タヌキがゆく

シベリア横断鉄道 親露派 が信奉する世界最大規模の " Mining-railway! " とは

前書き 欧亜間の Trade routes として眺めた Транссибирская магистраль

Транссибирская магистраль(シベリア横断鉄道)は、現在進められている?Trans-Asian Railway(アジア横断鉄道)事業の原点ともなった鉄道ですが...

Pioneer(開拓者)達が通ったexploitation railway(開拓鉄道)であり、旧ロシア帝国時代から続く世界最大規模のMining-railway(鉱山鉄道)とも言えるRoadです。

exploitation railwayであり、世界最大規模のMining-railway(鉱山鉄道)シベリア横断鉄道は、ロシアの国防の要となるlogistics (兵站)としての役割を持ち合わせています。

事実第2次大戦の"ソ連軍の樺太侵攻"では重要な役割を果たしました。

しかし、transfer line(輸送路)としてのtranscontinental railroad(大陸横断鉄道)として眺めた場合は、Rail transport(鉄道貨物)にあまり役立たないrailway system(鉄道網)と言えます!

世界最大規模の "Mining-railway!" シベリア横断鉄道とは? の目次

※リンクについて

(参※xx) は当サイト内の参照関連記事リンクです。
但し、その他の直接 hyper-link は当事者・関連団体の公式サイト若しくはオリジナル各国語版Wikipediaへ直接リンクしています。

プロローグ シベリア資源開発とシベリア横断鉄道の生い立ち

※ここをクリックするとこのページの"目次 Topに戻れます!

ロシアが大国の道を歩み出したのは、有名なイヴァン雷帝の統治時代からと言われています。彼はまずカザン・ハン国を滅ぼして、中央アジアを手に入れterritory(領土)として、ウラル山脈以東の極東への足掛かりを得て、以後歴代の皇帝が、モンゴル、も制覇して、金国(清国から)アムールを分捕り、オスマン帝国・インド(ムガール帝国)、中國を除く、ヨーロッパ?アジア、ゲーリング海を渡りアメリカ大陸のアラスカに至るまでの広大な領土を持つ大帝国を築いたわけです。

と同時に、これらのシベリア・アジア(Russian territory)は、鉱物資源に恵まれ、超大国ロシアの背景となる"軍事力"を支える「大事な金蔵」として、金・銀・銅・鉄鉱石などのmining が活発になった訳です。

当初は、ボルガ川、等の大河を利用した水運でモスクワにお宝が運ばれ、産業革命後にsteam locomotiveが発明されるといち早く取り入れ、陸路による輸送を目指したわけです。

●鉄道黎明期は

当初はフランス人土木技術者主導で始められた鉄道建設も、シベリア鉄道建設を契機に、鉱山開発が盛んだったアメリカ人「鉱山技術者」「鉄道技術者」の協力を得て、河川沿いに分け入り、人手で資源探査を行い、通過ルートが決められていったわけです。

つまり黎明期の北海道開拓と同じだったわけです。

シベリア鉄道のnodeエカテリンブルクから伸びる多くのbranch lineは

当初はtrack gauge の2 ft 5+1⁄2 in(750 mm)のRussian Narrow gaugeでforest railway(森林鉄道)として敷設されて、多くのシベリア杉をエカテリンブルクを通じて本国に運びました。

次の段階として「大地を覆うシベリア杉」がはがされて露呈(露出)した鉱脈やCoal fieldのminingに進み、colliery railway(炭鉱鉄道)に発展したわけです。

20世紀後半になって、これらのmining railwayは1,520mmのSoviet Union gaugeに改軌されて、直接本線と繋がりましが、ソ連崩壊当時迄は、20,000㎞以上のRussian Narrow gauge railway systemが構築されていたわけです!

これは、北海道東部の釧路湿原を中心に殖民軌道」(※01)が普及したのと同様に、お手軽に敷設出来て、拡張・経路変更も容易に行えたからです。

参※01)当サイト内関連記事 嘗ては手軽な輸送手段だった?"鉄道" はこちら。

●ソビエト時代

ロシア革命を境として「鉄のカーテン」"完全鎖国・時代"に入ったわけですが、

同時に海外へは、国防上の理由で完全に「情報封鎖」されるようになり、シベリア開発についてはプラウダ等の海外向けのプロパガンダ映像などで、時たま一部が紹介されるだけで全く詳細は不明となった訳です。

第1次大戦を境として

第1次大戦で、航空機が急速に発達して、「未踏の大地」だったシベリア全域の地形が、空から見渡せる(航空測量)ようになりました。

つまり、(主に大河川の流域についての)「詳細な地形図」が作成できるようになたわけですた。

そして、航空写真・地図を元に地質学者、鉱山技術者が、北極圏シベリアの「地質学的に有望な"鉱脈"」の見当をつけてから、実地調査を行い、搬送手段のある大河川流域から開発の手が入ったわけです!

第2次大戦後更なる航空機の発達で

第2次大戦後さらなる航空機の発達で大型(爆撃機)による1万メートル以上の高高度・長距離調査が可能となり、北極圏シベリアの、全容が明らかとなりました!

(が勿論極秘次項(軍事機密)なので、一般人と海外には非公開でした。)

そして、大河川流域以外の地域でも、新たな鉱床が発見されて、航空測量に下ずいたpioneer road(踏査用道路):scouting road(斥候・偵察活動用道路)(※02)が建設されて資源開発が進んだわけです。

長らく西側の世界地図上では、「シベリアは白くなっているだけで」旧樺太以外は全く白地図に近い状態でした。(※1951年生まれの小生が未成年 の頃の地図帳(世界地図)では真っ白でした)

その後、有名なUSAのU2型偵察機(スパイ機)による偵察撮影で、西側にも徐々にシベリアの詳細地形が判明しだしました。

参※02)おそらくはこれらのpioneer road(踏査用道路)も前途したお手軽に建設できるRussian Narrow gauge のRail-roadだったのではないでしょうか?

科学技術の発達で

その後、"スパイ衛星"(資源探査衛星)技術が発達して、西側でもシベリアの"詳細な資源地図"がは枠出来るようになり、ソ連でも旧来の地質学(者)・鉱山技師による、埋蔵資源調査から「新しい資源探査」の時代に入ったわけです。

しかし旧ソ連の体制化では、「シベリアの資源開発」は、"軍需産業に直結するmining"以外では進まず、ソ連崩壊までその状況は続いたわけです。

●社会主義王国?ソ連崩壊→新ロシア帝国の復活?で...

20世後半に統制経済・計画経済が破綻して、1991年12月26日についにソ連が崩壊して、開放経済によるロシア連邦に移行して、「欧米資本」の積極的な導入(投・融資)を仰ぐ体制となりました。

但し従来通り積極的に「資源輸出をする気は無い」のですが、資源以外に輸出するものが無く、何よりロシア本土?に効率的に資源を運ぶ手段として「第3シベリア鉄道が欲しい」わけです!

なので初めて「シベリア開発の実情」が公表されて、日本にも「ヤクート油田開発」(の国際協力?(投融資)の話が舞い込んできたわけです。

Yakutian Railwayも

Yakutian Railway(ヤクート鉄道)も前途した各地にあったRussian Narrow gauge のforest rail-roadとして建設されて、フェリー経由でЯкутск(ヤクーツク)と繋がっていましたが...

その後ソ連崩壊後にアルダン川(станция Томмот;スタンツィヤ・トモット)以遠のroadはabandoned railroad(廃線)となり、Бестужевоベストゥジェヴォ( 〒676252 アムール)駅からстанция Томмот間は1,520mmのSoviet Union gaugeに改軌されてБайкало-Амурская магистраль(バム鉄道・第2シベリア鉄道)と繋がりました。

つまりЯкутск⇔Лена(レナ)駅Байкало-Амурская магистраль間は"レナ川"で繋がっており、水運で代行できて、夏季は北極海経由で石炭・木材輸送が代行できたわけです!

更に、Oil,GasはPipelineを建設すれば鉄道より安上がりで、態々鉄道に拘って永久凍土地帯のシベリアに、後述するように無理をしてまでRoad(鐡道)を建設する必要も無かった訳です!

※」Youtubeコンテンツによれば、今もヤクーツク⇔Олекминск(オリョークミンスク:レナ川上流(約600km!)を水中翼船が14時間!表定速度23kn(約43㎞/h)で結んでいるそうです。

で結んでいるそうです。

ヴィデオ中でも触れていたようにレナ川流域の町には定期便が飛んでいるregional airport(地方空港)landing strip(滑走路、簡易空港)の整備がいきわたって無く!高速バス(どころか道路も無い!)も無く、陸の孤島状態の鉱山町が残っているので、Олекминскより上流のバム鉄道との接続駅Лена(レナ)間の1,320km!の間も、同様に、途中の町々を高速渡し舟!(水中翼船約30時間!)が結んで(乗り継ぎ)いるのでしょう?

★現在も地域住人の大事な life lineとなっているヤクーツク⇔チクシ間のレナ川航路フェリー

※ここをクリックするとこのページの"目次 Topに戻れます!

第1節 USAより先行していた黎明期のロシア鉄道!

ロシアの鉄道網は1837年10月30日開業のЦарскосе́льская желе́зная доро́га(ツァルスコエセロ鉄道)と言われています。

Санкт-Петербург(サンクトペテルブルク)にあるстанция Павловск(パブロフスク駅)⇔станция Царское Село(ツァルスコエセロ駅)間(27 km)を、6ft!(1,829 mm)のTrack gauge"超広軌"で結びました。

世界最大規模のMining-railway(鉱山鉄道)シベリア横断鉄道

そして世界最大規模のMining-railway(鉱山鉄道)Транссибирская магистраль(シベリア横断鉄道)の建設に繋がったわけです!

現在のシベリア横断鉄道は

Транссибирская магистраль(シベリア横断鉄道)は元々、exploitation railway(開拓鉄道)Mining-railway(鉱山鉄道)としてシベリアの資源開発の為に誕生した鉄道です!

つまり当初は鉱山技師が「地質学的に有望な鉱床エリア」を結ぶ鉄道としてルート設定を行い、実際に敷設されたために最短ルートとは関係なく、鉱山地帯を這うように結ぶルートで建設されています!

なので、Забайкальскаяжелезнаядорога(トランスバイカルロード)と呼ばれるMysovaya⇔ Sretensk間の区間と、Иркутск(イルクーツク)⇔Mysovayaを結ぶКругобайкальская железная дорога(Circum-Baikal鉄道)は、共に後年両端部分が放棄されて、新ルートに置き換わっています!

但し1904に完成した対岸のБайкал(バイカル)からMysovayaまでの区間では

特に1900年開通したИркутск(イルクーツク)⇔Листвянка埠頭(リストヴャンカ)までのアンガラ川右岸のroadは完全に放棄されて、abandoned railroad(廃線)となり大部分が正しく地方道に転用されたので、何処を走っていたかも公開されておらずルートは全く不明です!

後回しにされたバイカル湖西線?

Иркутск(イルクーツク)⇔Mysovaya間に完成したКругобайкальская железная дорога(バイカル湖西線?完成したのは日露戦争の最中の1904年9月です。

Слюдянка(スリュジャンカ)⇔Байкал(バイカル)間は1949年の山岳越えのバイパス新線が完成した為に、Иркутск(イルクーツク)⇔Байкал(バイカル)間がstopped the traffic(休止線)となり。

さらにイルクーツク水力発電所のダムの建設の為に1956年には撤去されてabandoned railroadとなり、1958年にはバイカル湖から続くアンガラ川のダム湖に水没しました。

残りの区間Байкал(バイカル)⇔Слюдянка-2(スリュジャンカ-2)間89kmは現在Кругобайка́льская желе́зная доро́га(バイカル湖西線?)として、一日1往復!のDL列車と、夏場に限り観光用のSL臨時列車が運行されています。

この区間は

イルクーツクの60km東にある「長さ640km、最深部1600mのバイカル湖」が、沿線最大の障害物となった。バイカル湖南岸は山岳地帯で難工事となり、予定を大幅に遅れた。このため、1900年から工事が完成するまでの間の暫定措置として、イギリス製砕氷船を使った鉄道連絡船による(Листвянка埠頭⇔Mysovaya埠頭)鉄道車両の輸送を行った(冬は湖上に線路を敷いて列車を走らせたこともある!(※11)《Wikipediaより引用》

と言う風に日本語Wikipediaではバイカル湖の全長680kmが問題だったように表現されていますが...

参※11)当時の鉄道では、氷上の仮設線による運行はさほど珍しくはありませんでした、USAでも「大河川の架橋」が完成するまでは、各所でフェリーに代わって行われていました!

さらにバイカル湖を含むシベリアでは現在も当たり前に、厳冬期のtruck氷上輸送が行われています!

バイカル湖は地峡線にあたり

バイカル湖は"インド亜大陸"が"ユーラシア大陸"に食い込む境界に出来た湖で、北側が急峻な山岳地帯になっています、日本で言えば、山陽線沿いの六甲山系のような山系がバイカル湖に迫っている地形(、いやそれ以上)で、つまりいシベリアの玄関口モスクワからИркутск(イルクーツク)までは途中にウラル山脈もありますが比較的「なだらかなarea(空き地)」が続く丘陵地帯なので、地形的には航空写真モードで地図をご覧いただければお分かりのように、バイカル湖の西岸がびわ湖の湖西側にある比叡・比良連山のように険しい山岳地帯となっているわけです。

実際に建設に5年を要したのは東岸沿いではなく湖西側です!

険しかったのは、Култук(クルトュク)⇔Байкал(バイカル)間のКругобайка́льская желе́зная доро́гаで、38のトンネルと、15の石造りの橋、3つのコンクリートの橋、248の橋、268ケ所の擁壁を建設したわけです!

実際に建設費は嵩みましたが、1899年の建設開始から1904年の完成までわずか5年で完成させており、さほどの難所でもありませんでした!

※参考までに、スリュジェンカからバイカル湖の北岸沿いに、バイカル湖からИркутск(イルクーツク)に至るリカ・アンガラ川渓谷の入り口"バイカル"迄建設された、バイカル湖西線?を記入しておきましたが、御覧のように、山陽新幹線同様に「トンネルの連続」となっています!

しかし後述するように、「時間とお金」さえ費やすれば、当時の技術でも充分に建設が可能な経路でした!

※ここをクリックするとこのページの"目次 Topに戻れます!

第2節 行くてを阻んだ最大のbarrier はтундра & Тайга

バイカル湖はTrans-Asian RailwayとしてのТранссибирская магистраль 建設の問題ではありませんでした!

何故ならバイカル湖は"びわ湖"同様にほぼ南北に横たわっているので、東西交通である"シベリア横断"にはさほどの障壁でもありません!

現に後年建設されたБайкало-Амурская магистраль(バム鉄道;第2シベリア鉄道)は北をかすめています。

第1項 バイカル湖ではなく永久凍土に覆われた湿原・湖沼地帯が

Транссибирская магистральの最大の problem&barrierは永久凍土上にあるтундра(ツンドラ) & Тайга(タイガ)で覆われた湿原・湖沼地帯なのです!

ロシア(シベリア)を流れる大河がけたはずれな規模で、例えば有名なオビ川では日本で言うところの"河川敷き"の幅は狭いところでも10㎞→50㎞!以上あり、支流と交わる個所では湿原・湖沼地帯(тундра & Тайга)が250㎞以上の範囲に渡って広がっているからです!

北海道にある釧路湿原などの"チッポケ"な規模?ではなく、北海道全域がすっぽり収まるぐらい広大だからです!

実際に、当初計画されたТомск(トムスク)⇔Москваを直接結ぶルートは、当時の技術では建設できないとして断念されています。

※オビ川河口部Яр-Сале(ヤル=サレ)⇔Салехард(サレハルト)間約275㎞を5時間40分から6時間40分で結ぶフェリーの動画。

スマホのGPSで分かるように、分流の一本を航行している状態で、湖と勘違いしそうなスケールです!

Томск経由を目論んだのは...

Томск(トムスク)経由を目論んだのは...

彼の地がロシアのWater transportationの大動脈オビ川の支流に当たるトミ川河畔に1604年に建設したfort(砦・交易所)が元になり、1782年にcolony(植民地)の中心地Townとなり、1804年にはTomsk Prefectur(県)としてロシアに"完全併合"されて、Prefectural capital(県都)となっていたからです。

トミ川河畔に開けたТомскは後述する エカテリンブルク同様にロシアの"金蔵"の出入り口・拠点であり、当時からオビ川、トミ川水運で上流部、下流部とも繋がっていて、両河川沿いの鉱山開発が進んでいました、なのでモスクワと最短距離で結びたかったわけです!

第2項 日露戦争停戦で

東端区間では後述するように、旧満州を通過する東清鉄道満州国に召し上げられたために、新たに現行のルートを引き直したわけですが...

クエンガから先のスレテングスを通過するシルカ川沿いのルートは、後年破棄されて(時期不明)新たに山間部を縦走すコースに付け替えられています!

これも、このルートの途中に有望な鉱床が発見されたためです。

参※)当サイト内関連記事 日本人(日本国政府)には、理解しにくい大陸民族の"ご都合主義"とは はこちら。

日露戦争が停戦できたのはシベリア鉄道が未開通だったから!

(※南側のラインが、元祖シベリア鉄道

北側が、20世紀になってから開通した第2シベリア鉄道

1904年2月6日 の日露戦争開戦当時シベリア鉄道(1904年9月全通)のИркутска(イルクーツク)から先のバイカル湖を通過する区間は開通していませんでした!

つまり当時の大日本帝国はシベリア鉄道が全通していないことを、事前に察知していたのではないでしょうか?

なので短期決戦を狙い、1904年2月6日 に宣戦布告したのでしょう?

狙い通り当初は極東に配置されたロシア軍は"兵站"が確保できなくて!、兵員輸送・食料・弾薬輸送共に困難を極めて苦戦しましたが、シベリア鉄道が全通後は機関銃のおかげで善戦して、大日本帝国の予想とは異なり、戦争は長引いて日本海海戦(1905年5月27日→5月28日)でのロシア海軍の敗北で!和平協議につき、大日本帝国が"清国にあるfort・colony(植民地)の租借権(間借り契約)を手中に収めたわけですが...

Иркутск⇔Култук間の新線区間は

最2次大戦後1949年に完成したИркутск(イルクーツク)⇔Култук(クルトュク)間も、距離短縮の為に、新線に付け替えたのではありません!

航空写真モードにすれば一目瞭然、Большой Луг(ボリショイ・ルク)に有望な鉱床が発見されたために鉱山開発が目的でした。

つまり湖西岸のКругобайка́льская желе́зная доро́га沿線には、思ったほど鉱物資源が露出していなく、再度山間部を再調査した結果、有望な鉱脈が発見されたので、新たに路線を引き直して旧線は、abandoned railroadにしたわけです!

第3項 北極圏に近い極寒の永久凍土地帯に恒久的なroadを敷設するには...

ロシアが北極圏に近い極寒の永久凍土地帯や、ツンドラ&タイガの湿原・湖沼地帯で恒久的な?Rail-roadを,建設できるようになったのは、Sleep latticeと呼ばれるLattice(格子状)のrug(敷物)grid-sleeperが、フロリダなどの湿原地帯での"不当沈下"を防止する目的でUSAで実用化されたからです

この手法が開発される、以前のМурманск(ムルマンスク)への「最北の鉄道」では、毎年膨大な、「手間暇とお金」をかけて、保線作業を行っていました!

保線を怠るとТрансполярная магистральの掲載画像のように数年で見るも無残な状態となりました。

※エストニアの保線

この動画で使用されている、軌道に埋設されたネット状のrug(敷物)が極寒エリアの不当沈下(凍土対策)に用いられるgrid-sleeperです!

※ここをクリックするとこのページの"目次 Topに戻れます!

第3節 ルートが表すMining-railway

第1項 最初のТранссибирская магистральは

小生がТранссибирская магистральを世界最大規模のMining-railway!と呼ぶのは、

その建設目的が東西交通ではなく!ロシアの金蔵シベリアから「隠し財宝」を、Москваに導くためのexploitation railway(開拓鉄道)、mining railway(鉱山鉄道)が見え見えだからです!

金蔵へのpassagewayから始まる

Железнодорожный транспорт в Российской империи(ロシア帝国の鉄道輸送)は...

西シベリアのentrance(と言うよりDrawing room:応接室)であるモスクワから、Russian territory(領有地)の"座敷蔵"に当たる中央アジアにあるЧелябинск(チェリャビンスク)へのpassageway建設が始まりでした。

Транссибирская магистральはこの鉄道を延伸する形で、現カザフスタンのПетропавл(ペトロパブル)を通りИркутск(イルクーツク)まで路線を伸ばしています。

なので開業当初のシベリア鉄道の正式な起点(0mile post)はЧелябинск(チェリャビンスク)にあるわけです!

この当時は、中央アジアのRussian territoryのほうが開発しやすかったわけです。

Екатеринбургが金蔵のentranceに

その後、鉱山技術・鉄道技術も進んで、(1723年開村!)のЕкатеринбург(エカテリンブルグ)がより一層に重要となり西シベリアの表玄関・開発拠点がモスクワからЕкатеринбургへ移り?Екатеринбургを中心に四方・八方に鉄道網が建設されて、ロシアの重要な hatchway(ハッチ)として地下資源をhatch(孵化)させたわけです!

第2項 American Mining railwayとの共通点が随所に

第1目 シベリア鉄道がアメリカ・北海道のmining railwayと似通っているのは

Russian railway systemと、北海道の鉄道網、アメリカのmining railwayの代表格 旧Denver and Rio Grande Western Railroad(現Union Pacific Railroad)が似通っているのは、共にアメリカ人鉱山技術者・鉄道技術者が建設に係わったからです!

前途したRussian railway systemの始祖となった、Царскосе́льская желе́зная доро́гаはフランス人技術者が建設指導しましたが、それ以降に"ニコライ2世"(※31)がRussian National Gaugeを制定して以降に建設された鉄道は、

1867年3月30日に建設資金捻出の為にアラスカをお買い上げ頂いた!USAの鉱山技術者・鉄道技術者の指導の下に建設が進められました。

なので、ルート設定も似通っているわけです。

参※31)皮肉なことに、ニコライ2世は多大な犠牲を払って自らが完成させた"シベリア鉄道"でシベリア送りとなり、ぺテルブルクを遥かに離れた地で、「裁判も受けられずに革命軍により半ば"リンチ状態"で家族諸共処刑」されたわけで...何とも皮肉な結果となった訳です。

第2目 開業当初随所に見られたTimber trestles

特に、当初の官営幌内鉄道でも使用されたTimber trestlesはアメリカ人鉄道技師お得意の手法で、北海道同様に?シベリア杉が使い放題の!Транссибирская магистральとそのbranch lineでは大いに活用されました!

第3目 高度を稼ぐΩループ

沢の形に添って高度を稼ぐΩループの連続は、正にそっくりです!

当時、はトンネルを掘削するより手っ取り早かったわけですが、その後鉄橋に架け替えられてからも、依然として「線形は保持」し続けられています。

第3項 路線が曲がりくねる元となる河川の蛇行原因は

1)三日月湖が残る平野・盆地

平地、平野部の穏やかな部分では、河川は蛇行しだして、メインストリームは始終変化して、曲がりくねり、コーナーで、新たな流れ(短絡路)が生まれ、取り残された旧河床が"三日月湖"となって残されます。

つまり三日月湖が多くみられる場所は平野・盆地などの平坦部を示しています。

2)山間部の渓谷などでは

一方、山間部のpassと呼ばれる部分では、河川が「峰と峰との沢」に沿って流れているために、ユーラシアプレートと、アジアプレートがぶつかり合うウラル・アルタイ山系では、造山活動により、山系が複雑に褶曲した結果、間を流れる渓流が蛇行しているわけです。

元祖Транссибирская магистральでは

日露戦争後に大急ぎ建設された、現Транссибирская магистраль(シベリア横断鉄道)はPioneer(開拓者)達が通ったexploitation railway(開拓鉄道)であり、世界最大規模のMining-railway(鉱山鉄道)と言えるでしょう。

山間部のpass(では、河川が「峰と峰との沢」に沿って流れているために、ユーラシアプレートと、アジアプレートがぶつかり合うアルタイ山系では、複雑に曲がりくねった河川に沿って典型的なMining-railwayとなっているわけです。

しかし、1970年代以降は土木技術が発達して、長大トンネルが掘削できるようになり、複雑に地層が重なり合った"破砕帯"ですらもぶち抜くことが可能となり、山脈をぶち抜く長大トンネル建設も余り問題ではなくなっていました。

第4項  Байкало-Амурская магистраль(バム鉄道・第2シベリア鉄道)

1970年代に工事が再開されに仮開業したБайкало-Амурская магистраль(バム鉄道・第2シベリア鉄道)では、全長15,343mのSeveromuiskトンネル(2003年12月5日正式開通)のように 、多くの断層を持つpass(峠)を通過する長大トンネル掘削も可能となっています。

つまり、ヨーロッパと太平洋を結ぶtransfer line(輸送路)としてのtranscontinental railroad(大陸横断鉄道)として眺めたばあいは、"不完全"と言えるでしょう。

Байкало-Амурская магистральが後年建設された訳は

Байкало-Амурская магистраль(バム鉄道・第2シベリア鉄道)が建設された訳は

Google earthを拡大して見れば一目瞭然、大急ぎこしらえたТранссибирская магистральがLogistics (兵站)としてはborder (国境)に近すげたからです!

1984年10月1日に暫定開業( 1989年正式開業)したБайкало-Амурская магистраль(バム鉄道・第2シベリア鉄道)では、1947年既に開業していたアンガラ川流域のブラーツク辺りが典型でしょう、更にこの辺りには平地の証明ともなる、数多くの排水路ディッチが開削されています。

つまりこの辺りの Siberia roadは直線に近い形でも敷設できない事は無かった訳で...

なのでその後に建設されたR491などhighway(幹線道路)はあまり曲がりくねっていません。

※ここをクリックするとこのページの"目次 Topに戻れます!

第4節 Logistics としてのシベリア横断鉄道

鉄道が初めてLogistics (兵站)として重要な働きをしたのは、USAの(1861年→1865年)南北戦争だたといわれています。

G.Stephenson の息子R.Stephenson の功績もありStephenson gaugeで整備されたUSA(北軍)に対して、Confederate States of America(南軍)のterritory(実効支配地)では雑多なゲージが混在していました

為に北軍は統一されたLogisticsで布陣を容易にしましたが、track gaugeが統一されていなかった南軍は防戦に苦戦しました。

参※Confederate railroads in the American Civil War(南北戦争における軌間戦争?)

第1項 1843年制定の旧Russian gauge

ロシア帝国でも1843年に初代Russian gauge(ロシア帝国標準ゲージ) 5 feet(1,524 mm)をNational Standard Track gaugeに採用して、ロシア革命後も長らく採用され続けました。

定説では

ロシア帝国( 1917年9月まで)が「西欧列強の標準軌」ではなく5 feet(1,524 mm)の初代Russian gaugeを採用したのはナポレオンのロシア侵攻(1812年6月)の経験を踏まえて、当時の隣国プロイセン王国と同じ軌間を採用したくなかったからとなっています。

現在ロシアではこの説を否定していますが...

別項で詳述したように、やはり国防上の都合が大きいでしょう!

日本のJRよりきつい最小曲線半径を基準に建設されたТранссибирская магистральでは、4ft8.5in(1435mm)のStephenson gaugeでもカーブ通過は難しく、

アメリカから招いた鉱山鉄道技師が主張した3ft(914mm)のAmerican Narrow gauge が適切だったはずです!

つまり、Stephenson gaugeを採用しなかったのは国防上の都合に他なりません!

参※)当サイト内関連記事 鉄道における国際標準軌間?と国家標準軌間について はこちら。

第2項 日清戦争?日露戦争?2度のterritory紛争と「ソ連の樺太侵攻」では

territory(実効支配地域)のFrontier(縄張りライン)をめぐる日清(代理戦争)と日露の2度の、Conflict(小競り合い・紛争)には間に合わず、フェリー連絡を行っていたこの区間は、兵員・弾薬輸送などのlogistics (兵站)のボトルネックとなりました。

当時の大日本帝国の(ちんけな)"諜報活動(スパイ工作)"でも、このことは知っていたようで時機到来とばかりに宣戦布告を行ったのでしょう?

しかし前途した通り、最初のТранссибирская магистральが全通してからは、苦戦を強いられ大量の戦死者を出しました。

更に"日ソ不可侵条約"を無視して、「対日戦連合」!国連United Nationsに加わり、満州国侵略、1945年8月15日の停戦も無視して樺太侵略を行い、俘虜(シベリア抑留者)、難民(引き上げ民)を生んでしまったのは、Транссибирская магистральの働きが大きかったわけです!

参※41)当サイト内関連記事 日本人(日本国政府)には、理解しにくい大陸民族の"ご都合主義"とは はこちら。

※以下はかつてのナチスドイツの野望ですが、今も世界の列強?は...

※ここをクリックするとこのページの"目次 Topに戻れます!

第5節 2転3転したБайкало-Амурская магистраль でも

Байкало-Амурская магистраль(バム鉄道・第2シベリア鉄道)はロシア革命後のソ連(1922年建国)時代に、

「極東の防衛に備える目的で東西両端から建設が始められた鉄道」とされていますが...

この鉄道は最初から"軍備費"調達の為の資源開発が目的の完全なmining railway !でしょう。

実際には1926年からに"金銀"銅・鉄鋼石・ボーキサイト(ウラン)などの鉱物資源を求めて、地質調査が始まりました。

1936年以降は「水上飛行機による、地形調査(航空測量)」も実施されて、適切な経路を決めたそうですが...

第1項 第2シベリア鉄道建設は

第2シベリア鉄道Байкало-Амурская магистраль(バム鉄道)の建設は、満州事変が起こった翌年の1932年から始まり、第二次世界大戦ヨーロッパ戦線で独ソ戦が勃発した1939年9月1日後は一時建設が凍結されました。

更に1942年1月には開通していた区間(ヤクート支線)も廃止されて、レールが撤去されて鉄材供出に使用された時期もありましたが、

ナポレオンのロシア侵攻と同じく、"冬将軍"様のおかげ?で、戦局がソビエト連邦優位に転じた為に、日本との戦争に備えて建設が再開されました。

日ソ不可侵条約破棄・日ソ開戦の1945年7月末に部分開通

対日参戦の直前1945年7月末に、Транссибирская магистраль(シベリア横断鉄道)の東部・ハバロフスクから伸びた支線にあるКомсомольск-на-Амуре(コムソモリスク・ナ・アムーレ)からВаниноワニノ港までの東端区間で運行を開始して、ワニノ港から樺太にロシア軍を進軍させました。

そして1945年9月!の停戦後は一時中断され、1947年6月には工事が三度再開されて1951年7月にシベリア鉄道のジャンクションТайшет からУсть-Кут までの新線区間を暫定開業させて「貨物輸送と鉄道関係者、鉱山関係者限定のlogistics(兵站)として限定運行」を開始しましたが...

スターリンの死去で建設工事は中止

しかし1953年にスターリンが死去したことで完成した部分を放置したままに建設工事はまた中断しました。

つまり、跡目?を継いだ「フルシチョフ」は内政を重んじて、新規鉱山開発、logistics(兵站)には興味がなかったわけです!

1960年代後半の中ソ関係悪化で

しかし1960年代後半に中ソ関係が悪化して、満州里ルートその他の中ソ間の国境が全て閉鎖された(一部区間は軌道撤去された)ために、元祖シベリア鉄道東清鉄道の満州里⇔ハルビン⇔ラスシプナヤ・パジ⇔Vladivostokルートが使用できなくなり、同時に国防上の都合から「中露国境に近いシベリア鉄道」の代替路線としてБайкало-Амурская магистраль(バム鉄道・第2シベリア鉄道)が三度注目を集めて、ブラーツク⇔コムソモリスク・ナ・アムーレ間の工事が再開したわけですが、

この時期は1960年代のメートル法に基づいたSoviet gauge(1,520 mm)への改定の時期と重なっています。

参※)当サイト内関連記事 鉄道における国際標準軌間?と国家標準軌間について はこちら。

1970年代の延伸工事再開後は改正ゲージ施行に当たりますが...

1967年3月24日には事業再開が決定して1974年に延伸工事が再開され、そして1970年代を通じて、コムソモール(共産主義青年同盟)による建設が進み、1984年9月になって「貨物輸送と鉄道関係者・鉱山関係者限定のlogistics(兵站)として」仮線で(暫定開業)させましたが、正式開業は1989年11月1日に最後の峠越え区間のSeveromuisk Pass区間(54km)が完成して全通したわけですが、

更にその後前途した通り1991年12月26日のソビエト連邦崩壊、ロシア連邦成立後の2003年12月5日にSeveromuiskトンネルが開業して新時代を迎えたわけですが...

Google earth をご覧いただけばお分かりのように、あいも変わらず途中の「鉱山にこまめに立ち寄るmining railway」の"定石"は変わりません!

つまり、鉱石・石炭・武器・兵員は鮮度(所要時間短縮)が重要な"生ものではない"?ので、大量輸送さえ満足できレバ、所要時間には拘らない訳です!

その輸送力も

ロシアの応接室?モスクワを含む"西シベリア"から、裏口極東のウラジオストクに至るまで、通過するシベリアは、"大河"が横たわる、タイガ・ツンドラ(湖沼地帯)が大部分なの)で...

Axle load limitation(軸重制限)、payload limitation(荷重制限)が

  • ●main line(50kg/m ASCE rail 区間);25 t/axle
  • ●regional line(75 PS rail;75 lb/m=34kg / m);20 ton/axle に据え置き

payload limitation

  • ●全線 6 t/m

となっています。

つまり、石炭輸送、鉱石輸送がメインのБайкало-Амурская магистральでは...

Russian hopperによる、石炭・鉱石運搬では

  • ●empty weight:about 23t
  • ●loadage;60t
  • ●Gross rail load;83t
  • ●length;16m
  • ●Axle load ;20.7 ton/axle
  • ●payload(ton/m):5.2 t/m

となっています。

単線区間(信号所・駅の退避設備)の関係で、編成長は2㎞以下となっていて、

標準的な編成では、ホッパー車75両 積載量;4500屯 貨車全長;1,200m  

25kv交流電気機関車E5Kが 17.5mx3≒52m

ィーゼル機関車2 / 3TE25Kが20mx3=60m

なので全長は about 1300m

40 ft Intermodal container では

25m級 flat car(コンテナ貨車)によるtandem loadingでMax 70両

25m x 70 unit =1,750m 積載量60屯x70両=4,200屯

編成全長は about 1,800 m となっています。

つまり、JSC(ロシア鉄道公開株式会社)が目指す8,000屯輸送には程遠いわけですが...

そもそも、前途したようにシベリア横断鉄道には、それほどの貨物輸送需要は有りません!

※以下は、Trans-Eurasia Logistics(日本語版トランス=ユーラシア・ロジスティクス) から資金援助(スポンサーシップ)を得たと思われるYoutube動画 content 制作プロダクションのプロパガンダ content ですが、GNP、日欧貿易高(Shipping)に関しては、極端な誇張ではない現実でしょう!

つまりもはやGNPだけ見れば日本は世界第2の経済大国ではない!ようです。(但し、上記の数値には日本の海外法人の関与(生産)した数値も含まれているので...実入り(実収益)は日本へ送金されているので実質日本(政府)の実入り(税収)で言うと今でも世界第2の経済大国ではあるのでしょうが?

※ここをクリックするとこのページの"目次 Topに戻れます!

エピローグ transfer line(輸送路)として眺めたシベリア横断鉄道の問題点

※上図を拡大して、東清鉄道を含む全土の"Logistics network;(兵站)"を見ていただければ、中國が本気でrailway systemを改良していることが一目瞭然となります!

第1項 Транссибирская магистраль(シベリア横断鉄道)がこんな姿(Mining-railway)?になった理由は

USAのrailway system(鉄道網)の歴史で取り上げましたが、

アメリカでは、河川を利用してexplorer(探検家・先駆者)がscouting(斥候[偵察]活動.)を行い、適当な入植地を見つけてPioneer(開拓者)が、河川沿いの平原を、荷馬車で進み、trail(馬車道・轍)が出来て、その後駅馬車が通うようになり、鉄道が、町々を結ぶ最短経路で敷設され、さらにその後trailをハイウェー(自動車専用道)に置き換えたので(※51)、3者が、殆ど同じ経路で寄り添っているわけですが...

参※51)但し、有名なアメリカ最初のLincoln Highwayと呼ばれるダート道は、開拓者が利用したトレイル(幌馬車隊経路)を、転用したものなので、「鉄道開通後」には開拓者の"農場・放牧地"つまりは私有地になり、柵が張られていた個所もあるので、部分的にはもともとのトレイル経路とは異なる部分もあります。

但しややこしいお話ですが、Pacific Railroad Actsにより初期に開通した大陸横断鉄道では、USA政府が鉄道の軌道から100フィート(30 m)以内のすべての公有地と、更に敷設距離1マイル(約1.6㎞)ごとに 10平方マイル(26km²)の公有地が無償で供与される内容だったので、USAの鉄道には、
frontage road(側道)が設けられていて、後の複線化の用地や保線作業にあたる車両の通路になっています。

実はこの側道が重要で、別項で取り上げたMilwaukee Road(Chicago, Milwaukee, St. Paul and Pacific Railroad )が敗退した理由の一つにもなります。

第1目 経路を追えば " いかに寄り道が多いか " が一目瞭然です!

特に、前途したТранссибирская магистральの最初に造られた区間は、当時のcollieryなどのmineを"こまめに繋いでいて"どこを目指しているのか?見当もつかないくらいです!

さらに、最近全通したばかりのYakutian Railway(ヤクート鉄道)のстанция Томмот(スタンツィヤ・トモット)以遠の新線区間でさえ、旧線同様(track gauge ;750mm(Russian Narrow gauge)forest railway?)同様に鉱山の近くを選んで経路を設定してあり、とても本気で"速達"を狙っているRussian Broad-gauge railwayだとは思えません。

第2目 更に嘗てはJunctionのcrossoverがМосква方面のみ!でDelta lineになっていなかった

本来mining railway(鉱山鉄道)を目的に建設されたТранссибирская магистральでは、"一部の例外"を除き、殆どのJunctionがМосква(モスクワ)方面のみへ直通できる線形となっていました。

つまりアメリカのように「全土を開拓」しようとしていたのではなく!

極東は「ロシアの隠し金山!」としてしか考えていなかったわけです!

現在、日本の海運業界では、第3シベリア鉄道が、太平洋(日本)とバルト海・北海を結ぶ、海路(スエズ運河経由)に代わる新たなcargo transportation(貨物輸送)のtransfer line(輸送路)として、

距離短縮(時間・運賃短縮)になる繋がる大圏航路に近いコースで、建設されることに、期待を掛けているようですが...

前途したロシアの"大人の事情"で、日本の運輸業界・産業界が期待するような"high speed transfer line;Siberia Shinkansenは実現しない(作る気は無い!)でしょう。

あくせくしても、所詮は...

急ぐなら、空路で!と言う事でしょう!

※ここをクリックするとこのページの"目次 Topに戻れます!

《Trans-Asian Railway》関連記事のご案内 

※以下の♥タイトルをクリックするとシリーズ記事全てにジャンプ!できます。

後書き 《Trans-Asian Railway》について

当シリーズではLogistics(兵站)とGeopolitics(地政学)から眺めた.Trans-Asian Railwayについて語っています。

つまり「人類皆兄弟!」が営む生活圏での「地球規模での国家間の力関係(軍事力)、相互干渉(外交関係)」を考えたGeopolitics(地政学)面から考察して、21世紀の日本が進むべき International trade route を模索しています。

将来を担う青年層が「地学(地理)・国際政治・世界史」に関心を持てるように

ポイント切り替えを誤った"狂育路線"が...

同時に現状の"垢にまみれた人達"が推し進めている、日本の初等・中等教育についても"一石を投じて"ております。

つまり、現行の大学入試を目指した「記憶力」に頼る"年表重視"の、歴史書・歴史教育では、「歴史的事実」が個別事柄として語られている場合が殆どです。

1番大事な「なぜそうなったのか?」と言う「相互間の因果関係・相関関係」が語られれいない場合が殆どで、「年号記憶」に終始しているわけです。

これでは、義務教育・高校教育を含めた一貫教育課程の「地理・世界史」が面白く無くて当然です!

なので、世情に無関心な「利己的で快楽を追い求める青少年」が増えてしまうわけです...

初等数学・科学教育(理科)に見る「多様性を認めない教育方針」が...

与えられた課題解決には幾通りもの"論理過程"があり、更に条件付け次第では"いくつもの解"も存在!します。

特に現状の初等教育における"算数教育"では、日凶素患部が干渉した検定教科書?に記載された「1つの論理過程、一つの解」である模範解答を金科玉条のごとく押し付けて!います。

これでは日常の問題に即応した「臨機応変な思考力」身に着けることはできません!

明日を担う未成年層が世界を知ることで「日本のTransport networkの将来」を真剣に考える大人に育つように...

「大きな視野・世界観」に下ずいて、Transport networkを冷静に"俯瞰"出来る「常識を兼ね備えた、ビジョンのある"大人"に育つ!」ことを願っています。

共産主義・独裁政権から日本を守る「国防」にも焦点を合わせ

世間知らずの未成年「鉄オタ」や、お気楽な「運輸族」代議士が、Communismやdespotismに汚染!されたexpert(researcher,Analyst,critic,)を装った協力者・内通者・売国奴たちのpropagandaにまんまと"乗せられないように"...

明るい日本の未来を願って...

(垢にまみれた研究者・大学教員・教育アナリスト?たち)"頭空っぽの理想酒義?者"に育てられた日凶素?の教職員が行っている"お花畑"で栽培?された

(次世代を担ってくれるはずの)"脳天気な若者たち"、

つまり金権慾"にまみれた守銭奴ども"運輸族"政治屋!の手先にされて、新線建設を煽るコンテンツに明け暮れている「鉄道傾YouTuber」のコンテンツを眺めるにつけ、日本の行く末を案じて投稿を続けているわけです。

狸穴総研 代表 出自多留狸

※ここをクリックすると総合目次に戻れます!

※hyper-linkについて

ハイパーリンクは事業者の Official Websiteを基本に、Wikipedia該当contentに直接リンクしてあります。

但し海外事情についての日本語版ウィキペディアは、英語版の"直訳"contentが多く、更に編集者(与党関係者?)に都合よいようにかなり"歪曲!"されたcontent(電子情報)が多いので、公正を期するために各国言語版 Wikipedia に直接リンクしてあります!

また、日本語版ウィキペディアは中学(教師)並み?の"直訳"が多いので、"意訳し直して"あります。

参)当サイト内関連記事 海外版Youtube 鉄道動画 と 各国語版ウィキペディアの勧め はこちら。

参)当サイト内関連記事 海外鉄道・ 空港関連 ご当地Wikipedia リンク集 はこちら。

思想(イデオロギー)に関するcontentについてのイエローフラッグ"糞"フラッグが多い!

特に歴史・イデオロギーに関するイエローフラッグは、ボランティア?で"管理人"としてウィキペディア事務局に関与している平和ボケした理想主義者、有識者?達が日"教祖"の偏向教育(大衆洗脳)方針に沿うように"注意喚起?"されており、ハッキリ言って"糞"フラッグです!

むしろ"糞"フラッグが立っているcontent(内容)のほうがfairness(公正)な立場の内容と言えなくもありません!

交通施策に関するcontentは運輸族のプロパガンダの温床に

但し、交通関係は、スポンサー(与党運輸族)の意向を強く反映しているので、イエローフラッグが警鐘(fairness)を鳴らしている場合もありますが...

更に、地名に関しては、Google地図検索を容易にするために、言語表記を基本に、(カナ表記)についてもGoogle 地図で使用されている「カナ使い」を使用しています。

又、引用句に関しては《XX語版》を明確にしています。

※但しhyper-link先は

  • ●日本語(カタカナ)表記は日本語版ウィキペディア
  • ●英語表記は 英語版 Wikipedia
  • ●オランダ表記は 欄語版 Wikipedia、ドイツ語表記は 独語版 Wikipedia、スペイン語は 西班牙語版Wikipedia 、イタリア語表記は 伊語版 Wikipedia
  • ●スランス語表記は 仏語版 Wikipédia、ポルトガル語表記は 葡語版 Wikipédia
  • ●ロシア語表記は 露語版 Википедия、
  • ●ラテン語表記は 裸展?語版 Vicipaedia
  • ●クネクネ文字?は 使用各国版 ويكيبيديا
  • ●中国語表記は Both China版 維基百科

にそれぞれ直接リンクしてあります。

※但しハングル表記 韓国語版 위키피디아 は著しく信憑性が無く!殆どが日本語版以下(50歩100歩?)の fake content なので無視!しました。(Red China版 維基百科のほうがはるかに信頼性があります!

当サイト内関連記事 日本語ウィキペディアが 鉄道(傾?)Youtuberから"こけ"にされる訳は... はこちら。

※ここをクリックすると総合目次に戻れます!

 

公開:2021年12月11日
更新:2022年6月17日

投稿者:デジタヌ

" 一帯一路 "新・万里の長城と Rusiann Gauge "鉄(道)のカーテン"との関係とは...TOPアジア横断鉄道 Trans-Asian Railway の理想ルートは 大圏コース !


 

 



▲近・現代史 と地政学から学ぶ ロジスティクスとは?へ戻る

 

ページ先頭に戻る