旅するタヌキ

【ホール 音響 ナビ】新潟テルサ

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新潟テルサ

Official Website http://www.n-terrsa.jp/

新潟テルサのあらまし

ウィーンのムジークフエラインザール大ホールを念頭に設計されました。
1510席のワンスローププロセミアム形式のものであり、全国的にもあまり例がなく、クラシックからポピュラー・演劇・大会などにも利用できるよう、残響可変装置を備えています。<公式サイトより引用>

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新潟テルサのロケーション

所在地   新潟市中央区鐘木185番地18

新潟の町外れ、鳥屋野潟と「日本海東北自動車道」に挟まれた文化・スポーツゾーンの一角にある。

県道290号線を挟んで新潟県立鳥屋野潟公園と面し、道路側は屋内プールなどがある付属棟と成っており、東側は水路、南側は東京学館新潟高等学校、で守られた静かな環境の中にある。

新潟テルサへのアクセス

新潟駅南口バスターミナルから新潟交通の下記路線バスに乗車
1番線からスポーツ公園線「S70 南長潟・新潟市民病院」「S71 市民病院・曽野木ニュータウン」「S72 市民病院・大野」行で「産業振興センター前」下車すぐ
3番線から女池線「S52 笹出線・江南高校経由 市民病院」行で「東京学館前」下車後徒歩2分(平日一部時間帯のみ運行)
ホールイベント開催の際は、同バスターミナル臨時6・7番線から新潟テルサ正面もしくは産業センターバス停まで直行シャトルバスが運行される場合あり
亀田駅西口から新潟市江南区区バス「新潟市民病院」行で「東京学館前」下車後徒歩約2分

新潟テルサが得意のジャンル

  • ミュージカル、Jポップ関係のコンサートや、往年のアイドル・エンタテイナーのワンマンショウ、ジャズコンサート、歌謡ショー、懐メロ歌手の歌謡ショー、有名タレントの座長ショー、現代演劇、伝統芸能、落語・演芸寄席、大道芸、パフォーマンス・ショー等ジャンルに拘らない幅広い演目でこのエリアの多くの人達に受けいれられている。
  • またプロ演奏団体、以外にも数多くのアマチュア団体が利用している。

新潟テルサの公演チケット情報

チケットぴあ該当ページへのリンクはこちら。

新潟テルサ以外の新潟県の劇場ガイド

新潟県下にある公共ホールのまとめ』ページはこちら

新潟市の周辺観光スポット&イベント情報ガイド

新潟県にある『くびき野レールパーク』などの『甲信越エリアの観光スポットまとめ』記事リンクはこちら。

「鉄道イベント」などの『甲信越エリアのイベント情報』はこちら。

長野県で行われる『セイジ・オザワ松本フェスティバル』や「コンクール」などの『甲信越エリアの音楽イベント情報』はこちら。

全国芸術祭情報はこちら。 

トリップアドバイザーの周辺口コミガイドはこちら。

新潟県の特産品&名物

『柿の種』など新潟県の名産品ナビはこちら、『八海山』など新潟県の銘酒ナビはこちら、『エチゴビール』など甲信越の地ビールナビはこちら

施設面から見たホールの特色

(公式施設ガイドはこちら)

※ご注意;以下※印は当サイト内の関連記事リンクです。
但し、その他のリンクは施設運営者・関連団体の公式サイト若しくはWikipediaへリンクされています。

1,510席の巨大な1スロープのプロセニアム形式多目的ホール

脇花道のある平土間部分、と比較的急峻な後半部スロープ部分から成る。

巨大な打ち放しコンクリート製プロセニアム

とにもかくにも、これが最大の失敗ポイント!

プロセニアム開口高さ10mは伝承芸能(歌舞伎辺り)には最適かもしれないが、それ以外では低すぎる!

ホール後半側壁の音響フラップ!

ホール後半側壁には、ご自慢の「音響調整マジックボックス」の調整用フラップが並んでいる。

客席周辺の木質パネル部分も3面にわたり音響ネットで表装された吸音壁と成っている。

ホール背後上層部の全面吸音壁?

ホール背後壁の上層部は大口径の格子で縁取られ音響ネットで表装された吸音壁と成っている。

ホール音響評価点:68点

§1,「定在波対」策評価点:20点/40点満点

  • ※各フロアーの配置・形状、壁面形状、天井形状、天井高さ、等の要素をそれぞれ減点法で算出。
  • ※客席側壁がプレーンな垂直壁で「完全平行・平面」の場合は、満点x0.5=20点をベースに算出。

§2、残響その1 「初期反射」対策評価点:18点/20点満点

  • ※壁面の素材・形状、客席配置、その要素で減点算出。
  • ※(コンクリート、人造大理石、タイル・陶器製などの)硬質材の客先周辺壁材仕様は、満点x0.5=10点をベースにして減点算出。

§3,残響その2「後期残響」への配慮評価点:10点/20点満点

  • ※壁面形状、音響拡散体(相当要素)、テラス軒先形状、天井構成、その他の要素で減点算出。

§4,客席配置への評価点:20点/20点満点

  • ※壁際席、大向こう席、平土間部分の見通し(眺望)不良、それぞれ-1点/1箇所で減算。
  • ※客席周辺壁材が硬質壁の場合は、満点x0.8=16点をベースに減点算出。

※関連記事「後悔しないコンサート会場の見分け方」まとめ  はこちら。

立派なリハーサル室

(公式施設ガイドはこちら)

2階吹き抜けの高い天井を持つ面積 195m2 変形(9.6m × 最長14.9m)(約118畳)の立派なリハーサル室を備える。

リハーサル室

(公式施設ガイドはこちら

リハーサル室;幅9.6mx奥行14.9m、床面積195㎡(約118畳)天井高さ約4.5m の変形ルーム。

バレエ・ダンスレッスンバーを装備した壁面ミラー(カーテン付き)を備えている。

全周有孔音響ボードで表装された遮音(吸音)構造。

ルーム音響評価点:50点

§1,「定在波対評価点:25点/50点満点

  • ※ルーム低層部に1対以上の並行したプレーンな垂直壁がある場合は、満点x0.5=25点をベースに減点算出。

§2、「初期反射」対策評価点:25点/50点満点

  • ※ルーム低層部3面以上がプレーンな垂直壁の場合は、満点x0.5=25点をベースに減点算出。

詳細データ

  1. 所属施設/所有者 新潟勤労者総合福祉センター/新潟市。
  2. 指定管理者/運営団体 新潟市開発公社・愛宕商事共同事業体/新潟市。
  3. 開館    1994年7月11日
  4. ホール様式 プロセニアム型式多目的ホール。
  5. 客席    1フロアー、収容人員 1510席、1・2階テラス(桟敷席)、中央部千鳥配列座席、可動床、客席可変残響装置、仮設本花道
  6. 舞台設備 、プロセニアムアーチ:間口:20.9m 奥行:13.2m 高さ:10.0m、ブドウ棚(すのこ)、脇花道、仮設鳥屋囲(下手囃子場or黒御簾(くろすみ))、オーケストラピット(可動床客席収納)、可動反響板
  7. その他の設備 
  8. 付属施設  楽屋x6、控室、ホワイエ、エントランスロビー、リハーサルルーム、大会議室兼展示室、会議室x5、研修室x2、和室x3、新潟テルサ健康クラブ他。
  9. 施設利用(利用料金等)案内 詳しくはこちら。

デジタヌの独り言

1994年の建造にもかかわらずホール高さが活かされていないデザイン!

これだけの巨大間口(約21m)と約20mの天井高にもかかわらず「可動プロセニアム」が設備されていない!

しかも軽量の「伝統的簡易反響板?」この組み合わせが、急激な断面変化となり洞窟音(籠もり音)の1つの原因と成っている。

今後の改装に期待!

ホールの構造上今さら「高さ10mの伝統芸能用?」のプロセニアムの短縮・改築は困難であろうから。

①可動床オーケストラピット部を利用して「エプロンステージ(張り出し・拡張ステージ)」を設営出来る構造とし、

②「奥行きの浅い」大型重量級の自走式反響板を新造し

③打ち放しコンクリートの表面(脇花道背後)を「木質パネル」で表装すれば、無様な「音響可変用フラップ」(※1)をバタバタさせなくても、各地にテルサ同様素晴らしい音響のホールとして「生まれ変」われるで有ろう。

仕掛け・カラクリに頼る県民性なのか?

当ホールにせよ、「りゅーとぴあ」にせよ、とにかく「カラクリ」が好きなようで、これだけ立派な巨大空間のホールなのにセオリー無視(※2)はもったいない!

デザイナーの「こじつけ」には恐れ入った!

急峻なスロープ、低く迫った天井反響板、石造り(コンクリート)の壁面多少のアンギュレーションはあっても「ほぼ平坦な壁面」、「音響玉手箱」の可変フラップ以外「皆無といって良い音響拡散体」、客席眼前真正面の巨大なコンクリートプロセニアムとその上縁にある目障りな拡声器BOX(コーナー反響板)...。

こんなへんてこりんな「むじーくふぇらいんざーる擬き小屋」など見たことが無い!

※1、現代の3大迷発明!「からくり小屋列伝」はこちら。

※2、関連舞台解説記事「芸術ホール設計のセオリーとは?」はこちら。

※、関連記事「音の良いホールの条件」はこちら

※、「都市伝説・良いホールの条件"残響2秒以上"は本当か?」はこちら

※、直接音、初期反射音、残響音についての(株)エー・アール・アイさんの解説はこちら。

※、エコールームに関する「音工房Z」さんの解説記事はこちら。

※、「ホール酔い」に関する関連記事はこちら

デジタヌの知っておきたい豆知識

新潟テルサこれまでの歩み

1994年7月11日、当時の雇用促進事業団と市によって建設事業が進められ開館。

1997年の特殊法人整理合理化計画によって同事業団は雇用・能力開発機構に改組。

2006年4月1日 市に全面移管した。

新潟テルサのある新潟市とこれ迄の歩み

新潟県の県庁所在地。

信濃川の河口部に開けた町。洪水・地震・大火・などの天災復旧に明け暮れ、信濃川の治水事業に明け暮れてきた町である。

推計人口、801,298人/2018年4月1日。

新潟ー東京 1時間47分/10,570円/新幹線/333.9km

新潟市の中心市街地は中央区の信濃川を挟んだ両岸部に所在し、大きく分けて古町、万代、新潟駅周辺の三つのエリアに分けられる。

「新潟島」と呼ばれる信濃川左岸側に位置し、1655年(明暦元年)の移転以来の新潟の業務・物販・飲食などの複合的中心地で商店街、歓楽街などが集まる地区で、現在に至るまで中心市街地に位置付けられているエリアが「古町」。

信濃川右岸側の、前述の古町・本町と新潟駅万代口のほぼ中間点に位置する地区が「万代」

大正末期に大河津分水路通水によって狭まった信濃川の流路跡が埋立地として開発された地区で、昭和初期に開発が始まり戦後から本格的に開発が進められた。隣接する八千代とともにデパートの集中する商業エリアである「万代シテイ」と「万代シテイバスセンター」などが整備され、主に若年層向けの商業地になっている

新潟駅周辺は、1958年の新潟駅移転で北側の万代口周辺の開発が一気に進み、1964年の新潟国体までの間に急速に市街地化した。現在では東大通を中心にオフィスビルが立ち並んでいる南口周辺(笹口、天神尾、米山)は、1970年代から都市開発が本格化した。1982年の上越新幹線開通に合わせ南口が開設され急速に市街地化が進んだ。

新潟県・新潟市のこれまでの主立った出来事

令制国(律令国)

645年旧暦6月12日の「乙巳の変」以降 668年即位した天智天皇によって制定された令制国(律令国)による国分けにより704年の国割確定・国印鋳造を基本として明治初期の廃藩置県後も現在に至るまで行政区分の基本となっている.。

新潟県

古代新潟県は高志(越)国の一部であったが、7世紀末に高志国は越前・越中・越後の三国に分けられた。

1335年(建武2年)12月 : 蒲原津に陣取る新田方の小国政光らを足利方の色部高長らが攻撃。蒲原津の争奪戦が始まる。

1581年(天正9年) : 6月16日 : 新発田重家が新潟津を奪取、同地に新潟城を築城し独立する。
同年6月22日 : 上杉景勝が木場城を築城する。
1598年(慶長3年)4月2日 : 堀氏・溝口氏が入封。新潟島を中心とする西部は長岡藩領、沼垂を中心とする東部は新発田藩領になる(市域の一部は村上藩領)。

江戸幕府の「入組支配」

江戸幕府はかつて7世紀後半に天智天皇によって制定された令制国(律令国)の「団結による反乱」を極度に警戒し、幕府安康の最善策として「令制国の解体政策」を推し進めた、それが「入組支配」と呼ばれる政策で、地方の大名に対し頻繁に転封(国替 )・減封(領地召し上げ)を行い「地方の統一・団結」を阻もうとした。このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。

現在の新潟県も幕末に幕府直轄領(天領)となり、安政条約で開港場に指定された新潟町を抱え、長岡藩、会津藩、桑名藩などが領地(飛び地)を持ち、戊辰戦争の主戦場のひとつとなったことから、その成立までの経過は他の府県に比べても非常に複雑なものであった。

1631年(寛永8年)9月 : 阿賀野川の洪水で信濃川と阿賀野川を結ぶ加茂屋堀が決壊。阿賀野川と信濃川の河口が合流する。
1676年(延宝4年) : 長岡藩により、新潟町奉行が置かれる。

1731年 : 阿賀野川の水を排水するために前年に設けられた松ヶ崎堀割が洪水で決壊し、阿賀野川の本流となる。このため、新潟湊に流れ込む水量が減少するも、周辺の排水が良くなって潟の干拓と新田開発が進む。

1820年 : 新川が開通。
1843年 : 新潟町は天領となり、川村修就が初代新潟奉行に任命。

1858年 : 日米修好通商条約によって開港五港の一つに指定されたが、水深不足で開港が遅れる。

廃藩置県と明治新政府の行政改革

廃藩置県とは一般的には1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の明治新政府の布告日が知られているが実際には1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の大政奉還から版籍奉還 (1868年8月1日)( 旧暦6月24日)を挟み、1871年8月29日の廃藩置県布告を経て1871~1872年の 第1次府県統合、1876年の第2次府県統合終了まで明治新政府によって進められた一連の行政改革でその後の離合も含め現新潟県も幾多の行政変遷にさらされた。

1868年(慶応4年)旧暦7月 : 戊辰戦争で幕府側との攻防戦の末に新政府軍が新潟町を占領し、新潟民政局を設置。

1868年5月11日(慶応4年=明治元年旧暦4月19日):新潟奉行所に代えて新潟裁判所を設置

1868年5月16日(慶応4年旧暦4月24日):佐渡奉行所に代えて佐渡裁判所を設置
1868年7月18日(慶応4年旧暦5月29日:越後国に越後府(第1次、上越市高田 ⇒ 柏崎市)を設置。以後1869年
1869年1月1日(明治元年旧暦11月19日) : 新潟港が外国船に開港。

1871年12月31日(明治4年旧暦11月20日):第一次府県統合により新潟県、柏崎県、相川県の3県を設置。
1879年(明治12年)4月9日 : 郡区町村編制法の新潟県での施行により、新潟町・寄居白山新田村の区域をもって行政区域としての新潟区が発足

1880年(明治13年)8月7日 : 新潟大火で市街地を焼失。

1886年(明治19年)、若松県を経て福島県の管轄となっていた蒲原郡の一部が新潟県に移管されたことにより、現在の新潟県の県域が確定した。同年 : 初代萬代橋が完成。

1889年(明治22年)4月1日 : 市制の施行により新潟区235町および西蒲原郡関屋村古新田の区域をもって新潟市が発足

1893年(明治26年)4月1日:横川駅 - 軽井沢駅間が延伸開業し、直江津ー高崎間の信越線(官設)が全通。

1897年(明治30年)11月20日 : 北越鉄道(現信越本線)開通により新潟-上野間がつながる
1908年(明治41年)3月8日 : 若狭屋火事により、初代萬代橋が焼失。同年9月の大火で、市街地の大半を焼失する
1909年(明治42年) : 二代目萬代橋が完成。
1913年(大正2年)8月28日 : 木津切れにより被災。
1914年(大正3年) : 中蒲原郡沼垂町と合併。その後も周辺町村を合併して市域を拡大。

1916年(大正5年)から日本石油株式会社により、大面油田(現・三条市)の採掘が始まる。同年(大正5年)3月には、1日にドラム缶300本分の石油が噴出した。(同原油は市熱本線ルートで首都圏に送られていた。)

1917年(大正6年)10月2日 : 曽川切れにより被災。

1929年(昭和3年) : 三代目萬代橋が完成。同年本州日本海側で初となる万代飛行場が、信濃川下流の中州の万代島(現中央区万代島)に開港。

1930年(昭和5年)万代飛行場が北蒲原郡松ヶ崎浜村へ移転し、新潟市営飛行場として開港。

子の頃、新潟油田は最盛期を迎え、北潟の谷間には石油会社の社屋や鉱夫小屋、商店や旅館などが建ち並び、大いに繁昌した。

栄村(現・三条市)吉野屋から本成寺村(南蒲原郡、現・三条市)如法寺にかけても油井が建ち並び、信越本線の車窓から燃えさかる炎が眺められるほどだったという。しかし太平洋戦争後には石油の産出量は減少し、安価で質のよい外国産の原油が輸入され始めたこともあって、油田は低迷しだした。

1931年(昭和6年)9月1日:水上駅 - 越後湯沢駅間延伸開業(清水トンネル開通)し上越線全通。それまで上野駅 - 新潟駅間は信越本線経由の急行列車で11時間6分を要していたのが、新設された上越線経由の急行列車は7時間10分で結び、一挙に4時間の所要時間短縮が図られた。

1933年(昭和8年) : 新潟電鉄(後の新潟交通電車線)県庁前 - 燕全線開通。

1941年(昭和16年) : 新潟市営飛行場が日本陸軍の徴用飛行場となる。

1945年(昭和20年)同年7月17日 : 新潟飛行場がアメリカ軍艦載機の攻撃を受ける
同年7月24日 : アメリカ合衆国が新潟市などを原子爆弾の投下目標地に定める。(後年判明)
同年8月6日 : 広島市への原子爆弾投下
同年8月9日 : 長崎市への原子爆弾投下
同年8月10日 : アメリカ軍の航空母艦から発進した艦載機16機が新潟市を攻撃。
同年8月11日 : 新潟県が新潟市民に対して「原爆疎開」を命じる8月10日付の知事布告を発表。
同年8月15日終戦

太平洋戦争終結により、新潟飛行場をアメリカ軍用飛行場として接収される。
1948年(昭和23年) : 栗ノ木排水機場が完成。これ以後、亀田郷の土地改良が進む。

1950年(昭和25年) :新潟飛行場 A滑走路1,829mの供用開始。

1955年(昭和30年) : 新潟大火で中心市街の大部分を焼失。

1958年(昭和33年)3月31日 : 連合国軍より新潟飛行場が返還される。初の定期路線、新潟 - 東京間が開設される。

同年4月29日 : 新潟駅が現在地に移転。
1959年(昭和34年)12月14日 : 在日朝鮮人の帰還事業の第1次帰国船が新潟港を出港。

1963年(昭和38年) : 新潟飛行場、A滑走路1,314mに短縮、B滑走路1,200m新設。

同年大面油田は閉山。

1964年(昭和39年)この年までに市内の堀が全て埋め立てられる。
同年1月26日 : 新潟国体開催。同年6月16日 : 新潟地震が発生。大きな被害を受ける。液状化現象と津波により新潟飛行場滑走路が浸水するなど被害が出る。

1972年(昭和47年)新潟飛行場 B滑走路1,900mに延長。ジェット化される。
同年10月27日 : ターミナルビル(2代目)の改築が完了し供用を開始。

同年(昭和47年) : 関屋分水が完成。
1973年(昭和48年) : 新潟バイパスが開通(以後、新新バイパス、新潟西バイパスなども順次開通)。同年6月 : 初の国際定期航空路となるハバロフスク線を開設。

1978年(昭和53年)9月21日 : 北陸自動車道・新潟黒埼IC(当時) - 長岡JCT・長岡ICが開通。

1981年(昭和56年) : 新潟空港、B滑走路2,000mに延長。

1982年(昭和57年) : 上越新幹線・大宮駅 - 新潟駅間が開業。
1983年(昭和58年) : 同年暮れから翌1984年(昭和59年)初春にかけて59豪雪に襲われ、新潟市ではシーズン総降雪量が観測史上最高の422cmを記録する。
1985年(昭和60年) : 関越自動車道全線開通により、関東地方各地と結ばれる。

同年上越新幹線上野駅乗入れ開始。

1988年(昭和63年) : 北陸自動車道全線開通により、北陸地方各地と結ばれる。
1991年(平成3年) : 東北新幹線・東京駅 - 上野駅開業に伴い、上越新幹線東京駅乗り入れ開始。
1994年(平成6年) : 北陸自動車道・新潟亀田IC - 新潟西IC開通により、新潟市域初めての高速自動車国道が開通。
1996年(平成8年)中核市に移行。同年3月28日 : B滑走路2,500mに延長し供用を開始。

1997年(平成9年) : 磐越自動車道全線開通により、東北太平洋側と結ばれる。
1998年(平成10年)8月4日 : 8.4水害発生。市内各所で床上浸水等の甚大な被害を受ける。交通も主要幹線道路が水没し、機能が麻痺。
1999年(平成11年) : 新潟交通電車線全線廃止。
2004年(平成16年)7月13日 : 7.13水害発生。同年10月23日 : 新潟県中越地震発生。新潟市には直接的な被害はなかったものの、関東・北陸方面との交通網寸断により10月27日より11月10日まで新潟空港が臨時の24時間運用を実施した。また風評被害などで甚大な経済的損害を被る。

2005年(平成17年)3月21日 : 平成の大合併でd周辺12市町村を編入合併。同年10月10日 : 西蒲原郡巻町を編入合併。

2007年(平成19年)4月1日 : 政令指定都市に移行。

2009年(平成21年)12月17日 : 59豪雪以来、26シーズンぶりの豪雪。

2010年(平成22年)2月4日午前7時には中央区で81cmの積雪を記録。連日にわたって積雪被害や市内交通の機能低下などが生じる。
2010年(平成22年)第1回ラ・フォル・ジュルネ新潟が開催される
2011年(平成23年)8月 : 日本海横断航路(新潟 港- ザルビノ)が開設される。
同年11月11日 : 新潟港が日本海側拠点港となる。

公開:2018年1月 8日
更新:2018年8月14日

投稿者:デジタヌ

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