狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

鉄道 の 歴史 は荷馬車用の" 木道 "から始まった !

前書き(要約)Wagon-trail にtimber を並べた"木道!"(Road)が起源の"鉄道"

普段何気なく利用しているRailroad,transit交通機関)ですが、public transportation(公共交通)の地位を得るまでには、いろんな歴史がありました。

21世紀に突入した今、19世紀の1825年9月に開業した、steam locomotiveによる最初の自走型機械鐡道 (※00)Hetton colliery railway誕生から200年になろうとしています!

この発達史を振り返って、「鉄道の利点」「持続可能 な 鉄道事業」とは何なのかを考えてみました。

参※00)人馬に頼らない機械式鐡道・鋼索鉄道は、水力やsteam engineを用いたcable-railway、inclineとして、馬車鉄道同しや、Canal同しを結ぶinclined plane(斜面)に採用されていました。

馬車用の"木道"から始まった "鉄道" の歴史!. の目次

※リンクについて

(参※xx) は当サイト内の参照関連記事リンクです。
但し、その他の直接 hyper-link は当事者・関連団体の公式サイト若しくは各国語版Wikipediaへ直接リンクされています。

プロローグ 黎明期の鉄道は19世紀の 新幹線 !?

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嘗て黎明期の動力鉄道は、現状の新幹線同様に?passenger traffic(旅客輸送)にしか対応できないtransporter(輸送機)で、transfer line(輸送路)として利用するには不完全なtransit(交通機関)でした。

正しく19世紀のShinkansenだったわけです!

passenger traffic にしか対応できなかった理由は、初期のrolling stock(鉄道車両)では後述するようにpneumatic brake(エアブレーキ)が発明されておらず、brakeもついていない! benchを設置しただけのwagon(無蓋貨車:トロッコ?)(※01)にしか対応できなかったからです。

つまり後述するGeorge StephensonがproduceしたStephenson's Rocket(ロケット号)を用いて、1830年に開業した世界初のpublic transportation(公共交通)であるLiverpool and Manchester Railwayは、現在のTGV同様にpassenger railroad (旅客鉄道)主体のRoadでした。

参※01)日本ではVanがcargo用のtransporter(輸送機)を示し、wagonはluggage spaceを有した高級車のイメージが定尺していますがwagonは幌も無い単なる荷馬車にしかすぎません!

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第1節 " 鉄道 " の始まりは " 木道 "!

鉄道と言えば、"日本"では"2本"の"レール"を用いた軌道を走る"鉄道"を連想するboy & elderlyの"迷惑撮り鉄"と運輸族議員いわゆるrailway mania(鐡道狂・鉄オタ)"が多いようですが...

モノレールや、新交通システムのような「特殊走路・案内軌条」を走行するtransporter(輸送機)も、立派なrailroad"です。

元々日本語で言う「道;railroadとは、「専用走路・案内軌条」を指す単語で、荷馬車が走行する"木道"だったわけです!

英文で鉄道が、railway、railroadではなく度々Roadと略されて記述されるのはこのためです。

鉄道大国USAでも

つまり初期のアメリカ鉄道も、「木道」を使用した馬車木道?が主流でした。

馬車がtransporter(輸送機)として発達していた西欧では、

古くから自然にできた「車輪の"わだち"」部分に材木を敷き詰めて"降雨時のぬかるみ"対策とする手法が用いられていました。

16世紀のイギリスには無数のWagonway(馬車軌道)があったとされている。

その後レール(木道)は鉱山地帯における輸送に広く用いられ、当初は...樫の木が用いられていた...1738年、カンバーランドにおいて...木材の基盤の上に薄い帯状の鉄を貼り付け..カーブなど磨耗しやすい場所にだけ用いられていた。

1750年代頃になると、カーブだけではの前身となったなく全ての区間で鋳鉄の板を取り付けることが一般化した。

1767年、コールブルックデールの製鉄所技師、リチャード・レイノルズが...トロッコに使う...レールの両側につばが取り付けられて、車輪の脱落を防ぐ仕組みの(U字型レールを発明した)...

(その後)1776年、ベンジャミン・カーが...L字形のレールを発明...これにより車両の走行は格段に容易となった。《Wikipediaより引用》

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第2節 Flange 付き Train wheel と Iron rail の発明

1789年に多数のCanal (運河)を手掛けた土木技師のウィリアム・ジェソップが、今日一般的にみられるフランジのついたTrain wheelを用いたWheelset(輪軸)を発明しました。

同時に魚腹形レールのネズミ"鋳鉄"製のレールも発明しましたが、"もろい"ために折損事故が多発していました。

1803年にニクソンと言う人が"錬鉄"を用いたレールを考案しましたが、錬鉄製造技術による"コスト"の問題から普及しませんでした。

第1項 George Stephensonと彼が手掛けた鉄道

George StephensonStephenson's Rocket(ロケット号)の特徴はいろいろ言われていますが、その後の steam locomotiveの定番となったMultiple boiler fire-tubes「多管式の高圧"煙管ボイラー"」に始まり、Blastpipeなどの、数多くのInnovationsを取り入れたsteam locomotiveでした。!

しかし日本語ウイキペディアに記載されているような彼が発明した物ではなく!他のengineerが発明したmechanismをengineerごと丸抱えで拝借したにすぎません!

第1目 George Stephensonと言う人物は

日教組が監修(干渉した)!検定教科書ではsteam locomotiveの発明者となっていますが...?!

1802年に高圧ボイラーを用いた実用steam locomotiveを発明したのはRichard Trevithickリチャード・トレビシック)と言うengineerです。

G.Stephensonは元々運河建設に係る土木技術者で、機械屋さんではありませんでした、しかも十分な専門教育を受けたspecialist(専門家)でもありませんでした!

日本で言えば本田宗一郎のように独学で学んだ技術者で、更にどちらかと言えばengineerと言うよりはpromoter,superviserに近い人物でした。

但し、優れたInnovationsと、優秀なengineerを見つけ出して、積極的に重用する「高い見識」を持った人物でした。(なので後にアメリカに渡り北部の鉄道網建設に貢献した彼の息子Robert Stephensonにはengineerとしての専門教育を受けさせました)

第2目 Stephenson's Rocket

彼が発明したとされるStephenson's Rocket(ロケット号)は彼がproduceしただけで、実際の製作は彼の息子Robert Stephensonを代表者にして設立したRobert Stephenson and Companyで、R. Stephensonと彼のstaffのengineerが考案したものが殆どで、彼が自ら考案・発明したものは有りません!

更に、彼がsteam locomotiveを発明したのではない証拠に、Liverpool and Manchester Railwayでは機関車選択のための公開competitionを開催しており、多数の観客に見守られた中で、多くの"馬力機関車"!まで参加して、多数のsteam locomotiveが参加しており、Stephenson's Rocketはその中の1台にしかすぎません」!

第3目 世界初の実用steam locomotiveによる Hetton colliery railway

G. Stephensonが最初に手掛けた全長13㎞の世界初の陸蒸気鉄道Hetton colliery railway(1822年開業)は文字通りHetton Coal Companyの産出する Coal を輸送するための colliery railway(炭鉱鉄道)、mining railway(鉱山鉄道)でした。(※21)

この時に採用されたのが 別項に示す4 ft 8 in(1,422 mm)のOriginal Stephenson gaugeで(※22)トロッコを引いて約10mi/h(約16㎞/h)の速度で運行可能でした。

更に、イングランドでは、長らく、Freight Car(貨車)には制動装置(ブレーキ)が備わって無く!

10mi/h(約16㎞/h)と言うとんでもない低速運行をしていましたが!この鉄道は英国鉄道の貨物輸送の"ひな型"ともなった訳です。

これは、後述するpneumatic brake(エアブレーキ)が発明されて無く、比較的平坦な路線が多い(そのように建設した)イングランドでは取り扱い(配管接続)が面倒なpneumatic brakeが、長らく採用されなかったわけです。

参※21)collieryとは炭鉱施設全体を指す単語で、例えば嘗ての夕張炭鉱はYubari collieryと言うことになります。

参※22)当サイト内関連記事 鉄道における国家標準軌間と国際標準軌間?について はこちら。

第3目 Stockton and Darlington Railway

同じく彼が3年後に手掛けた、(passenger serviceも行う)full serviceの本格的なStockton and Darlington Railway(1825年9月開業)も、4 ft 8 in(1,422 mm)のOriginal Stephenson gauge!で敷設されて、no suspensionの& brake lessのrigid axleで構成されたFreight Car(貨車)、passenger car(客車)"正真正銘の「2軸 トロッコ」を用いた軽量トロッコ列車"が走行する、"世界初のpublic transportation(公共交通)でした。

Stockton and Darlington Railwayでは貨客混載列車が常用12 mph:19km / hの速度で運行されていました。

ちなみにこの時用いられたレールは28lb/yd((13.9 kg / m)の可鍛鋳鉄でjunctions(point部分)は57.5 lb / yd(28.5 kg / m)のネズミ鋳鉄レールが用いられて、後の延伸開業区間では33 lb / yd(16 kg / m)の可鍛鋳鉄製のレールが使われました。

可鍛鋳鉄とその後に登場した錬鉄と現在のはほぼ同じ強靭性があり、特に錬鉄は有名なエッフェル塔にも使用された鉄材ですが、ネズミ鋳鉄は硬度は有りますが脆性(ぜいせい;脆さ)があり、折損(割れる)する性質があります。

さらにこの時用いられた可鍛鋳鉄レールも、現在では(炭鉱の構内軌道用)軽レールに分類される、鋼鉄製のレールと同程度の耐荷重で、大きな軸重には対応できませんでした。

第2項 Liverpool and Manchester Railway

日教組が監修(干渉した)!検定教科書で、「世界初の鉄道」とされている1830年9月15日開業のLiverpool and Manchester Railwayは...

full service(貨客営業)を行う高速public transportation(公共交通)としては確かに世界初でした。

つまり鉄道は当時のTGV新線に当たる(旅客主体鉄道)でした。

この鉄道では、前途した2つの鉄道建設で名声を勝ち得たStephensonがproduceしたStephenson's Rocketがcompetition に勝利して採用されたわけですが...

流石に当時のstagecoach(駅馬車)同様にleaf springのsuspensionは備えていましたが、1st.classがCabin CarriageいわゆるCoachで、2nd. classがOpen Carriageつまりwagonに座席を付けただけの無蓋客車!の混成で運行されていました!

ちなみにこの鉄道では、大部分の区間で、建設当初は当時一般的だった50lb /yd(23kg/m)の"ネズミ鋳鉄"の"魚腹形レールを"飛び石"の上に固定して使用していましたが、どちらも「猫の大好物?」なので度々野良猫の被害にあい???折損事故が頻繫に発生していました。
(´∀`*)ウフフ ジョーダンです!

また一部区間に当たるChat Moss泥炭エリア(湿地帯)では前途した錬鉄製の15フィート(4.6 m)長さの35 lb / yd(17 kg / m)魚腹レールを使用していました。

更にこの区間では枕木をHerringbone pattern layoutに配置して「左右の沈下の均等性」を確保しました。(※23)

想像しずらいでしょうが、枕木が左右で夫々前後の枕木と接触して折れ線のように配置されたlayoutの事で、ヨーロッパの軟弱地盤地帯ではよく見られる枕木配置です。

参※★)現在泥炭や湖沼地帯などの"湿原"や、ツンドラ・タイガ地帯などの永久凍土地帯では...

USAで開発されたSleep latticeと呼ばれるLattice(格子状)のrug(敷物)grid-sleeperが、フロリダなどの湿原地帯での"不当沈下"を防止する目的で使用されています。

この動画で使用されている、軌道に埋設されたネット状のrug(敷物)が湖沼エリアの湿原での不当沈下対策に用いられるgrid-sleeperです!

貨物営業では苦戦

貨物営業では、当時Canal system(運河網)が完備されていたこのLocal Areaでは激しい競争に巻き込まれて苦戦しています! 

Liverpool and Manchester Railwayが19世紀のTGVとなったのは、貨物輸送を担うBridgewater Canalや、Macclesfield CanalなどのCanal が先に建設されていたからでした。

第1目 開業当初の度重なる脱線事故は

英語圏で一般的に"枕木"がsleeperではなくtieと呼ばれているのは、Track gaugeを規制するcross memberの役割を果たしているからです。

開業当初のLiverpool and Manchester Railwayではこのtieではなく「cross memberも無い飛び石」に固定されたrailを用いた軌道で、カーブなどでは過大な側圧でTrack gaugeが広がり脱線が頻繫に発生したわけです。

更に開業当初はspeed maniaの機関士が40 mph≒64 km / h!もの高速で運行したために、脱線転覆の大事故にも繋がったわけです。

開業半世紀も経過してから「枕を高くして眠れる」ように?

Liverpool and Manchester Railwayでは、鉄道が誕生して約半世紀が経過した1837年になり、やっと50lb /yd(23kg/m)の双頭レールを、一般的な"tie"に、clampで固定する軌道に改修されました。

つまり、開業当初はスピードは出るが(と言っても 開業後の改良型Planetで)、大量輸送(重量物輸送)には適していなかったのです。

つまり日本の整備新幹線と大して変わらない役立たずの代物(※24)でした!

お判りですか、speed maniaの"先代鳥徹"、運輸族御用達の"鉄棒頭"ご両人!(※25)

参※14)Stephenson's Rocketは、営業運行開始後に16mph≒26㎞/hで走行中にボイラーが爆発する事故と、40 mph≒64 km / hで走行中に動輪が壊れて脱線転覆する事故が発生して強度的に問題があることが発覚して、即刻改良型のPlanetに置き換わりました。

客車を引いての最高速度が40 mph≒64 km / h!、 Liverpool → Manchester間50 km を1時間で走った大記録(平均速度50km/ h)も打ち立てましたが...

実際の定期運行ではこの間の旅客列車の所要時間は2時間を要し表定速度25km/ h、ノーブレーキの貨物列車は8 mph≒13 km / h!に留まっていました。

つまり前途したStockton and Darlington Railwayの12 mph:19km / hより遅く、G.Stephensonが考え出したcross memberも無い飛び石作戦は明らかに失敗でした!

参※24)当サイト内関連記事 整備 新幹線 建設推進プロジェクト は国を亡ばす! はこちら。

※当サイト内関連記事 Vintage Car の系譜 とコーチビルダーの変遷 はこちら。

参※25)当サイト内関連記事 今どきの鉄道傾!Youtuber、タレント、シナリオライター、 コラムニストとは?... はこちら。

pneumatic brakeが発明されていなかった当時は

更に開業後の脱線事故の原因にもなっている、over speedの要因の一つは、前途したように当初は各車両にはbrakeも無く!下り坂での速度調節が難しかったことも遠因の一つですが...

pneumatic brakeが発明されていなかった当時は、開業後数年たってpassenger car(客車)では、各車両に1名ずつのbrakeing manが乗車して、手回し式のmechanical brakeを操作するようになりましたが...

Freight Carではそうもいかず、のろのろ運行(average velocity 8 mph≒13 km / h!)をする以外「停止する」手段は無かったわけです。

勿論"緊急停車"などと言う芸当は出来ませんでした!

(最もstation以外のほどんどの区間がbankと、切通、高架橋で建設された立体交差のshinkansenだったので、緊急停車の必要もありませんでしたが...)、

参※)※lbは1pound≒0.45359237 kg、ydは1yard≒0.9144 mを表す記号。

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第3節 Robert L.Stevens が発明した 平底レール

今日一般的にみられる、平底のI型(H型)軌条を、"枕木"に犬釘で固定する軌道は、George Stephensonの息子でアメリカ生まれの"アメリカ人"Robert Livingston Stevensが考案して、当時彼が社長を務めていたCamden & Amboy Rail Road and Transportation Company (1830年4月28日創業)が、1830年12月4日に着工した時に初めて採用されました。

この時用いられた平底レールは、当時長尺物の鍛錬技術が進んでいたイギリスで製造された錬鉄製のレールでした。

以後、後述するtranscontinental railroad(大陸横断鉄道)のゴールデンスパイクに代表される「レールを枕木に犬釘で固定」する軌道がアメリカンスタイルとして定着しました。

第1項 北海道初のcolliery railway官営幌内鉄道では

つまりアメリカ人の鉱山鉄道技師ジョセフ・ユーリー・クロフォードが建設を指揮して1880年11月28日に開通した官営幌内鉄道でも、アメリカのH.K.ポーター社製の蒸気機関車と共にこの方式が採用されたわけです。

更に、レールも鋼鉄製ではなく鉱山軌道(軽便鉄道)で用いられる15 kg/m(30ポンド/ヤード)の軽量錬鉄レールでした。

第2項 日本初のpassenger railroadでは

これに対してイギリス人のEdmund Morelが指揮した1872年10月14日正式開業の日本初のpassenger railroad 新橋駅(のちの汐留駅) ⇔横浜駅(現桜木町駅)間では、DARLINGTON IRON 社が製造した1870年製イギリス式双頭レールが用いられました。

規格については記述がありませんが、おそらく当時イギリスで一般的だった50lb /yard(23kg/m)双頭レールだったと推察できます。

材質については、1875年に六郷川橋梁が鉄橋に架け替えられた際に輸入された部材が"錬鉄"だったのでレールも同様の"錬鉄"だったと思われます。

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第4節 Steel rail の量産化と普及

1856年になってイギリスのSir Henry Bessemerにより転炉が発明され、同年シーメンス兄弟が平炉を発明しました。

翌年1857年に初めて転炉により製造された"鋼鉄製レール"を使用したのはイギリスのMidland RailwayDerbyでした。

1864年にはフランスのピエール・マルタンが平炉を改良して「鋼鉄の大量生産が可能」となりました。

更に1877年、イギリスのシドニー・トーマスの発明で"リン"を除去することが可能となり、これらの製鋼技術の進歩を受けて、"錬鉄製レール"に代わって鋼鉄製のレールが普及するようになりました。

(※つまり日本初の鉄道同様に19世紀末までは西欧でも錬鉄レールが主流だったわけです!)

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エピローグ Pneumatic brake が発明されて貨物輸送にも...

第1項 pneumatic brake

pneumatic brake(エアブレーキ)はアメリカ人のGeorge Westinghouseが1868年に山岳部(東部のアパラチア山系)の多いアメリカ東部の路線の為に考案・発明した鉄道車両用の制動装置です!

当初は現在のShinkansen同様に非力!なpassenger railroadでしかなかった鉄道も...

アメリカではpneumatic brake(エアブレーキ)の発明によりcargo transportation(貨物輸送)にも利用できるようになりました。

彼が発明したのは今でいう「鉄道車両用の直通ブレーキ」装置です。

(更に)1872年に自動空気ブレーキを発明...編成全体に引き通された1本のブレーキ管に圧縮空気を供給し、その減圧操作で各車両へブレーキ動作を指令する...システムで...ブレーキホースが断裂すれば空気の漏洩によって自動的にブレーキが動作...長大編成運行時の保安性が飛躍的に向上した。《Wikipediaより引用》

つまり1880年11月28日開業の官営幌内鉄道が実現したのもこの発明のおかげです!

第2項 linkage mechanical brake

linkage mechanical brakeはair brakeが発明されてからも、長らくbrake system の基幹をなす重要な mechanismとして存続し続けなした。

日本でも、各bogieの車輪部分の brake shoeそれぞれに直結する小型のbrake cylinderが一般化するまでは、

各車両に左右1対のmaster brake cylinderを配置して、長大なlinkageを介して制動していた時代が続き、各車両に船舶の操舵輪のような手回しハンドルが、emergency brakeとして装備されていたもので、初期のアメリカでは西部劇でよく見かける車両後部の手回し式のhandlebarがそれです。

"ボギー台車"と入力して画像検索してみてください、brake shoeがあるのにbrake cylinderが見当たらない、古いタイプのイコライザー式台車の国鉄TR10形台車や、ボールドウィンA形台車がそれです、小生は小学生のころから"脚フェチ?"の"台車鉄"で駅に電車が停車するたびに、bogieとブレーキ解除の瞬間に見入っていました!

小生が高校生のころまで走っていた近鉄電車にも露出した状態で備え付けられていました。

近年記憶に新しいところでは?"えちぜん鉄道"の前身の京福電鉄の車両がこのタイプで、大事故を起こしたわけです。

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《鉄道発達史とtraffic networkの変遷》関連記事集のご案内 

※以下の♥タイトルをクリックするとシリーズ記事全てにジャンプ!できます。

後書き《 geopolitics と logistics 》シリーズについて

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当シリーズではLogistics(兵站)とGeopolitics(地政学)に関する"話題"を取り上げていますが...

同時に現状の"垢にまみれた人達"が推し進めている、初等・中等教育についても"問題を投げかけ"ている!

つもりです。

ポイント切り替えを誤った"狂育路線"が...

つまり、現行の大学入試を目指した「記憶力」に頼る"年表重視"の、歴史書・歴史教育では、「歴史的事実」が個別事柄として語られている場合が殆どです。

1番大事な「なぜそうなったのか?」と言う「相互間の因果関係・相関関係」が語られれいない場合が殆どで、「年号記憶」に終始しているわけです。

これでは、義務教育・高校教育を含めた一貫教育課程の「地理・歴史」が面白く無くて当然です!

更に初等数学・初等科学教育(理科)においても

与えられた課題解決には幾通りもの"論理過程"があり、更に条件付け次第では"いくつもの解"も存在!します。

特に現状の初等教育における"算数教育"では、日凶素患部が干渉した検定教科書?に記載された「1つの論理過程、一つの解」である模範解答を金科玉条のごとく押し付けて!います。

これでは日常の問題に即応した「臨機応変な思考力」身に着けることはできません!

地政学そのものについて迄「枠にはめよう」!と...

最近、地政学アナリストを装った"正体不明の人物(団体?)"が、「判りやすい地政学入門シリーズ」と称して、Youtubeに"静止画投稿"を始めましたが...

彼らは「日本における「地政学」(独: Geopolitik)の学説」を盾に、地政学を狭い範囲に押し込んで、「広い意味での地政学geopolitics」から関心をそらそうとプロパガンダ!しています。

geopoliticsはborder(国境)territory(実効支配地)のlife lineであるtraffic networkつまりはlogistics(兵站学)とも密接に結びついていて、国防と密接な関係!にもあるわけです。

なので、USAでさえ時代(政権)によっては、"迫害"を受けてきた研究分野!でもあるわけです。

更に、その成り立ちから、戦後の日本では「垢にまみれた狂育者たちに毛嫌いされてきた"研究分野"」でもありますが...

地政学には学会は存在しない!

更に、世界的に統一された学会・協会(特殊法人)も存在しません!

(※NPO法人 国際地政学研究所はあるようですが)

日本では地理学の一分野とされているようです。

つまり前途したように、"研究分野(Theme)"ではありますが、一部の"職者?(思想家)"が唱えている様な狭義の「単なる学説」に則った"学問分野"ではありません!

地理学、経済論(経済学)、文明論(文化人類学・歴史研究・言語研究・政治学・社会学)、思想論(哲学・宗教)、心理学!(群集心理)にまで跨る、

「民の営み・暮らし向き」文化圏・生活圏・経済圏どうしの"相関関係"を、為政者(国家権力)間の力関係(軍事力)ではなく、communityどうしの相関関係で解き明かそうとする"実践論"の研究Theme"なのす。

つまり、小生が属していた"非破壊検査協会"のような多方面の学問分野に跨る"応用研究分野・実践論"なのです。

つまり、♥"タブーの無い自由な発想"を展開できる研究分野!なのです。

なので中共でもっとも進んでいる!研究Themeでもあるわけです。

"彼ら"中国人民政治協商会議中国共産党中央統一戦線工作部)にとって日本の地理学会の活動は、脅威でもあり・目障り!でもあるわけです。

つまり、単なる"学説"をネタに地理学会を分裂させて、このThemeに対する"日本の研究"をカオス(混沌)に導いて自らの優位性を維持しようとしているわけです!

明日を担う未成年層に、世界を知ることで日本の鉄道網の将来の姿を考える大人に育つように...

当シリーズでは、日本の鉄道網を中心に、日本国内事情だけではなく「人類皆兄弟!」が営む「地球規模での国家間の力関係(軍事力)、相互干渉(外交関係)」から考察して、21世紀の日本のLogistics、transportation(運輸)、Transport network のあるべき姿を探っています。

同時に未成年の「鉄オタ」や、某国のプロパガンダに乗せられた一部のお気楽な運輸族代議士が"ぶち上げた馬鹿げた整備新幹線建設推進プロジェクト妄想"に踊らされないで済むように、

「大きな視野・世界観」に下ずいて、鉄道事業を冷静に"俯瞰"出来る「常識を兼ね備えた、ビジョンのある"大人"に育つ」ことを願って寄稿しています。

勿論小生は右翼(金権慾?)ではありませんが...

赤(垢)にまみれた日凶祖?の教職員や、それを先導(煽動)している研究者・大学教員・教育アナリスト?たちのような"頭空っぽの理想酒義?者"でもありません!

次世代を担ってくれるはず?の"脳天気な若者たち"と、金権慾"にまみれた"お気楽な運輸族"の発言・政治活動と、その手先にされている「鉄道傾YouTuber」のコンテンツを眺めていて、日本の行く末を案じているだけです!

狸穴総研 地理学研究班 出自多留狸

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Red China版 (维基百科,自由的百科全书 )のほうがはるかに信頼性があります!

参※991)当サイト内関連記事 両班(ヤンパン)3悪に翻弄され続ける韓国国民と日韓関係 はこちら。

イデオロギーに関する日本語版ウィキペディアのイエローフラッグ"糞"フラッグが多い!

特に歴史・イデオロギーに関するイエローフラッグは(管理人"としてボランティア?で"ウィキペディア事務局に関与している)平和ボケした理想主義者、有識者?達が日"教祖"の偏向教育(大衆洗脳)方針に沿うように"注意(Communism!)喚起?"しており、ハッキリ言って"糞"フラッグ!です。

むしろ"糞"フラッグが立っているcontent(内容)のほうがfairness(公正)な立場の内容と言えなくもありません!

交通施策に関するcontentは運輸族のプロパガンダの温床に

但し、交通関係はYoutuberが虚仮にしているように、スポンサー(与党運輸族・財界)の意向を強く反映しているので、universality(普遍性)に欠けたprivate document(私文書!書簡)に下ずく刊行物やマニア向け雑誌を引用しているcontentが大半で!

Academic(学術亭)ではないcontentに"正当なfairness(警鐘:イエローフラッグ)"を警告している場合もあります。

※当サイト内関連記事 日本語ウィキペディアが 鉄道(傾?)Youtuberから"こけ"にされる訳は... はこちら。

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公開:2021年12月 7日
更新:2022年11月24日

投稿者:デジタヌ

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