狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

大成功したBNSFと事業破綻したミルウォーキー鉄道から学ぶ「持続可能な鉄道事業」の姿とは...

前書き(要約)黎明期の鉄道は、19世紀の新幹線?

黎明期の旅客鉄道は新幹線同様に不完全なtransporter!だった

嘗て黎明期の動力鉄道は、現状の新幹線同様に?passenger traffic(旅客輸送)にしか対応できないtransporter(輸送機)で、public transportation(公共交通)として利用するには不完全なtransit(交通機関)でした。

正しく19世紀の新幹線だったわけです!

Liverpool and Manchester Railwayは貨物を運べなかった!

passenger trafficしか対応できなかった理由は、初期の鉄道車両ではエアーブレーキが発明されておらず、手回しの「機械式ブレーキ」しか装備されてなく、軽い無蓋客車(トロッコ?)にしか対応できなかったからです。

つまりGeorge Stephensonが開発した(※00)したロケット号で、1830年に開業したLiverpool and Manchester Railwayは現在のTGV同様にpassenger railroad (旅客鉄道)主体のRoadでした。

参※00)蒸気機関車その物は1802年にRichard Trevithickリチャード・トレビシック)と言う人が発明して、土木技師・鉄道技術者?だったGeorge Stephensonは当時の先端技術の数々を取り入れて蒸気機関車を改良して「実用的なロケット号」を開発したにすぎません!

長距離旅客鉄道は前世紀の遺物!

アメリカでは旅客主体の長距離鉄道はミルウォーキー鉄道を最後に前世紀中に消滅!しています。

アメリカでは、鉄道事業はBNSFに代表されるように、貨物輸送を基軸とした運輸事業に変化しています。

BNSFとMilwaukee Roadから学ぶ「持続可能な鉄道事業」実現のための教訓とは... の目次

※リンクについて

(参※xx) は当サイト内の参照関連記事リンクです。
但し、その他の直接 hyper-link は当事者・関連団体の公式サイト若しくは各国語版Wikipediaへ直接リンクされています。

プロローグ 英語圏で鉄道がRoadと略される理由は..

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参)当サイト内関連記事 英語圏でよく使われる慣用句表現 はこちら。

第1項 軌道の歴史

鉄道と言えば、"日本"では"2本"の"レール"を用いた軌道を走る"鉄道"を連想するかたが多いようですが...

モノレールや、新交通システムのような「専用走路・案内軌条」を走行するtransporter(輸送機)も、立派な"鉄道"のように。

元々日本語で言う「鉄道」とは「専用走路・案内軌条」を指す単語で、荷馬車が走行する"木道"

英文で鉄道が、railway、railroadではなく度々Roadと略されて記述されるのは...

元々馬車用の簡易舗装「木道」から発展した"馬車木道・馬車鉄道から動力軌道に発展した経緯(いきさつ)によります。

つまり初期のアメリカ鉄道も、「木道」を使用した馬車木道?が主流でした。(※01)

馬車がtransporter(輸送機)として発達していた西欧では、

古くから自然にできた「車輪の"わだち"」部分に材木を敷き詰めて"降雨時のぬかるみ"対策とする手法が用いられていました。

16世紀のイギリスには無数のWagonway(馬車軌道)があったとされている。

その後レール(木道)は鉱山地帯における輸送に広く用いられ、当初は...樫の木が用いられていた...1738年、カンバーランドにおいて...木材の基盤の上に薄い帯状の鉄を貼り付け..カーブなど磨耗しやすい場所にだけ用いられていた。

1750年代頃になると、カーブだけではなく全ての区間で鋳鉄の板を取り付けることが一般化した。《Wikipediaより引用》

参※01)当サイト内関連記事 火車(汽車)が牽引した"ひのくるま!鉄道事業 "を振り返る! はこちら。

第1目 1776年にガイドレールが発明されて以降色々な発明が...

1767年、コールブルックデールの製鉄所技師、リチャード・レイノルズが...トロッコに使う...レールの両側につばが取り付けられて、車輪の脱落を防ぐ仕組みの(U字型レールを発明した)...

(その後)1776年、ベンジャミン・カーが...L字形のレールを発明...これにより車両の走行は格段に容易となった。《Wikipediaより引用》

フランジ付き車輪と金属レールの発明

1789年に多数のCanal (運河)を手掛けた土木技師のウィリアム・ジェソップが、今日一般的にみられるフランジのついた車輪を発明しました。

平底レールの発明

今日一般的にみられる、平底のI型(H型)軌条を、"枕木"に犬釘で固定する軌道は、George Stephensonの息子でアメリカ生まれの"アメリカ人"Robert Livingston Stevensが考案しました

以後、後述するtranscontinental railroad(大陸横断鉄道)のゴールデンスパイクに代表される「レールを枕木に犬釘で固定」する軌道がアメリカンスタイルとして定着しました。

日本初のcolliery railway官営幌内鉄道は

つまりアメリカ人の鉱山鉄道技師ジョセフ・ユーリー・クロフォードが建設を指揮して1880年11月28日に開通した官営幌内鉄道でも、アメリカのH.K.ポーター社製の蒸気機関車と共にこの方式が採用されたわけです。

第2目 鋼鉄製レールの量産化と普及

更に1877年、イギリスのシドニー・トーマスの発明で"リン"を除去することが可能となり、これらの製鋼技術の進歩を受けて、"錬鉄製レール"に代わって鋼鉄製のレールが普及するようになりました。

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第2項 pneumatic brakeが発明されて貨物輸送にも..

pneumatic brake(エアブレーキ)はアメリカ人のGeorge Westinghouseが1868年に山岳部(東部のアパラチア山系)の多いアメリカ東部の路線の為に考案・発明した鉄道車両用の制動装置です!

当初は現在のShinkansen同様に非力!なpassenger railroadでしかなかった鉄道も...

アメリカではpneumatic brake(エアブレーキ)の発明によりcargo transportation(貨物輸送)にも利用できるようになりました。

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第1節 USAでのPacific Railroad Actsの成立とrailway systemの発達

Pacific Railroad Acts(太平洋鉄道法)の成立でtranscontinental railroad(大陸横断鉄道)の建設が進みアメリカ全土をカバーするrailway system(鉄道網)が完成したわけです。

米墨戦争に勝利したアメリカが1848年2月2日のグアダルーペ・イダルゴ条約締結で停戦して、Mexican territory(メキシコ領)だった旧Virreinato de Nueva Españaを格安で手に入れた訳ですが...

同年1月に都合よく?現カリフォルニア州のSacrament River上流部で金が発見されていたわけで、(勿論このことは当時のMexco政府は知らなかったわけですが)ゴールドラッシュ・西部開拓熱に火が付いたわけです。

そして南北戦争(1861年4月→1865年6月)中の1862年にリンカーン大統領が署名して発効したPacific Railroad Acts(太平洋鉄道法)の成立でtranscontinental railroad(大陸横断鉄道)への期待と関心が集まりだしたわけです。

有名なFirst transcontinental railroadの"Pacific Railroad"が、1869年5月10日に Promontory Summitでゴールデンスパイクが打たれて開通して、

その後1881年3月8日にAtchison, Topeka and Santa Fe Railway(1859開業)が、カンザス州Atchisonからニューメキシコ州DemingSouthern Pacific Railroad of Mexicoと接続して、東部とロサンゼルスとをつなぐ第二の路線となり、

1883年1月12日にはSouthern Pacific Transportation Company(SP)が、子会社のGalveston, Harrisburg, & San Antonio Railroad Pecos, Texasで接続してルイジアナ州New Orleans(メキシコ湾)とカリフォルニア州Los Angeles(太平洋岸)が、結ばれ、

1883年、現BNSF Railwayの起源の一つとなったNorthern Pacific Railway1864年創業)により、シカゴとシアトルが繋がるなどこの法律で19世紀中に4つの主要ルートが開業しました。

第1項 Pacific Railroad Actsとは?

この法律の骨子は、「政府の財政支援と国有地無償供与(土地開発)」にあります。

つまり、1803年にFrench territory(Louisiana)買収で、拡大したミシシッピー川以西のAmerican territory(District of Louisiana)の開拓を促進する目的で、西部開拓時代を通じて申請のあった各鉄道事業者に、軌道から100フィート(30 m)以内のすべての公有地と、更に敷設距離1マイル(約1.6㎞)ごとに 10平方マイル(26km²)の公有地が無償で供与されるというものでした。

Northern Pacific Railwayは鉄道建設と引き換えに6000万エーカー(2,430ha)!の国有地の無償供与の権利を受け取っていましたが...

1873年の金融恐慌のあおりを受けて12年間工事が中断して一番最後になってしまいました。

この12年間工事が滞っている間に、通過するエリアはどんどん開拓が進み、

最終的には、はるかに少ない土地利用にとどまりました。

但し、後発組の鉄道とは違い、既に開拓され終ていた都市部を除き、鉄道用地は無償で手に入れることが出来ました。

まとめると

一つ、ミシシッピー川以西のAmerican territory(District of Louisiana)にあるarea(空き地)内であること。

基本的には連邦議会が可決したUSA政府の連邦法なので、USAに加盟した各州も遵守する必要がありますが、各州の法律ですでに開拓(分譲)が行われたエリアについては適用外となりました。

つまり後発組にはUSA政府の国有地しか残されてなく、あまりメリットは無かったわけです。

しかし準州では自治は認められていても、"権限"の及ぶ範囲は狭く、入植地(払い下げ)に関する制度などはUSA政府の権限なので、各州がUSAに州として正式加盟するまでは、多少のメリットがあったようです。

一つ、投資(株式購入)・低金利融資は行うが、見返りの無い税金投棄!は行わない。

一つ、developerビジネスの基本となる、広大なAmerican territory(District of Louisiana)areaを無償で供与する。

と言うことになります。

つまり、日本のように国(国民)が鉄道建設の資金(税金・債権)を出して、JR各社のような"民間企業"にプレゼントする!などと言った馬鹿げた制度では無いわけです。(※31)

鉄道のみならず、その前身にあたる、CANAL(運河)事業も同様で、USA政府または州による直轄事業はほんの数例に限られています、勿論ダム建設も同様に民間企業による「設備投資」となっています。

利用者を限定しない"社会資産"である「道路事業」でさえ、州の事業が主体で、USA直轄事業は、第2次大戦後にアイゼンハワー大統領が提唱して1956年に成立した連邦補助高速道路法National Interstate and Defense Highways Act)によるInterstate Highway (Dwight David Eisenhower National System of Interstate and Defense Highways)以外は殆どありません。(※32)

参※31)当サイト内関連記事 整備新幹線 建設における スキーム とは... はこちら。

(※32)Route 66でお馴染みのU.S. Routes米国全州道路交通運輸行政官協会(American Association of State Highway and Transportation Officials、)が指定しているだけで、

「統一規格に下ずいた州道」を連ねた一般道で日本で言うところの国直轄の国道ではありません

第2項 19世紀末に役目を終えたPacific Railroad Acts

前途したPacific Railroad Acts(太平洋鉄道法)によるtranscontinental railroad助成の適用地域ミシシッピー川以西のエリアでは

District of LouisianaとOregon Countryの分割米英(加)間border (国境)確定、旧Mexican territoryのVirreinato de Nueva España各エリアにでは

アイダホ州が、1890年7月3日(43番目)に州に昇格した時点で、まだ州になっていない州は以下の4州を残すのみとなっていました。

ユタ州/1850年9月9日ユタ準州/1896年1月4日(45番目)

オクラホマ州/1890年オクラホマ準州/1907年11月16日(46番目)

ニューメキシコ州/1850年9月9日ニューメキシコ準州/1912年1月6日(47番目)

アリゾナ州/1863年アリゾナ準州/1912年2月14日(48番目)

つまり、Pacific Railroad Actsの肝となる、鉄道用地の無償確保と開拓事業(デベロッパー事業)が成立しなくなっていました。

Pacific Railroad Acts(太平洋鉄道法)に依らない最初の鉄道となったGreat Northern Railway (U.S.)

なので、ワシントン州を目指したGreat Northern Railway (U.S.)はPacific Railroad Acts(太平洋鉄道法)に依らない独自調達した資金で、鉄道用地を購入して延伸したわけです。

1893年1月6日

現BNSFの始祖の一つ1889年創業の Great Northern Railway (U.S.)が、数々の鉄道を傘下に収めて、最後に残ったSeattle近隣の Cascade Mountains(カスケード山脈)のStevens Pass,を通るカスケードトンネルを完成させて、ワシントン州Scenicで最後のスパイクを打ち込みSt.Paul(Minneapolis)⇔Seattleの間が繋がりました。

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第2節 20世紀以降に生まれたtranscontinental railroadは

19世紀末には西海岸のシアトルにはすでに前途した2つのtranscontinental railroadが集結していて、当初は激しい争奪戦をしていました。

すでにシアトル⇔ミシシッピー川間にNorthern Pacific Railway、Great Northern Railway (U.S.)の2つの鉄道が開通していて、20世紀初頭までの20年間ほどはお互いに、リベート合戦、pooling(運賃割引)、rate wars (料金合戦)、支線網の拡張、などで熾烈な覇権争いが行われていました。

第1項 NP・GNの協調体制確立

そこで(カタカナ和製英語で言うアライアンス)communityを組織して、お互いに強調する方向に向かいました。

20世紀初頭にGNの社長James J. HillがNPの実質オーナーであった有名なJ. P. Morganの家を訪れてNPの社長Howard Elliottとトップ会談を行い、「ルートや料金の重複を避けるための鉄道間の"ゆるやかな提携"」に関するcommunity(共同体)を組むことを提案して協調体制が発足しました。(※41)

さらに進んで事業統合も協議されましたが、1902年には、日本で言うところの独占禁止法で訴えられ、1904年に敗訴して合併はかないませんでした。

その後も同じ資本系列の下に、バーリントンノーザン鉄道は、グレートノーザン鉄道、ノーザンパシフィック鉄道、スポケーン、ポートランド、シアトル鉄道、シカゴ、バーリントン、クインシー鉄道の4社は協調して歩み、再度1927年と1955年に経営統合(合併)を試みましたが、

何れも国家に阻まれて実現しませんでした。

参※41)アメリカでは100年以上昔から鉄道事業者が協調してお互いに共存共栄を図る時代になっていたわけです!

当サイト内関連記事 鉄道事業者 同士が覇権を争うライバル 関係の ご時世 では無くなっている! はこちら。

第2項 BN成立とその後

Burlington Northern Railroad(BN)として正式に事業統合出来たのは、全米の鉄道事業が衰退してきた1970年3月2日になってからのことです。

1972年にパウダーリバー盆地(地図中小豆色のエリアが)にMining branch line(鉱山鉄道支線)を建設して沿線の採炭場開発を支援しました。

この新規路線は、米国の鉄道史上前例のない大成功をおさめ、BNの大国柱を支える"お宝路線"となりました

開通初年度の1971年には、年間64,116百万ton・mileの貨物輸送密度を叩き出し、1979年までに年間輸送密度は135,004百万ton・mileになりました。

別項でアメリカが、ゼロカーボン社会になれない理由の一つとして挙げた"石炭火力発電"を賄っている炭田地帯の一つがPowder River Basinで露天掘りされている石炭なのです。

この盆地から算出される石炭は、国内で使用されるだけでなくシアトルやオークランドから東南アジアに輸出されています。

そして現在も鉄道事業の大黒柱の一つとして石炭輸送は続いています!

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第3節 持続可能な鉄道事業の指標を示してくれたBNSF!

第1項 鉄道事業は労働集約産業!

BN誕生後も多くの鉄道を傘下に置き、1995年9月22日にAtchison, Topeka and Santa Fe Railway(ATSF)と事業統合してBurlington Northern to create the Burlington Northern Santa Fe Railwayとなり更に、2005年1月24日にBNSF Railwayと改称て巨大なrailway system(鉄道網)を誕生させました。

第1目 1995年9月22日 BNSF 成立後

鉄道事業は合理化を図ったBSNFでも労働集約産業!です。

BSNFの直接雇用従業員は41,000人(2019年12末現在)と公表されていて、その内約半数の20,000人以上が路線の維持管理現業部門(保線)で働いていると公表されています。

つまり、自社路線24,000マイル(3万8,624キロメートル)ですから

20000人 ÷ 38600km÷  ≒0.5人/㎞ と言うことになります。

BNSF機械部門は、機器の予防保守、修理、およびサービスを実行する13の機関車保守施設を運営しています。これらの施設の最大のものは、アライアンス、ネブラスカ、 Kansas CityのBNSF Argentine Yardにあります。

機械部門はまた、車のメンテナンスと毎日の走行修理を担当する46の追加施設を管理しています《Wikipediaより引用》

更に、depot(貨物駅)、sorting yard(操車場)、などで働く要員、運行管理部門、BNSF鉄道警察!など直接雇用が41,000人、信号システムや通信システムなどの協力企業(下請け企業)まで含めるとその3倍12万人以上の雇用を創出している事業です。

企業努力で、合理化を図ったBNSFですらこれだけの従業員を抱えているわけです

第2目 BSNFを支えるDouble-stack rail transport

Double-stack rail transport(※31)とはコンテナの2段重ね輸送のことです。

参※31)当サイト内関連記事 コンテナ貨物鉄道輸送について考える はこちら。

●マイルトレインは「一昔前の"前世紀のお話"」!

米国の貨物列車と言えば全長1.6㎞以上の"マイルトレイン"が代表のように受け取られていますが...

これは単線区間の多い、Union Pacific Railroad などの単線 branch lineのお話で、交換設備に当たる「信号所の待避線の全長の制限」から生じたためです。

現在全線複線化されたBNSF Railwayのmain line区間に当たる旧BNとSanta Feのtranscontinental railroad(大陸横断鉄道) 2course(旧BN courseでは一部3route!)(※32)では、Double-stackの170両編成・全長約3㎞!総積載重量 1万屯!の列車が毎日100本以上行き交っています。

積載重量は Intermodal containerの規定総重量(※33)が about 30ton/ unitnなので、

Double-stack だと 

  • low floor flat car(低床2層コンテナ貨車)1両辺り about 80t!170両編成だと約13,600t超!

80ton/unit X 170unit =13,600ton ! (※33)と言うことになります!

参※32)旧BNのtranscontinental railroad(Chicago⇔Tacoma)のSpokane⇔Tacoma間が3route、

旧ATSFのtranscontinental railroadのLos Angeles⇔Chicago間が1 routeで都合2course4routeとなります。

参※33)USAの鉄道の場合はRoad(軌道)に加わるpayload(荷重)制限を基本としていて、ホッパー車両を含む、bulk carrier-carの重量表示は、loadage(積載重量)ではなく、船舶同様にGross rail load(車両総重量)で規定されています。

コンテナ列車の全長は約3㎞!

1列車当たりのFreight Carの全長は 約2.8㎞!

つまり、16mx170unit= 2,720m!

GE エボリューション・シリーズのDL X 10両の全長が、22.30 m、

編成全長は約2.94㎞!

16m/unit の"Double-stack Freight Car( low floor flat car)170両!を10両の分散配置(push & pull traction)された2名乗務のディーゼル機関車(※34)で運行しています。

参※34)乗務員は2名で、1名は運転手としてwirelessによるintegrated control(統括制御)された10両の機関車を運転して、もう1名は嘗てのfireman(軌間助手)ではなくengineer(機関士)として乗務して不測の事態に対処しています。

第2項 鉄道事業には輸送密度が重要!

一部で共用区間のあるtranscontinental railroad 2,200マイル(約3,520キロメートル)で100本/日が運行されていた当時でも(現行は150本!)

BNSF全列車運行本数の60%に相当すると公表されていましたので、つまり全路線では約170本の列車が行き交っていたことになります!

輸送密度について

BNSFのOfficial Siteでは2020年度に10.2Mユニット、つまり10,200,000両の貨車を搬送したと公表されています!

1日当たりにすると約28000両

1両当たり平均50t/unitだとすると、

50t X 28,000unit≒1.4Mt/day!

全営業キロ数は自社路線約24,000マイル(3万8,624キロメートル)

直接施設維持管理更新費用の生じる自社路線だけで考えた場合には、

1.4Mt/day! ÷ 38,624km ≒36.2t/km・day! と言うことになります。

※但し第2種鉄道事業者に相当するTrackage rights路線8000マイル(12,875キロメートル)を加えると全営業路線は24,000マイル(約51200㎞)ですから、27.3t/km・day!と言うことになりますが、

Trackage rights & Operating区間(※35)は実際には、毎日定期的に運行するのではなく、必要な場合のみのレンタル路線で、しかもJR貨物同様に運行本数に応じた決済なので、"事業投資"面からみた場合は、27.3t/day~36.2t/km・day の間といったところでしょう。

総延長32500mile(52300㎞!)にも及ぶ鉄道事業単体で「投資に見合う利益」を生み出すには、この程度の輸送密度が無いと成立しないと言うことです!

参※35)当サイト内関連記事 第2種鉄道事業者に当たるLeasing,Trackage rights & Operating はこちら。

transcontinental railroad だけに限ると

西海岸のポートランド⇔東部の5大湖のほとりにあるシカゴ間 最短距離(大圏距離)約2860㎞、路程(営業距離)にして約3,500Kmが、BSNFのmain transcontinental road となります。

この他にも、旧サンタフェ鉄道経由のポートランド⇔シカゴ間の南回りルートもありますが、こちらは大圏距離では約3000㎞と大差ないのですが、あちらこちら寄り道?をするので、路程にして約4000㎞となって終います。

更に主な太平洋航路どうしを比べても

香港⇔高雄⇔横浜⇔ポートランド間11,000kmと香港⇔高雄⇔横浜⇔オークランド間約11,300㎞では大した差はないのですが、USA上陸後の旧BNラインとATSFラインでは500km!ほども差があり、更にオークランド⇔シカゴ間は Union Pacific Railroadが主要ルートとなっているので、旧BNライン3ルートがmain lineとなっています。

運行本数100本当時でも

太平洋岸⇔シカゴ間の旧BNのtranscontinental railroad(Chicago⇔Tacoma)約3,550Kmで所要時間72時間(3日間)という驚異的な運行を行っていますが、逆説的には、ターミナルの発着本数は全運行本数の1/3と言うことになります。(※前途したように、旧ATSF コースは72時間より多少オーバーしますが...)

つまり、transcontinental railroadの1日当たりの発着本数は約33本 輸送量about 330,000 ton

transcontinental railroadの総延長は、Spokane⇔Tacoma間の3route重複区間の重複2route 約700㎞を加えて

約8300㎞。

つまり 輸送密度は 330000 t/day ÷ 8,300km ≒40ton/km・day と言うことになり。

後述するJR貨物のMaine Line東海道線の貨物輸送密度 22ton/km・day未満!の約2倍と言うことになります!

つまりこれぐらいの輸送密度が無いと、(パナマ運河経由の)海運業に対抗して、「十分な競争力と利益が確保できない!」と言うことになります。

第2目 ロシアでは最大4千200屯70両全長 約1.8キロメートル

現在ロシアでは、(架空線)電化されている都合で、Double-stack rail transportは行えません。なので12,192 mm (40 ft)のIntermodal container X tandem loadingの25m級のflat car(コンテナ貨車)が使われています。

更に、単線区間も残っているので、"交換退避線"の都合で、25m級貨車70両編成。全長1750mが標準となっています。

●2unitの2ES10が全長:2×17 = 34 m、3両ユニットの3ES10が3×17 = 51 mなので、列車全長は約1.8㎞!と言うことになります。

列車当たりの輸送力

輸送力(積載重量)は 60t/ unit X 70unit = 4,200 ton

第3目 日本ではたったの52両最大1,300屯、全長約1,100m

バブル期には1600屯輸送(※36)を目指した日本でしたが...

20m級貨車に拘ったJR貨物(旧JNR)では現在、積載量5t未満のJR貨物規格12フィートコンテナ(3.65m長)5 unit(18.2m)tandem loadingの20m flat car(コンテナ貨車積載量40.7t未満!)が基本となっていて

  • 最長でも全長約1.1キロメートル!

しかし、実際には最大編成で運行されることはめったにありません。

参※44)JR貨物もIntermodal containerを意識して31ft(9.245m)クラス、の新型コンテナを開発していますが...

但し荷主までの集配に使うトレーラー輸送(トラック輸送)を考慮して積載重量は 13.8屯に制限されています。

参※36)日本では、顧客の要求"積載量"を重視して、定格は"貨物積載重量"で表しています。

全長は約1㎞

貨車 52両で10,040メートル

主力機関車Blue Thunder(EH200形電気機関車)が25メートル

つまり編成全長が1,065m 

列車当たりの最大輸送力

25屯X52両≒1,300屯

つまり日本の輸送力はロシアと比べても1列車当たり約1/3、BNSFと比べると約10倍もの開きがあるわけです!

更に輸送密度となると

日本の大動脈東海道貨物船?(東京駅 ⇔神戸駅間589.5 km)ですら。

現状Max輸送力1,300tonの貨物列車が日に10往復程度で、

1,300 t(26両)X10往復程度≒13,000ton

輸送密度はたったの 22ton/km・day!

しかも満載の列車はほとんどないので実際には...

旅客事業を行っている「JR各社のご"慈悲!"」で第2種鉄道事業を"細々"と行っているわけす!

しかも、主なclient(利用者・依頼主)はshipper(荷主)ではなくて!宅配業(小荷物配送)と、後は航空機燃料・石灰石輸送のみ!

これではJR各社の中で唯一「鉄道事業で黒字」を出していると威張っても..

路線を保有する第1種鉄道事業者だとしたら、独立採算は到底不可能!でしょう。

国内航路の貨物船やトラック輸送(陸上貨物輸送の99%!)に対抗して鉄道貨物事業を継続するには、再度のJRグループの 統廃合などによるreconstitution(再構築)など「大胆な改善策」が必要でしょう。(※43)

参※43)当サイト内関連記事 宅配便事業が、鉄道貨客混載事業を復活できるかも! はこちら。

これでは、"持続可能な鉄道事業"に必要な営業収益が得られる訳がありません!

第3項 中共を模倣したJR貨物空荷貨車輸送!のカラクリ

一般の"鉄オタ"にはショッキングでしょうが、日本の政府(国交省)は中共!と同じことをやっています!

つまり、一見回送のように見せかかた"空荷flat car(コンテナ貨車)"の空荷輸送!です。

参※)関連資料

  1. 「日本国有鉄道清算事業団の債務等の処理に関する法律等の一部を改正する法律案」 
  2. JR二島支援法(国鉄債務処理法等改正案)に関する国会論議 
  3. 鉄道建設・運輸施設整備支援機構債券  JRTT公式資料。

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第4節 廃業!したMilwaukee Roadから得られる教訓とは...

一般にはMilwaukee Roadとして知られている、1847年創業のChicago, Milwaukee, St. Paul and Pacific Railroad (CMStP&P)は、1909年にシカゴとシアトル間を結ぶtranscontinental railroadを完成させたわけですが...

1909年→1986年という短命で終えました!

先行していた、Northern Pacific Railway、 Great Northern Railway とは異なり、

シカゴ⇔シアトル間のinter-ocean を"最短距離で結ぶ"事を目指したために、「人気(ひとけ)のない山中」を通るルート設定となりtransit cargo transportation(通過貨物)、transit passenger traffic(通過旅客)のみを対象とする、regional line(地方交通線)としてみた場合「利用しずらい」役立たず路線!となってしまいました。

第1項 謎の多い直流3000v電化!

1914年から1920年代にかけて下記の区間を直流(以後DC)3000v電化(※61)しましたが、.

この「電化が後々足を引っ張る形」となりました!

参※61)DC3,000V電化自体は西欧では珍しくなく、USA、EU,ロシアとRussian gaugeを採用している旧ソ連圏では標準的な電化方式です。

1914年→1916年

Harlowton, Montana, ⇔Avery, Idaho,間の403mile(約705km)を電化。

1917年→1920年

Othello and Tacoma⇔ a further 207 miles (333 km)を電化。

第1目 電力回生ブレーキは実用に供していなかった!のではないか...

謎に包まれた直流3000V(以降DC)電化に関しては、いろいろな説が都市伝説?が、利点として挙げられていますが...

電力回生ブレーキは実用にはなっていなかったでしょう!

何故なら、電化区間が"単線"だったからです!

疑問...その1)"回生ブレーキ失効"の問題
抑速ブレーキ

勾配区間では必須となる抑速ブレーキですが...

単線区間では通常、抑速ブレーキ(Motor & Generator)で生じた電力は"車載抵抗器"で熱に変換して空気中に放熱(捨てて)しています!

この余剰・電力を架線に戻して再利用を計るのが電力回生ブレーキです。

つまり「釣瓶井戸」と同じ仕組みで「勾配区区間」を降りるときに抑速ブレーキ(Motor & Generator)で生じた電力を、架線に戻して、登り方向の列車に供給するしくみです。

回生失効

つまり同じ給電区間に「昇り降りする列車」が存在しないと成立しません!

いわゆる回生失効が生じます。

疑問点その2)回生電圧の問題

架線に「回生」する電圧も問題となるために、1909年当時にDC3000v電化を担当したゼネラル・エレクトリック社(GE)」が回生システムを開発できていたかは「疑問?」の持たれるところです。

さらに、一度DC3,000V に"変電"した電力を再度3相交流AC60Hz(※51)に変換して、送電線に戻すことは(当時も今も)技術的・設備的に難しいので、同じ給電区間に上下線が存在しない単線区間では変電所に"抵抗器"を設置して「熱に変換して」捨てる!のが通例となっています。

参※51)アメリカは西日本と同じ60Hzです

疑問点その3)

現在でも、20~25mile/h(約32から40㎞/h)以上で走行していないと架線への「電力回生」は出来ないのに、ビデオをご覧の通り電力回生技術が確立しかけた?第2次大戦後のMilwaukee Road末期の時代には、軌道の保線状況が極めて悪く、20mile/h(約32㎞/h)以下の速度制限!処置があり、実質架線への電力回生は不可能な状況でした。

その他の問題点

Pacific Railroad Actsにより初期に開通した大陸横断鉄道では、USA政府が鉄道の軌道から100フィート(30 m)以内のすべての公有地と、更に敷設距離1マイル(約1.6㎞)ごとに 10平方マイル(26km²)の公有地が無償で供与される内容だったので、USAの鉄道には、frontage road(側道)が設けられていて、保線作業の業務用車両の通路となっているわけですが...

Milwaukee Road特に山岳地帯にはfrontage roadが無く、事が起こった場合に「迅速に対応できなかった」点も挙げられます。

※)以下はFirst Transcontinental Railroadとして有名なUP roadの例。

第2項 輸送量(輸送密度)に見合わない電化設備!

Railway Mania (鉄道狂)にとっては都合が悪い!ので、日本語版Wikipediaからは割愛されていますが...

輸送密度に比較して電化設備の維持管理・設備更新費が莫大となり、経営の足を引っ張る結果になった訳です!

当時総額2700万ドル!を投下した1000㎞以上にも及ぶ電化事業は、まだ蒸気機関貨車が主流だった1920年の"電化当初"は、年間100万ドル以上の(燃料費)節約に繋がりましたが...

1930年代に実用化された電気式ディーゼル機関車と比べると

その後1930年代に実用化された電気式ディーゼル機関車に比べて、給電設備(変電所・架線)や車両そのものの維持管理・設備更新費がかさみ、老朽化が始まった第2次大戦以前にはメリットが無くなってきていました!

電化当初、100mile/h(約160km/h)以上の最高速度を誇った路線も、廃止まじかの頃は、レール交換すらままならない状況で、ビデオの通りのありさまでした!

つまり、前途した通りPacific Railroad Acts(太平洋鉄道法:沿線開拓)とは無関係に独自資金調達で全通したMilwaukee Roadでは、第2次大戦をピークに需要・貨物共に減少傾向となり、"都会"を避けて!"建設されたために、沿線都市間の貨物需要も少なく、1日当たり10本程度の運行(※52)では、採算に合わなくなったのです!

JR東日本も電化区間の非電化改修!を検討

日本のJR東日本も低輸送密度の地方の(本線も含む!)regional line(地方交通線)電化区間の非電化改修!を検討しだしたのはこのためです!

第2項 アメリカでは電化が即「 近代化・効率化では無い!」

日本では「電化が鉄道近代化の決め手」(※41)のように誤解されてますが...

アメリカのように内陸部に大運河が無い大陸国では、鉄道網は船に代わる大量貨物輸送手段「陸蒸気」に特化しているわけです。

なので電化は必須ではなく、むしろ「電化はデメリットのほうが多い!システム」となっています。

Youtube動画でも明らかなように、総積載重量10,000ton!にも及ぶ、日本に比べて桁外れに大量の貨物を扱うには「2段積みコンテナ」、170両の「長大編成」が当たり前で、架線(日本では4.5m以上)があっては邪魔!だし、総積載重量10,000ton!にも及ぶ貨物列車を動かすには電化では「変電設備」「給電設備」が追い付かなるのです!

参※41)当サイト関連記事 近畿 で始まった日本の 電化 と インターアーバン の歴史 はこちら。

第1目 沖縄電力・石垣発電所に匹敵する「移動ディーゼル発電所」が

そこで『発電所ごと移動できる電気式ディーゼル機関車』が主流となっているわけです。

GE エボリューション・シリーズの例、1両当たり4,400hp≒3,300Kw!標準的な編成で6両、実に1万9千8百キロワットにもなり、石垣島一島を賄っている沖縄電力・石垣発電所に匹敵する「ディーゼル発電所」が移動していることになります!

以下はBNSF鉄道の先頭牽引x4両、中間x3両、後押しx3両 合計10両!DL編成の例 4,400hpX10=44,000hp≒33,000Kw!

第3項 時代を読めなかった運営陣

第1目 鉄道に高速性を求めたが...

第1次世界大戦後の世界大恐慌(1929→第2次大戦まで)が始まる前の1927年には最高時速100 mph(160 km / h)超の革新的な列車を運行していた時期もありました。

第2次大戦前、日本の電車特急こだま登場(1958年11月)より4半世紀早い1935年に Chicago ⇔St. Paul(Minneapolis)410 miles (約660 km) を 6時間半で結ぶ最高運転速度100mile/hのビジネス特急Twin Cities Hiawathaを重油炊きSLで運行開始して、1941年にはディーゼル機関車牽引に代わり...

第2次大戦終戦後の1948年5月29日には、有名なスカイトップパーラー展望車付きの2代目Twin Cities Hiawathaが登場しましたが...

inter-city passenger traffic(都市間旅客運輸)は既に空路の時代になろうとしていました!(※42)

(※42)お判りですか?big talkが得意な鉄某頭?先代鳥鉄?ご両人。

参※)当サイト内関連記事 今どきの鉄道傾!Youtuber、タレント、シナリオライター、 コラムニストとは?... はこちら。

第2目 経営環境(トレンド)についていけなかった運営陣!

戦後の一時期を除き「1950年代から航空機が台頭」しだして長距離旅客需要は減退していき、

空路の時代となり、近距離inter-city も Interstate Highway( 州間高速道路)の整備が進みautomobile(自動車)いわゆるマイカー利用に変化してきていました。

更に、中核都市を避けて?建設されたMilwaukee Roadでは、両端以外は大規模なdepot(貨物駅)を持たない(必要ない)為に、transcontinental cargo transportation(大陸横断貨物)に需要を見出すしか無くなりました。

Southern Pacificとの提携でサービスエリアを拡大

1970年に前途した Burlington Northern Railroadが誕生して、Seattle⇔ Chicago 間のinter-ocean cargo transportationは窮地に立たされますが、当時、transcontinental railroadしか所有していなかったたBNに対抗して、Southern Pacificと業務提携(Trackage rights契約)してコロンビア州・カリフォルニア州にまたがる西海岸一帯にサービスエリアを拡大して何とか切り抜けます。

当初はMilwaukee Roadは シアトル港経由の海上コンテナ輸送の50%を占め、Milwaukee Roadの輸送量の80%を賄っていました。(※と言っても1日10往復程度!)

しかし、合併を繰り返して大きくなったMilwaukee Roadは、膨大な債務(社債)を抱えており、1970年代半には、金利を賄うために鉄道設備の維持管理・設備更新が後回し!にされ、ご自慢の電気機関車、変電所などの電化施設、軌道すべてが最悪の状況となっていました。

Milwaukee Roadは廃業までに2度の破産を経験!

1925年と1935年に2度破産して、一時政府の管轄下になり refinance(再投融資)されてその都度新しい会社になっています。

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エピローグ JRグループに猶予は残されていません!

いつまでも与党運輸族とJR各社が旅客鉄道に拘っていては...

つまり、JR北海道に限らず、現状のJR各社は「Milwaukee Road」の教訓を活かしていない事になります!

今こそ手遅れになる前に、再度JRグループのrestructuring(再構築)を行い、最低でも各社が本業(各鉄道事業)で赤字を出さなくて済むよな、「本業で"食える体質"」作りを目指すべきでしょう。(※91)

参※91)当サイト内関連記事 今や 鉄道事業 は本業ではない!鉄道系YouTuber の"夢想"を打ち砕く現実とは... はこちら。

第1項 Milwaukee Road廃業に関する総括

第1目 20世紀後半の長距離旅客は空路の時代に

新たな最短ルートに高速列車を走らせて、数千キロメートルにも及ぶ東部と西海岸をpassenger railroad (旅客鉄道)で結ぶ発想は、既に時代錯誤でした。

嘗て、19世紀初頭に鉄道が駅馬車やCanal からpassenger traffic(旅客輸送)を奪ったように、20世紀後半になり、数千㎞にも及ぶtranscontinental passenger trafficはair line(空路)が主役となり、鉄道の中途半端な高速化ではtouristのneedsに合わなくなっていました。

Seattle⇔ Chicago 間を結ぶOlympian Hiawatha 号 などの長距離inter-city passenger traffic(都市間旅客)は時代から取り残されてしまいました!

第2目 3つの鉄道が共存できるほどのcargo transportationは無かった!

20世紀には今ほどのtranscontinental cargo transportationのneedsはありませんでした!

つまり、前途したように、西海岸⇔5大湖間のtranscontinental cargo transportationをほぼ独占していた時期でも、1日当たり上下10本程度では...

更に、BNのように有望な資源開発が行えそうなエリアも沿線にはありませんでした。

更に、人気(産業)のないロッキー山系・アパラチア山系を通過していたので、ローカルエリアのcargo transportationも取り込めませんでした!

第3目 3000km超のtranscontinental railroadで完全電化を目指したのは大失敗!

前途したように、3,000KMにも及ぶアメリカ大陸横断鉄道で完全電化を目指したのは大失敗でした!

第2項 日本では交通政策の抜本的見直しが必要では...

政府としては、整備新幹線建設推進プロジェクトを終わらせて、regional line(地方交通線)も含めて、これ以上無駄な不要不急新線建設は凍結すべきでしょう!

中國のように、全土に「高速道路網とセット」で高速新線を整備する手段も考えられますが...

日本は中國のように、10億人を超える人口で中国大陸が沈下?しそうなほど、数百万人規模の超大都市が全土に分散していて、年間延べ数億人の人々が、高域移動をしているような大国ではありません!

中国高鐵が全土に整備された中國では

中國の辺境にある都市よりも、規模の小さな鳥取市・松江市などに、高速鉄道を敷いても利用者は見込めません!

中國でさえ、colliery railway(炭鉱鉄道)、mining railway(鉱山鉄道)としてのcargo transportation(貨物輸送)を除いたpassenger serviceだけに限ってみれば、全土に張り巡らされたrural 高鐵は走れば走るほど赤字増産になっています!

しかし中国では

海外に向けて自主開発?のhigh speed passenger serviceをアピールしているのは、"海外からの融資"を得るためで、中國の真の目的は「広い国土を守るためのLogistics(兵站)」にあります!

つまり、周囲を天然の"お堀"(海)で囲まれていて、しかも細長く、横断距離が大した事の無い日本では、国防軍(自衛隊)の移動はそう困難ではありません!

つまり、新幹線貨物郵送が実現してもLogistics(兵站)の意味合いはあまりないわけです!

むしろ次項に示すhighway(幹線道路・自動車専用道)の整備のほうがLogistics(兵站)には宇役立ちます!

第2目 自動車専用道網の整備加速

最早、鉄道がrural areaの過疎化を防げる時代ではありません!

rural areaのlife lineを守るには、highway(幹線道路・自動車専用道)の充実しか守るべき手段はありえないでしょう。

第3目 regional airport(地方空港)の更なる整備

regional airport(地方空港)整備にさらに本腰を入れて、少子高齢化、東京一極集中の21世紀に対処すべきではないでしょうか!

北海道各地、紀伊半島、能登半島などの"過疎地"には、landing strip(架設滑走路、簡易空港)も含めて、諸外国のmunicipal airport(市営空港)に相当する県営空港などのregional airportを更に充実させるべきでしょう。

battery airplaneにお実用化は目前!

Light airplaneの分野では「ゼロカーボン社会?」に向けて「battery airplane」の開発が急速に進んでいます!

遠隔地(辺境部)の10 persons/day x 2freight/day 程度の利用者ならば、小型機で十分賄えて、日本人が好むが「行政の手厚い補助」があれば、「3セク役立たず鉄道」に拘る必要もありません!

第4目 JRグループの再度のrestructuringが必要

JRグループの再度のrestructuringによる統廃合で、現行のJR貨物を廃止して、shinkansenを含むrailway system(鉄道網)全てで、TGVやヨーロッパ諸国の新線、中国高鐵のように再び full service(旅客営業・貨物営業)を行うべきでしょう!

そして、鉄道事業単体の裸決算でも利益が生まれる体質を目指すべきです!(※92)

その為には貨客混載事業の復活も再考する必要があるでしょう!(※93)

参※92)当サイト内関連記事 今や 鉄道事業 は本業ではない!鉄道系YouTuber の"夢想"を打ち砕く現実とは... はこちら。

参※93)当サイト内関連記事 宅配便事業が、鉄道貨客混載事業を復活できるかも! はこちら。

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《持続可能な鐡道事業》関連特集記事のご案内 

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後書き 《アメリカ交通発達史から学ぶ持続可能な鉄道事業とは》シリーズについて

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"温故知新"と言う格言があります。

「人は歴史から多くのことを学んだ」と言われていますが、「railway mania(鉄道狂!)は同じ失敗を繰り返している!」といえるのではないでしょうか!

旧建設省派の運輸族は、"鉄拳公団"解体後、羽振りが悪くなり、政治献金・票田確保の為に、"こうそく(拘束?)passenger trafficである"整備新幹線建設推進プロジェクト"に躍起になっていますが...

欧米では

彼ら日本の運輸族(とその"親派")が、"蔑視!"しているcargo transportation(貨物輸送)に基軸を置いたrailway systemCanal network"欠かすことのできない存在"として今も重宝がられています。

また欧米先進諸国では、air lineとrailway systemが競合するのではなくお互いに補完し合って"共存"しています。

更に発展途上国では高速バス(長距離バス)が、railway systemの活き渡っていないareaをカバーして大活躍しています。

更にさらに...中国では

高鐵(高速新線)とhighway(自動車道)がほぼ同時に並行して建設されて全土をカバーしています!

つまり、highway(自動車道)は鉄道の敵(かたき)ではなく、お互いを♥補完し合う"相棒"なのです。

そんなtraffic networkの代表格アメリカにスポットをあてて、21世紀を行く抜く"鉄道の存在意義"を改めて考え直してみました。

狸穴総研 地域交通問題研究室 出自多留狸

参照データ USA成立までの主だった出来事

第1項 1795年 USA独立戦争停戦確定時

ニューハンプシャー植民地(ニューハンプシャー)
マサチューセッツ湾直轄植民地(マサチューセッツ)
ロードアイランド植民地(ロードアイランド)
コネチカット植民地(コネティカット)
以上は後に「ニューイングランド」と総称されるようになる各地域。

ニューヨーク植民地(ニューヨーク)

ニュージャージー植民地(ニュージャージー)

ペンシルベニア植民地(ペンシルベニア)
デラウェア植民地(デラウェア)

メリーランド植民地(メリーランド) en:Chesapeake Colonies
バージニア植民地(ヴァージニア) en:Chesapeake Colonies
ノースカロライナ植民地(ノースカロライナ)
サウスカロライナ植民地(サウスカロライナ)
ジョージア植民地(ジョージア)

1791年3月4日、バーモント共和国が大英帝国を離脱してアメリカ合衆国14番目の州としてUSA加盟

第2項 1803年 旧District of Louisiana買収後

以下に示した"準州"とは、簡単に言ってしまえばAmerican territory(領有地)にあるUSA政府

に属していても、「国政への"参政権"を持たない"自治州"」のことです。

つまり、USA政府のPacific Railroad Actsが有効だったAmerican territory areaです。

ルイジアナ州/ー/1812年4月30日(18番目)

ミシシッピー州/1798年4月7日ミシシッピ準州/1817年12月10日(20番目)

アラバマ州/1817年3月3日アラバマ準州/1819年12月14日(22番目)

ミネソタ州/1849年3月3日ミネソタ準州/1858年5月11日(32番目)

カンザス州/1854年5月30日カンザス準州 /1861年1月29日(34番目)

ネブラスカ/1854年5月30日ネブラスカ準州/1867年3月1日(37番目)

ノースダコタ州/1861年3月2日ダコタ準州/1889年11月2日(39番目)

サウスダコタ州/1861年3月2日ダコタ準州/1889年11月2日(40番目)

オクラホマ州/1890年オクラホマ準州/1907年11月16日(46番目)

テキサス州併合

テキサス州/1836年3月2日テキサス共和国独立/1845年12月29日(28番目)

第3項 1846年6月15日 旧Oregon Country Disputed Area(旧米英間領有権紛争エリア)紛争解決後

オレゴン州/1848年8月14日オレゴン準州/1859年2月14日(33番目)

1862年Pacific Railroad Acts成立以降

モンタナ州/1864年5月28日モンタナ準州/1889年11月8日(41番目)

ワシントン州/1853年2月8日ワシントン準州/1889年11月11日(42番目)

アイダホ州/1863年3月4日アイダホ準州/1890年7月3日(43番目)

ワイオミング州/1868年7月25日ワシントン準州→1868年7月25日ワイオミング準州/1890年7月10日(44番目)

第4項 米墨戦争停戦後 1848年2月2日 旧Virreinato de Nueva España エリア買収後

カリフォルニア州/ー/1850年9月9日(31番目)

1862年Pacific Railroad Acts成立以降

ネバダ州/1861年3月2日ネバダ準州/1864年10月31日(36番目)

コロラド州/1861年2月28日コロラド準州/1876年8月1日(38番目)

ユタ州/1850年9月9日ユタ準州/1896年1月4日(45番目)

ニューメキシコ州/1850年9月9日ニューメキシコ準州/1912年1月6日(47番目)

アリゾナ州/1863年アリゾナ準州/1912年2月14日(48番目)

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地名は言語表記を基本Google 地図カナ振り

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※但しハングル表記(韓国語版)위키피디아 は、両班(ヤンパン)出身者(※991)のintellectualが趨勢を占める狂育怪が"関与"しているので著しく信憑性に欠け!ていて、殆どが日本語版ウィキペディア以下!(50歩100歩?)の fake content なので無視!しました。

Red China版 (维基百科,自由的百科全书 )のほうがはるかに信頼性があります!

参※991)当サイト内関連記事 両班(ヤンパン)3悪に翻弄され続ける韓国国民と日韓関係 はこちら。

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特に歴史・イデオロギーに関するイエローフラッグは(管理人"としてボランティア?で"ウィキペディア事務局に関与している)平和ボケした理想主義者、有識者?達が日"教祖"の偏向教育(大衆洗脳)方針に沿うように"注意(Communism!)喚起?"しており、ハッキリ言って"糞"フラッグ!です。

むしろ"糞"フラッグが立っているcontent(内容)のほうがfairness(公正)な立場の内容と言えなくもありません!

交通施策に関するcontentは運輸族のプロパガンダの温床に

但し、交通関係はYoutuberが虚仮にしているように、スポンサー(与党運輸族・財界)の意向を強く反映しているので、universality(普遍性)に欠けたprivate document(私文書!書簡)に下ずく刊行物やマニア向け雑誌を引用しているcontentが大半で!

Academic(学術亭)ではないcontentに"正当なfairness(警鐘:イエローフラッグ)"を警告している場合もあります。

※当サイト内関連記事 日本語ウィキペディアが 鉄道(傾?)Youtuberから"こけ"にされる訳は... はこちら。

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公開:2021年10月15日
更新:2022年8月29日

投稿者:デジタヌ

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