祇園山笠 《 お祭り ナビ 》櫛田神社祇園例大祭

       

2018年のこのイベントはすでに終了しています。

次回をお楽しみに!

Official Website https://www.hakatayamakasa.com/

博多祇園山笠のあらまし

※2018年5月21日現在2018年開催イベントに関する公式サイトの情報更新はされておりません。

開催日 2018年7月1日(日)~7月15日(日)

※2018年5月21日現在2018年開催イベントに関する公式スケジュールの発表はされておりません。

2017年7月1日 注連(しめ)下ろし,ご神入れ、当番町お汐井(しおい)とり

2017年7月9日 全流お汐井とり、

2017年7月10日 流舁き

2017年7月11日 朝山笠、他流舁き、

2017年7月12日 追い山笠ならし

2017年7月13日 集団山見

2017年7月14日 流舁き

2017年7月15日 追い山笠

会場  福岡市博多区の博多部(那珂川と御笠川(石堂川)間の区域)

(公式コースガイドはこちら)

ご注意;以下の記事中※印は当サイト内の紹介記事リンクです。
但し、その他のリンクは事業主・関連団体の公式サイト若しくはWikipediaへリンクされています。

公式ガイドはこちら)

氏子たちが行う奉納行事

博多祇園山笠は櫛田神社の氏子たちが行う奉納行事のひとつであり、地域の住人たちが伝統的に行ってきた町内行事。

700年以上の伝統のある国の重要無形民俗文化財に指定されている祭。

櫛田神社にまつられる素戔嗚尊に対して奉納される祇園祭のひとつ。正式には櫛田神社祇園例大祭。博多どんたくとともに、博多を代表する祭り。

福岡市博多区の博多部(那珂川と御笠川(石堂川)間の区域)で7月に行われる祭礼。

参加者や福岡市民などからは「山笠」「ヤマカサ」とも略称される。

山笠の掛け声「おっしょい」は1996年(平成8年)に日本の音風景100選に選ばれた。

2016年12月1日、博多祇園山笠などの「山・鉾・屋台行事」がユネスコ無形文化遺産に登録された。

博多祇園山笠は女人禁制の祭り

供山笠も含めて舁き手は男性のみで、女性は舁き手の詰め所に立ち入れないしきたりとなっている。

かつては舁き手の詰め所の入口に「不浄の者立入るべからず」と書かれた立て札が立てられる風習になっていたが女性差別につながるとして2003年(平成15年)以降に立て札の設置は無くなっている。

博多祇園山笠の見どころ

7月15日に行われる 追い山笠 

大太鼓の合図とともに一番山笠から順に「櫛田入り」し、境内を出て旧博多部に設けられた約5kmの「追い山笠コース」を須崎町の廻り止め(ゴール)を目指して懸命に舁く。

櫛田神社の能舞台

早朝午前6時から櫛田神社の能舞台で荒ぶる神様に捧げる鎮めの能が演じられる。

櫛田神社例大祭の、「追い山笠」の「動」と対をなす「静」の象徴。

櫛田神社のロケーション

ところ  福岡市博多区上川端町1−41

じゃらんの周辺観光ガイドはこちら。

櫛田神社へのアクセス

鉄道・バスなどの公共交通

博多駅から 徒歩約15分(1.2km) 地下鉄空港線祇園駅から徒歩約6分(450m)、地下鉄空港線中州川端駅より徒歩約7分(600m)

マイカー利用の場合

(※周辺駐車設備(民間有料駐車場)収容台数 も多数ありあるが当日周囲が交通規制(詳しくはこちら公式ガイドで)されるので公共交通機関の利用が便利)

福岡都市高速環状線 博多駅東、千代、築港、天神北各出口を利用。

イベント開催データ

(公式ガイドはこちら)

  1. 開催地  福岡市博多区
  2. 開催要領 毎年
  3. 運営組織/主催者 櫛田神社氏子組織/櫛田神社
  4. イベント内容 お祭り、
  5. 併催イベントその他 

 

デジタヌの知っておきたい豆知識

博多祇園山笠の行われる福岡市と博多区のこれ迄の歩み

福岡市

推計人口、1,570,095人/2018年4月1日

福岡(博多駅)ー(福岡空港)ー(羽田空港)ー品川 2時間55分/42,060円/地下鉄-ANA-京急

福岡県の西部に位置し、福岡県の県庁所在地であり西日本では2番目、全国では5番目の人口(157万人、2018年4月現在)を擁する政令指定都市。

博多区

1161年 平清盛が日本初の人工港「袖の湊」を建築、以降港町として栄えることとなった。

1580年(天正8年)には龍造寺隆信が筑前国に進撃。博多の町のほぼ全域が焼失した。
1584年 島津義久の軍が博多を占領し博多の一部復興が始まった。
1586年 8月下旬に島津軍が博多を再び焼き払って撤退した。

1587年から九州を平定した豊臣秀吉により「太閤町割」がなされ博多の復興行われた。

交易の自由や、町人による街の自治が安堵され、商人の自治都市「博多」が確立された

1600年 黒田如水・長政親子が筑前へ入国し翌年から那珂川左岸に 福岡城建設に着手し、以来黒田氏の城下町となるが博多の自治は保たれていた。以後明治時代初期まで博多と福岡は共存していた。

1876年に地域区分の再編によって「福博」(ふくはく)という一つの地域区分となった。

1878年には郡区町村編制法の施行により福博が福岡区に改称され、「博多」を名乗る自治体は消滅した。

その後明治22年(1989年)福岡市発足当時でも「福岡」と「博多」は別の町という概念が強く残っていた。

同年九州鉄道会社(後に国有化)が福岡市から 熊本市を目指し千歳川仮停車場(現久留米市)までの鉄道を完成させた際にも、市の中心駅は「博多」地区にあるということで駅名は福岡駅ではなく、博多駅となったと言われている。

1972年の政令指定都市昇格に伴い、行政区として「博多区」が設置されほぼ百年ぶりに「博多」の地名が復活した。

かつて町人の商業都市として栄えた『博多』と武士の行政都市として発展した『福岡』は、『博多』をビジネス街、『福岡』を繁華街商業地と所を入れ替えている。

年表

757年 (現博多区)櫛田神社が創建されたと伝えられている。

1161年 平清盛が日本初の人工港「袖の湊」を建築、以降港町として栄えることとなった。
1179年 博多どんたくの起源である博多松囃子が始まったと伝えられている。
1241年 博多祇園山笠が始まったと伝えられている。

1587年 豊臣秀吉が町割りを定め博多を復興(太閤町割り)黒田如水に住民を呼び戻す役目を担わせ、石田三成を博多奉行に任じ、博多商人の宗湛や島井宗室にも協力をさせ、本格的な復興に取り掛かる


1600年 前年領主となった小早川秀秋は備前と美作に移封(国替え)され、代わりに黒田如水・長政親子が筑前へ入国
1601年 那珂川以西の現中央区に福岡城の建設に着手。以来、福岡は黒田氏の城下町となる。

1889年4月1日 - 市町村制度施行により、福岡市及び現市域にあたる32町村発足。
以降周辺町村を合併・編入し1998年現在の市域となる。

1972年の政令指定都市昇格に伴い、行政区として「博多区」が設置され地名が復活した。
1998年(平成10年)1月1日 - 春日市と境界変更し福岡市は現在の市域となる。

博多祇園山笠のこれまでの歩み

博多祇園山笠の起源には諸説があるが博多祇園山笠振興会は一般に広く知られている聖一国師が仁治二(1241)年、疫病除去のため施餓鬼棚に乗って祈祷水(甘露水)をまいたのが始まりという説を取っている。

以後現在に至るまで博多山笠も隆盛、衰退を繰り返した。

山笠は、古くは高さ15メートル前後のものをゆっくりと舁いていた。

「櫛田社鑑」によると、貞享四(1687)年正月、竪町(恵比須流)に嫁いだ土居町 (土居流)の花嫁が、花婿ともども里帰りした際に土居町の若者が余興として行った「花婿に桶をかぶせる」悪ふざけを聞いた竪町の若者が怒って押しかけて一触即発になり、夏のお祭りの際にこのときの遺恨で昼飯を食べていた土居流を恵比須流が追い越そうと走り出し、土居流も負けてはならじと走り、これが評判を呼び、「追い山」に発展したという逸話が残されている。

 

公開:2018年5月21日
更新:2022年9月29日

投稿者:デジタヌ


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