タヌキがゆく《不定期刊 狸穴ジャーナル》

近鉄 ラビットカー と 南大阪線 の変遷...日本初の 高加減速車 の命運とは?《 近鉄 Watch》第4回 

阪神では今日も元気に「LEDヘッドライト」でお化粧直しをした「ジェットカー」が駆け回っていますが...

近鉄では「復刻塗装」をまとったレプリカ・ラビットカーが"のんびり河内平野を走っています?

ラビットカーが近鉄で必要とされなくなり、盟友阪神ジェットカーが生き残った理由を考えてみました。

第4回前書き 現役の後輩 阪神 ジェットカー 5015 に乗ってみて

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平成31年(2019年)4月28日平成最後の日曜日、阪神今津駅から尼崎駅まで久々に日本で2番目の高加減速車両シリーズである阪神2代目ジェットカー5015の「修繕車両」にのってみた。

素人目にもハッキリ確認できたの「LED前照灯」3000系ジェットカー独特の「おでこ左右」のセパレートデュアルライトが白熱球から明るいLEDに代わっていた点。

あとは素人なのでわかりません(調べていません)詳しく知りたい人は専門サイトへ?...

この区間は元チンチン電車?の阪神らしく駅間距離が短い区間が続くところ。

後続の優等列車に追いつかれないように、必死で次の追い越し駅センタープール前(尼崎競艇前)まで逃げ込み、次いで尼崎まで駆け込む区間、久々に「つり革が傾く」豪快な加・減速を堪能して大いに満足した次第です!

尼崎からは「のろま?の快速急行」で大阪難波まで

ジェットカーの加減速を楽しんだ後は、「西九条駅」迄はノンストップの「快速急行」でゆったり?と「淀川を渡り」後はいつも通り大阪メトロで「天王寺駅」まで乗車し徒歩連絡(ほんの数分!)で「阿部野橋駅」から「復刻ラビットカー」に乗車して帰途に就きました...

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《 近鉄 Watch》

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第1回 近鉄さん、近鉄鉄道博物館をexpo2025大阪万博に合わせて作ってください!

毎年この時期(10月頃)の「鉄道まつり」シーズンになると思う...在京の民鉄はほとんど何らかの「鉄道記念館」を持っている!なのに在阪民鉄にはそれが無い!

第2回 近鉄 南大阪線 大阪駅 乗り入れ願望は 河陽鉄道 開業以来の沿線住人"120執念"がこもった夢物語...

本年(2018年)11月23日 柏原市制施行60周年記念行事として道明寺線内で特急車両による団体列車の往復運行が行われた。河陽鉄道(柏原駅 - - 富田林駅間)開業120周年にも当たり...

第3回 南大阪線 "陵・神・線?" 2.4Km の新線建設と、道明寺線 LRT 化の夢物語

道明寺線は1898年に柏原⇔富田林駅間に開業した河陽鉄道によって敷設された近鉄最古の歴史ある路線です。

第5回 " 特急ひのとり "はその名の通り不死鳥!となって近鉄を支えられるか?

約20年後に迫った?リニア中央新幹線、名古屋→難波延伸開業!近鉄電車は東海道震撼線?開業の時と同じように、苦境を乗り切ることが出来るか?、一近鉄ファンとして希望の名阪特急、不死鳥「ひのとり」号が「火の車」号にならないように祈る次第です!

第6回 近鉄奈良線 はリニア中央新幹線 グランフロント大阪総合駅延伸で変わる か?...

2040年頃の目前に迫った「リニア中央新幹線 大阪梅田中央駅伸開業計画!」奈良中央駅⇔大阪梅田中央駅間が10分少々となれば、観光客などの現金利用客は...

第7回 2038年近鉄全線が標準軌になるかも!?

早くてexpo2025大阪万博の年、遅くてもリニア中央新幹線「奈良中央駅」開業の2038年には「近鉄吉野線」は標準軌に改軌されて、京都・奈良・吉野を結ぶ"南朝ライン"となって、観光路線色がより一層加速されるでしょう!

Top Index

前節 高加減速車両とは

最高運転速度と阪神ジェットカーについて

阪神電車は1977年(昭和52年)12月27日 全線地方鉄道法に基づく"鉄道"に変更するまでは軌道法に基づく"軌道"(チンチン電車)でした!

したがって法律的には最高運転速度40km/hという事になりそれ以上は速度違反ですが、実際には開業以来速度違反?は続き...

ジェットカーが本格運用に入った1960年当時は現在全線で使用されている50kgN型レール(※21)登場以前でもあり40kgレールの時代で、最高運転速度も91㎞/h程度だったので、最高速度よりも起動加速度 4.5 km/h/sが重視されたのでしょう、

参※21)レールは1m当たりの重量で規格化されています。

現在JRの幹線や大手私鉄で使用されている50kgN型レールは下位に当たるローカル線用の40kgN型レールと共に1980年JIS E 1101で規定された規格で、現在60kgレールが使用されている新幹線ですら1964年開業当時は50kgレールが使われていた時代で、当時の大手私鉄では40kgレールが一般的でした。

尚、最重量級規格として80kg(/m)レールという化け物レールがありますが、コンテナ2段重ね!などの重量貨物列車を時速80マイル(128㎞/h!)で運行しているアメリカの幹線などで使用されており、日本では製鉄所内のトーピードカー用の軌道で用いられている程度で、鉄道路線では使用されていません!

連続高架立体交差化事業と軌道改良

1961年に完成した野田駅周辺 連続高架化事業以来 、1968年の阪神本線西灘⇔石屋川間の連続高架化事業を経て、1984年3月の日久寿川⇔甲子園間高架化事業を境にそれまでの40kgレールを50kgN型レールへの設備更新が始まり最高運転速度106㎞/h運転(各停は91㎞/h)に対応させたようです?

現在全線が50kgN型レールの高規格軌道になったので、阪神本線内は全種別最高運転速度106㎞/hとなり、80㎞/hより以上の高速域でも加速を維持できる5700系に置き換わりつつあるわけです!

近鉄線も後述するように1987年になってやっと大和川⇔大阪阿部野橋間の連続立体交差化工事の完成と共に河内松原⇔大阪阿部野橋間の50kgN型レール更新が完了してこの区間の最高運転速度は特急110㎞/h(急行以下100㎞/h)となったのでその意味でも最高運転速度が低い高加減速車両の必要性はなくなったわけです!

第1節 日本初の 高加減速車 ラビットカーが消えた理由

ここ迄は前振りでここからが本論で...

過日暇つぶしにYoutubeを見ていたら、「高加減速車両」阪神ジェットカーについての「迷列車シリーズ」投稿で『近鉄も「ラビットカー」と呼ばれる高加減速車両を南大阪線に投入したが、阪神以外では電力過食症?の非省エネ・高加減速車両は消えていった...』と片付けられていましたが、実はそんな理由ではありません!

※Youtube投稿では、よく"大人の事情"という表現でお茶を濁す風潮がありますが、この投稿もそのたぐい。

近鉄南大阪線が開業した頃

近鉄南大阪線は、1889年開業の(初代)大阪鉄道「柏原駅」を始発駅としていた河陽鉄道(1898年開業の道明寺線の前身)が起源で、1892年に湊町(現JR難波) ⇔奈良間が全通すると単なる「支線・盲腸線」扱いとなってしまいました。

さらに1900年に初代大阪鉄道が関西鉄道(かんせいてつどう)に買い取られて名阪間を結ぶ幹線に昇格して更に1907年に国有化されると一層盲腸線化して不便になりました!

(初代大阪鉄道当時には、毎年3月の道明寺天満宮菜種御供大祭開催時には湊町⇔道明寺間に臨時直通列車も運行されていました!)

そこで1919年に大阪鉄道(2代目)に改称して官営鉄道の呪縛から逃れて「近郊電気鉄道」としての自立を目指しました。

1923年にまずは道明寺駅から布忍駅(ぬのせ)とその先の車両基地(現河内天美駅)迄が先行部分開業して、同年中に現・阿部野橋駅の近くの大阪天王寺駅まで日本初の「直流1500V」電化の電気鉄道として延伸開業して南大阪線が開業しました。

ラビットカーは輸送力増強のために登場した普通専用車両!

(阿部野橋から7駅目の)布忍駅と大阪阿部野橋間は先行開業した道明寺⇔布忍駅間に比べても駅間距離は極端に短くはありませんが、全駅 準急・急行などの優等列車はすべて通過して「各停」のみが停車する「急行通過駅」です。

戦後の高度成長期まで河内松原ー阿部野橋間10㎞には追い越し駅がなかった!

戦後の高度成長期まで準急停車駅の藤井寺駅・河内松原駅(小豆色のマーク)にしか待避線がなく河内松原ー阿部野橋間10㎞8駅間には待避線が無い状況が続いていました!

為に河内松原駅を発車した先行の各停は(迷列車シリーズで有名な"瀬戸電"の様に?)優等列車に追いつかれないよう、ひたすら"逃げ回っていた"わけです!

ラビットカーは普通専用車両!だった

戦後復興期までは、それでも何とかやり繰り出来ていましたが、高度成長期に入り沿線住宅地の開発で通勤客需要が増えだすと準急・急行を「増発」したくても待避線がないので増発もできず、増発するには先行する「各停」の所要時間を短縮して空いた時間に詰め込むしかなないので日本初の高加減速「ラビットカー」の登場(1957年9月)となった次第です!

身軽で俊足の各停「ラビット」と"のろまで鈍足"!の「バッファロー(猛牛)」急行?

当時は「釣りかけ台車」をはいた"全鋼製"50t超の重量級の通勤急行(デニ500形)や「特急?カモシカ号」が走っていた頃です。

「高張力鋼板で軽量化」し近鉄の期待を背負って登場したカルダン駆動の2両固定オールMM編成の日本初の高加減速車両「ラビットカー」は起動加速度4.0km/h/s・減速度4.5km/h/s という当時としては驚異的な性能で期待通りの働きをしてくれ、「河内松原ー阿部野橋間」の所要時間短縮に貢献してくれました。

起動加速度・減速加速度新旧比較

近鉄初代ラビットカー 近鉄6800系電車

  • 運用開始 1957年9月
  • 最高運転速度 80㎞/h?
  • 起動加速度 4.0 km/h/s
  • 減速度(常用) 4.5 km/h/s(登場時)

阪神初代ジェットカー 阪神5151形電車

  • 運用開始 1960年
  • 最高運転速度 91㎞/h
  • 起動加速度 4.5 km/h/s
  • 減速度(常用) 5.0 km/h/s

最新型ジェットカー 阪神5700系電車

  • 最高運転速度 91㎞/h
  • 起動加速度 4.0 km/h/s
  • 減速度(常用) 4.5 km/h/s(登場時)

阪神特急用車両 阪神9300系電車

  • 最高運転速度 107㎞/h(山電無い110㎞/h)
  • 起動加速度 3.0 km/h/s
  • 減速度(常用) 4.0 km/h/s

一般形通勤電車 阪急汎用通勤型車両 阪急1000系電車 

  • 最高運転速度 115㎞/h
  • 起動加速度 2.6 km/h/s
  • 減速度(常用)3.7km/h/s

超低床トラムカー 5200形グリーンムーバーエイペックスの例

  • 最高運転速度 60km/h(設計最高80km/h)
  • 加速度 3.5km/h/s
  • 減速度(非常) 4.8km/h/s(6.0km/h/s)

何と、高加減速性能を誇る超低床トラムカーより加速性能が高い!

1957年7月に河内天美駅構内に上り待避線が完成

しかしさすがに10㎞8駅間待避線・追い越し駅無し!ではどうしようもなく車両基地のある「河内天美駅」(ブルーのマーク)構内に1957年(昭和32年)7月上り待避線が完成しました(※1)が、それでも残り阿部野橋まで7.3㎞6駅間には待避線・追い越し駅が無く、同年登場したラビットカーは朝夕の通勤・通学時間帯に「各駅停車」!として大活躍してくれました。

ラビットカーのネーミングはその高加減速性能で「脱兎のごとく...」急行から逃げ回る様から出ており、現日産自動車の「ダットサン」にも一脈が通じるネーミングでもあるわけです。

そして岡本太郎センセーにデザインしていただいた「ステンレスプレートのトレードマーク」を車体側面に誇らしげに付けた車両が河内平野を快走したわけです!

※1、河内天見駅に下り待避線が完成して新幹線タイプの上下2本の追い越し線が完成したのは1972年(昭和47年)12月 !になってから!

今川駅にウサギちゃんの退避場所が

1969年に今川駅(起点阿部野橋から2.7km)(ブルーのマーク)にも上下線共用の3複線の「追い越し線」が完成して、ウサギちゃんがバッファローから逃げ回らなくても良くなりました。(※2)

以後先行するラビットカーが無理をして、待避線のある優等列車通過駅まで逃げ込む必要もなくなり、全車両MM編成の「オリジナルラビットカー」は中間にモーターの無い中間車両を突っ込む等の「修繕?」を受けて延命はしたものの、順次1968年に登場した次世代の汎用通勤車両6020系に置き換えられていったわけです。

参※2、今川駅改良工事は1989年になってやっと完成!

1983年6月に開始された針中野⇔大赤阿部野橋間の連続立体交差化事業は1987年に完成して大和川橋梁⇔阿部野橋間大阪市内区間立体交差高架工事が完了したわけですが今川駅は仮ホーム状態で新幹線タイプの通過線が完全に完成したのは1989年まで持ち越されました、この間一時的に待避線が無い状態が続きました!が、1963年に6000系が登場して順次旧型車両の置き換えが進み、前途したデニ500形バッファロー君も1975年には支線からも完全に絶滅していて、さらに針中野駅 ⇔(大和川橋梁)間上り線立体交差化工事も1976年2月に完了していたので、河内松原⇔阿部野橋間の準急・急行の所要時間は1957年の登場当時に比べて短縮されていました。

1989年の今川駅完成以降は上下線共に優等列車がこの駅で各停をかわして河内松原⇔阿部野橋間の所要時間を大幅に短縮しています。

近鉄の運行ダイヤは素晴らしく、今川駅、河内天見両駅共に、列車退避に要する時間は1分!、河内松原、藤井寺両駅の緩急接続でも3~5分間の停車。(どちらも昼間運行ダイヤの扉が開いてから閉まるまでの時間実測値!)

今日も元気に走り回っている「復刻ラビットカー」

という訳で、小生が乗った「復刻ラビットカー」は車体色だけを復刻した「レプリカカー」でした。

しかもサイドにあしらわれたトレードマークの"ウサギ"さんは樹脂製ステンシルの貼り付け!、編成も全車MM電動車両ではなく、通常のMT編成。

但し、現レプリリカラビット君は汎用の看板車両として、急行・準急だけではなく、初代のマルホン・ラビットカー同様に各停運用にも充当され老体に鞭打ちながら?も、今日も元気よく河内平野を走り続けています!

小生の愛娘「鉄子のミチャポン」が発見した「車体色の謎」解明の答え!

『ラビットカーってどうしてあの色なんだろうね?...』

『...だってラビットってウサギさんの事でしょう!』

『...うんそうだね...』

『ウサギさんの好物はニンジンに決まってるじゃん!』

『...?』

『だから"ニンジン色"なんでしょ!』

『...あ~あ、そうだったんだ!』

てなわけで小生大納得!

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公開:2019年4月28日
更新:2021年1月12日

投稿者:デジタヌ

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