音・道・楽・人 分室『旅するタヌキ』

バス・トラックメーカーの周回路《バンク伝説》大型車両が突っ走るバンク

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proving ground は乗用車メーカーだけの特別のものではありません!2輪メーカー、タイヤメーカー、電装品メーカー等の部品メーカーにも多くのproving ground が存在します。

今回は大型車・トラック・バス専業メーカーのproving groundを紹介します。

※ご注意、この施設は非公開施設です!、社外の一般人は特別イベントが開催される時以外は見学できません!

※以下用語については 当サイトシリーズ記事プルービンググラウンドについての走路用語と解説 を参照ください。

三菱ふそうトラック・バス株式会社 喜連川研究所

所在地 〒329-1411 栃木県さくら市鷲宿4300

開所 1980年

付帯設備 ABS試験路・電波試験棟・エンンジン研究棟・駆動試験棟等。

※Google earth Mode(航空写真モード)で閲覧するとコースの全容を確認することができます。

現在国内のトラックバス専業メーカーでUDトラックスとともに本格的proving groundを自前で備えているメーカーです。本田技研や、日産自動車、㈶日本自動車研究所城里テストセンターなどのproving ground、"ツィンリングもてぎ"などががある栃木県にあります。

UDトラックス株式会社 

茂木試験場

所在地 栃木県芳賀郡茂木町大字鮎田555

※Google earth Mode(航空写真モード)で閲覧するとコースの全容を確認することができます。

googl地図では日産自動車茂木試験場を間借りした試験場です。

日産UD時代からの縁で間借りしているのでしょう。

UD Trucks Experience Center

〒362-8523 埼玉県上尾市大字壱丁目1番地

同社の主力工場、上尾工場にあるPGで、周辺の宅地化でほとんど利用されていないようです。

本格的な開発試験は後述する理由で今後いすゞ自動車に移るようです?

高速オーバル周回路

3レーンの立派な周回路は30°近い高速バンクを持った立派な施設ですが...前途の理由であまり使用されていないようです。

インフィールドにある走路は現在新車置き場?などに使用されているようです。

いすゞ自動車

(※株式会社いすゞ北海道試験場に関しては世界中にある、公立・民間のレンタル・請負施設をご覧ください)

藤沢工場 テストコース

所在地 〒252-0881 神奈川県藤沢市土棚8

※Google earth Mode(航空写真モード)で閲覧するとコースの全容を確認することができます。

嘗て日野自動車同様にいすゞ自動車も乗用車を生産していました、その名残りか?同社も生産拠点の藤沢工場にこじんまりとしたテストコースを備えています。

いすゞ自動車の生い立ちと現在

1929年に1893年(明治26年)創業の現IHI(旧石川島播磨重工業)の自動車部門(1916年創設)が株式会社石川島自動車製造所として誕生しました。

GMが経営破綻する前の自力更生時代の2006年には1993年以来乗用車ジェミニ・アスカ等のワールドカーの現地生産から撤退していた(1971年から)長年続いていたいすゞ自動車とのパートナーシップを解消して保有株をすべて売却しています。同年一時Toyotaグループに加わりましたが、2018年年末に再度パートナーシップ解消して2019年12月に、VOLVOの子会社となっていた(旧日産ディーゼル)UDトラックスを子会社として引き受ける条件でボルボ・グループ(中国資本)の一員となりました。

主な出来事

1929年(昭和8年) ダット自動車製造株式会社と合併して"自動車工業(株)"となりました。
1931年 自動車工業(株)は旧ダット自動車大阪工場を、小型車部門の技術者と商標「ダットサン」を含めて"戸畑鋳物"に売却して、戸畑鋳物が「自動車製造㈱」を立ち上げました。これが1934年に日産自動車に改名したいまのNISSANのルーツに当たります。つまりNISSANは石川島自動車製造所から分かれた、いすゞの兄弟に当たるわけです。
自動車工業(株)初代社長となった加納友之介は、自動車用高速ディーゼルエンジンに着目して、研究開発を開始して「ディーゼルエンジンのいすゞ」の布石を作りました。
1934年 鶴見工場(旧鶴見製造所・自動車工業株式会社)稼働。
1937年 東京瓦斯電気工業株式会社(瓦斯電)と合併して東京自動車工業株式会社となりました。
1938年(昭和13年) 7月7日 川崎工場(旧川崎製造所)が操業しました。
1941年(昭和16年) ヂーゼル自動車工業株式会社と改称しました。
1942年(昭和17年)旧瓦斯電系の技術陣が中心だった日野重工業株式会社(現在の日野自動車)が ヂーゼル自動車工業から独立しました。
1945年(昭和20年)3月 疎開工場として長野県に長野工場(佐久市岩村田1950年閉鎖。)が建設されました。

敗戦後の1949年  いすゞ自動車株式会社に改称しました
同年、戦後日本の自動車産業として初の香港へ輸出を開始しました。その後1950年にはタイへ1952年には 台湾と東南アジアに輸出先を広げていきました。

1957年(昭和31年)1月 三菱商事とタイ向け車両輸出販売代理店の契約を締結。
1958年(昭和33年)川崎工場(旧川崎製造所)に隣接する神奈川県営の埋立地(多摩川河口の約6万坪)を取得。
1961年(昭和36年)11月 藤沢工場(旧藤沢製造所)稼働。

同年10月 ヴァンケルロータリーエンジンを開発中であることを発表。翌年(1964年)春の実用化を目指すと発表!

1964年(昭和39年)12月 ペルーいすゞ自動車を設立。(戦後第1号の海外投資案件)
1966年(昭和41年)4月 泰国いすゞ自動車を設立。
1966年(昭和41年)12月 富士重工業との業務提供を発表。
1968年(昭和43年)5月 富士重工業との業務提供を解消。
1968年(昭和43年)6月 三菱重工業と業務提供を発表。
1969年(昭和44年)5月 三菱重工業との業務提供を解消。
1971年(昭和46年) 米国・ゼネラルモーターズ(GM)と資本提携
1972年(昭和47年)6月 栃木工場(旧栃木製造所)稼働。

1975年(昭和50年)6月 いすゞモーターズアメリカ設立
1979年 北海道勇払郡むかわ町にいすゞ自動車のテストコース(現株式会社いすゞ北海道試験場)オープン
1985年(昭和60年) 中国・四川省重慶市で自動車メーカーとしては日本初となる現地生産(小型トラック ・エルフ)を慶鈴汽車で開始。

1987年(昭和62年) 富士重工との合弁事業としてスバル・イスズ・オートモーティブを設立して1989年(平成元年)から現地生産を開始。

1989年(平成元年)オーストラリアに商用車の輸入・組立・販売会社、現在の「いすゞ オーストラリア」を設立。
1993年(平成5年) 小型乗用車の自社開発・国内製造から撤退。

同時にホンダなどの他社からのOEM供給を受けるようになりました。日本国内でのSUV(ビッグホーン、ミュー、ウィザード)の製造販売は継続。
1997年(平成9年)1月 ポーランドにディーゼルエンジン生産会社「いすゞ モーターズ ポルスカ」を設立。
10月 ドイツに欧州におけるディーゼルエンジン開発会社「いすゞ モーターズ ジャーマニー」を設立。
1998年(平成10年) GMが出資比率を37.5 %から49.0 %へ引き上げ。
1999年(平成11年) 神奈川県大和市下鶴間の大和工場(旧車体工業)を閉鎖しました。

2002年(平成14年)日本国内でのSUV(ビッグホーン、ミュー、ウィザード)の製造販売と、セダン型乗用車(アスカ)、ミニバン型乗用車(フィリー)のOEM供給を受けることを中止し、9月30日をもって日本国内での乗用車販売事業から完全撤退しました。
10月 北海道胆振管内むかわ町のいすゞ自動車北海道試験場を株式会社ワーカム北海道へ、北海道苫小牧市のいすゞ自動車北海道工場をいすゞエンジン製造北海道株式会社へ分社。
2003年(平成15年)1月1日 スバル・イスズ・オートモーティブの富士重工業と合弁解消。いすゞ車生産委託開始(2004年(平成16年)まで続いた)。翌日、スバル・オブ・インディアナ・オートモーティブ(略称:SIA)に改称。[15][16]
2003年(平成15年)10月 合理化のため、日野自動車とバス部門を経営統合し、ジェイ・バスを設立。
2004年10月 ジェイ・バスが日野車体工業・いすゞバス製造の2社を合併。
2005年(平成17年)10月 メキシコに「いすゞメキシコ」を設立。

2006年(平成18年)4月 米GMが提携関係は維持したままでいすゞ株を全て売却
5月 ウクライナでトラック・バス販売の合弁会社「いすゞウクライナ」を設立。
7月 ロシアで小型トラックの現地生産・販売を開始(日本企業によるロシア国内初のトラック生産・販売)。
7月 インドへ中・大型バスの現地製造・販売提携をインド・スワラジマツダ社との間で締結(後に、いすゞブランドにて2007年(平成19年)9月より販売開始)。
11月 トヨタ自動車と資本提携。
12月 「6代目エルフ」(ハイキャブ、ワイドキャブを先行販売。標準キャブは2007年(平成19年)2月より)を販売開始。
2007年(平成19年)4月 カナダにいすゞ車両・部品の販売会社として、「いすゞ コマーシャル トラック オブ カナダ」を設立。
2016年(平成28年)2月 UDトラックス向けの中型トラックOEM供給に合意(UDトラックス・コンドル)。市場へは2017年(平成29年)に投入。
7月 マツダ向けのピックアップトラックOEM供給に合意。北米を除く世界全域で展開(日本国内は未定)。
2017年(平成29年)4月 ゼネラル・モーターズ(GM)の東アフリカ子会社、GMイーストアフリカを買収。
2018年(平成30年)8月 トヨタ自動車との資本提携解消。
2019年(令和元年)5月 アメリカのディーゼルエンジンメーカーであるカミンズとパワートレイン事業に関する包括的パートナーシップを構築することに合意。
6月 日産自動車への小型トラックのOEM供給について合意。12月 スウェーデンのボルボ・グループと商用車分野での戦略的提携に
関する覚書を締結するとともに、同社が保有するUDトラックスの全株式を取得することを発表。

嘗て製造販売されていたいすゞ製乗用車の系譜

(※以下Wikipediaの該当項目にリンクしてあります)

1953年 当時のイギリスの英ルーツ・グループと提携していすゞ「ヒルマン・ミンクス」をノックダウン生産開始して乗用車事業にも乗り出しました(1964年4月 - 生産終了)。

1962年 初の自社開発乗用車1500cc直4ガソリンエンジンと国産初の2000㏄ディーゼル乗用車としてベレル発売(1967年5月生産終了、日本初の量販ディーゼル乗用車でもありました。)

1963年 当時の傑作車の一つとされるいすゞ・ベレットが 1500cc直4ガソリンエンジンと1800㏄ディーゼルで登場(1973年10月に生産終了)

1967年11月1.8リットルの直4ガソリンエンジンと2000㏄ディーゼル搭載のフローリアン(1982年10月 - 生産終了)登場。

1968年12月 フローリアんのプラットフォームを利用したいすゞ・117クーペ(1981年生産終了)登場

1983年4月 FF直4(1.8L車)、直4(2.0L車)、直4(2.0Lディーゼル車)でいすゞアスカ登場(1989年3月生産終了)

1974年11月 GMのグローバル車オペル・カデット(GM・TプラットフォームFR)のいすゞバージョンとしていすゞ・ジェミニ登場(1987年2月に生産終了)

1981年 GM・TプラットフォームFRを用いたいすゞ・ピアッツァ(1991年7月 ー 生産終了)登場。

1981年 いすゞ最後の乗用車となったいすゞ・ビッグホーンが SUV(ビッグホーン、ミュー、ウィザード)シリーズの先陣を切って登場。(2002年(平成14年)8月ー 生産終了)。

1985年5月 いすゞ独自開発となるFFジェミニ登場(1993年迄国内生産モデル存続)その後「Rカー」プラットフォームとしてGMにもOEM出荷。

一時はFIエンジンを試作して当時GMを通じて親せきだったロータスにテストしてもらい確かな手ごたえがありながらあくまでも自社のエンジン技術のレベル確認だけにとどめて試作で終わらせたり、いすゞの技術は自他ともに認める高レベルを維持してきましたが...。

技術力よりも、販売力(販売網)が物を言う乗用車販売では常に苦戦を強いられていました。

小生の先輩が「競合他社より優れたものを、競合より安く出せれば、売れるはずだ!」といって隙間産業で細々と(年商2億程度!)のバックヤードビルダーをやっていますが...

大量生産のマスプロダクションの典型である「乗用車」ではこの理屈は通じなかったみたいです!

もちろん販売網のバックとしての高品質は絶対条件!ですが、いくら魅力的で高性能(ハイ・コスパ)でも販売店網・サービス網が弱いと市場には踏みとどまれない!

という証明が、安定した高品質・高性能で少数の熱烈なファンを獲得していた最晩年の「いすゞ乗用車」シリーズではなかったでしょうか。

日野自動車

1964年 2月発売のコンテッサ1300セダンも不振に終わり、1965年にトヨタ自動車の傘下に入り、1967年に コンテッサを生産終了して乗用車の販売から撤退して、商用車専業メーカーとなり再出発した日野自動車でしたが...

1968年 には羽村工場に小型車専門ラインを完成させてトヨタグループの一員としてパブリカ、ハイラックス(小型ボンネットトラック)の生産を開始して更に1970年からはカリーナの生産も請け負、2001年にはトヨタが株式の過半数を取得してトヨタの子会社となり現在に至ります。

更に2012年に 新たにトラック専門の古河工場を立ち上げて「スウェーデン・スカニア」トラックの国内ノックダウン生産を開始、2020年には発祥の地日野工場での生産と終了して「古河工場」にトラック生産拠点を集約して事実上の本社工場となりました。

現在「社内proving ground」はありませんが古河工場には広大な敷地が準備?されていて、近い将来には本格的なproving groundが整備されると思われます。

※Google earth Mode(航空写真モード)で閲覧するとコースの全容を確認することができます。

Navistar Proving Grounds

32104 IN-2, New Carlisle, IN 46552 アメリカ合衆国

オーバルコース全長約3マイル(約4.8㎞)

※Google earth Mode(航空写真モード)で閲覧するとコースの全容を確認することができます。

1926年にStudebakerによって建設されました。

オープン当時は840エーカー(340ha )の敷地を持つ世界初かつ最大規模のproving groundでした。

1963年にベンディックスコーポレーションの手に渡りこの時に北西角の195エーカー(79 ㏊)が、インディアナ州セントジョセフ郡に寄贈されてBendix Woods County Parkとなり、残りの部分は工場用地になる予定でしたが、1996年に独の電装品メーカーのボッシュが米国進出の為に購入して、2015年にBoschから再度転売されてNavistarが取得して「Navistar Proving Grounds」となりました。

現在は米国4大トラックメーカーの一つNavistar社(https://www.navistar.com/navistar/)の プライベートProving Groundで、御覧の通り立派な周回路もありますが、

開所当時はハイバンクの高速周回路でしたが大型Truck・Bus用途なのでフリーウェイと同じ規格で改修されておりバンク角は浅くちょうど日本の自動車安全運転センター 安全運転中央研修所(当サイト関連記事はこちら)と同じような"中速変形オーバルコース"といったところで、規模一周5kmの 安全運転中央研修所と同じ程度の一周3マイル(4.8km)オーバルコースとなっています。

更によく似ているのは、国営ひたちなか海浜公園にある 安全運転中央研修所と同様に前途したBendix Woods Nature Preserve(ベンディックス・ウッズ自然保護区)に隣接した施設となっている点です。

面白いのは、アウトフィールドとしてBendix Woods Nature Preserveの外周を土地囲むように、オーバルコースにつながる形で2車線のテストコースがはみ出して?おり一般国道を模しているところです。いかにもアメリカらしくおおらかな"取り計らい"といえるでしょう。

3車線のオーバルコースは左回り、2車線のRural Road(田舎道?)は右回りで運用されています。

スチュードベーカー墓地?についての噂が続いた

多くのスチュードベーカープロトタイプ自動車といくつかの走路の遺構が旧スチュードベーカーPGで発見されたとき、噂は事実であることが確認されました。

プロトタイプのいくつかはレスキュー?されてプライベートコレクションとなりました。

そのうちの一台木製のボディーを持つのチャンピオンステーションワゴンが復元されて、スチュードベーカー国立博物館に展示されています。

プロトタイプのほとんどは、グランドに放置されていて完全に朽ち果てていました!

Caterpillar Peoria Proving Ground

28194 Caterpillar Ln, Washington, IL 61571 アメリカ合衆国

これだけ広いエリアなので、とてもCaterpillar社が全エリアを所有しているとは思えませんが、日産自動車陸別試験場のように地権者の同意のもとに借地しているのだろうと思われます。

それにしても立派な Proving Groundでさすがは世界一の建設機械メーカーではあります。

日本キャタピラー D-Tech Center

〒368-8765 埼玉県秩父市山田2848

嘗ての日米合弁企業のキャタピラー三菱が、米国キャタピラーの100%子会社となり現在も旧明石工場でアスファルトフィニッシャー等の小型重機?を製造していますが、積載量100トン級の不整地走行用のダンプや、ブルは米国からの輸入となっています。

そしてアジアにおける最大のでもストレーション施設・ショウルーム!が当施設です。

ここでは同社製の最大級のブルや、ダンプなどが実際に動くところがみられますし、試乗も可能となっています。

 

公開:2020年7月12日
更新:2021年1月20日

投稿者:デジタヌ


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