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神幸祭 《 お祭り ナビ 》 知る人ぞ知る 京都 伏見 御香宮神社 のお祭り

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Official Website http://www.gokounomiya.kyoto.jp/

御香宮神社・神幸祭のあらまし

※2018年6月15日現在本年の開催イベントに関する公式発表及び公式サイトの情報更新はされておりません。

開催日 毎年10月上旬の9日間/祭事

※2018年6月15日現在本年の開催イベントに関する公式スケジュールの発表はされておりません。

会場  御香宮神社

(京都市観光MICE推進室の準公式ガイドはこちら)

毎年10月上旬に9日間に渡って行われる祭事の最終日に(通常第2日曜)の渡御パレード。

最終日の神輿巡幸では、3基の神輿を渡御台に乗せ、獅子若、猿田講社、武者行列(奴振りを伴う)、稚児行列の行列が時間差をもって氏子地域を終日、巡行する。

とかく京都のお祭りというと、祇園祭りの様に、雅でまったりしたお祭りを、連想しがちだが、この祭りは御神輿渡御を中心に構えた「賑やかな祭りらしい庶民の祭り」で江戸の「山王祭り」に近い一面も持っているが、「浅草三社祭り」のような荒々しい面も併せ持った京都では異色?のお祭りで、各地のローカルなお祭り同様に地元ではに熱狂的に受け入れられている。

御香宮神社・神幸祭の見どころ

最終日に行われる昼間の稚児行列と、当夜行われる宮入。

特に昼間に行われる「神輿を山車」に乗せ氏子が町内を引き回す行列は長時間にわたるパレードで、そばを走る国道24号線は終始大混雑で事情を知らないよそ者には迷惑至極なお祭りでもある?

御香宮神社のロケーション

ところ   京都府京都市伏見区御香宮門前町

トリップアドバイザーの周辺口コミガイドはこちら。

神幸祭へのアクセス

鉄道・バスなどの公共交通

京都市営バス御香宮前 バス停

京阪電車...伏見桃山駅下車

近鉄京都線...桃山御陵前下車

JR奈良線...桃山駅下車

いずれも徒歩5分以内。

赤い大鳥居が目印です。

マイカー利用の場合

祭事当日は周辺に交通規制が敷かれ大渋滞が発生します。(実体験談)公共交通機関でお出かけください。

※境内に専用駐車場がありますが当日は閉鎖!更に周辺には民間駐車場もありません!

イベント開催データ

  1. 開催地  京都市
  2. 開催要領 毎年
  3. 運営組織/主催者 氏子/御香宮神社
  4. イベント内容 お祭り、

 

デジタヌの知っておきたい豆知識

御香宮神社のある京都市伏見区とこれ迄の歩み

豊臣秀吉が生涯を閉じた「伏見城のある桃山」の地名は、織田・豊臣政権期の時代区分「安土桃山時代」や、その文化「桃山文化」などの呼称の元となっている。

幕末期に、坂本龍馬をはじめとする討幕の志士たちが活躍した地としても知られる町。

古くは深草に稲荷神社の総本社である伏見稲荷大社の鳥居前町があり、天正時代には一大政治都市として桃山に伏見城と大名屋敷群、伏見にかけて大手筋を軸とした城下町が形成され、徳川時代初期には伏見藩が存在した。

その後伏見奉行が置かれ、淀川水運の重要な港町(伏見港)・宿場町(伏見宿)としても栄えるなど、昭和初期までは京都とは独立した別の都市であった。

京都との間は街道や高瀬川で結ばれ、明治には鴨川運河や鉄道(東海道線旧線・現JR奈良線)も早期に開通し、各地から京都への物資を運んだほか、平安時代には貴族の別荘地や天正時代以降は武家屋敷が立地していた桃山丘陵の大部分は現在桃山御陵の広大な緑地が広がり、酒造に用いられる豊富な伏流水の水源となっており、古くから灘五郷、伊丹、とならんで酒造業が盛んな事でも有名。

1931年に京都市に編入されて以後は、周囲の市街地化が進み、「京都の郊外」という色も濃くなっている。

深草・伏見以外にも、城下町として栄えた淀や、豊臣秀吉のだお茶会で有名な醍醐寺が建つ醍醐などの地区も区内に含まれる。

推計人口、1,466,937人/2018年4月1日

JR桃山-(京都)ー品川 2時間33分/13,910円/JR奈良線-新幹線

京都市のこれまでの主立った出来事


天正19年(1591年) - 豊臣秀吉が関白を豊臣秀次に譲り隠居所として伏見の指月に築いた屋敷に隠居する。
文禄3年(1594年) - 豊臣秀吉が隠居屋敷を城郭へと大規模に改修、伏見城の城下町として伏見の町割、開発を行ない、町の原型が形作られる。
文禄4年(1595年) - 関白豊臣秀次が切腹し、政治の中心が聚楽第から伏見に移る

慶長3年(1598年) - 豊臣秀吉、醍醐にて花見を行う。同年、伏見城にて死去。
慶長5年(1600年) - 伏見城の戦いにて伏見城炎上、関ヶ原の戦いの火ぶたが切られる。
慶長6年(1601年) - 徳川家康が伏見城の再建を開始。城下に銀座が置かれる。
慶長8年(1603年) - 徳川家康が伏見城にて将軍宣下を受ける。
慶長10年(1605年) - 徳川家康が伏見城で朝鮮使節と会見し、文禄・慶長の役で関係が悪化していた朝鮮と和議を成立する。

慶長12年(1607年) - 松平定勝が伏見城代となる。
慶長13年(1608年) - 銀座が京都に移される。
慶長18年(1613年) - 京都二条と伏見の間に高瀬川が開通する。
元和3年(1617年) - 伏見城代が廃止される。
元和9年(1624年) - 小堀遠州が伏見奉行となる。
寛永1年(1624年) - 伏見城が廃城となる。以後、伏見は奉行が支配する。


元文1年(1736年) - 伏見指物町の銭座で銭貨が作られる。

文久2年(1862年) - 寺田屋事件が起こる
元治1年(1864年) - 長州藩が兵を率いて伏見に入る。幕府軍に敗れ、長州藩伏見屋敷焼失。(禁門の変)。
慶応3年(1867年) - 伏見奉行が廃止される。
慶応4年(1868年) - 鳥羽・伏見の戦いで伏見市街が戦場となる。
1879年(明治12年) - 郡区町村編制法により伏見区が設置される。
1879年(明治12年)8月18日 - 官設鉄道(東海道旧線)の稲荷駅開設。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により紀伊郡伏見町が発足する。
1894年(明治27年)9月 - 琵琶湖疏水の冷泉放水口から伏見インクラインを経て、伏見城外堀の濠川までを結ぶ鴨川運河が開通する。
1895年(明治28年)2月1日 - 京都駅前(七条)と伏見下油掛の間で、営業用としては日本初の電車である京都電気鉄道開業(後の京都市電伏見線、1970年廃止)
1895年(明治28年)9月5日 - 奈良鉄道の伏見駅開設。
1895年(明治28年)11月3日 - 奈良鉄道の桃山駅開設。

1912年(大正元年) - 明治天皇の遺言により桃山丘陵に伏見桃山陵が造営される。
1914年(大正3年)5月 - 鴨川運河の伏見インクラインの落差を利用した墨染発電所が運転を開始する。
1929年(昭和4年)5月1日 - 伏見町が京都府下で2番目に市制を施行して伏見市が成立した。

1931年(昭和6年)4月1日 - 伏見市他8町村が京都市に編入され伏見区となった
1950年(昭和25年)12月1日 - 乙訓郡羽束師村および久我村を編入する。
1967年(昭和42年) - 伏見港公園が都市計画決定。港湾としての歴史が名実ともに終結した。

神幸祭の行われる御香宮神社のこれまでの歩み

初めは「御諸神社」と称した。

創建の由緒は不詳であるが、貞観4年(862年)に社殿を修造した文書が残っている。

伝承によるとこの年、境内より良い香りの水が湧き出し、その水を飲むと病が治ったので、時の清和天皇から「御香宮」の名を賜ったという。

現在「御香水」として名水百選に選定されている。

豊臣秀吉は、伏見城築城の際に当社を城内に移し、鬼門の守護神とした。

後に徳川家康によって元の位置に戻され、現在の本殿が造営された。

表門は伏見城の大手門を移築したものとされている。

明治元年(1868年)に起こった鳥羽・伏見の戦いでは伏見町内における官軍(薩摩藩)の本営となったが、本殿等は無事であった。

ご注意;記事中※印は当サイト内の紹介記事リンクです。
但し、その他のリンクは事業主・関連団体の公式サイト若しくはWikipediaへリンクされています。

公開:2018年6月15日
更新:2018年11月 7日

投稿者:デジタヌ

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