狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

三重交通 神都線 は 東京電車鉄道 や大阪市電より 先に " 神から授かって " いた

前書き(要約) 神都線は『神授の気性?』に富んだ氏子たちの挑戦だった...

神都線は 宮川電気 が1903年8月5日 に本町⇔ 二見間7.6kmにインターアーバン(都市圏高速電気軌道)を運行しだしたことに始まります?

東京電車鉄道(後の東京都電)や大阪市電より早い開業で、日本で7番目!とされています。

※当サイトで用いた廃線ルートは、全て現在公開されている国土地理院の航空写真データに基づいています。

但し数m程度の誤差があることはご了承願います。

三重交通 神都線 と お伊勢さんの思い出 の目次

※リンクについて

(参※xx) は当サイト内の参照関連記事リンクです。
但し、その他の直接 hyper-link は当事者・関連団体の公式サイト若しくはオリジナル各国語版Wikipediaへ直接リンクしています。

プロローグ お伊勢さんへのアクセスの変遷

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19世紀末の文明開化で、後に関西鉄道(かんせいてつどう)となった参宮鉄道が津 ⇔宮川間に1893年に開業しましたが...

宮川の渡橋工事の目途も建っていない状況でした!

宮川電気の当初の計画では、宮川まで大事な活き神様(乗客)をお迎えに上がるために、本町を起点としたわけです。

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第1節 三重交通 神都線

宮川電気 が1903年8月5日 に本町⇔ 二見間7.6kmにインターアーバン(都市圏高速電気軌道)を運行しだしたことに始まります?

東京電車鉄道(後の東京都電)や大阪市電より早い開業で、日本で7番目とされています!

参宮鉄道が開業後にやっと資金が集まり、1897年(明治30年)に下宮の真正面"山田"(現伊勢市)迄延伸されたので、宮川電気は 再度計画(申請)をし直して、当時の駅前の目抜き通り(伊勢神宮下宮参道)をstreet running することに変更したわけです。

そして開業の翌々年に当たる1905年8月4日には、参宮鉄道開業に合わせて着工されていた駅前道路(鳥羽松坂線(1900年4月完成)に、路線を伸ばし、

更に1909年10月には御幸道路の本町 ⇔外宮前 ⇔前田間に新線(南線)が開業して、旧線(伊勢神宮下宮参道)を上り専用、新線区間は下り線として、経路別運行を開始したわけです...

戦後の航空写真では解明できない事も...

最初にお断りしたように、本項で用いた経路図は、敗戦後に撮影された、国土地理院の航空測量写真に下ずいて、出来るだけ正確を期していますが...

1915年撮影とされる、山田駅(現伊勢市駅)から発車する「花電車」が(伊勢神宮下宮参道)を経由している姿が撮影されているので、当時完全には分かれていなかったのかもしれません!(※01)

その後、宮川電気は東邦電力に合併されて、1939年に国策で鉄道事業が分離されて独立して神都交通となり、大東亜戦争末期の1944年2月11日 に再度国策で、三重県下の鉄道・バス事業の大統合で三重交通・神都線となりました。

そして正月のお伊勢さん詣での"特需輸送"が終わった、1961年1月20日に無事役目を終えて、天に召されたわけです!

(※01)今後三重交通さん自らが、当時の正確な保存データ(測量データ)に下ずいた、路線図を編纂していただくことを期待する次第です!

乗って見たかった伊勢電気鉄道ラインについて

図中に記入したグレーラインは、陽炎のように短い生涯を終えた伊勢電気鉄道ラインです!

この路線を知ったのは、1967年の夏に部活の吹奏楽部の夏の合宿で大王崎に訪れた時のことでした。

当時すでに名阪国道が開通(1965年12月16日全通)していて、大王崎程度?ならバスで行ける範疇になっていました。

その往路に、道路沿いにあったのがこの路線でした!

1930年12月25日に開業してたった13年足らずしか、使われなかった伊勢電気鉄道の遺構もはっきりとわかる状態で残されていました!

戦時中の1942年8月11日に不急不要路線(※11)として新松阪⇔大神宮前間が廃止となり、鉄橋は撤去され、線路もはぎ取られた伊勢電気鉄道ラインでしたが、当時は"妄想"を搔き立てるには十分すぎる面影が残っていました!

神都線が近くに来てくれなかった?ことも本線が、消えていった理由の一つに挙げてもよいのではないでしょうか?

(※但し同い年生まれの近鉄宇治山田駅も、電停からは離れていましたが...)

参※11)当サイト内関連記事 隔離された 今里筋線 は大東亜戦争中なら間違いなしに不要不急の 廃止路線 !に... はこちら。

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第2節 神都線が無くなったのは...

神都線が無くなったのは、天災のせいでも自動車往来の邪魔になったからでもありません!

いわば人災ともいえる結果で、神から授かった神都線が神のもとに召されたわけです...

別項で述べましたが日本で、「チンチン電車が邪魔もの」扱いされだしたのは、道路整備が追い付かなかった!ためですが...(※02)

参※02)当サイト内関連記事 日本の地方都市から 路面電車 トラムカーが消えた理由とは? はこちら。

「神の路」を授かったことが

皮肉にも当地では、 1965年に全通した名神高速道路がもたらした"道路建設革命"が起こる以前の、戦前から続く旧石器時代?の舗装技術、コンクリート保舗装道路が次々と整備されていました!

御幸道路

「皇紀(神武天皇即位紀元)2600年」(1940年)に向けて、戦前の1933年13月末に御幸道路の完全舗装が完成していました!

鳥羽松坂道路

前途したように1900年4月には早々と幅員10間(18.18メートル)の駅前道路が開通していて、更に御幸道路同様に戦前にはコンクリート舗装が実現していました!

完全舗装道路が実現した「おかげで」

つまり、大半が専用軌道区間だった神都線では、当然専用軌道&鉄道線の維持管理・設備更新費用は三重交通持ちで、旅客運輸だけに頼る同線では、採算性が非常に悪かったわけです!

そこで、路線の維持管理は道路管理者(三重県)任せで、「余分な運行経費」!が一切かからないバス路線に転換することを決めて、神都線は自主的に廃止したわけです!

なので、お正月行事が全て終わって、繫忙時が一段落した1961年1月20日に「神都線」を天にお返ししたわけです!

更に付け加えると、戦前戦後の30人程度の小型ボンネットバスでは、お伊勢さん詣での観光客が捌き切れず、一度に100人以上の乗客を捌けるチンチン電車が大活躍を続けていたわけです!

しかし、1960年代に入ると、60人乗りのおおがた路線バスが活躍するようになり、バス輸送でも充分に対応できる?ようになってきたわけです!

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《日本の Interurban が辿った鉄路》関連特集記事のご案内 

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後書き《 abandoned Road から得られる教訓》シリーズについて

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第1項 abandoned Railroadから学ぶべき教訓

多く歴史ある鉄道がabandoned railroad(廃線)となって"天に召された"ましたが...

第1目 鉄道黎明期の LRT ?ブーム

明治維新後の文明開化で訪れた陸蒸気幹線の発達と共に、日本各地で民間資本による"軽便ブーム"が起こり、その多くが昭和に至るまで大活躍していました。

今風に言うなら LRT 網と言うことになります!

全国にあった軽便軌道の栄枯盛衰は

(※参 詳しくは当サイト内関連記事 嘗ては手軽な輸送手段だった?"鉄道" はこちら。

これらは、軌道法軽便鉄道法に下づいていたり、いずれにも属さない"簡易軌道"として、

市街地を駆けまわる"チンチン電車"網、都市圏交通を担うInterurban(都市圏電気軌道)、鉄道幹線(大都市)と港町を結ぶ臨海鉄道・臨港鉄道、山間部を縫う森林鉄道、そして北海道で1960年代!まで大活躍した殖民軌道などなどでした。

更には、準LRTと言っても過言ではない旧地方鉄道法準拠のrural line(肥えタゴ路線)の地方私鉄も含まれるでしょう。

第2項 "持続可能な鉄道事業"を目指すには...

これらのabandoned railroad達にスポットを当てて、陸上交通におけるregional line"地方交通線"が担ってきた役割と、その"生い立ち"、更には"消えていった背景"を考察して、「トランスポーター」の一つとしての「持続可能な鉄道事業」の姿を模索してみました

♥RTD(Regional Transportation District,デンバー地域交通事業団の例

赤字路線を再生するには、更にはabandoned railroadを蘇らせる!には...

これらのabandoned railroadにスポットを当てて、陸上交通における"地方交通線"が担ってきた役割と、その"生い立ち"、更には"消えていった背景"を考察して、現行の廃止対象路線がトランスポーターとして『21世紀を走りぬく』方法を模索してみました。

狸穴総研 交通問題研究所 出自多留狸

 

公開:2021年7月31日
更新:2022年9月10日

投稿者:デジタヌ

和歌山市・ぶらくり丁の再興・活性化には単発イベント等ではない持続性のある交通施策が必要では...TOP紀勢線は"地上げ屋"と"鉄オタ"以外からは、"沿線住人"にも期待され無くなった!?


 

 



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