四万十国際空港!建設で四国・西南部が"希望ある未来"に向けて飛翔!できる
前書き(要約) 四国・西南部が"地域衰退"を脱却して「真の地域振興・雇用創出!」に向かうには...
過疎化・衰退!から救うには高規格道路E56早期全通と四万十空港!建設の2本柱が必要
四万十(国際)空港!建設で、大宝律令(701年)以来実に1300年振りに、四国西南部が表舞台(世界)に飛翔!できることになります!
四国西南部幡多郡は...
忘れ去られて?発展から取り残された"陸の孤島"として、長年「辛酸をなめさせられてきた!」四国西南部・土佐国・幡多郡ですが...
(大東亜戦争中ですら"特攻基地"とも縁がなかった)"飛行場"があったならば、事情は異なっていたでしょう!
四万十市に3000m級の滑走路を持つ国際線!対応空港・四万十国際空港が建設できれば一躍表舞台!に躍り出ることが...
地方に「地方国際空港!」が親切できないことは無い!
現在政府(政権与党)は、2001年1月6日に"名ばかり"の中央省庁再編成を行って以来、
「(離島部を除き)本土!には、新たな地方空港は建設しない!」と"噓ぶいて"いますが...
空港整備法(昭和三十一年法律第八十号)(1956年制定2008年改正)で「明文化されたものではありません!」
単に現与党政権が「大人の事情」で閣議決定した「申し合わせ」にしかすぎません!
更に、「各県から(不服)申し立てがあれば!再検討しなければならない!」条項も盛り込まれています!
四万十国際空港!建設で四国・西南部が"希望ある未来"に向けて飛翔!できる の目次
目次をクリックすれば各メニューにジャンプできます。
- プロローグ 大宝律令以来実に1300年以上!も黒子として舞台裏に置かれてきた四国西南部
- 第1節 単純には解決できない四国のトラフィック問題
- 第2節 つい最近まで秘境!だった幡多郡の四万十川流域
- 第3節 四国南西部に空港が無かった!理由は...
- エピローグ 四国南西部の喜多郡・宇和郡と幡多郡の明るい未来への(空)路は...
- 第1項 地域振興は新たな空港整備と高規格幹線道路整備2本柱が...
- 第2項 四万十国際空港建設と高規格幹線道路E56で四国南西部の Traffic 新時代が
- 第3項 四万十川観光の新たな目玉でコロナ禍後の国内観光客誘致にも
- 後書き《 国土計画・都市計画とは...》シリーズについて
- 脚注 関連団体 問い合わせ先リンク集
※リンク、その他についての御断り
(参※xx) は当サイト内の参照関連記事リンクです。
但し、その他の直接 hyper-link は当事者・関連団体の公式サイト若しくはオリジナル各国語版Wikipediaへ直接リンクしています。
英単語優先!表記について
更に,末尾の断り書き※歴史専門用語の英単語表現について で説明したように、できるだけ歴史制度用語(国文学用語)に頼らないように英単語表現を用いて専門歴史用語を整理しています。
GoogleMap掲載に関して
当Siteで多用しておりますGoogleMapは「名所旧跡を多数掲載」しており、GPSにも対応しており便利良いのですが...
「国土地理院データを基に作成」されているようですが?"尾根表示"と"河川表示"を間違って転写している箇所が散見!され、間違いが多いことでも有名!です。
更に、(開通当初の)西九州新幹線ルートの様に、時々デタラメ!なデータ記入も見受けられます!
「不信?な箇所!」は国土地理院地図と照合して正確(修正上書き)を期し、標高は国土地理院「標高地図」に記載された値を用いています!
鉄道・道路ルートに関して
建設中の新規路線(鉄道・道路)については航空写真(Googlearth)を参考に、
旧線に関しては国土地理院地図(電子国土Web )を参考に、できるだけ正確を期しています。
※本ファンタジーについて
本レビュー記事は、出来る限りの"記録(時系列)に下ずいた史実に、地政学的!・工学的 な検証"を行ってるセミドキュメンタリー!ですが...
筆者の億測を交えたファンタジー?でもあります。
後述する各団体とは直接関連はありません。
また各団体では"答え難い大人の事情、あまり触れられたくない内容!"も含まれています。
本件に関してのお問い合わせはご無用に願います。 \(^_^ )( ^_^)/
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現在観光地だと思われている四国南西部の宇和郡・幡多郡の両 district は、実は土佐国・伊予国を支えて来たregion;耕作地帯!でもあるわけです。
特に土佐の幡多郡は、大宝律令(701年)で土佐国が制定されて以来、長年土佐の経済を支え続けていたdistrict;稲作地帯!でもあるわけです。
参)当サイト内関連記事 古代・神代の時代?の日本列島には「2つの倭国」勢力圏があった! はこちら。
四国のTerritory分けは山峰が基本
「多くの峰で構成される大山脈」が"サーカステント"の様に四方八方に広がって連なり、海にいたる四国では...
各藩のTerritory(領地)の、boundary(境界)は山峰を基本に設定されたわけです。
但し、「倭国の体裁(郡県制)」が整う前に成立していた小国の搾取エリア!領地;荘園は、山峰とは関係なく、大きなriver(河川)やbrook(小川)で区切られていたわけです。
陸の孤島であり続けた?!歴史
中央政権(幕府)の経済"を支える重要なregion(地方)でありながら、traffic(往還)は整備されずに、険しい海岸沿いの往還と、天候に左右される海路・水路に頼らざるを得ない"陸の孤島"状況が長年続いてきたわけです。
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四国は、日本の古代史から抹消!?された「由緒あるエリア!」でもあるわけです。
北海道の様に、陸蒸気網!が(明治・新政府の)富国強兵・殖産政策の開拓鉄道として整備されたわけではありません!
古代からあった"塩の道"♥life lineを、難易度の低い順に実現させていった生活路線!です。
第1項 四国の河川と国割
『四国の大河川を上げください?』
と問いかけると、真っ先に吉野川が上がり、
その次に、清流で有名な四万十川、となる訳ですが...
第1目 他国?にまたがる大河はこの2つだけではありません!
長曾我部氏の四国統一に大きな≒うぇありを果たした一級河川"仁淀川"もあげられます。
更に、2級河川ではありますが南予宇和の要だった大洲藩の繫栄を支えた、"肱川"、そして、阿波国(徳島県)の那珂川があげられるでしょう。
参)一級河川とは、他府県にまたがっている流域を持つ水系の幹をなす河川の事であり、流域面積が結構ある"肱川"は県内で完結しているので、2級河川となります。
第2目 測量技術(地図作成)が不完全な頃
今に至る!大宝律令(701年制定)による古代の国割り(※10)が施行?されたころには、大規模な測量技術、つまり検地・測地?・地図作成は不完全で、だいたいの目勘定(目測)で行われていました。
但し、農耕に必要な標高測量は、かなり進んでいたようで、標高差(落差)を用いた灌漑技術(小規模用水路開削整備)で棚田が開墾!できた、訳です。
参※10)当サイト内関連記事 古代・神代の時代?の日本列島には「2つの倭国」勢力圏があった! はこちら。
第1目 人口増加とともに太平洋岸に勢力圏を伸ばしていった日乃本連邦!
当初は、"塩"も容易?に"穫れた!"瀬戸内運河沿いに、展開していた倭国連邦ですが...
人口が増えるとともに、太平洋側の縄文人zone(地域)にも触手を伸ばし始めたわけです。
そして、最初に"入植"したのが、河川による堆積が進んでいた、四万十川・仁淀川河口部に近い、平地部?だったわけです。
「大化の改新(645年)から(701年)の大宝律令発令」により、
その地で暮らす「民(たみ)の営み・暮らし向き」とは関係なく!
中央政権のthe exploited classes(搾取階級);公家共による、古代の国割設定"Territory"(縄張り・搾取district)である!律令国が策定されて、
741年ごろに"仏教を国教"とする方針が打ち出されてから、当時の(那の倭国連合の)勢力圏に"国分寺"が配置されだしたわけです...
と同時に対外的(外交上)に「女性シャーマンを廃止して大王(おおきみ)を頂点とする独立国家「日ノ本」の"体裁"を整えたわけです。
但し、あくまでも中国大陸で興隆した専制国家、唐王朝(618年~907年)に対する対外的な、"体裁"であり、実態はまだまだ女性シャーマン(王妃)が「強い政治力」を持っていたわけです。
なので、「日ノ本」宣言以降も「主権者」をめぐる争い、つまり公家・豪族による数多くのクーデター!が後を絶たなかったわけです。
更に、各時代で権力闘争に明け暮れていた!the exploited classes(搾取階級)の公家;豪族どもが、各々勝手に「大王(おおきみ)」を擁立!したので、各地に「大王(おおきみ)」の墓所があるわけです。
つまり国粋主義者が唱えるように「日ノ本紀元2600年来、大王(おおきみ)の家系は受け継がれている」のでは無い!訳です!
第2目 四国西南部の幡多郡
土佐の小京都・中村は...
中村がある幡多郡は、大宝律令制定当初から出土した当時の古文書にも記述がありて、「地方王族(公家)」が、「那の倭国連合」が制定した所領"荘園"を造園していたと考えられています。
但し、地元の lord(領主)が居た証となる王墓(古墳)は、(瀬月内沿いなどに比べて)あまり多くは見つかっていません!
つまり、大規模墳墓の造営自粛(通達)が出た頃に"入植"(侵略)が行われたのでしょう。
土佐一条氏は律令制崩壊後!に下向した
fixer(調停人)としても有名な土佐一条氏が、中村に館を開いて移り住んだのは、律令制が完全崩壊!して久しい、室町幕府(1336→1573年)末期に当たる応仁の乱(1467年)で戦国時代に突入た直後の1468年(応仁2年)に、前関白(公家)だった一条教房が、下向(着任)したのが始まりとされています。
つまり、1183年とされる鎌倉幕府成立で、律令制(郡県制)に代わって、"法度"による守護(旧・国司)・地頭(荘園管理者)制度になった後、数百年も経過して律令制が完全に崩壊して戦国時代に突入した直後に、地頭に相当する"荘園オーナーとして、着任したわけです。
なので、幡多郡全域を統治していたわけではありません!が...
現在、市街地となっている、四万十川と後川に挟まれた"中州"も含めて、このdistrict(領地)は豊かな水量とともに上流から運ばれた肥沃な土壌で、豊かな耕作地"棚田"が形成されていたわけです。
土佐くろしお鉄道の宿毛は
更に四万十川支流中筋川上流部の宿下・平田エリアの棚田zone(地域)とともに、豊かなdistrict;幡多郡を構成していたわけです。
中でも現在三原村となっているエリアは、豊かな水量で、"棚田"とは銘打ってはいませんが、太平洋にそそぐ「市野瀬川水系流域は、幡多郡の穀倉地帯!」となっていました。
第3目 今に残る天満宮は水(稲作)の神!
天神宮・天満宮といえば藤原道真を思い起こすでしょうが、これは維新後の神社庁が勝手にまとめただけで、水天宮などと同じ水の神様です。
Googlearthモードで鳥居マーク部分を拡大していただければ、天満宮のある場所には耕作地"棚田"があることがわかります。
ご時世で休耕となって、放棄?された水田も多くありますが、三原村は古代から続く水田(棚田)稲作の一大地となっています。
第3項 室町幕府末期の戦国時代
自らは上洛して「都で暮らす」ようになり、地方の所領「荘園」に目代(agent代理人)をさし向けて、「武家の貴族化」が進むと、もはや領地を統治する力はなくなり、用人・配下だったはずの地頭が武装集団化して、戦国大名となり、四国は「千乱の世」となったわけです。
第1目 土佐一条氏は荘園主
前途した様に、土佐一条氏 はあくまでも(農奴制度!にのっとった)荘園主であり、周りの地頭(荘園管理人)上がりの小大名には、受けが良かったのでしょうが、奥州藤原氏同様に(※11)、自領の民(農奴)からは、そんなに慕われていたとは考えにくい!訳です。
参※11)当サイト内関連記事 奥州藤原氏は王朝文化に毒された朝廷の手先「俘囚の長」(寝返り蝦夷)だった! はこちら。
第2目 長曾我部は武装化した豪農の長(おさ)
そんな中で、土佐の地元・豪家?の長(おさ)長曾我部氏が台頭して、周辺の小大名を次々と制圧!して、ついにフィクサーでもあった土佐一条氏を追い出して、土佐を平定!して、仁淀川沿いの松山街道(現国道440号)を攻め上がり!三坂峠から伊予に攻め入って、平定したわけです。
事実、三坂峠は標高705mと、四国最高峰・石鎚山(標高1792m)から続く石鎚山脈の中にあっては、比較的低く、しかもと州の仁淀川沿いの松山街道も険しい山道ではありません。
但し、重要な「塩街道」の一つでもあり、途中には双方の山城が連なり、たやすい侵攻ではなかったと思われます。
長曾我部は農民の支持を得てlogistics(兵站)を確保できた!
自らの家臣団が豪農(半農・半武の兼業農家?)で構成されたいわば"解放軍?"であったために。100㎞以上にも及ぶ道程にもかかわらず、沿道の農民の賛同でlogistics(兵站)「兵糧を確保」できたのでしょう。
その後、強大な力を誇っていた三好氏を討ち果たし(追い出し)、四国全土を平定できたのも、「豪農の長(おさ)」だったためでしょう。
第3目 三間・近永・松野は宇和島藩の納屋だった
四万十川・支流広見川は重要な交易路だった
今回の主題である四万十川支流・広見川流域も同じで、国境に当たる予土国境厠処(現国道381号県境)の標高は僅か58mしかなく。
風待ちが必要な海路の豊後水道ルートよりも、塩街道として重宝がられいたでしょう。
つまり、ある程度上流(広見川合流部?)まで、川船が航行可能(岸から曳航可能?)な四万十川流域は、古代から交流(交易)があったと考えて差し支えないでしょう。
しかし、「日ノ本連邦」が元海賊(盗賊集団)の宇和島に、936年に悪名高い藤原純友を派遣して懐柔して連邦側に引き入れたので、この一帯は、晴れて?宇和島の所領となったわけです。
以来、千年近くにも渡り歴代の領主から"搾取"され、同時に幡多郡(中村)との自由往来も禁じられて絶縁状態となったわけです。
前途した様に、一時は長曾我部氏による四国平定(解放!)で自由往来が復活したものの、その後の秀吉による征服で長曾我部氏は土佐一国に押し戻され、再び長い鎖国!が始まったわけです。
広見川・三間川流域は穀倉地帯!
広見川・三間川流域は、以外?や耕作(棚田)に適した堆積地(河川敷)が多く、弥生人が、南予(肱川流域)に稲作をもたらして以来、三間川・広見川流域にも伝来して、豊かな穀倉地帯を形成したと考えられます。
特に、旧三間町には城跡(砦跡)が多くあり、古来より、要衝として重要であったことがうかがえます。
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第1項 長年輸送路にもなった四万十川!
四万十川下流部は、豊富な水量とともに、流れ(勾配)が穏やか、で黒尊川などの支流部で産出される、木材資源を、いかだなどでえ河口部に運んだり、川船での水運が盛んでした(というよりほかになかった!)
長年予土線が「江川崎(支流広見川合流部標高32m)で途絶えていたもこのためです、
中流部にある四万十町の中心窪川ですら標高196m!しかもこの地点ですでに上流部の四国山地から集めた水で豊富な水Þ¥領に恵まれています。
つまり久保p川(土讃線)→江川崎駅(宇和島線)間も、四万十川を水運に利用出北!訳です。ただし、当初は国道56号ですら真面な交通路でなかった時代、国道381号などあるはずもなく!江川崎(支流広見川合流部)→窪川の登りは、川辺を船頭たちで、曳航していたわけです。
第1目 予土線に土佐大正駅(集落)がある理由は...
窪川船着き場(標高196m)⇔江川崎船着き場(標高33)約76㎞!落差163m、平均斜度2.1‰!現在の道路標示0.2%でほとんど勾配が無いようにも思われるでしょうが...
途中には早瀬もあり、帰路(登り)は早朝に出発したとしても1日で帰れるわけもなく、最低でも途中一泊で2日間はかかったでしょう!
その為に予土線の途中に、宿場(船頭宿)も兼ねた土佐大正の集落があるのでしょう!
下流部の江川崎⇔中村間はほぼ平!
「江川崎(支流広見川合流部標高33m)中村(標高7m)間は約38㎞で落差25m、平均勾配0.87‰!
でほとんど水平といってもよく、中村⇔江川崎間は「帆掛け船」の帆走も可能なくらいで、岸に降りて曳航しなければならない箇所は少なかったでしょう、
なので途中に大きな宿場(船頭宿)が無い!ないわけです。
第2項 四国西南部への鉄道アクセスの変遷
1910年には宇高航路 (宇野駅 ⇔ 高松桟橋駅・高松駅)が開業しています!が...
予讃線の全線(高松⇔宇和島)開業も敗戦後の1951年11月12日になってから!
第1目 予讃線(内子線)の歴史
※内子線
- ●1889年(明治22年)5月23日:丸亀駅 -⇔多度津駅(のちの浜多度津駅)⇔ 琴平駅間が讃岐鉄道により開業。
- ●1904年(明治37年)12月1日:山陽鉄道が讃岐鉄道を買収。
- ●1906年(明治39年)12月1日:国有化。
- ●1913年(大正2年)12月20日:多度津駅 ⇔ 観音寺駅間延伸開業
- ●1916年(大正5年)4月1日:観音寺駅 ⇔川之江駅間延伸開業。
- ※1920年(大正9年)5月1日:愛媛鉄道により若宮連絡所(現在の伊予若宮信号場) ⇔内子間の内子線が軌間762mmの軽便鉄道として愛媛鉄道により開業。。
●1927年4月3日:延伸を繰り返し伊予北条駅 ⇔松山駅間の延伸開業で高松⇔松山間が開通
- ●1933年10月1日:国有化され愛媛線となる。
- ●1939年2月6日:伊予平野駅 ⇔八幡浜駅間が延伸開業で松山と繋がる。
- ※1935年10月6日:1067mm軌間に改軌。五郎駅分岐となり内子線と改称。
●1945年6月20日:八幡浜駅 ⇔卯之町駅間延伸開業、で予讃本線、高松⇔宇和島間全通
つまり、敗線ぎりぎりで手前の戦時中にやっと全通!
1945年8月15日無条件降伏で大東亜戦争終結
- ●1958年11月1日:この日の始発から全列車がディーゼルカーに置き換えられ無煙化。
- ●1971年12月1日:貨物営業廃止。
- ※1985年11月25日:新谷⇔五十崎間(喜多山 - 五十崎間の一部を除く)で重軌条化・路盤強化及び曲線緩和工事に着手。全区間が翌年3月2日までバス代行輸送となる。
- ※1986年3月3日:予讃本線の向井原 ⇔内子間、新谷 ⇔伊予大洲間の開業により内子線が予讃の特急街道(観光幹線!)となる。
第1目 一番最初に「部分開業」した宇和島線(現予土線)と中村線の関係!
※旧宇和島藩は1889年(明治22年) - 町村制の施行で宇和島町となりましたが...
- ●1914年(大正3年)10月18日:宇和島鉄道により宇和島駅⇔ 近永駅間開業!機関762㎜の軽便鉄道としてっ開業。
- ●1923年(大正12年)12月12日:宇和島鉄道 近永駅 ⇔吉野駅(現・吉野生駅)延伸開業。
- ●1933年(昭和8年)8月1日:宇和島鉄道・国有化!宇和島線となる。
- 吉野駅を広見川対岸に移転し吉野生駅に改称。
- ●1941年(昭和16年)7月2日:宇和島線 全線を1067mm軌間に改軌!
1945年8月15日無条件降伏で大東亜戦争終結
- ●1951年(昭和26年)11月12日土讃線(影野駅 ⇔窪川駅間)延伸開業
- ●1953年(昭和28年)3月26日:宇和島線 吉野生駅 ⇔江川崎駅間延伸開業。)
- ● 1974年3月1日 予土線(宇和島線)江川崎駅 ⇔若井駅延伸開業で全通!
第3目 土佐くろしお鉄道(宿毛線)の謎?
- ●1889年(明治22年)5月23日:讃岐鉄道が丸亀駅 ⇔多度津駅 ⇔琴平駅間を開業。
- ●1904年12月1日:山陽鉄道が買収。
- ●1906年12月1日:国有化。
- ●1924年(大正13年)3月30日:高知線として須崎駅⇔ 日下駅間が部分開業。
- 同年11月15日:日下⇔高知間延伸開業で高知⇔須崎駅間開通!
- ●1935年(昭和10年)11月28日:三縄駅 ⇔豊永駅間延伸開業で予讃線側と繋がり高知⇔高松間が開通。
- ●1939年(昭和14年)11月15日:須崎駅 ⇔土佐久礼駅間延伸開業
1945年8月15日無条件降伏で大東亜戦争終結
- ●1947年10月20日:土佐久礼駅⇔ 影野駅間延伸開業
- ●1951年(昭和26年)11月12日:影野駅 ⇔窪川駅間延伸開業で、全線開通
- ●1963年(昭和38年)12月18日:中村線 窪川 ⇔ 土佐佐賀間 (20.7km)部分 開業
- ● 1973年(昭和48年)4月23日 - 起工式
- ● 1981年(昭和56年)10月 - 工事中断!
- 1986年(昭和61年)5月1日 - 土佐くろしお鉄道設立。
- ● 1987年(昭和62年)3月12日 - 工事再開!
- ● 1997年(平成9年)10月1日 宿毛 - 中村間が土佐くろしお鉄道宿毛線として開業
なので、予土線を延伸する際には1963年12月18日開業の中村線中村と接続(四万十川下りルート)するか、現行ルート(四万十川遡りルート)かでもめて、中々ルート決定ができ無かったのでしょう。
つまりもめている内に、国鉄貨物輸送が危うくなり、皮肉にも予土線が全通した年に、予土線の貨物輸送も無くなった!わけです。
第3項 道路網整備による幡多郡の夜明け!はまだまだ先
土佐くろしお鉄道の工事が再開された1987年当時はまだ、高知空港も整備中でした!
高知空港は2000m(1983年より使用)滑走路で、大型ジェットには対応していませんでした、2004年に2500m延長されてやっと!小型ジェット機の運行が可能となりました
第1目 高知自動車道が部分開通していたが唯一の陸路?国道56号は...
1987年(昭和62年)10月8日 大豊⇔南国間が部分開通したばかりで、高松自動車道とも繋がっていませんでした。
戦後になってから!1953年(昭和28年)5月18日に二級国道197号松山高知線(愛媛県松山市⇔ 高知県高知市)として指定されるまでは...
昔からの、"お遍路道"のままの剣道(県道)で集落部分は大型バスのすれ違いはおろか通行すら困難!な狭い極道で、ラリー路のような「未舗装のラフロード」が続いていたわけです。
1963年(昭和38年)4月1日 - になってやっと一級国道56号(高知県高知市⇔ 愛媛県松山市)の指定を受けて、改良工事に着手!
しかし愛媛県北宇和郡吉田町 ⇔東宇和郡宇和町間(地法華トンネル区間) (5.7 km) 改良付け替え事業に着手したのがやっと1967年(昭和42年)12月23日!
つまり宇和島も松山へは予讃線以外には...
※印は高知県側
※1970年1月1日:焼坂トンネル966 mを含む、高知県須崎市安和 - 久礼地区間供用開始
●1971年3月:愛媛県東宇和郡宇和町鳥坂⇔大洲市札掛間鳥坂トンネル(鳥坂・札掛地区)区間開通。
●1976年3月22日:愛媛県内、城辺御荘バイパス(現愛南町役場区間)供用開始
※1978年3月25日:高知県内、窪川バイパス完成。
●1979年4月1日:(一本松ずい道、正木トンネル区間)松尾峠(県境)区間開通
●1986年)9月25日:愛媛県内、県境部完成。
●1992年(平成4年)12月18日:愛媛県内、内海トンネル完成。
※1994年11月10日:高知県内、桑田山局改完成。
※2002年3月29日:高知県内、春野拡幅完成。
※2007年3月24日:宿毛⇔本松改良完成。
※2009年1月10日:高知県内、須崎道路の一般道路部分が全線開通。
※1988年にの友人の誘いで八幡浜までロングツーリングしたことがあり、その時に、八幡浜から足摺岬を往復ツーリングしたことがあった、
更に鳥越隧道を含む内海工区(現愛南町に)着手したのが1969年(昭和44年)になってから!
嘗て、宇和島水軍?のサテライトとして利用され、その後は山間部の棚田と・漁業でひっそりと暮らし、
文明開化後は風間地湊としても忘れ去られ、漁業をしても、由良半島に邪魔をされて、宇和島への陸揚げもままならず、1966年になってやっと船越運河の完成で、宇和島に水揚げできるようになりましたが、
第3目 国道381号(江川崎⇔窪川)
四万十川沿いの国道381号線も...
- ●1972年(昭和47年)3月 - 高知県が主要地方道2号宇和島窪川線として県道認定。
- この時点で高知県側はほぼ整備が終わっていた!つまり予土線延伸区間の貨物輸送(木材搬出はトラック輸送に切り替わっていた!)
- ●1975年(昭和50年)4月1日 - 一般国道381号(高知県須崎市 - 愛媛県宇和島市)として指定
- 国道441号(江川崎⇔中村)
- ●1982年(昭和57年)4月1日 - 一般国道441号(大洲市 - 中村市)として指定(1981年4月30日公布の昭和56年政令第153号)。
- 前身は愛媛県道31号野村広見線と愛媛県道233号大洲城川線の一部。
- ●1993年(平成5年)4月1日 - 高知県側の経路を国道439号杓子峠経由から旧高知県道3号宇和島中村線経由に変更(1992年4月3日公布の平成4年政令第104号)。
第3項 1988年瀬戸大橋の開業でやっと四国にも高速道路・の夜明けが...
1988年(昭和63年)4月10日E30瀬戸中央自動車道(瀬戸大橋)本四備讃線が同時に開業しました。
1992年(平成4年)1月30日 : やっと川之江JCT⇔大豊IC間の暫定二車線での開通により高松自動車道・松山自動車道が接続され一体化!しました。
第1目 須崎西IC ⇔四万十中央IC間の延伸整備計画が決定したのは...
1986年(昭和61年)5月1日 - 土佐くろしお鉄道が設立されて延伸工事が再開された1987年3月12日 のほぼ10年後1996年(平成8年)12月27日になってからの事でした、
更に、R56も、城山トンネル(2008年度(平成20年10月)完成)、須江市のかわうそトンネル2006年度(平成18年7月)完成、黒潮町佐賀 横浜トンネル1997年度(平成9年6月)完成、逢坂トンネル1992年度(平成4年2月)完成とまだまだ道路網未整備の状況が続きました。
第2目 E56四国横断道路(都市間連絡道西線)も同様
宇和島自動車道はおろか、松山自動車道ですら未開通で、 1997年(平成9年)2月26日になってやっと 川内IC⇔ 伊予IC間に」延伸開で開業した有様、
2015年(平成27年)3月21日 : 一般国道56号(高規格幹線道路)として 宇和島道路の津島高田IC⇔津島岩松IC間が延伸開業されたところで、そこから先の建設見通しは全く立っていませんでした!
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前途した様に、四国南西部の、幡多郡周辺のregion(一帯)は、大宝律令の頃から、開拓?されて弥生人の「那の倭国」連合(※21)の"繫栄"を支えてきた重要なzone(地域)であり、敗戦後は足摺岬灯台で有名な足摺宇和海国立公園もある、観光地でもあったわけですが...
前途した様な事情で、高度成長期の国内新婚旅行ブームの時も、対岸の宮崎を横目で見て「指をくわえる」以外には...
同じような僻地!でも南紀・白浜には1968年4月2日に初代・ 南紀白浜空港(滑走路1200m)が開港して定期便が飛ぶようになっていました!
参※21)当サイト内関連記事 古代・神代の時代?の日本列島には「2つの倭国」勢力圏があった! はこちら。
第1項 意外や山岳地帯の四国西南部!
九州航路のフェリーの殆どが、瀬月内運河?を運航しているために、
西日本最高峰の石鎚山(標高1982m!)や剣山 (1955m)は、瀬戸内運河?からも望めますが...
豊後水道から四国を眺める機会は少ないわけです。
豊後水道から眺めた四国は、筒上山 (1860m)、笹ヶ峰 (1859m):ちち山 (1855m):、伊予富士 (1756m)等の高峰が連なる山脈!を形成しており、壮大な景観をしています!
しかも高知県西部の幡多郡、愛媛県南部の宇和郡の、宿毛湾、宇和海沿岸は、複雑に入り組んだリアス式海岸の海岸線で、豊後水道沿いの入り江にある港湾各都市は、山峰がまるで「うだつ」の様に(猫の額ほどの平地?にある)各集落を分かっています!
第2項 台地を削って!台地空港を造成したとしても...
台地を削って!谷間を埋め立てるとしても、標高130m程度に収まるでしょう!
第1目 幡多郡の群都!?中村周辺は意外と険しくない!
前途した様に、「那の倭国」連合国の"大和政権"の土佐国を支えてきた幡多郡は、母なる大河!「四万十川」のおかげで、以外と平地があり、特に四万十川支流の中筋川沿いは古代から稲作に適していたわけです!
特に宿毛市内の分水嶺に当たる「さくらが丘」でも標高約56m!と険しい四国にあって、割と穏やかな地形をしている!ともいえるわけです。
更に、宇和島周辺とは異なり、1000mを超えるような高峰もありません!
四万十国際空港の立地となる四万十市森沢辺りも、標高190m程度と大したことはありません!
第2目 国内台地空港標高比べ!
国内にある代表的な台地空港を列挙しますと...
以下のようになり、多少傾いていても!認可されます!
更に、白浜空港、田島飛行場などの、小型機(国内線)専用の飛行場!には、誘導路が無く!端っこで転回!する必要があります。
国内にある代表的な台地空港を列挙しますと...
以下のようになり、多少傾いていても!認可されます!
更に、白浜空港、田島飛行場などの、小型機(国内線)専用の飛行場!には、誘導路が無く!端っこで転回!する必要があります。
遠距離国際線対応3000m級空港
※実標高はいずれも通常の着陸コース(誘導灯)側からの場合。
※標高データは国土地理院データに下ずいています。
鹿児島空港(1972年4月1日移転)
- ●公称滑走路長(有効長)3000m 国際線対応!
- ●公称標高 272m
- ●滑走路標高 262m→272m→276m ※つまり実際は真っ平(水平)ではなく上り坂!です。
青森空港 (1987年7月19日移転)
- ●公称滑走路長(有効長)3000m 国際線対応!
- ●公称標高 198 m
- ●滑走路標高 201m→198m→197m! ※下り坂!になっています。
岡山空港 (1988年3月11日移転)
- ●公称滑走路長(有効長)3000m 国際線対応!
- ●公称標高 246m
- ●滑走路標高 246m→239m→245m ※実際は真っ平(水平)ではありません!多少反って(凹)います。
広島空港 (1993年10月移転)
- ●公称滑走路長(有効長)3000m 国際線対応!
- ●公称標高 331m
- ●滑走路標高 326→330m→325m ※つまり中央が盛り上がった?凸型です!
- 総事業費 2800億円 ※関連施設(敷地造成・アクセス道路etc...)建設費含む。
第2目 近距離対応2500m級空港
秋田空港 (1981年6月26日移転)
- ●公称滑走路長(有効長)2500m 小型近距離ジェット(国内線)専用専用
- ●公称標高 93.1 m
- ●滑走路標高 96m→93.1m→88m ※真っ平(水平)ではありません、下り坂です!
静岡空港(2009年6月4日開港!)
- ●公称滑走路長(有効長)2500m 小型近距離ジェット(国内線・近距離国際線)
- 公称標高 132 m
- ●滑走路標高 138m→136m!→125m ※真っ平(水平)ではありません、下り坂!です。
- 総事業費 1900億円 ※関連施設(敷地造成・アクセス道路etc...)建設費含む。
第3目 小型機専用地方空港
田島飛行場 (兵庫県豊岡市) (1994年5月18日開港!)
※この飛行場!は両方向離発着可能ですがヘリポートどうように"有視界飛行"!専用です。
- ●公称滑走路長(有効長)1,200m! 短距離コミューター機(小型プロペラ機)専用!
- ●公称標高 176.1 m
- ●滑走路標高 177.3m→176.1m!→174m ※真っ平(水平)ではありません傾斜路!です。
白浜空港 (2000年9月7日 新滑走路に移転)
- ●公称滑走路長(有効長)2000m! 短距離小型ジェット専用
- ●公称標高 93.1 m
- ●滑走路標高 91m→93.1m→84m ※真っ平(水平)ではありません!反って(凸)います。
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有効なsolution(解決策)は高規格幹線道路E56(四国都市間連絡道西線)と宇和空港建設の2本柱!しかないでしょう。
地域振興は継続されているE56高規格幹線道路整備と新たな空港整備の2本柱で推し進める必要があるでしょう。
高規格幹線道路(E56)・地域高規格道路(一般国道バイパス)網の整備だけでは、観光客も新たな企業誘致も実現し無いでしょう!
"拠点都市"の近くに Traffic network(往還網)で結ばれた国際空港が控えてこそ、国際企業には魅力的な立地となるのです!
第1目 E56四国都市連絡道西回り線の一日も早い全通を
現在、愛媛県西南部の宇和島都市圏?の南予と、高知県西端の四万十市(中村駅)都市圏?幡多郡では、E56四国都市連絡道西回り線が、全通してなくて、大変不便をかこっています。
はっきり言って、陸の孤島状態!であり、愛媛県愛南町に至っては「愛媛県民からも忘れ去られている?!」状況で、お隣高知県・宿毛駅から"汽車?"か高速バスで高知空港に出たほうが手取り早いくらいで、実際に足摺岬周辺の幡多郡リアス海岸「宇和海国立公園」にも組み入れられて、宿毛市の片島港からの海上タクシーも運行されており、宇和島市よりも密接なつながりがあるほどです。
21世紀令和の御代の現在は世界各国の都市間を「燃費の良い」中型機で直接結ぶPoint to Point空路の時代となってきました。
第2目 国際空路は Point to Pointの時代に
巨大ハブ空港間を「ジャンボ」で結んで、ハブ空港(国際空港)⇔ローカル空港を小型機で結ぶ時代では無くなりつつあります!
愛媛県西南部に世界の都市や、日本各地の都市とLCCやチャーター便で繋がり、
愛媛県西南部、に世界からインバウンド観光客が直接呼び込めるようになり、表舞台に出れるチャンスが芽生えます。
第3目 四万十国際空港を建設すれば"国際企業"誘致にも有利に
更に観光業(サービス業)だけに頼らない、ICT先端企業誘致も可能に!
才能ある若者が上京(転出)しなくともよい、魅力的な雇用創出のための企業誘致(先端科学産業、バイオ産業、ICT関連企業)にも「重要な要件」となるでしょう。
★
第1目 E56と連携すれば
空港までの所要時間
- ●四万十市役所最寄り←県346・R3231・アクセス道→四万十空港旅客ターミナル 5.5km 約10!分
- ●土佐清水バスセンター(足摺観光拠点))←R321(サニー道路)・アクセス道→四万十空港旅客ターミナル 約35km 約47分
- ●愛南町役場最寄り←R56・E56・アクセス道)→四万十空港旅客ターミナル 約43km 約52分!
- ※E56全通時、約5㎞短縮で、≒42分に(E56暫定2車線最高速度60k/hとして、つまりまだまだ高速化できます!)
- 宇和島市バスセンター←R56・E56・アクセス道)→四万十空港旅客ターミナル 約83km 約95分
第2目 空港新線で土佐くろしお鉄道が蘇る!
空港新線約 3.8km を建設するだけで!宿毛線が蘇ります!
- ●宿毛←土佐くろしお鉄道→四万十空港旅客ターミナル 現行ダイヤでも 26分!
- ●窪川←土佐くろしお鉄道→四万十空港旅客ターミナル 現行ダイヤでも 71分!
四国西南部の観光地が宇和国際空港と高知空港の2空港と高速道路で結ばれれば...
宇和郡・幡多郡がインバウンド観光客を直接呼び込めるようになります!もちろん国内観光客需要にも対応できます!
どの空港に降り立っても、両エリアにアクセスできる様になるので、四国西南部が観光地として再評価されるようになるでしょう!
第1目 新たな四万十川観光の2本柱も
四万十国際空港ができれば、中村が四万十観光の拠点と成れ、予土線存続活性化!にも貢献できます。
中村発!四万十ジェットライン!
嘗ての輸送路中村⇔江川崎駅間(約37㎞)をジェットボート!で繋ぐとよいでしょう...
途中トイレ休憩!(トイレ船着き場?)を含め約80分~90分で結べば新たな観光ルートなります。
窪川発!四万十川川下り
- ●Aコース 窪川→家地川(約14km約1時間)
- ●Bコース 家地川→内井川(約8㎞約40分)
※いずれのコースも内井川で屋形船を回収して、R381で窪川乗船場まで回槽!できます。
第2目 お隣伊予国・愛南町も
特に、忘れ去られていた?愛媛県最南端の"愛南町"の観光リソース「御莊湾!・宇和海内海」観光にも...(真珠養殖筏などがあり、英虞湾同様の遊覧船が...)
更には宇和島市内の離島民泊滞在プランなど、新たな観光開発も可能となります。
宇和空港・大須城ルート
宇和国際空港→大洲城→内子町(内子座)→松山市(道後温泉)→松山空港
宇和空港・愛南町(宿毛)ルート
宇和国際空港→(高速バス)→愛南町(豊後水道リアス海岸遊覧)→宿毛→(土佐くろしお鉄道)→中村→(四万十川ジェットボート)→江川崎→(予土線・トロッコライン)→窪川→土佐空港
宇和空港・四万十川観光ルート
宇和空港→(高速バス)→土佐清水(足摺宇和国立公園)→窪川→(四万十川川下り)→内井川駅→(予土線・トロッコライン)→務田駅→(高速バス)→宇和空港
宇和空港・宇和海リゾートコース
宇和空港→(高速バス)→愛南町(豊後水道リアス海岸遊覧)→宇和島(宇和海島めぐり&宿泊)→宇和空港
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第0項 Megalopolis指向は嘗ての幻影!
嘗て、高度成長期に一世を風靡したMegalopolis(広域都市圏)構想がすっかり影を潜めて?
昨今は、地方の中核都市では、
職住一致環境の構築で『災害時の帰宅困難者』問題や、過剰なインフラ整備への公共投資を軽減する方向Metropolis(コンパクトシティー)指向がトレンドとなって来ています。
※参)当サイト内関連記事 コンパクトシティー 構想は"痛み"と"都市災害"が内在する大博打! はこちら。
第1項 首都圏以外の"地方都市"が抱える都市衰退とは...
"バブル景気(1986年12月→1991年2月)"消泡の後始末として、金融サービス・大企業の統廃合が行われ、地方から地場産業(事業者)と地銀が消え失せ!
"東京への富の一極集中"が生じて、民も(地方から)東京へ"吸い寄せられ"少子高齢化の影響もあり、地方(経済)はますます衰退の一途をたどっているわけです。
(Lifelineとは程遠い!ような)安直な鉄道神話信仰!による(新設・整備新幹線も含む)「極赤字鉄道路線への執着!」、文化施設などの(維持管理費の負担!しか招かない)「箱物行政」への固執では、"若者を引き留める"手立てにもなりま線(せん)!
嘗ての大都市!夕張市の凋落ぶりが「箱もの行政ではどうにもならない!衰退都市の実態」を象徴しています。
第1目 周辺都市圏(衛星都市)の過疎化対策が...
地方の中核都市(Metropolis)郊外の衛星都市(ベッドタウン)では、少子高齢化と中核都市への住人回帰(集中)で、引き起こされた"過疎化"に、どう対処するか?が大きな問題となっています。
嘗ての高度成長期を支えてきた"重厚長大産業"と共に栄えてきた地方の産業都市にとっては、(安価な)発展途上国製品に押された産業構造の変化(製造業→流通業・サービス業)と、大企業事業所のリストラによる雇用喪失!(就労者減少)の影響で、
都市機能衰退(過疎化!)がますます進み、財源(税収)減少が"深刻な問題!となり、道路整備・上下水道などの基本インフラ整備さえままなら無い!状況となっています。
第2目 Metropolitan Transportation Authority の方向へ向かう必要も
地方都市と周辺各市町村がバラバラに都市計画を策定するのではなく、周辺都市の吸収合併も視野に入れた、Metropolis(大都市)化と相反する コンパクトシティー(機能集約都市)を並立させるには...
3セク化による補助金漬け!で極赤字!路線の存続を計るのでは無く!
一般地方独立行政法人化によるRTD(Regional Transportation District,;地域公共交通事業体)の設立と交通事業者の集約・統合が不可欠ではないのでしょうか。
- 参※)当サイト内関連記事 地域公共交通事業体 RTD(Regional Transportation District) の必要性! と実現への途とは... はこちら。
♥RTD(Regional Transportation District,)デンバー地域交通事業団の例
第2項 国土軸 traffic network 構築は
高規格幹線道路・地域高規格道路(国道バイパス)、港湾施設改修、空港整備などの総合的・体系的な交通インフラ (traffic network)整備が必要となってきているのではないでしょうか?
第1目 "鉄道万能神話と箱物行政"とは別れを告げるべき!
(Lifelineとは程遠い)安直な「鉄道神話崇拝と箱物行政」への固執は、『夢よもう一度...』的妄想にすぎません。
高度成長期とは違い地上げ効果!すら薄れてきた鉄道(新駅)建設や、自治体(市民)の維持管理費負担しか招かない箱物行政では、若者流出!地域衰退!になっても、地域創生には繋がら無い!訳です。
第2目 地域振興には高規格道路網の整備が最重要!では
観光客誘致、企業誘致!にも繋がる、地域振興に欠かせない"♥ライフライン"として、高規格幹線道路・地域高規格道路(国道バイパス)、そして生活道路の整備が最重要課題!ではないでしょうか。
沿線住人にしか利用できないような極赤字ローカル線では、災害時の時の"緊急路"・迂回路!にもなりま線(せん)!
特に、通学(高校・大学)需要すらなくした"県境部"では、もはやlife lineですら無くなっているわけです!
ましてや、曲がりくねって!更には重量物の運搬もできない「貧弱な軌道設備」では、戦車を運べる!様なlogisticsにもなりま線(せん)!
※以下はシベリア鉄道におけるLogistics (兵站)の一例ですが、日本の狂気(狭軌)地方線では運べません!
参※)当サイト内関連記事 comminist!と手を組んだ!地上げ屋!共の「赤字ローカル線存続運動」は"限られた利用者を盾に取り!全国民への「せびり・たかり」行為を煽動!し... はこちら。
第3目 港湾整備も重要
USAやユーラシア大陸・オ-ストラリア大陸と違って"周りを天然運河(海)に囲まれている我が日乃本"では、重厚長大・大量貨物輸送は海運のほうが効率的(経済的!)でもあります!
原料・一次加工品は海運で、生活物資はトラック輸送と言う風に、頭を切り替える必要があるでしょう!
※参)当サイト内関連記事 鉄道 神話妄信・迷信は崩壊した!今や陸上 物流 の99%は トラック輸送 のご時世に... はこちら。
第3項 新たな国際空港!整備でインバウンド客・国際ビジネスマンを直接!
近年来の武漢ウィルス総攻撃!で、インバウンド観光客需要は落ち込に、LCCによる国際チャーター便はほとんど壊滅!状態で、地方国際空港は大打撃を受けていますが...
更には、"光速"!通信Networkが完備して、Net会議が一般化?してきたようですが...
business,sales の世界では、in person(対面)セールスが重要!とされています。
特に製品の trade ではないシステムビジネス!では、対面で行うプレゼンテーションは以前にもまして重要となっています。
つまり、国際(都市)間のpassenger traffic(旅客輸送)への対応は、国際都市(国際企業)として存続を賭けた地方都市(地場企業)にとって重要!なわけです。
第1目 国際空路は「hub & spoke」路線網から「point to point」の時代に
国際空路は嘗てのジャンボ機で巨大hub 空港間を結び、小型機で中継して地方空港とを結ぶ「hub & spoke」路線網のご時世ではなくなっています!
燃費の良い経済性に優れた「長距離中型機」で直接都市間を結ぶ「point to point」の時代に移行しています。
つまり、成田、セントレア、関空、福岡空港だけが、インバウンド客の勝手口「国際空港」では無くなった!わけです。
第2目 3000m級滑走路の国際線対応「地方・国際空港!」が...
Metropolis(大都市)では3000m級滑走路を持つ国際線対応!の「国際空港!」が、business(国際企業)ビジネス・tourist(観光客)両方にとって必要とされているわけです。
つまり新幹線では海を渡って海外とは繋がらない!訳です。
こう申し上げては失礼ですが、一応成功している?九州新幹線でも東京⇔鹿児島のビジネス需要は空路には叶わない!わけです。
狸穴総研 政経調査室 出自多留狸
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関連団体リンクテーブル
義務教育では日本語圏?の部族をまとめて大和民族・日本民族として、古来より"統一国家"を形成してきたかのように、"洗脳狂育"を行っていますが...
これは、いまだ隣国を牛耳っている(元・両班(ヤンパン)共(※01)が大半を占める)「学閥」がプロパガンダしている「fantasy!(おとぎ話)」と大差ありません。
我が日本国の始祖(那の倭国;邪馬台国)は、はっきり言ってEUのような寄り合い所帯で成立した連合体?であり、president, chairmanに当たる
representative(総代)はいても、絶対的権力者emperor(皇帝)は居ませんでした!
参※01)当サイト内関連記事 両班(ヤンパン)3悪に翻弄され続ける韓国国民と日韓関係 はこちら。
第1目 古文書研究屋?と鉄オタの共通点とは...
日本史を操っている"歴史屋!"は元来が古文書を紐解くことを生業(なりわい)とする国文学者!なので、専門用語(古文書中の正式表現・業界用語?)がお好き!です。つまり専門用語を吐きまくる「鉄オタ」と同じなわけです。
さらに歴史屋(国文学者)と「鉄道オタク」の共通点であり最大の弱点は、地理に疎い!ことです。
彼らが根拠にする"古文書"は三国志や日本書紀の様に、後年になってから「英雄・偉人伝説」に下ずいて"創作"された、epic(叙事詩)が大半です。
"台帳"などの実用・実務記録に関する古文書は軽んじています!つまり「おとぎ話大好き人間」なのです。
つまり一般人と同じく司馬遼太郎を「歴史フィクション作家!」として評価するではなく、「歴史学者」として祭り上げてしまう過ち!に陥りやすい人たちです。
英単語を多用する理由は...
専門用語、特に歴史用語は、時々の為政者が都合の良い"造語"を編み出して、"文書"に使用しているために、"同異義語"が多く煩雑すぎる傾向にあります!
なので、"あいまい"かつ煩雑な表現"を避ける意味で、"事柄の性格"を的確に表す同意語の英単語を多用しています。
つまり国司・守護・藩主などの表現は、異なる時代の「時の政権が明文化した制度」の下に、任官された職種(専門用語)で、実態(権限)は≒といえます。
日本語表現(単語)は前後関係に依存する場合が多い
更に日本語の表現(単語)は前後関係に依存する場合が多いために、一つの単語が多くの異なる事柄を示す場合がおうおうにしてあります。
例えば"地域"に関連する形容の英単語は
- ●area(ほとんど手付かずの原野・空地!)
- ●region(漠然とした地方・一帯)
- ●zone(共通の条件;気象条件・河川流域・穀倉地帯・工業地帯などの同一条件を備えた地域)
- ●district(明確に区切られた,行政区などの区域!)
などに細かく分かれているわけですが...
日本語特に外来語起因のカタカナ単語では、「地域」を指す英単語localが、rural(田舎・田園地帯)と混同されて、本来は形容詞のregional (地方の)を用いるべき、regional line(地方交通線)や、rural line(田園路線)をローカル路線や酷い場合は、「地方ローカル線の旅」などと、(マスコミの連中は)蛇足表現を平気で用いています!
つまりカタカナ外来語と、本来の英単語の意味がずれて終っている訳です。
a tribe(部族)間、国家間の縄張りに関する表現は
- ●Territory(実効支配地)
- ●boundary(境界)
- ●Frontier(Territoryのboundary)
- ●border(主権国家間の国境)
として明確にしています。
その他のTerritory;所領・領土(実効支配地)に関する用語では
- ●colony(植民地)
- ●manor,plantation(荘園)
- ●Dominion(イギリス帝国時代の自治領)※つまり中国王朝の"属国"であった当時の大和王国連合は一応自治を認められていたのでDominionということになります。
- ●emirate(首長国)
権威を表す表現としては
- ●emperor;皇帝
- ●king;王
- ●sovereign;元首,君主,統治者
- ● lord;領主
- ●Chief;首長・族長・酋長
- ●shaman;司宰・祈禱師・霊能者!?
- ●a ruler;為政者
- ●the exploited classes;搾取階級、特権階級、貴族階級=公家
組織上の立場
- ●president(主宰者・大統領・総統)
- ●leader(引率者・座長)
- ●representative(総代)
- ●chairman(会長・議長)
職制を表す表現としては
- ●Governor(chief executive officer):(官吏・役職としての)国司・守護・藩主・知事・総督
- ●officer;行政長官は(※例えば大宰府転勤後の菅原道真の職制はofficerとなります)
- ●administrator (管理者)
- ●agent;代理人(目代・城代・代官・地頭 はadministrator であると同時にagentでもあったわけです)
- ●manor owner(plantation owner);荘園主(室町幕府末期の"地頭")
又古文書記述用語は、できるだけ現代語・日常口語表現に口語訳?しています
なので属国を示す冊封国(さくほうこく)の"冊"はFrontierが正しく、borderではありません。
東北などで繰り広げられた出羽柵などの冊を巡る攻防戦は、Frontierを巡るTerritory!争奪戦!だったことになります。
国文学者が「冊=中国王朝のFrontier」であると認めない理由は...
日本語ウィキペディアの起筆者などの歴史屋!は国粋主義者!国文学者が多く大和朝廷(政権)が、
「宗主国・中国朝廷の"属国"としてのお墨付きを得て、唐王朝のTerritory!拡大のための代理戦争!をしていた」ことを認める!ことになると、
日ノ本政権・大和朝廷の主権国家説(独立国!説)が崩れてしまうためです!
あえて「柵は建造物として設けられていた施設であり、概念的なFrontierでは無い???」と唱えているわけです...
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公開:2022年12月 3日
更新:2023年2月 8日
投稿者:デジタヌ
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