狸穴ジャーナル・別冊『旅するタヌキ』

長岡市立劇場 《ホール音響Navi》 

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Official Website http://www.nagaoka-caf.or.jp/

長岡市立劇場のあらまし

1500人収容の大ホール、と平土間多目的スペース、大小会議室を備えた長岡市の複合施設、新しく生まれた長岡リリックホール(※ホールナビはこちら)と補完する関係にあり、共に(公財)長岡芸術振興財団が積極駅な自主興行を行っている。

長岡市(旧長岡藩城下)

越後国の古志郡全域及び三島郡北東部、蒲原郡西部(現在の新潟県中越地方の北部から下越地方の西部)を治めた藩。現在の新潟県長岡市・新潟市を支配領域に含む藩で長岡城(現長岡市)に藩庁がおかれていた。

全国的には長岡大花火大会で有名な街。

有史以来、豪雪と震災・戦災に繰り返し痛め続けられ、復興を繰り返してきた都市でもある。

推計人口、270,080人 /2018年4月1日。

長岡ー東京 1時間48分/9,150円/新幹線 /270.6km

長岡市立劇場のロケーション

ところ  長岡市幸町2丁目1番2号

JR長岡駅大手口から南西に徒歩約30分/2.3㎞の信濃川河畔に、長岡市立科学博物館、長岡法務総合庁舎などと並んで佇んでいる。

あたりは町はずれの閑静な住宅地といったところ。

トリップアドバイザーの周辺口コミガイドはこちら。

長岡市立劇場へのアクセス

鉄道・バスなどの公共交通

JR長岡駅大手口から徒歩約30分/2.3㎞

バス
・10番線から 「宮内環状線 内回り」〈市立劇場〉バス停下車
・10番線から「宮内本町線」「免許センター線」〈市立劇場〉バス停下車
 ※「免許センター線」は平日のみの運行。

マイカー利用の場合

お隣さいわいプラザと合わせ数百台規模の無料駐車場が準備されているので、マイカー利用も可能。

関越自動車道長岡IC.より約14分/6.8㎞。

国道17号高畑交差点より約9分/2.4㎞

長岡市立劇場ホールがお得意のジャンル

大ホール

東京フィルハーモニー交響楽団や外来オケ(アイスランド交響楽団)のオーケストラコンサートやバレエ公演ソリストのリサイタル、アンサンブルの演奏会、小編成の室内楽コンサートなども行われミュージカル、Jポップ関係のコンサートや、往年のアイドル・エンタテイナーのワンマンショウ、ジャズコンサート、演劇・伝統芸能、歌謡歌手の歌謡ショー、懐メロ歌手の歌謡ショー、落語・演芸寄席、着ぐるみヒーローショー、大道芸、パフォーマンス・ショーなどの色物などジャンルに拘らないバラエティーに富んだイベントが市制管理者により自主興業行されている。

またプロ演奏団体、以外にも数多くのアマチュア団体も利用している。

小ホール

主にセミナー、講演会、市民団体の集会、お稽古事の発表会などに用いられ、大衆演劇、着ぐるみヒーローショー、大道芸、パフォーマンス・ショーなどの色物などジャンルに拘らないバラエティーに富んだイベントが行われている。

またパーティー・レセプションなどの会場としてもつかわれている。

長岡市立劇場で催されるコンサート・イベントチケット情報

チケットぴあ該当ページへのリンクはこちら。

施設面から見たホールの特色

※ご注意;以下※印は当サイト内の関連記事リンクです。
但し、その他のリンクは施設運営者・関連団体の公式サイト若しくはWikipediaへリンクされています。

(公式施設ガイドはこちら。)

大ホール

(公式施設ガイドはこちら。)

インベーダー型ホール?

嘗て小生が若かりし頃一世を風靡した「インベーダーゲーム」のキャラを思い起こさせるフォルムをした、この規模では珍しい1スロープの多目的ホール。

21億円を投じて改修?

1973年の完成なので仕方ないかも知れないが、総工費21億円もかけてどこうを改修したのだろうか?。女子トイレを改修したらしいので、「金の便座」でも設えたのか。

壁面は塗装仕上げの側壁、座席配置もそのまま!

但し、後方G・Dメイン出入口上部にコーナー「反響板を親切?」したようである。

天井反響板を更新?

更に天井反響板を、耐震補強も含めて強固なブリッジタイプに変更したようでもある?。

どうせやるなら、岡崎市の「あおいホール」(※ホールナビはこちら)のように天井を取っ払って、構造体むき出しで、もっと天井高さを稼いだほうが良かったのでは?

危険でもあるタイル張りプロセニアム側壁

プロセニアム側壁をはじめ、客席周囲の"床囲い"は建設当時流行った、タイル張りになっている。

最近では2018年の北大阪震災では高槻現代劇場 大ホール(※ホール ナビはこちら)で実際に「内壁タイル剥落」が発生し、休館に追い込まれていることでも明白なように音響的に不適であるとともに「危険」でもある。

客席両サイドの垂直で完全並行な側壁

客席サイド側壁は、表面を壁紙で表装した一般建築用の、板材と石膏ボードのハイブリッド壁、いわゆる宴会場仕様。

大向う背後壁は昔ながらの?音響スクリーンで表装した吸音壁となっている。

扇状段床に配置された客席前半部分

26列までのホール前半部分は、扇状段床スロープ上に設置されており、完全並行壁に囲まれた客席を定在波(※1)による障害から守っている。

定在波に無防備の後部

27~36列の449席は設計図に後から付け足した?としか思えない、不審?な部分で、完全に並行した両側壁に挟まれながら前半のような扇形段床にはなっていない!

したがってもろに両側壁間で発生する定在波の悪影響(※2)を受けている。

想定定在波周波数

ステージ間口と同じ20m巾なので周波数に換算すると17Hz。

オルガンも無いことだし「可聴帯域外の低周波振動」なので、問題はないだろうと甘く見たのであろうが...

新潟県の郷土芸能である「和太鼓コンサート」等では悲惨な状況(※2)が発生しているであろう!

ホール音響評価点:得点66点/100点満点中
§1 定在波」対策評価;得点25点/配点50点
  • ※各フロアーの配置・形状、壁面形状、をオーディエンス周辺壁面(概ね人の背の高さ:約1.8mの範囲内)の設えで評価する。
  • ※客席側壁が ホール床面積の1/3以上に及ぶ範囲を「完全平行な平面壁」で囲まれているときには 配点25点に減ずる。
  • 基礎点に障害エリア客席数比率を乗じて算出する
§2 残響その1 「初期反射」軽減対策評価;得点23点/配点25点
  • 木質パネル等の素材基礎点25点から硬質壁材基礎点12点の間5段階で素材基礎点を与える。
  • 障害箇所1点/1箇所で基礎素材点から減じて基礎点とする。
  • 基礎点に障害エリア客席数比率を乗じて算出する
§3 「音響障害と客席配置」に対する配慮評価;得点16点/配点20点
  • ※壁際通路&大向こう通路の有無、天井高さ&バルコニー・テラス部の軒先高さ、平土間部分の見通し(眺望)不良、それぞれ-1点/1箇所で配点から減じて基礎点とする。
  • ※基礎点に障害エリア客席数比率を乗じて算出する
§4 残響その2「後期残響」への配慮評価得点2点/配点上限5
  • ※壁面形状、音響拡散体(相当要素)、テラス軒先形状、天井構成、その他の要素で評価。
  • ※上限5点の範囲内で上記1点/1アイテムで加算評価。

※関連記事 「ホール音響評価法についての提案」はこちら。

総評
総工費21億円がだれの懐に消えたのか?

せめて、三鷹市光のホール(※ホールナビはこちら)や小牧市市民会館(※ホールナビはこちら)のように木質パネルに換装し、ホール後方27番から36番の凸出部も含め前方17番から以降の両側壁は「内傾スラント」処理ぐらいはしてほしかった。

算出に用いた値;

定在波評価

基礎点B1=配点25点ー障害発生エリア数1=24点

定在波障害顕著席数;38席(20席/定在波の「節」27~36列の30・31番席、定在波の「腹」18席/27~35列)

初期反射対策評価

基礎点B2=素材基礎点20点ー障害発生エリア数0?=20点

初期反射障害1 壁面障害席 ;0?席

初期反射障害2 天井高さ不足席;0?席

重複カウント ;ー0席

音響障害席総計;0?席

客席配置評価

基礎点B3=基礎点20点ー障害発生エリア数2=18点

眺望不良席数;84席/1F平土間中央部座席

音響不良席その1 定在波障害顕著席 ;38席

音響不良席その2 初期反射障害1壁面障害席 ;0?席

音響不良席その3 初期反射障害2 天井高さ不足席;0席

重複カウント ;ー0席

音響障害席総計;122席

算定式 

評価点V=基礎点X(総席数ー障害座席数)/総席数

小ホール

(公式施設ガイドはこちら。)

全く誉めようのない多目的イベントスペース。

壁面は塗装仕上げの一般建築用石膏ボード、申し訳程度に音響カーテン?設えられている。天井は空調ダクトを有効に使った?むき出しの塗装天井。に照明バトンを吊るしたデザイン。ポータブルステージ(教壇?)が設置されている。

床は人造大理石風のPタイル張り。

間違ってもここでコンサートなど企まないこと!

ルーム音響評価点:37点

※会議室、宴会場、展示会場などがメイン用途のためルーム音響評価を適用しました。

§1,「定在波対評価点:12点/50点満点

  • ※ルーム低層部に1対以上の並行したプレーンな垂直壁がある場合は、満点x0.5=25点をベースに減点算出。

§2、「初期反射」対策評価点:25点/50点満点

  • ※ルーム低層部3面以上がプレーンな垂直壁の場合は、満点x0.5=25点をベースに減点算出。

総評

...以上。

長岡市立劇場の施設データ

  1. 所属施設/所有者 長岡市立劇場/長岡市。
  2. 指定管理者/運営団体  財団法人長岡市芸術文化振興財団/長岡市。
  3. 竣工・開館   1973年10月24日・開館 1973年10月24日、2018年7月1日 リニューアルオープン。

 

大ホール

  1. ホール様式 プロセニアム型式多目的ホール。
  1.  1スロープ1フロアー 
  1. 舞台設備
    • 基本舞台仕様 プロセニアム形式;有効幅約18.2mx有効奥行き約12m有効面積約218㎡(約131.5畳)、プロセニアムアーチ:間口約20m、高さ約8m、実効面積;約218㎡(約131.5畳)ステージ高さ;FL+約?cm、ブドウ棚(すのこ)高さStL+約?m、バトン類高さStL+約?m、照明(ブリッジ);2本、美術バトン;8本
    • 反響板設置時;プロセニアムアーチ:間口約20m、高さ約8m、最大奥行き約9.4m、実効面積;約153㎡(約92.5畳)ステージ高さ;FL+約?cm、
    • 拡張舞台(エプロンステージ);可動床・可動客席オーケストラピット&エプロンステージ迫り;最大幅約24.7m最大奥行約3.6m有効面積約76㎡;約46畳、演奏面レベル設定;StL ー約?m~+0m、
    • 舞台備品・図面;舞台平面図はこちら舞台断面図はこちら

小ホール

  1. ホール様式 平土間多目イベントスペース。
    1. 床面積  最大幅約12mx最大奥行き約19m、延べ床面積約228㎡(約137.5畳)
  1. 収容人員200席、
      • 内訳;スタッキングチェアーX200席、Pタイル張り、

付属施設・その他 

施設利用料金

デジタヌの独り言

ご同情申し上げるといえばそれまでだが、何度も言うが1973年10月24日の竣工なので、「アスベスト真っ盛りの時代」リニューアル工事の大半の工期(1年以上?)、と除去処理費用(10億円以上?)に大半が消えてしまい、あとはバリアフリー化設備改善、と耐震補強費用ぐらいしか残らなかったのであろう...、と好意的に推察しておこう!

にしても、1996年に中途半端な稼働率の悪いリリックホールを造らずに、早めに市立劇場を改修しておけば、もう少しまともなホールになっていたかも...。

デジタヌの知っておきたい豆知識

長岡市立劇場のこれまでの歩み

1926年8月 大野甚松が長岡市に公会堂を寄付。

1958年(昭和33年)に竣工した長岡市厚生会館(現:アオーレ長岡所在地)があったが、同会館は体育館をベースに設計されており、大規模なコンサート等を開催できるホール施設では無かった。

1973年(昭和48年)秋に当劇場は竣工、同年10月24日に開館した。

1977年(昭和52年)10月16日に新本庁舎(現:長岡市役所 幸町庁舎・さいわいプラザ)は市立劇場北側の隣接地に落成した。

開館以来2度の震災に見舞われたが、修復工事を経て40年近くに渡り営業を続けた。

2016年7月 リニューアル工事のために休館

2018年7月1日 リニューアルオープンした。

正面玄関階段左脇にエレベーターの新設されバリアフリー化を行い。

このほか空調設備を一審。女子トイレの拡張工事などを実施し、設備を一新した。総工費21億円。

長岡市立劇場のある長岡市とこれ迄の歩み

令制国(律令国)

645年旧暦6月12日の「乙巳の変」以降 668年即位した天智天皇によって制定された令制国(律令国)による国分けにより704年の国割確定・国印鋳造を基本として明治初期の廃藩置県後も現在に至るまで行政区分の基本となっている。

越後国

頸城郡 、魚沼郡、刈羽郡 、三島郡 、古志郡、蒲原郡 、岩船郡の7郡で成立していた。

江戸幕府の「入組支配」

入組支配;江戸幕府が行った政策で、かつての律令国家の上に成り立つ、地方豪族・大名に対し頻繁に転封(国替 )・減封(領地召し上げ)を行い地方の統一・団結を阻む政策。このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。

三島郡 - 与板藩及び代官支配地;幕府領、旗本領、長岡藩飛地領、村上藩飛地領、陸奥上山藩飛地領、陸奥会津藩飛地領、伊勢桑名藩飛地領
古志郡 - 長岡藩及び代官支配地;幕府領、伊勢桑名藩飛び地
蒲原郡 -新発田藩、三日市藩、黒川藩、村松藩、三根山藩及び代官支配地; 幕府領、旗本領、村上藩飛地領、長岡藩飛地領、与板藩飛地領、陸奥会津藩飛地領、上野高崎藩、駿河沼津藩、伊勢桑名藩飛地領

廃藩置県と明治新政府の行政改革

江戸時代、徳川政権の幕藩体制下で有名無地となった「令制国」の復活・修復と、入組支配の結果生じた近隣地区(村)同士の待遇(租税)格差をなくし、「地方創世の基本となる行政区分再編成」を行ったのが一連の廃藩置県政策であったともいえる。

教科書!では1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の明治新政府の布告日が知られているが実際には1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の大政奉還から版籍奉還 (1868年8月1日/旧暦6月24日)を挟み、1871年7月14日の廃藩置県布告を経て1872年の 第1次府県統合、1876年の第2次府県統合終了まで明治新政府によって進められた一連の行政改革で、その後の離合も含め越後国も幾多の行政変遷にさらされた。

1868年6月19日旧(暦慶応4年閏4月29日) - 戊辰戦争で新政府軍が桑名藩の陣屋がある刈羽郡柏崎を制圧。
1868年9月13日(旧暦7月27日) - 幕府領・桑名藩領が柏崎県(第1次)の管轄となる。

1869年4月3日(旧暦2月22日) - 再度柏崎県を廃止する布達が出され、越後府(第2次)に合併。

1868年8月1日/旧暦6月24日長岡藩版籍奉還し、藩主の牧野忠毅が長岡藩知事になる。

同年9月30日(旧暦8月25日) - 旧:柏崎県の管轄地が柏崎県(第2次)の管轄となる。


1870年明治3年旧暦10月22日 廃藩置県に1年先立ち牧野忠毅が藩知事を辞任長岡藩は廃藩となり、柏崎県に編入される。

1873年(明治6年)1月1日(旧暦明治5年12月4日)新政府太陽暦採用を布告。

同年6月10日 柏崎県が廃止され、新潟県に合併。
1888年(明治21年)4月 小坂松五郎が北越石油会社を設立。東山油田の開発が始まる。これによって新潟は秋田と並び石油・天然ガスの国内産出地となる。
1892年(明治25年)6月23日 松田周平、小坂松五郎、殖栗順平、山田又七が長岡鉄管会社を設立。※山田又七は、現在「ENEOS」ブランドを展開しているJXエネルギー株式会社となる前身会社も興した人物で「日本における石油の父」と呼ばれている。

1893年(明治26年) 山田又七、殖栗順平らが宝田石油株式会社を設立。

1894年(明治27年)長岡鉄管会社により、東山油田(浦瀬)と中島の精油所を結ぶ送油用パイプライン完成。

1898年(明治31年)6月16日 北越鉄道(現:信越本線)が延伸し、長岡停車場(長岡駅)開業。帝都東京と鉄道で結ばれる。
1901年(明治34年)11月1日 長岡本町・長岡町・等6町村が合併し、新・長岡町となる。
1906年(明治39年)4月1日 古志郡長岡町が市制施行により長岡市となる。
1915年(大正4年)10月7日長岡鉄道(現越後交通旧長岡線)与板 - 大河津 - 寺泊間が開業した。

1916年(大正5年)1月5日長岡鉄道・西長岡 - 与板間が延伸開業、

1916年12月 栃尾鉄道(現越後交通旧栃尾線)長岡~栃尾間が開通。

1921年(大正10年)11月18日来迎寺 - 西長岡間(来迎寺線)が延伸開業し、全線開通を果たした。

1924年5月1日 栃尾鉄道の長岡~悠久山間が開通。

1931年(昭和6年)7月11日 長岡操車場が開業。
1931年(昭和6年)9月1日:水上駅 - 越後湯沢駅間延伸開業(清水トンネル開通)し上越線全通

※それまで上野駅 - 新潟駅間は信越本線経由の急行列車で11時間6分を要していたのが、新設された上越線経由の急行列車は7時間10分で結び、一挙に4時間の所要時間短縮が図られた。
1945年(昭和20年)8月1日 長岡空襲により市中心部被災。空襲被害では甲信越地方で最大規模。

1958年11月20日 大手通1丁目に長岡市厚生会館竣工。

1963年(昭和38年)1月 記録的豪雪(昭和38年1月豪雪、三八豪雪)。
1968年12月16日 新潟総合テレビ開局。1991年10月まで長岡に演奏所(長岡放送センター)が置かれる。
1975年(昭和50年)3月31日 越後交通長岡線旅客営業廃止
1976年10月1日 長岡技術科学大学開学。
1978年(昭和53年)2月20日 新潟県陸運事務所長岡支所(現:新潟運輸支局・長岡自動車検査登録事務所)が設置され、長岡ナンバーが誕生。

1978年(昭和53年)9月21日 : 北陸自動車道・新潟黒埼IC(当時) - 長岡JCT・長岡ICが開通。翌日より高速バス長岡 - 新潟線運行開始。
1980年4月17日 長岡駅新駅オープン。
1982年(昭和57年)10月 長岡東バイパスが暫定2車線で全線開通。
1982年(昭和57年) : 上越新幹線・大宮駅 - 新潟駅間が開通、新幹線長岡駅開業。

1983年上越新幹線上野駅乗入れ開始。

1984年(昭和59年)3月 「長岡テクノポリス計画」が、国の承認を受ける。

1985年(昭和60年) : 関越自動車道全線開通により、関東地方各地と結ばれる。

1986年11月11日 長岡バイパスが暫定2車線で開通。
1988年(昭和63年)5月 長岡テクノポリス計画の事業圏域が長岡市周辺の15市町村に拡大され「信濃川テクノポリス計画」に改称。

1988年(昭和63年)7月20日 : 北陸自動車道・朝日IC - 名立谷浜IC間延伸開通により北陸自動車道が全線開通。北陸地方各地と高速道路で結ばれる。

1989年12月31日 長岡大橋4車線化完成。

1991年(平成3年)6月20日 : 東北新幹線・東京駅 - 上野駅開業に伴い、上越新幹線東京駅乗り入れ開始。

1994年(平成6年) : 北陸自動車道・新潟亀田IC - 新潟西IC開通により、新潟市域初めての高速自動車国道が開通。

1995年3月31日越後交通長岡線全面廃止。

1999年(平成11年)新潟交通電車線全線廃止。

2006年4月1日 市制施行100周年。
2007年(平成19年)4月1日 長岡市は特例市に移行する。

2010年(平成22年)3月31日 北魚沼郡川口町を編入。長岡市では唯一の飛び地となった。
2013年(平成25年)11月24日 長岡東西道路フェニックス大橋と左岸バイパスが開通。

参照覧

※1「都市伝説・良いホールの条件"残響2秒以上"は本当か?」はこちら。

※2、定在波の悪影響に関するnatuch音響さんの解説記事はこちら

 

公開:2018年6月11日
更新:2022年9月30日

投稿者:デジタヌ


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