浅草三社祭り2018 《 お祭り ナビ 》
2018年のこのイベントはすでに終了しています。
次回をお楽しみに!
Official Website https://www.sanjasama.jp/
浅草三社祭りのあらまし
開催日 2018年5月18日(金)から5月20日(日)
会場 浅草神社
浅草神社の礼大祭
正和元年(1312)から三社の神話に基づき船祭が始められたと云われている。
現在は氏子の四十四ヶ町と浅草組合で構成される「浅草神社奉賛会」により運営されている。
現在では交通事情等の諸事情で、慣例通りの5月17、18両日の大祭執行が不可能となり、
1963年から17,18日に近い金曜日に神輿神霊入れを行うようになった。
土曜に氏子各町連合渡御、日曜日に本社神輿の各町渡御を行っている。
例大祭式典、びんざさら舞奉納などもそれに伴い日程が変動している。
現在の祭礼は3日間で毎年約150万人の見物客でにぎわっている。
浅草周辺の観光ガイド
イベントデータ
- 開催地 台東区
- 開催要領 毎年
- 運営組織/主催者 浅草神社奉賛会/浅草神社
- イベント内容 、お祭り、
デジタヌの知っておきたい豆知識
浅草三社祭りの行われる浅草神社とこれ迄の歩み
台東区浅草の浅草寺本堂右隣にある神社、通称「三社権現(さんじゃ ごんげん」、「三社様(さんじゃ さま)」等と呼ばれている。
社伝によれば、推古天皇36年(628年)、宮戸川(現在の隅田川)で観音像を網に掛け見つけた地元漁師檜前浜成・竹成兄弟が土師真中知に相談した所、これは観音像であると教えられ奉っていたが、その後剃髪して僧となり自宅を寺とし浅草寺を開いた土師真中知の子の夢枕に観音様が現れ、3人を神として祀る様にお告げがあり、お告げ通りにご郷土神として祀ったのが浅草神社の起源とされている。
が考古学的には、平安時代(794年→1185年)の末期から鎌倉時代(1185年頃→1333年)にかけて、土師真中知、戦争時の観音像を見つけたとされる檜前浜成・竹成兄弟の三人の子孫が、祖先を神として祀ったものであるとされている。
明治の神仏分離により浅草寺とは別法人になり、明治元年(1868年)に三社明神社に改称、明治6年(1873年)に現在の「浅草神社」に改称した。
浅草三社祭りのこれまでの歩み
浅草神社には現在3基の神輿があり、祭礼の際は、一之宮には土師真中知命、二之宮には檜前浜成命、三之宮には檜前竹成命の御神霊を移して、町中を渡御する。
嘗ては3月17日、18日の両日に行われ、丑、卯、巳、未、酉、亥の隔年で本祭が行われていた。
御輿はかつて7基存在したが、全て戦災により一度焼失してしまっている。
徳川家光が1637年(寛永14年)に建造寄進し、300年の歴史を持つ国宝の御輿もあったが、太平洋戦争にて焼失した。
1950年に二基、1952年に一基の新たな神輿が氏子四十四ヶ町から新造・奉納された。
最終日の宮出しには「サセ、サセ」という掛け声で御輿が担ぎ上げられる。
近年では祭り好きの人々が同好会(※1)を結成し、各所の祭りを担ぎ回るようになった。
注(※1)地元住人から「各町神輿連合をヤクザ(主に指定暴力団住吉会系の浅草高橋組や中村会)が組の宣伝に利用しているなどの問題点が指摘され、「地元民の全面的支持が受けているわけではない」事実2007年までの10年間に暴力団組員33人が都迷惑防止条例違反で逮捕され手いる。
また、神輿に担ぎ手が乗ることは禁止されているものの、担ぎ棒の上に下帯一丁、又は下帯に袢纏だけの者が乗る例が後を絶たなかった。
2006年(平成18年)には本社神輿二之宮が毀損するに至り、浅草神社と奉賛会の連名で改めて通達がに出された。
2007年1月、浅草神社と奉賛会の連名で改めて「神輿によじ登る事を禁止する通達」が出された。しかし同年開催された「本社神輿各町渡御」「宮入り」においても神輿に乗る担ぎ手が確認され、逮捕者5人(都迷惑防止条例違反容疑)も出た事から、神社と奉賛会は2008年(平成20年)の祭での本社神輿の「宮出し」と「本社神輿各町渡御」「宮入り」を中止する事を決定した。
2009年(平成21年)は、「神輿に担ぎ手が乗ると再び中止にする」ことを継続の条件としたうえで「本社神輿各町渡御」「宮入り」が再開した。
2012年(平成24年)は、三社祭が行われて700年の節目に当たり、「舟渡御」が1958年以来54年ぶりに行われた。
2015年、「暴力団を排除する観点上の理由」により、担ぎ手は刺青禁止(刺青をしたものは神輿の担ぎ手とは認めない)の新たなルールが制定された。
公開:2017年8月20日
更新:2022年9月29日
投稿者:デジタヌ
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