M.M. Argerich《 Virtuoso Navi 》マルタ・アルゲリッチ
,
恋多き前半生を送り、後進育成に後半生を投じている円熟の域に達した大ピアニスト;マルタ・アルゲリッチ。別府アルゲリッチ音楽祭など日本でもお馴染みでファンの多いヴィルトーゾでもあり、日本からも後継者育成に対する感謝の気持ちとして多くの表彰状・感謝状・「勲章」が授けられている。
マルタ・アルゲリッチ;Maria Martha Argerich
1941年6月5日生まれ アルゼンチン・ブエノスアイレス出身のピアニスト。
5歳の時に名教師ヴィンチェンツォ・スカラムッツァにピアノを学び始める。
1949年(8歳)、公開の場でベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番ハ長調作品15を演奏、翌1950年(9歳)にはモーツァルトのピアノ協奏曲ニ短調K466とバッハのフランス組曲ト長調BWV816を演奏するなど神童ぶりを発揮した一人でもある。
1954年8月13日、アルゲリッチ親子と会ったフアン・ペロン大統領は、マルタに留学希望の有無を尋ね、「フリードリヒ・グルダに習いたい」との申し出に従って、彼女の父を外交官に、母を大使館職員にそれぞれ、1955年初頭から一家でウィーンに赴任させた。
これに伴って家族とともにオーストリアに移住した彼女は、ウィーンとザルツブルクで2年間グルダに師事した後、マガロフ、マドレーヌ・リパッティ、ミケランジェリ、等に師事した。
数多くのコンテスト受賞歴
1957年、ブゾーニ国際ピアノコンクール優勝。ジュネーブ国際音楽コンクールの女性ピアニストの部門でも優勝。
※当時聴衆の一人から「ト長調の前奏曲」の演奏を褒められても自分が弾いた曲のどれを褒められたのか判らず、考え込んだことがある等の逸話の持ち主でもある。彼女自紙も認めている通り彼女は絶対音感の持ち主ではなく、調性を認識していない!日本では絶対音感?がが金科玉条のごとくもてはやされ、「聴音;ソルフェージュ」は「音大・藝大お受験」の必須条件で「子供のころから」厳しくしつけられる?が、しょせん長・短3度で̟̟±16セントもばらつく和声・旋法的完全和音の世界で±数セントの誤差のある絶対音感などは重要ではなく、ピアノに限らず「相対音感」が重要であるし検知能力もはるかに優れている(※関連記事はこちら)。
1965年、ショパン国際ピアノコンクールで優勝し、最優秀マズルカ演奏者に贈られるポーランド放送局賞(マズルカ賞)も受賞した
恋心あふれる半生!
1963年22歳のとき作曲家で指揮者のロバート・チェンと最初の結婚をするが、1964年、長女リダの出産前に離婚。
1969年 指揮者のシャルル・デュトワと2度目の結婚、後に彼との間に娘が出来る。
1973年頃の2度目の来日の際に飛行機の中で夫婦喧嘩となり、彼女は日本の地を踏まずUターンし離婚。後にピアニストのスティーヴン・コヴァセヴィチと3度目の結婚。
室内楽を通じて広げた人脈
1983年頃からソロ・リサイタルを行わないようになり室内楽に傾倒していく。ヴァイオリニストのクレマー、イヴリー・ギトリス、ルッジェーロ・リッチ、チェリストのロストロポーヴィチ、マイスキーなど世界第一級の弦楽奏者との競演が多くなる。
世界各地の文化発展に貢献
1990年代後半からは、、若手の育成にも力を入れている。
1998年から別府アルゲリッチ音楽祭、
1999年からブエノスアイレスにてマルタ・アルゲリッチ国際ピアノコンクール、
2001年からブエノスアイレス-マルタ・アルゲリッチ音楽祭、
2002年からルガーノにてマルタ・アルゲリッチ・プロジェクトを開催している。
数多くの受賞・叙勲歴
1996年 フランス政府芸術文化勲章オフィシェ、
1997年 ローマ・サンタ・チェチーリア協会員、
1999年、グラミー賞
2004年、グラミー賞
2005年、第17回高松宮殿下記念世界文化賞(音楽部門)旭日小綬章(日本)
2016年 旭日中綬章(日本)
ディスコグラフィー
Martha Argerich: Complete Recordings On Deutsche Gramophon Box set, Import
公開:2020年12月 7日
更新:2020年12月 7日
投稿者:デジタヌ
小曽根 真《 Virtuoso Navi 》日本が生んだジャズピアノの巨匠!< TOP