狸穴ジャーナル・別冊『旅するタヌキ』

富士 SUPER TEC 24時間レース 《 Bigタイトルレース 》 富士スピードウェイで開催される24時間耐久レース

       

2018年のこのイベントはすでに終了しています。

次回をお楽しみに!

血湧き肉躍る栄光の'70年代が今蘇ろうとしている!

1960年代後半に映画『2001年宇宙の旅』(1968年公開英・米制作)が大ヒットし、1969年7月20日アポロ宇宙船が月面探査に成功して、持ち帰った『月の石』が1970年の大阪万博のアメリカ館の展示の目玉となり、万博自体も開期延長させるほどの大成功を納め、高度成長期の『日本丸』の眼前には『バラ色の未来』への航路が拡がっていた!

毎月・毎日のように発表される『新車』、家電製品、ハイテク機器の数々で、庶民は「便利で快適な未来」を信じ、経済界は自動車大国・エレクトロニクス大国に突き進んでいた!

その後、アメリカのマスキー法を発端に大気・環境汚染が全世界的な課題となり、「ハイテク」「高性能」だけでは商品が売れ無くなり、小生のような「(目)新しいもの好き」にとっては寂しい時代が続きました。

その後1986年の年末から1991年2月までの51か月間に渡りバブル経済巻き起こり日本国中を'有頂天"にさせましたが、テクノロジー面では発展途上にあった「韓国・中国」にあっと言う間に追いつかれ、ハイテク立国の影が薄くなってしまっいました。

バブル経済の反動で「停滞感、諦念感」が徐々に世界中を覆っていった

バブル経済崩壊後、基礎(技術)研究の重要さが叫ばれながらも、日本の企業は利益の「内部留保」に走り、給料の上がらない庶民は買い控えに走り、経済は益々停滞し、「停滞感、諦念感」が日本国中を覆ってしまいました。

2020年東京オリンピックが引き金になりバラ色の未来が蘇ろうとしている!

2020年東京オリンピック開催決定がトリガーとなり、日本には再び「便利で快適な、バラ色の未来」を確信する人達が増えてきました。

2020年東京オリンピックの中継本放送を目指した次世代衛星ウルトラハイビジョン「8K」試験放送が本年(2018年)から開始される...

と言っても2018年3月23日現在、家電メーカー各社から8K受像器はおろか8K専用チューナーすら発売されてなく発表すら無い状況です。

パネルメーカー(LG)やフィリップス、DELLなどの一部のメーカーからパソコン用の「8Kモニター」が発売されているにすぎません。

しかし、来年度(2019年)中には各社から一般家庭用TV受像器が出そろう予定で今から楽しみではあります。

自動車産業にとっては革新的な自動運転技術の確立が

更に、いま自動車産業界最大の関心事は

  • 「ビッグデータ」を利用したAI(人工知能)による自動運転技術の確立、と
  • ハイブリッドカーに始まるエネルギー改革
    太陽光パネル、高性能蓄電池、燃料電池、などによる化石燃料(ガソリン)からの転換。
    次世代動力源「エレクトリックカー」技術の確立という目標が現実味を帯びてきている状況でもあります。

2020FUJI-WEC24時間レースへの道のり?

本年テスト開催?される2018年富士 SUPER TEC 24時間レースは2020年に(多分)開催をもくろんでいる2020FUJI-WEC24時間レースへの道のり「ローリング・ラン」では無いかと小生は思っています。

はっきり言って、現状の日本では次項にのべるように「24時間レースの根付く土壌」は育っていないと感じています。

つまり時期尚早では無かろうか?との思いもあります。

一気に2020FUJI-WEC24時間レース開催をもくろむのでは無く、富士 SUPER TEC 24時間レースで当たりと開催・運営ノウハウを蓄えようと考えているのでは無いでしょうか?

モリゾーのパフォーマンスに期待が掛かるも...

TOYOTA2000GTの初勝利以来51年が経過し最後に富士24時間耐久レースが開催された1968年以来50年に当たる節目の年を迎えて、ひょっとしたら決勝レースに搭乗するハプニングが用意されているかもしれません。

可能性が高い順で言えば、フォーメーションラップ(ローリングスタート先導車)オフィシャルカーとして「ご自慢の自動運転レクサス」の監視役としてモニターで乗車するか?

ファンが期待するのはTOYOTA博物館秘蔵の名車・往年の「TOYOTA2000GT」を再整備し直し完全レストアして「モリゾーのドライブで一周フォーメーションラップを先導する」と言った趣向が組まれているのでは?...レース当日を期待しましょう!

日本で24時間耐久レースが根づいてこなかった理由とは

国民性の違い、「ルマン24時間レース」観戦は「夏のバカンス」の過ごし方の一つ!

24時間レース発祥の地フランスでは「ルマン24時間レース」観戦は「見世物見物」では無く「夏の長いバカンス」の過ごし方の一つとなっています。

※Google earth Mode(航空写真モード)で閲覧するとコースの全容を確認することができます。

毎年6月夏至の頃に開催されるル・マンレースウィークは

ル・マン 24時間レースは「単なるお祭り騒ぎのフェスティバル」では無く「レースウィーク」として「1週間の長丁場」で開催されています!

日・月曜日にル・マン旧市街地のリパブリック広場で一般公開の公式車検を行い、

水曜日にフリー走行と出走順位を決める為の(クォリファイ・タイムアタック)公式予選1回目、

木曜日に公式予選2・3回目を行いますが、レース中に夜間走行があるため予選も深夜近い時間帯に行われます。

金曜日はル・マン市内でレースカーによるドライバーズパレードがあります。

土曜日の午前中にウォームアップ走行を行い、午後3時にレース開始となり午後10時頃日没を迎えて、

翌日曜日の午前6時頃に日の出を迎え、午後3時に栄光のチェッカーフラッグが振り下ろされます。

1週間の間滞在者は何をしているか?

最初にお断りしたように、「サマーフェスティバル」であると同時に「バカンス週間」であり目的は「ノンビリと時の流れを楽しむ」事に有り、熱狂的な「レースフリーク」以外は長いレース中はブガティサーキット(メインスタンド・パドックなど)には顔を出さず、貸別荘(として貸し出されるのは普段は住人の住居!であり、レースウィーク中彼らは、ニース当たりにバカンスに行っている!)の庭先で、遠くに雷鳴?(爆音)を聞きながらノンビリと日光浴などを楽しんでいます。

つまり短期集中的な日本の「レースイベント」では無く「ファンそれぞれの思い思いのスパンで」楽しむバカンスの過ごし方の中の1週間であり、ルマン周辺での集中的な「イベント開催による交通混雑」は発生しにくいイベントとなっています。

貸別荘以外にもホームステイ(民泊)の制度が有り村全体がレースをもり立てている

かつて小生が務めていた会社の同僚は、2年連続でこのホームステイを利用して、「ル・マン 24時間レース」観戦に出かけていたそうです。

主催者は自動車俱楽部

1923年の第1回大会以来「フランス西部自動車クラブ (ACO) 」と言う地元のモーター俱楽部が主催する地方イベントとしてFIAが追認する形で開催されている地方イベントです。

事実1993年から2009年まではローカルレースとして、2010年から再びインターコンチネンタル・ル・マン・カップ(ILMC)としてFIA公認大会に2012年からフランス西部自動車クラブ(ACO) がオーガナイズし、FIAが運営する大会となり2017年から再び世界選手権となった大会でもあります。

つまり、上意下達で始まった大会では無くローカルな地元愛好家の自動車俱楽部がはじめた「クラブマンレース」なわけです。

日本の場合は

1)国民性によるレースファン意識の違い

日本ではレースは「ショー的要素」が強く「レース観戦」が目的なので、フリー走行・予選も含めて4日間では余りにも退屈すぎる!わけです。

2)「レース場運営団体」とオーガナイザーが共に営利団体

主催者である「レース場運営団体」とオーガナイザー(組織委員会)が共に営利団体であり、ドライバー主体の協会と興行主(レース場)が仕組んだイベントであり、そこには観衆(ファン)の思い入れが無く、意識がかけ離れている。

3)地元自治体と住人の理解・協力がどこまで得られるか?

かつて北海道の「旧十勝インターナショナルスピードウェイ」でも24時間「スーパー耐久」レースが開催されていたのは前出の通りですが...

しかし、「宿泊施設」の問題と何しろファンにとっては余りにも遠すぎる(旅費が嵩む)ので、思ったほどの観客が集まらずにレース大会の採算が取れなくて、地元建設業者が設立した「十勝モーターパーク」そのものも経営が行き詰まり、サーキットも現在の運営会社MSFの手に渡った経緯があります。

(※観客・ファンにはそっぽを向かれた企画?でしたが、空港から近い事もありドライバーも含め参加チームには評判は良かったそうです。)

富士 SUPER TEC 24時間レースの抱える不安要素

最大収容人員(発券枚数)11万人/日に見合わない貧弱な周辺アクセス

元々近傍にある東名高速道路は非常に交通量が多い区間に当たります。

休日ともなると富士山や富士五湖などの観光地に向かう観光客や、御殿場プレミアム・アウトレットに向かう買物客、さらにゴルフ客がこれに加わり各IC周辺は大混雑となっています!

主要幹線道路国道246号と国道138号(東富士五湖道路;御殿場バイパス)と結ぶサーキット周辺のアクセス道は一般道(県道)で、レース開催時には「御殿場IC」や「ぐみ沢交差点付近」での渋滞が発生しがちです。

2012年には、新東名高速道路の御殿場ジャンクション以西が一部開通したため、交通事情の改善が期待されましたが、大規模レースの観客と行楽客が重なる時には大きな渋滞が発生することも度々です!

自動車で来場する場合は場内に複数ある駐車場(15か所の自動車用駐車場と1か所のオートバイ専用駐車場)が使用でき、また大規模レースの際は場外に臨時駐車場が設けられて、各ゲートと主要観客席、駐車場を結ぶ場内シャトルバスが運行される事になっていますが...。

2020年に完成予定の新東名高速道路の小山PA(仮称)とスマートICの開設に期待が掛かっていますが...。

何よりもアクセス道路の施設が貧弱すぎる!

棚頭ランプ(小田原方面)とメインゲートに通ずる一般道(町道)が2車線のママ!

各ゲートと県道151号を結ぶ、町道も2車線のまま、更には東富士五湖道路とを結ぶ県道151号線そのものも2車線のまま!

これでは幾ら駐車設備を備えても、各交差点でボトルネックが発生して当たり前です!

2007年F1日本グランプリ2007 Japanese Grand Prix)の不始末の要因は解消されたか?

2007年のF1日本グランプリのFUJIでの開催は1977年以来30年ぶり3回目となったが、TOYOTAグループに入り施設改修後初めての開催で有ったが主催者側の読みの甘さ!で収容人員11万人を大きく上回る14万人分を発券した結果、悪天候とも重なり、大会終了後訴訟騒ぎまで発展するほどの大混乱が発生しました!

アクセスの悪さを露呈!

秋の行楽シーズンの週末にあたり、周辺道路の混雑が予想されたために観戦希望者はチケット購入時に「指定駅からのシャトルバス輸送」「場外駐車場からのシャトルバス輸送」「ツアーバス」の中からアクセス方法を選択する「チケット&ライド方式」が採用されて、マイカーや徒歩で直接来場することは禁止されました(タクシーの利用は可能)。

開催概要では3日間で延べ28万人、日曜日の決勝は14万人の来場を予測して、最大3000台の専用バスで輸送する体制がとられましたが...

しかし実際は運営側の見込みの甘さから、会場へ続く道路に多くのバスが集中した上に誘導などを行うスタッフの人員不足や不慣れなども相まって、予選の29日(土曜日)・決勝の30日(日曜日)とも会場周辺では最長6時間待ちの渋滞となりました。

更に未舗装の東富士駐車場では、雨でぬかるんだ路面に車輪がハマり、動けなくなる車も多数発生しました!

※翌年から未舗装の臨時駐車場の設営及びチケット・アンド・ライド方式は廃止されました。

トイレ・飲食施設の不備

救護施設等は、たくさんのバス待ちの来場者が場外に溢れていたにもかかわらず、定時で閉め切られてしまいました。

また場内施設での弁当が1500円から10000円!の高額設定の上販売数も限定されていました。

※本大会以後に場内売店販売「弁当」の販売価格設定が見直されました。

仮設観覧施設の不備

1コーナー付近の常設スタンドの後方に作られた仮設スタンドの一部(C指定席)からレース中のF1マシンがほとんど見えなかった事が観客からの苦情により判明しました、主催者(富士スピードウエイ&フジテレビ)はチケット代金の内、指定席料金にあたる金額を払い戻すと発表して払い戻し額は1枚あたり5万円、総額は3億5000万円にも登りました!

※本大会以後仮設スタンドの設営は廃止されました。

大会後「被害者の会」が設立され訴訟問題にまで発展!

翌2008年5月には一部の観客が富士スピードウェイを提訴することを決定、翌6月には109人が、チケット代全額や慰謝料など総額約3200万円の損害賠償を求める共同訴訟を東京地方裁判所に申し立てました。

この訴訟では2013年1月24日に、和解に応じなかった67人の原告のうち53人にそれぞれに約80万円を支払うよう命じる判決が出ました!

翌2008年F1日本グランプリ(2008 Japanese Grand Prix)では

開催に先立ち20数億円を投じて改修を行い、「シャトルバスの場内留置き方式への変更」「雨で陥没した軟弱舗装をしっかりとしたコンクリート舗装に変える」「通路の動線の見直し」「バス乗り場案内、バス乗り場の混雑状況、サーキット内ホスピタリティーについて随時、場内放送、PIT-FM、大型スクリーンで案内を行う」などの対策を行った結果、まずまずの天候にも恵まれ本来の11万人に入場制限(発券制限)したこともあり前年のような大きな混乱にはなりませんでした。

宿泊施設の懸念

2007年のF1GPでは、問題が出なかった宿泊設備ですが...

フリー走行も含めて4日間開催で出走チーム55チームとなれば、レース関係者だけで約1000人以上。

ホテル地元民宿、などの宿泊施設も有りますがサーキット近辺の施設はほんの数件、何れもレース関係者を収容するだけで精一杯でしょう!

近隣がダメなら、山中湖村や富士吉田市、や富士河口湖町当たりに宿をとれば良い?と安直に考えておられるファンの方も多いでしょうが...

前途したアクセス状況では東富士五湖道路も大渋滞に巻き込まれること必定で、首都圏の自宅から小田急で通った方がましかも?

※本大会以後専用駐車場の夜間滞留が認められた、但し決勝当日は定時閉鎖となっています、つまりレース終了後は否が応でも駐車場を追い出されて、帰宅の途につかざるを得ない訳です!

富士スピードウェイの周辺宿泊プラン

じゃらんの周辺宿泊ガイドはこちら。

食料品の確保の懸念

2007年のF1では場内売店販売価格設定が高かった事と販売数量が限定されていた為に、長時間に亘って「足止めを食らった」にもかかわらず「飯にありつけない人達」が多数出ました。

トイレ施設の懸念

各駐車場には、勿論仮設トイレがズラッと並ぶ訳ですが...果たして11万人の生理的欲求を満たせるのでしょうか?

※(主催者発表では)本大会後は更に設置数が増設されたそうですが?

と言う訳で観戦を予定しておられるファンの方に観戦心得を

1)チケットを、購入する前に、宿泊施設に当たり(予約)をつけておく事!

2)少なくとも観戦当日の「2食/1人」ぐらいは事前に準備しておく事!

3)マイカーでの観戦を考えておられる方は「ポータブルトイレ」も準備しておかれる方が良いでしょう。

※一般観覧者のブログレポートでは場内設備は通常の行楽地の込みようと同程度であったと記されていましたが...帰りの交通状況如何ではサービスエリアでのトイレ混雑、さらには高速道路上での長時間の渋滞も懸念される為、準備しておくに越したことは無いでしょう。

4)決勝2日目日曜日の帰りは大混雑が予想されるので、出来れば前出の周辺宿泊施設を予約しておかれて、勤務先には月曜も休暇願を出しておいてゆっくり湯治でも楽しんでから帰宅された方がより無難だと思われます。

尚、会場周辺のキャンプ設備をパックにした4日間有効のチケットなども発売されてはいますが、発売枚数(宿泊収容者数)が不明確で、当てになさらない方が良いでしょう。

(多分)インターネット配信されるでしょうから、ご自宅でゆっくりく「くつろぎ」ながら4K中継を観戦された方が無難かも?

ピレリ・スーパー耐久シリーズ2018
第3戦 富士 SUPER TEC 24時間レース

Official Website http://www.fsw.tv/motorsports/race/07/index.html

開催日 

予選2018年6月1日(金)
決勝6月2・3日(土・日)

(公式日程ガイドはこちら)

開催サーキット 富士スピードウェイ

※サーキットガイド記事はこちら

やったぜモリゾー!

大企業の(TOYOTA)の社長も務めている異色のレーサー?「MORIZO」こと豊田 章男氏が長年の夢「24時間レース」復活をしてくれた!

自らもニュルブルクリンク24時間レースに参戦・完走して2014年にはクラス優勝も果たしている経歴の持ち主。

富士 SUPER TEC 24時間レースのあらまし

(※レースシリーズ紹介記事はこちら)

1967年4月に日本初の24時間レースとして開催され細谷四方洋・大坪善男組の「トヨタ2000GT」が勝利を飾って、翌1968年3月と2年間開催されていら同サーキットでは50年ぶりで、スーパー耐久シリーズの24時間レースとしては10年ぶりの開催となります。

富士 SUPER TEC 24時間レースの特徴とみどころ

24時間レースとは

24時間レースは、フランスの「ル・マン24時間レース」、アメリカの「デイトナ24時間レース」、ドイツの「ニュルブルクリンク24時間レース」などで行われているエンデュランスレース(長時間耐久レース)で、特に伝統ある「ル・マン」には日本から毎年多数のメーカー・チーム、プライベート・チームが参加しており、かつて1991年には「mazuda」のロータリー787Bが総合優勝した事でも知られている。

残り3分で優勝をのがす事も

2016年 TOYOTAがル・マン24時間レースにTS050 HYBRIDで参戦したときはポルシェと最後までつばぜり合いを繰り広げるレースを展開した。

トヨタ悲願である初の総合優勝を目前に、残り3分でトップを走っていた5号車がマシントラブルでストップしてしまい、ポルシェに逆転を許してしまった。

しかし残った6号車が1994年、1999年、2013年に続きTOYOTA車4度目の総合2位に輝いている!

2018年富士 SUPER TEC 24時間レース参加チーム&ドライバー

ST-Xクラス11台/11チーム


Car No.1 3 ENDLESS SPORT ENDLESS GT-R YUKE TANIGUCHI/ ⼭内英輝 銘苅翼
Car No.2 24 KONDO RACING スリーボンド ⽇産⾃動⾞⼤学校 GT-R/ 内⽥優⼤ 藤井誠暢 平峰⼀貴
Car No.3 31 apr Nissoku Porsche991GT3R /JACK 影⼭正美 富⽥⻯⼀郎 TBN
Car No.4 81 J-Fly Racing by Phoenix Racing Asia J-Fly Racing R8 /Jeffrey Lee Andre Couto TBN
Car No.5 82 Phoenix Racing Asia Phoenix Racing Asia R8/ Alex Au Shaun Thong Alex Yoong TBN
Car No.6 83 Phoenix Racing Asia Phoenix racing Asia R8 /Lim Keong Wee Marchy Lee Melvin Moh TBN
Car No.7 99 GTNET MOTOR SPORTS Y's distraction GTNET GT-R/ 浜野彰彦 星野⼀樹 藤波清⽃ 安⽥裕信
Car No.8 112 R.N sports SATO - YAMASITA - SS AMG GT3 /佐藤敦 ⼭下亮⽣ 久保宣夫
Car No.9 244 MAX Racing MAX Racing RC-F GoMax /⽥中哲也 佐藤公哉
Car No.10 777 D'station Racing D'station Porsche/ 星野 敏 荒 聖治 近藤翼
Car No.11 999 CARGUY Racing

富士 SUPER TEC 24時間レースのチケット情報

(※一般前売り券は2018年3月22日(木)10;00から発売開始となりました)

チケットぴあ該当ページへのリンクはこちら。(2018年3月22日現在空席有り!)

富士スピードウェイの周辺観光ガイド

じゃらんの周辺観光ガイドはこちら。

静岡県の名産・特産品ガイド

静岡県のお土産物ガイドはこちら静岡県の銘酒ガイドはこちら静岡県の地ビールガイドはこちら。

富士 SUPER TEC 24時間レースの詳細データ

  1. 開催地  静岡県駿東郡小山町
  2. 運営組織/主催者(オーガニゼーション) スーパー耐久機構(STO)/富士スピードウェイ
  3. レース格式 JAF公認自動車レース 
  4. シリーズ名/レースカテゴリ スーパー耐久シリーズ(関連サイト解説記事はこちら)/エンデューロレース
  5. 催イベントその他 
  6. アクセス 
    • マイカー:東名高速道路:御殿場IC、東富士五湖道路:須走IC
    • 鉄道;

      JR御殿場線:御殿場駅、駿河小山駅(駅から富士急行路線バスまたはタクシー)
      小田急小田原線:新松田駅(御殿場線または開成駅始発当駅経由臨時バス乗り換え)
      小田急小田原線:開成駅(当駅始発新松田駅経由臨時バス乗り換え)
      富士急行線:富士山駅(御殿場駅行きバス乗り換え)

富士 SUPER TEC 24時間レースのこれまでの歩み

耐久のFUJI

「耐久のFUJI」として、かねてから耐久レースに力を入れているという富士スピードウェイ。

10月の「世界耐久選手権富士6時間レース」や、「SUPER GT500Km レース」「スーパー耐久 富士SUPER TEC」の長時間化、12月に開催する「GOODYEAR Vitz & 86/BRZ Dream Cup(6Hレース)」など数々の耐久レースが開催しされているサーキットです。

富士スピードウェイでの24時間レースは今までに、1967(昭和42)年4月と1968(昭和43)年3月の2回開催。

第1回大会は日本初の24時間レースとして細谷四方洋・大坪善男組の「トヨタ2000GT」が勝利を飾っています。

FUJIで行われた耐久レースの歴史

耐久レースと言えばFIA 世界耐久選手権 (FIA World Endurance championship;WEC)

耐久レースと言えばFIA 世界耐久選手権を思い起こす方が多いでしょうが、FUJIでは1982年から1988年までの7年間WEC-JAPANとして開催されて、 2000年にTOYOTAグループとなってからはFIA WORLD ENDURANCE CHAMPIONSHIP (;FWEC)として2012年から毎年開催されていました。(※公式ガイドはこちら

日本の24時間レースの歩み

前途のとおり1967年4月に日本初の24時間レースとして開催され翌1968年3月と2回、JAF公認国内レースとしてFUJI(旧FISCO)で開催された後、

SUPER 耐久では1994年から2008年までの15年間15回に渡り 十勝インターナショナルスピードウェイ(現十勝スピードウェイ)で開催されていました。

 

公開:2018年3月22日
更新:2020年8月 6日

投稿者:デジタヌ


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