狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

沿線利用者に見捨てられたピーチライナーを復活?鉄オタ共は狂っている!

前書き(要約)ピーチライナーは「粗悪交通効カン」だった

(※以下 直接リンクは事業者公式Website、Wikipedia該当項にリンクしてあります。)

1㎞当たり42億、総工費313億円も掛けて建設した、利用者にとって殆ど利便性のない「新都市・交通効(キ)カン?!」ピンチライナー!

たったの15年でお払い箱となった"粗悪交通効カン!"の建設茶番劇"の顛末記。

※2008年に初稿「一か八かの大博打に破れた小牧市のピーチライナー建設?」を公開して、小牧市民の方からも、同感いただいたコラムのリメイク版です。

ピーチライナー が『ピンチライナー?』になって消えた訳 の目次

※リンクについて

(参※xx) は当サイト内の参照関連記事リンクです。
但し、その他の直接 hyper-link は当事者・関連団体の公式サイト若しくは各国語版Wikipediaへ直接リンクされています。

プロローグ もしも LRT を建設していたなら...

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総工費313億円!1㎞当たり42億、(※01)も投じて建設した"ピンチライナー"がたったの15年でお払い箱となったわけですが...

もしも、"ゴム輪有蓋貨車!"の代わりに快適なLRTを建設していたなら...

更に、ケチらずに本来の「新都市交通システム」としていたら...

2003年の上飯田線以降は、右肩上がりで沿線利用客が増えていて、今も活躍し続けていたかもしれません?!

ある意味堅実な「小牧市」当局(※02)の姿勢が、中途"半端"な有蓋貨車!を誕生させてしまったのかもしれません。

参※01) 「ナチュラルバリアフリー」を最大の特色「売り」とするLRTなら、2017年現在ですら総事業費15億から25億円/Kmで敷設出来て、しかも早くて(設計最高時速75Km/h)乗り心地の良い、空調完備の新型超低床トラムカーのオマケまでついてきます!

つまり2/3の総事業費185億(/2017年現在)以下で開業出来ていました!

しかも日本初の新型低床トラムカーは1997年登場の熊本市交通局9700形車両は、ピーチライナーを手がけた旧新潟鐵工所(現新潟トランシス)製で、しかも1980年4月の 小牧 ⇔桃花台間の軌道事業の特許取得段階には、ヨーロッパ各地でLRTへの関心が高まっていました!

参※02)当サイト関連記事 小牧市市民会館ホール 《 ホール 音響 ナビ 》新生 中部フィルハーモニー交響楽団 のフランチャイズホール はこちら。

超低床車両の登場は

現代的な超低床トラムカーの登場は、1984年にスイスジュネーヴで登場したACMV社が製造した2車体連節車のBe4/6形(部分低床車両)とされています。

更に車内全体が低床構造となっている100%低床車としては、イタリアのソシミ社が1989年に発表した4軸ボギー車のS-350が世界初の事例とされていて、動力台車の外側に各車輪専用の主電動機を取りつけた方式で、この方式は後にABB社と共同開発したユーロトラムとして普及しました。

本当の世界初の超低床トラムは日本!で...

しかしこの分野の先駆者は日本の現総合車両製作所の母体となった東急車両が、

1955年!に製造した東急デハ200形電車ではないでしょうか!

長さ10,200mm、幅2,300mmの2車体を連接台車で結合した連接車で、車輪径510mmΦという特殊車輪(※01)を用いて、1955年!当時の世界最低床・床面高さ590mm!(※02)という低床構造を実現していました。

つまり、最終的に1987年5月の有人運転システム!に変更認可申請で当初計画がズタボロになったピーチライナー計画など新都市交通システムに拘らなければ、LRT計画に変更しておけばその後の展開が...

1982年2月5日開業(1980年着工!)のポートライナー(※03)同様に、当時の通産省と新都市交通システム開発魏妖怪連合にしてやられた!...という事でしょう。

参※01)一般的な路面電車は660㎜Φ、通勤型車両で動輪径860㎜Φ

(※02)最新の超低床車両(広島電鉄5200形電車)では床面高さ 360 mm(330 mm /入口部)といったところが一般的ですが。一般的な路面電車(東京都交通局9000形電車)では約790㎜程度、つまりペコちゃんは200㎜もの低床化を実現していました!

参※03)当サイト関連記事 異人館の街並み" 神戸 北野通り "にはサフェージュ式モノレールが良く似合う! はこちら。

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第1節 ピーチライナーとは?

(※本コラムは、2008年6月29日に旧タヌキが行くで初稿公開したコラムに加筆修正したコラムです)

(2008年6月当時)休日に何気なしに、「廃線関連のWEB」を巡っていたところ、とんでもない記事を発見した次第です!

ピーチライナーが2006年10月1日に廃線になっていたのでした!

第1項 利用者無視のピンチライナー

ご存じない方のために、「ピーチライナー」とは愛知県小牧市の小牧駅と桃花台ニュータウンを結んでいた新都市交通システムでした。

開業当時は、名古屋中心部へのアクセスが甚だ悪かった、名鉄小牧駅をハブステーション(結節駅)に選ぶと言う、利用者にとっては利便性の殆どない「粗悪交通効カン」でした。

中央道をよく利用される方なら、現在(2007年当時)も撤去されずにハイウェーから眺めることができる、(※00)終点の桃花台東駅の先にるループ線が気になる存在としてよくご存じのはず!

小生も同線の高架下の県道も含めてこのエリアを良く利用していました。

参※00)2021年現在撤去工事が進みほとんどの区間では"廃墟"は無くなっています。

原爆ドーム同様に、人類の愚かさ"負の遺産の象徴"として教訓として一部を"モニュメント"にして残すべきではなかったのでしょうか?

但し、首謀者?の愛知県が、一般道に転用を考えていた小牧市の要望を無視して!証拠隠滅?の為に全線撤去の方針を打ち出しています!

第2項 「関係省庁のエゴ」と「当事者の利害」が...

本来公共交通は「地域住民の利便」が最優先されるべきであるのに、
現実には「関係省庁のエゴ」と「当事者の利害」が最優先されていたようです?!

ピーチライナーの利用者無視は甚だしいもので、地上10数mを走る高架線、あるにもかかわらず、エレベータや、エスカレータなどの「ユニバーサルデザインは一切採用されて無いバリアフル!路線」でした!

沿線の老齢者や身体障害者、いわゆる交通弱者は病院通いに利用することも叶わず「タクシー」を利用して、病院通いをする有様!でした。

際3項 「新都市交通」とは名ばかりの、まるで「前時代的有蓋貨車?」

新潟鐵工所ご自慢?の車両は、特命を条件に「足下を観られ」て、

幾度となく仕様変更された挙句に、「鈍い!(営業運転最高速度30Km/h程度!)」「狭い!」「空調無し!」「片側扉!」「ノーパンク・ソリッドタイヤ!」「サスペンション無し!」の廉価版粗悪品仕様!に仕上がってしまいました!

1987年5月 建設途中での有人運転システム!への変更認可申請で

前途したように当時すでに1982年2月5日開業(1980年着工!)の神戸市のポートライナーで実用化していたATO(全自動運行)が、予算削減の為に、1987年5月 「運転手付き!」の「全手動運転!」に変更されました!

その結果1974年3月の新交通システム (AGT) 計画当初にメーカーが提案したプランが、徹底的にコストダウン?(スペックダウン!)を図った、当初計画とは似ても似つかない、廉価版の粗悪仕様!となり果てて...

納入された車両は「新都市交通」とは名ばかりの「空調設備も持たない"有蓋貨車"」に成り果てていました。

サスペンション無し!ゴム製キャスター?台車の劣悪な乗り心地は、当時まだ生き残っていた『鉄道貨車より酷い乗り心地...』と評され、全く取り柄の無い代物でした!

しかもピーチライナー専用の車両であったため、廃線後の引き取り手も無く、たった15年間の使用でスクラップ!(鉄道車両の耐用年数は通常数十年)にされてしまった!

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第2節 高度成長期とバブル景気が生んだ"とんでもない"負の遺産!

何故「とんでもない」のかと言うと、同線の開業は1991年3月25日、廃止が2006年10月1日、つまりたったの15年と6ヶ月余りで廃線!となった事実です。

第1項 313億円も掛けて建設した鉄道がたったの15年でお払い箱!

313億円も掛けて建設した鉄道がたったの15年でお払い箱となり、更に撤去費用に100億円の巨費を要すると言われており2021年現在ですら、完全撤去の時期については目途が立っていません!

第2項 コンナ馬鹿げたことが"何故"起こってしまったのか?

色々言われていますが、一言で言うなら「需要の無いところに鉄道を引いてしまった!」という事ではないでしょうか...

桃花台ニュータウンの入居者は

桃花台ニュータウンの住人達は当局の意向に反して?同線を利用することなく、隣の春日井市にあるJR春日井駅を、毎日の主要アクセスターミナルに選んでしまった訳です!

どうして住人達が、自主運営のチャーターバスを走らせ迄。

春日井駅へのアクセスに拘ったのか?...

同駅を乗り換えターミナルに選んだのか?...

いや選ばなくてはならなかったのか?...

また当局は、どうして近くを走るJRを無視して、ニュータウン住人のアクセス計画を立てたのか?

更に、市当局が何故1㎞当たり42億円、総工費313億円!もの巨費を投じてまで、7.4㎞の区間に新都市交通を建設しなければ成らないと判断したのか?

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第3節 高度成長期の政怪・魏妖怪の野望! 

時系列で追う桃花台ニュータウン妄想と新都市交通システム謀略!

1968年8月21日   愛知県が桃花台ニュータウン建設計画を発表

1971年(昭和46年)3月 - 愛知県が「中京圏陸上交通整備調査会議」(諮問機関※21)を設置。

「小牧 ⇔高蔵寺間を結ぶ中量ガイドウェイシステムによる公共輸送路線」(※22)を検討。
計画人口5万4000人 桃花台ニュータウンの都市計画を発表!

参※21)当サイト関連記事 交通政策審議会 は 運輸族 のご意向を窺う お抱え蘭学者? はこちら。

参※22)当サイト関連記事 『 ゆとりーとライン 』を 延伸 すれば小牧市の旧"ピンチライナー?" の2の舞に... はこちら。

1972年4月  桃花台ニュータウン都市計画事業認可

1974年3月   新交通システム (AGT) の導入を前提に!愛知県(愛知県庁企画部交通対策室)が「地方計画推進プロジェクト会議」諮問機関を設置!

1974年4月1日 -桃花台線担当部署として愛知県庁企画部交通対策室設置。都市計画案を作成!

1975年度に事業着手、1982年度に完成予定。初めに「小牧駅 - 桃花台間」、次に「桃花台 - 高蔵寺駅間」という2段階での建設計画。総建設費245億円。1日辺りの利用者予想は4万3000人で、ピーク時には1時間に7000人を想定。開業初年度は、1日1万人を想定。

1976年(昭和51年)3月25日 - 桃花台線(仮称)建設計画会議(1974年8月設置の諮問機関)が、桃花台線の基本計画を採択!

1978年8月 - 愛知県「桃花台線技術調査会」(諮問機関)設置。
同年12月6日 - 桃花台新交通㈱の第1回発起人会開催。
同年12月26日 - ニュータウン計画人口、4万7000人に下方修正。

桃花台線の1日の利用者予想、最大2万3000人に下方修正)

ドタバタ奇怪劇(きかげき)!前奏曲の始まりは1979年

1979年6月 - 軌道法による軌道事業特許申請(1月 - 桃花台線基本事業計画決定
同年10月 - ニュータウンの宅地分譲開始。
同年12月3日 - 愛知県、小牧市、名鉄などの出資で桃花台新交通株式会社設立。

※つまり、運行会社が決まらないままに、県によってピーチライナーが申請されていた!

愛知県流ピンチライナー"追認都市計画"の発車は1980年の桃花台開村!から

1980年4月 - 事業主体 愛知県土木部道路建設課・桃花台線担当課設置。
1980年4月26日 - 小牧 ⇔桃花台間の軌道事業の特許取得

同年7月 - 桃花台線都市計画決定。

同年8月 - 桃花台ニュータウンの入居開始。

桃花台線の代行バス運行開始(小牧駅⇔桃花台ニュータウン間)。

※何(桃花台新交通㈱?)の代行バス?

1981年12月 - 高架軌道着工!
1982年1月29日 - 着工祝賀式?開催。
同年4月 - 桃花台線都市計画変更。駅・車両基地の区域変更。
同年10月 - 桃花台ニュータウン計画人口が、約4万人に下方修正。

(※桃花台線の1日の利用者予想、路線計画時の1/2以下!約2万人に下方修正、つまりこの時点ですでに採算割れ確実に!)

1984年(昭和59年)4月  国・愛知県が桃花台ニュータウンの都市計画事業変更(下方修正)認可

1985年1月 - 代行バス増便。小牧市が、代行バスの回数券および定期券に対する補助を開始。

バブル景気とピンチライナー!への路

1986年12月 バブル景気始まる!

1987年5月 - 有人運転システム!に変更認可申請。(翌年3月 認可)
1991年3月25日 - 桃花台線(小牧 ⇔桃花台東間)開業。

  • ●運賃初乗り180円、小牧駅 - 桃花台東間が300円。
  • ●1時間当たり、ラッシュ時5本、昼間4本、早朝・深夜3本。1日片道70本、休日64本。

で運行開始。

1991年2月バブル景気消泡!

2001年1月  中央省庁等改革基本法に基づき、中央省庁再編で1府12省庁に移行される。(建設省+運輸省→国土交通省誕生!)

2006年10月1日 - 全線廃止

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エピローグ 本末転倒の茶番劇!についてのファンタジー

『 愛知県には山師が...』

今も昔も『 愛知県では山師(ヤマシイ)・怪しい方々が暗躍されているようで...』

前節の時系列を追えば明々白々ではないでしょうか?

ニュータウン住人のアクセス手段選定の過程で、単なる選択技の一つ(※10)であったはずの"新都市交通建設"が、何時のまにやら"目的"と化して、"小牧市が新都市交通システムを建設するための路線探し?"のターゲットとなってしまったのでは無いでしょうか...

小牧市の市域!にニュータウン造成」を行う条件として

桃花台交通のトリガーとなった「桃花台ニュータウン計画」が小牧市に立地しているために、春日井市を通過しJR春日井駅に至る経路などでは有っては成らず!

当時名古屋中心部へのアクセスが甚だ悪い名鉄小牧駅(※11)をターミナルに選ぶコースと成ったのでしょう!

小牧市の市域!にニュータウン建設」を行う条件として、"市民のアクセスの確保?"を大儀名分・錦の御旗?にかざして、当時全国のニュータウンが注目していた?"新都市交通システム"建設を、造成主体の愛知県が、共謀した?都市再生機構(旧 住宅・都市整備公団)と当事者である小牧市に持ちかけた...とまあコンナ所ではないのでしょうか?

結果この茶番劇で得をしたのは誰なのでしょうか?...

結果この茶番劇で得をしたのは誰か、言わずと知れた鉄道魏妖怪(ギョーカイ)!建設業者と車両メーカー、付帯設備を担当した設備メーカー、施工業者などの都市交通魏妖怪(ギョーカイ)!と、莫大な見返り(政治献金・選挙協力)で潤った先生方だけではないでしょうか?...

反対に損をしたのは、"建設費を上乗せされた桃花台ニュータウンの入居者達"と、"建設費を負担した小牧市民"、そして同じく補助金と言う名目の税金を醵出させられた我々国民と言うことになるでしょう!

参※10)当サイト関連記事 鉄道 は陸上旅客輸送の1手段にしか過ぎない!はこちら。

参※11)ピーチライナー建設営業当時(1991開業-2006年廃止)名鉄小牧線は起点:上飯田駅 終点:犬山駅間(20.6Km)の孤立路線で有り上飯田駅⇔地下鉄名城線平安通駅間はバスか徒歩連絡しか手段が無かった。(小生も仕方なく橋を渡って徒歩連絡した経験があります。)

2003年になってやっと上飯田駅 ⇔味鋺駅間が地下化され名古屋市営地下鉄上飯田線(上飯田ー平安通駅間)と相互直通運転を開始してやっと平安通駅迄到達しました、これに先立つ12年前の1971年にすでに開通していた名城線金山⇔大曽根間と平安通駅で連絡・乗り継ぎで名古屋中心部の栄駅に、到達できるようになったわけです。

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附節 読者の反応 "桃花台線の建設問題と廃止からトラムや今後の鉄道建設を考える"

《07/03/2008 17:01:32》 kyu3さん のレスポンス投稿

こんにちは。私は桃花台ニュータウンに住んでいます

「需要の無いところに鉄道を引いてしまった!」
単なる選択技の一つであったはずの"新都市交通建設"が何時のまにやら"目的"と化し"小牧市に新都市交通システムを建設するための路線探し?"となってしまった・・・

私もその通りだと思います。
結果から見ても明らかな通り、この鉄道は建設する事が目的、建設業者や関連業者が儲かる事が目的で、住民の事はまったく考えられていなかったと思います。

不便な名鉄小牧線への接続、不便で使いづらい駅、乗り心地の悪い車両、そのうえ運賃は高く、スピードも遅い。
こんなひどい鉄道をニュータウン住民は押しつけられた上、建設費用の一部をニュータウン整備費用として負担しています。

桃花台新聞 : 分譲住宅の価格に桃花台線の建設費用が上乗せ!?
http://toukadai.exblog.jp/3401508

ニュータウン整備費用から流用する形で桃花台線の費用が出されたのですが、この流用は何の法律的根拠もなく、「明らかに違法だ!」と言っている人もいます。
しかもこの流用を愛知県が認めたのは、廃止決定直前の2006年1月。それまで愛知県は存在すら否定していたそうです。
しかもおかしいのは、ニュータウン以外の沿線地域では、桃花台線の整備費用を一切負担していない("小牧市の税金"と言う形で負担しているでしょうが、ニュータウン住民のように街の整備費用を名目に、住宅の価格や家賃に上乗せされていないそうです。)こと。
ようするに愛知県は「取りやすいところから取った」(桃花台線建設計画決定時には、ニュータウンには誰一人住んでいませんでしたから、誰も反対しようがありません)と言うところなのでしょう。
そのうえJR春日井駅行きのバスは住民が望んだにも関わらず、市は桃花台線を理由にバスの運行を認可せず・・・

まったくもってひどい話です。
桃花台線は桃花台ニュータウンやその他の沿線地域、ならびに小牧市や愛知県全体にとっても、過去・現在・将来にわたって巨大な負担を強いる、まさに負の遺産と言ったところでしょう。

この記事の表題(これでいいのか公共交通 誰のためのトラム建設? )に関してですが、作者さんは「あまり無計画に鉄道を作るなよ!」と言いたいのだと思うのですが、私もそう思います。
もちろん鉄道はこれからも重要で、ヨーロッパなどではトラムが素晴らしい交通機関として活躍しているのは知っていますし、日本でも富山県のライトレールが成功しているのは知っていますが、安易に流行りみたいに作るのではなく、需要や数十年先の街作りなどをしっかりと考えたうえで、鉄道ないしトラムを建設してもらいたいです。

長々とコメントして、すいません。m(_ _)m

返礼

小生の駄文にお付き合いいただいた上に、熱の入った貴重なコメントありがとうございました。
当事者の方から、このような貴重なご意見をいただけるとは思ってもおりませんでした。
小生の、意図をおくみいただき、体験をお聞かせいただき感謝いたしております。
1人でも多くのかたに共感いただき、無駄とわかっている公共投資を少しでも防げるよう、これからも吠え続けたいと思っております。
ありがとうございました。

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後書き《 abandoned railroad 》シリーズについて

明治維新後の文明開化で訪れた陸蒸気幹線の発達と共に、日本各地で民間資本による"軽便ブーム"が起こり、その多くが昭和に至るまで大活躍していました。

今風に言うなら LRT 網と言うことになります!

そしてその多くがabandoned railroad(廃線)となって"天に召された"わけです...

これらは、市街地を駆けまわる"チンチン電車"網であったり、都市圏交通を担うインターアーバン(都市圏電気軌道)であったり、鉄道幹線(大都市)と港町を結ぶ臨海鉄道・臨港鉄道、山間部を縫う森林鉄道、更には1960年代まで北海道で大活躍した"殖民軌道"などなど...

更には、準LRTと言っても過言ではない地方ローカル線が例に挙げられるでしょう。

これらのabandoned railroad達にスポットを当てて、陸上交通における"ローカルエリア鉄道"が担ってきた役割とその"生い立ち"、更には"消えていった背景"を考察して、トランスポーターとしての『 鉄道の将来 を考えてみました!

狸穴総研 交通問題研究所 出自多留狸

 

公開:2008年6月29日
更新:2022年8月17日

投稿者:デジタヌ

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