旅するタヌキ 

肥前浜宿・酒蔵通り  ー重要伝統的建造物群保存地区の観光ガイドー

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肥前浜宿・酒蔵通り

Official Website http://www.city.saga-kashima.lg.jp/main/324.html

肥前浜宿・酒蔵通りのあらまし

(公式ガイドマップはこちら)

経ケ岳に源を発する「浜川」河口部に開けた肥前浜宿は鎌倉・室町時代にさかのぼる古い歴史を持った宿場町で隣接する「南船津」は有明海に臨む佐賀藩の物産出荷港としての役割も果たし近世(江戸時代)から近代(明治・大正・昭和初期)まで栄えてきた。

現在旧国道207号線から西側にそれる旧長崎街道多良海道沿いの「肥前浜宿」地区と「舟橋」から海側の「南船津」地区が重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

「酒蔵通り」、「南船津」ともに、電柱などは取り払われ、宿場町出会った頃の往事を再現している。

肥前浜宿のある佐賀県鹿島市のあらまし

推計人口、28,765人/2018年4月1日。

JR肥前浜駅ー佐賀

佐賀県の南部にある市。

お隣は嬉野温泉で有名な嬉野市で市域東部は有明海に面し、市域南西部は長崎県と県境を成し長崎県大村市とも接している。

酒蔵以外にも、旧肥前鹿島藩が創始した「鹿島錦」(現・佐賀綿)も有名である。

肥前浜宿・酒蔵通りのロケーション

ところ  鹿島市浜町

元は六角川の堆積平野であった佐賀平野とは白岩山、飯盛山などから成る丘陵地で隔てられていたが塩田川、鹿島川などの大小の河川の長年の堆積で平野が形成され、明治以降の干拓事業のおかげも有り現在は佐賀平野と繋がっている、JR長崎本線の屈曲ががかつての海岸線を物語っている。

旧浜町は平野部の南の端に当たる。

肥前浜宿・酒蔵通りへのアクセス

鉄道・バスなどの公共交通

JR長崎本線備前浜駅より徒歩約6分(394m)

マイカー利用の場合

(※周辺駐車設備(民間有料駐車場)収容台数が少ないので公共交通機関利用がおすすめ)

長崎自動車武雄北方ICから国道498号線経由約31分19.6km。

肥前浜宿の周辺観光ガイド

じゃらんの周辺観光ガイドはこちら。

佐賀県の名産・特産品ガイド

佐賀県の特産品ガイドはこちら佐賀県の銘酒ガイドはこちら九州各地の地ビールガイドはこちら。

デジタヌの知っておきたい豆知識

佐賀平野南部「旧肥前鹿島藩」を流れる多くの河川と酒造業

南に多良山系があり、琴平岳、経ケ岳に源を発する塩田川・鹿島川・浜川・中川・早ノ瀬川・木庭川・石木津川・母ヶ浦川・音成川・黒木川・飯田川・金剛川などいくつかの川が谷を刻み、合流して鹿島港に注いでおり、この地一帯は豊富な地下水脈(伏流水)と、佐賀平野のおいしいお米によって酒造りが盛んとなった。

現在でも、塩田川水系流域には上流から嬉野温泉郷にある井出酒蔵、瀬頭酒蔵、五町田酒蔵が、鹿島川水系流域には、馬場酒造場、矢野酒造、などが現存している。

浜川河口部の佐賀の銘酒の里「肥前浜宿」と出荷港「南船津」

中でも浜川流域は特に酒造りが盛んで中流部大村方にある♥幸姫酒蔵を初め、河口部の浜宿に数多くの酒蔵を抱えていた。

元禄年間に酒造業が盛んになり天保9年(1839年)頃にはすでに、♥富久千代酒造、飯盛酒造、中島酒造、♥光武酒造場、マスカメ酒造、呉竹酒造、♥峰松酒造(観光酒蔵肥前屋)、など9軒の酒蔵が建ち並んでいた、このうち現在も醸造中(営業中)の酒蔵は、数軒(♥印)を残すのみと成っている。

又江戸時代からこの地で醸造された日本酒は浜橋の下流(長崎側)にある元佐賀藩外港の浜床津町浜金屋町伝統的建造物群保存地区から「佐賀の銘酒」として全国に出荷されていた。

肥前浜宿のある鹿島市のこれまでの歩み

江戸時代初期には常広城(塩田川と鹿島川の間あたり)を拠点とした佐賀藩の支藩(分家)として成立し、その後鹿島城(鹿島川左岸高津原;現佐賀県立鹿島高等学校)に居城を移し明治4年(1871年)の廃藩置県まで鹿島藩として存立した。

その後、1871年11月14日伊万里県・1872年7月4日佐賀県・1876年4月18日三潴県・同年6月21日長崎県とめまぐるしく所轄が変わり最終的に1883年5月9日に佐賀県に編入を経て

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、現市域に 南鹿島村北鹿島村八本木村・など7村が発足する。
1912年(大正元年)12月1日 - 南鹿島村が改称、同時に町制を施行し、鹿島町となる。同日、北鹿島村が村名を改称し、鹿島村となる。
1918年(大正7年)8月3日 - 八本木村が改称、町制を施行し、浜町となる。
1954年(昭和29年)4月1日 - 近隣5町村が合併し同時に市制を施行して鹿島市となる。
1955年(昭和30年)3月1日 - 七浦村の一部を編入する。

鹿島市(元鹿島藩)のあった佐賀県のあらまし

推計人口、818,865人/2018年4月1日

佐賀-(博多)ー品川 5時間50分/24,760円/在来線特急-新幹線/1221.7km

佐賀-(佐賀空港)-(羽田)-品川 3時間42分/42400円/バス-ANA-京急

佐賀県は唐津市を中心とした北部(北西部)旧唐津藩域と佐賀市を中心とした南部(南東部)旧佐賀藩域の2つの地域から成っている。

1998年7月28日九州で最後て有明佐賀空港としてできた空港ではあるが東京便が日に5往復、成田国際空港便 、仁川国際空港便 がそれぞれ1日1往復しか飛んでおらず(2018年現在)、昼間はカモメ?が飛んでいるローカルな国際空港!(2016年1月16日より九州佐賀国際空港に名称変更。)

おかげで航空路に気兼ねなく佐賀インターナショナルバルーンフェスタ(※ガイド記事はこちら)が開催できる?

佐賀県の歩み

江戸時代には、佐賀藩、その支藩(分家)である蓮池藩、鹿島藩、小城藩の3藩、および、唐津藩が置かれていた。

また、現在の唐津市浜玉町海岸部や唐津市南東部などが天領(幕府直轄領)となっていた。

佐賀藩

「長崎の警備費用」がかさむなどして財政は当初から厳しく、享保の大飢饉や1828年(文政11年)のシーボルト台風による甚大な被害はそれに拍車を掛けた。

ただ、広大な有明海の干拓によって農地を拡大できるという地の利を生かして江戸時代初期から盛んに干拓を行った。

反射炉や蒸気機関車模型といった先進的な科学技術の実験・研究も進んでいた。

戊辰戦争以降、明治維新に尽力する人物を多く輩出した。明治維新期に活躍した大隈重信・副島種臣・大木喬任・江藤新平・佐野常民・島義勇の6人に、彼らを育てつつ幕末期に活躍した鍋島直正を加えて『佐賀の七賢人』と称することがある。

唐津藩

寺沢氏が島原の乱の影響を受けて改易され、その後も領主が大久保氏、大給松平氏、土井氏、水野氏、小笠原氏と目まぐるしく変わり、政治はあまり安定していなかった。

1871年の大規模府県統合

日米修好通商条約で開港の対象となった5港を管轄する県の領域をできるだけ狭く収める目的で旧肥前国の範囲は伊万里県(佐賀県)と長崎県に二分され、その後も明治初期には統廃合が繰り返された。

佐賀県成立までの道のり

1871年(明治4年)旧7月14日 - 廃藩置県により当時の藩がそのまま県となり、佐賀県(第1次)・蓮池県・小城県・鹿島県・唐津県・厳原県となる
1871年旧9月4日 - 厳原県が佐賀県(第1次)と合併し、県庁を現伊万里市に置き伊万里県成立。
1871年旧11月14日 - 蓮池県・小城県・鹿島県(現鹿島市)・唐津県が伊万里県に合併する
1872年(明治5年)1月 - 伊万里県のうち、旧佐賀藩の諫早・神代・伊古・西郷・深堀の各地方が長崎県に編入
同年5月29日 - 県庁を現在地に移転し伊万里県が佐賀県(第2次)に改称。
同年8月19日 - 伊万里県のうち対馬(旧厳原県)が長崎県に編入
1876年(明治9年)4月18日 - 三潴県に併合(佐賀県消滅!)
同年5月24日 - 三潴県の杵島郡・松浦郡の区域が長崎県に編入
同年6月21日 - 三潴県の藤津郡の区域が長崎県に編入
同年8月21日 - 三潴県が廃止され、佐賀郡・小城郡・神埼郡・基肄郡・養父郡・三根郡が長崎県に併合。
1883年(明治16年) 5月9日 - 長崎県の10郡(佐賀郡・小城郡・神埼郡・基肄郡・養父郡・三根郡・杵島郡・藤津郡・東松浦郡・西松浦郡)が分離独立し、現在の佐賀県(第3次)が成立。

「長崎新幹線県内通過お断り」にはこのような時代背景が影響しているのでは?

公開:2018年5月19日
更新:2018年6月17日

投稿者:デジタヌ

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