タヌキがゆく《狸穴総研機関誌・狸穴ジャーナル》

三重交通 神都線 と お伊勢さんの思い出

神都線は『神授の気性?』に富んだ氏子たちの挑戦だった...

《 abandoned railroad 》第10回

※当サイトで用いた廃線ルートは、全て現在公開されている国土地理院の航空写真データに基づいています。

但し数m程度の誤差があることはご了承願います。

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《 abandoned railroad 》の総合目次

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プロローグ 森林鉄道・軽便鉄道・路面電車が日本各地から消えた理由とは?

森林鉄道・軽便鉄道・路面電車衰退の理由は、戦後復興・高度成長期に訪れた「急速なモータリゼーション化の波に飲み込まれた」と...

第1回 日本における 広域 LRT 網 の故郷 信達軌道

嘗て、伊達市域には「ヨーロッパ型 LRT 網」が張り巡らされていた!1960年代後半まで地域住人の大切な足として、「域内アクセスの柱」的役割を果たしていた...

第2回 ピーチライナー が『ピンチライナー?』になって消えた訳

1㎞当たり42億、総工費313億円も掛けて建設した ピーチライナー がたったの15年でお払い箱となった....利便性の殆ど無かった「粗悪交通効カン」建設の茶番劇の顛末記。

第3回 JR杉本町駅⇔JR久宝寺駅間の旧 阪和貨物線 跡地が LRT 化できれば...

杉本町⇔久宝寺駅間の旧阪和貨物線(関西本線化貨物支線)を復活させて超低床トラムカーを走らせる LRT 路線に改修してみてはいかがでしょうか?

第4回 日本の地方都市から"路面電車"が消えた理由?

かつて高度成長期の頃、トラムカーは"車優先社会"?の当時の日本では邪魔者扱いされ日本各地の地方都市の路上から追い出され消えていった...

第5回 大阪 上町台地と天保山に 観光 LRT の復活を!

大阪万博を契機に2つの区にまたがったUSJと海遊館が協力し合ってインバウンド観光客を呼べる一大都市型エンタメ・リゾートゾーンを構築すべきでは?

第6回 勝田線 も LRT なら復活できる!公共交通不毛地帯を嘆いているだけでは....

鉄道不毛地帯を嘆いているだけでは事態は良くなりません!第3セクター"令和志(こころざし)ライン"勝田ライトレールの復活を図るべきではないでしょうか?

第7回 小樽 LRT の実現で小樽市に再び活気が...2031年の 手宮線 151周年記念"メインプロジェクト"として復活を!

小樽市は、嘗ての北海道官営幌内鉄道発祥の地です。1880年に開通した北海道官営幌内鉄道で運ばれた黒いダイヤを手宮港から日本全国に出荷しだして本年2020年で140周年を迎えたました!

第8回 " 三江線 "を復活させて島根⇔広島を結ぶmini新幹線を

ヤマカゲ側を一直線に繋ぐ山陰新幹線構想よりも、廃線となった" 三江線 "の一部区間を復活・再利用して高規格路線を建設すれば、高速バスに十分対抗できる新たな陰陽連絡高速鉄道が...

第9回 臨海鉄道 臨港鉄道 が全国の港湾都市から消えて行った訳は...

時代遅れと思われている臨港線を懐古趣味で眺めるのではなく、生活路線都市て見直すべき時期ではないでしょうか!痴呆都市?の交通政策そのものが時代遅れ"なだけです!

第11回 岡山臨港鉄道を復活できレバ!南区市民が...

岡山市南区の「公共交通苦痛?」問題を岡山臨港鉄道の復活で一気に解決しましょう!都市化が進んだ南区では「路線バス」だけにたよるには、甚だ心許ない状況になってきています...

第12回 別府鉄道 をLRTとして復活できレバ新幹線 新加古川駅 も夢では...

旧国鉄高砂線の一部区間加古川⇔野口間と別府鉄道野口線、土山線を、LRT路線として復活させれば、約26万人!の加古川市民の殆どが暮らすこのエリアに便利で便りになる路線が復活できます!

プロローグ お伊勢さんへのアクセスの変遷

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19世紀末の文明開化で、後に関西鉄道(かんせいてつどう)となった参宮鉄道が津 ⇔宮川間に1893年に開業しましたが...

宮川の渡橋工事の目途も建っていない状況でした!

宮川電気の当初の計画では、宮川まで大事な活き神様(乗客)をお迎えに上がるために、本町を起点としたわけです。

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第1節 三重交通 神都線

宮川電気 が1903年8月5日 に本町⇔ 二見間7.6kmにインターアーバン(都市圏高速電気軌道)を運行しだしたことに始まります?

東京電車鉄道(後の東京都電)や大阪市電より早い開業で、日本で7番目とされています!

参宮鉄道が開業後にやっと資金が集まり、1897年(明治30年)に下宮の真正面"山田"(現伊勢市)迄延伸されたので、宮川電気は 再度計画(申請)をし直して、当時の駅前の目抜き通り(伊勢神宮下宮参道)をstreet running することに変更したわけです。

そして開業の翌々年に当たる1905年8月4日には、参宮鉄道開業に合わせて着工されていた駅前道路(鳥羽松坂線(1900年4月完成)に、路線を伸ばし、

更に1909年10月には御幸道路の本町 ⇔外宮前 ⇔前田間に新線(南線)が開業して、旧線(伊勢神宮下宮参道)を上り専用、新線区間は下り線として、経路別運行を開始したわけです...

戦後の航空写真では解明できない事も...

最初にお断りしたように、本項で用いた経路図は、敗戦後に撮影された、国土地理院の航空測量写真に下ずいて、出来るだけ正確を期していますが...

1915年撮影とされる、山田駅(現伊勢市駅)から発車する「花電車」が(伊勢神宮下宮参道)を経由している姿が撮影されているので、当時完全には分かれていなかったのかもしれません!(※01)

その後、宮川電気は東邦電力に合併されて、1939年に国策で鉄道事業が分離されて独立して神都交通となり、大東亜戦争末期の1944年2月11日 に再度国策で、三重県下の鉄道・バス事業の大統合で三重交通・神都線となりました。

そして正月のお伊勢さん詣での"特需輸送"が終わった、1961年1月20日に無事役目を終えて、天に召されたわけです!

(※01)今後三重交通さん自らが、当時の正確な保存データ(測量データ)に下ずいた、路線図を編纂していただくことを期待する次第です!

乗って見たかった伊勢電気鉄道ラインについて

図中に記入したグレーラインは、陽炎のように短い生涯を終えた伊勢電気鉄道ラインです!

この路線を知ったのは、1967年の夏に部活の吹奏楽部の夏の合宿で大王崎に訪れた時のことでした。

当時すでに名阪国道が開通(1965年12月16日全通)していて、大王崎程度?ならバスで行ける範疇になっていました。

その往路に、道路沿いにあったのがこの路線でした!

1930年12月25日に開業してたった13年足らずしか、使われなかった伊勢電気鉄道の遺構もはっきりとわかる状態で残されていました!

戦時中の1942年8月11日に不急不要路線(※11)として新松阪⇔大神宮前間が廃止となり、鉄橋は撤去され、線路もはぎ取られた伊勢電気鉄道ラインでしたが、当時は"妄想"を搔き立てるには十分すぎる面影が残っていました!

神都線が近くに来てくれなかった?ことも本線が、消えていった理由の一つに挙げてもよいのではないでしょうか?

(※但し同い年生まれの近鉄宇治山田駅も、電停からは離れていましたが...)

参※11)当サイト内関連記事 隔離された 今里筋線 は大東亜戦争中なら間違いなしに不要不急の 廃止路線 !に... はこちら。

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第2節 神都線が無くなったのは...

神都線が無くなったのは、天災のせいでも自動車往来の邪魔になったからでもありません!

いわば人災ともいえる結果で、神から授かった神都線が神のもとに召されたわけです...

別項で述べましたが日本で、「チンチン電車が邪魔もの」扱いされだしたのは、道路整備が追い付かなかった!ためですが...(※02)

参※02)当サイト内関連記事 日本の地方都市から 路面電車 トラムカーが消えた理由とは? はこちら。

「神の路」を授かったことが

皮肉にも当地では、 1965年に全通した名神高速道路がもたらした"道路建設革命"が起こる以前の、戦前から続く旧石器時代?の舗装技術、コンクリート保舗装道路が次々と整備されていました!

御幸道路

「皇紀(神武天皇即位紀元)2600年」(1940年)に向けて、戦前の1933年13月末に御幸道路の完全舗装が完成していました!

鳥羽松坂道路

前途したように1900年4月には早々と幅員10間(18.18メートル)の駅前道路が開通していて、更に御幸道路同様に戦前にはコンクリート舗装が実現していました!

完全舗装道路が実現した「おかげで」

つまり、大半が専用軌道区間だった神都線では、当然専用軌道&鉄道線の維持管理・設備更新費用は三重交通持ちで、旅客運輸だけに頼る同線では、採算性が非常に悪かったわけです!

そこで、路線の維持管理は道路管理者(三重県)任せで、「余分な運行経費」!が一切かからないバス路線に転換することを決めて、神都線は自主的に廃止したわけです!

なので、お正月行事が全て終わって、繫忙時が一段落した1961年1月20日に「神都線」を天にお返ししたわけです!

更に付け加えると、戦前戦後の30人程度の小型ボンネットバスでは、お伊勢さん詣での観光客が捌き切れず、一度に100人以上の乗客を捌けるチンチン電車が大活躍を続けていたわけです!

しかし、1960年代に入ると、60人乗りのおおがた路線バスが活躍するようになり、バス輸送でも充分に対応できる?ようになってきたわけです!

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エピローグ デジタヌの思い出

小生の父は、お役人だったので則哲?(乗り鉄)でした。

父は、東京出張するときは必ず夜行を使い、プライベートでも良く小生を連れて、日帰りで行ける近畿の国鉄路線を連れ回して?くれました。

初めてのお伊勢さん詣では日帰り観光

小生が御幼少のみぎり?1956年当時、母を連れ立って3人で日帰り伊勢旅行をした思い出があります!

当時株主優待で、(冷房化はされていませんでしたが)憧れの当時最新鋭の近鉄2250系電車の切符が入手出来ていたのですが...

時間に大様(ルーズ?)な父は、河内国分⇔上本町間の時間を見込んで無くて、見事に乗り遅れてしまいました!

仕方がないので、後続の参宮急行電鉄2200系電車でお伊勢さんに向かったわけです!

当時から...というよりは、当時は急行電車も時間一本は運行されていて、お伊勢さんに無事に付けたわけです!

そこで、当時まだ現役バリバリ!だった神都線で、下宮・内宮・二見浦という定番コースを巡り、宇治山田駅から特急で鶴橋までの帰路に就いたわけです!

2度目のお伊勢参りは修学旅行

これぞお伊勢さんのご利益というか...

小学校の修学旅行は1662年当時登場したばかりの最新型の初代青空号20100系電車を利用したお伊勢参りでした!

前途したくょうに1961年1月20日に全線廃止となっていますので、その雄姿すら拝むむことはかないませんでした...

一方で、まだ完全舗装された道路が少なかった「大いなる田舎大阪府」から、神の国お伊勢さんを訪れた小生は、補助席込み60人乗りの中型!観光バスで、『滑走路のような滑らかな』完全舗装された道でバス旅行を満喫することが出来ました!

まあその後は、思い出せないくらい何度も出かけているので、また別の機会にという事で...

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後書き《 abandoned railroad 》シリーズについて

明治維新後の文明開化で訪れた陸蒸気幹線の発達と共に、日本各地で民間資本による"軽便ブーム"が起こり、その多くが昭和に至るまで大活躍していました。

今風に言うなら LRT 網と言うことになります!

そしてその多くがabandoned railroad(廃線)となって"天に召された"わけです...

これらは、市街地を駆けまわる"チンチン電車"網であったり、都市圏交通を担うインターアーバン(都市圏電気軌道)であったり、鉄道幹線(大都市)と港町を結ぶ臨海鉄道・臨港鉄道、山間部を縫う森林鉄道、更には1960年代まで北海道で大活躍した"殖民軌道"などなど...

更には、準LRTと言っても過言ではない地方ローカル線が例に挙げられるでしょう。

これらのabandoned railroad達にスポットを当てて、陸上交通における"ローカルエリア鉄道"が担ってきた役割とその"生い立ち"、更には"消えていった背景"を考察して、トランスポーターとしての『 鉄道の将来 を考えてみました!

狸穴総研 交通問題研究所 出自多留狸

 

公開:2021年7月31日
更新:2021年8月 8日

投稿者:デジタヌ

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